クマに遭わないことが最大の対策ではありますが、実際にクマに出会ってしまったらどうするか。新聞社の報道記者として、北海道内や東北でこれまでクマに襲われて生還した方々の取材を続けると、とってはいけない方法と撃退できた傾向のほか、まず狙ってくる部位がある程度分かってきました。
携帯していたクマ撃退スプレーを使用する事例も聞くようになり、実際の効果や理想的な使用方法についても明らかになってきています。襲撃の被害は基本的には市街地が目立ちますが、山の中とは人側の装備や心構え、クマの心理状況が異なるので、とるべき対応策を分けて紹介します。
2024.02.09
内山岳志
北海道新聞クマ担記者
まずは、クマとの遭遇を全く想定していない市街地の場合から始めましょう。これは大変難しい状況ですが、クマに襲われた方々に直接取材した結果、とってはいけない方法とうまく撃退できた方法がある程度分かってきました。まずは、市街地と山林で分けて考えましょう。
市街地でクマに襲われてしまうケースは、背後からいきなりドーンと襲われるパターンが多いです。2018年6月に札幌市東区の住宅街に雄のヒグマが突如現れたケースや、今年秋の秋田市内の住宅街にツキノワグマが出没したケースがそうです。
こんな時、クマは人や車、パトカーなどに追われパニック状態、興奮状態に陥っています。そのため、自分の進行方向にいる人間を排除しようと、背後から体当たりしたり、前足で叩いたりしています。
すぐ横を通りすぎればいいのですが、そうしないケースがほとんど。この場合は、完全に無防備なので、攻撃を防ぐことは不可能です。
札幌の場合は、逃げた高齢男性や高齢女性を押し倒し、その上を踏んで走り去って行きました。
秋田市でも庭の椅子に座って休んでいた男性に体当たりして、そのまま走り去っています。数mは吹き飛ばされ、「何が起きたのか分からない」というのが、被害者たちに共通する感想です。多くの場合、攻撃は一撃で、けがも軽めなのが特徴です。
しかし、札幌の40代男性の場合、ヒグマは前足で背中に一撃を食らわして倒した後、腕や足にかみ付き、執拗に攻撃しました。一度離れても、2度、3度と襲いかかり、その様子を近所の住民が動画撮影していました。
「うおー」
「痛い痛い」
男性は大声を張り上げていたため、繰り返し襲った可能性があります。その真相は謎のままです。
男性は最初の一撃で肋骨が6本折れて肺に刺さり、噛まれたり引っかかれたりした傷で全身で140針縫重傷を負いました。仰向けになりながらも、腕と足で顔や腹などの急所を守ったため致命傷にはならず、一命を取り留めました。
ヒグマ対応に慣れた別の男性は「クマを興奮させないように、襲われても黙ってやり過ごすと決めていた」と話し、仲間がクマ撃退スプレーで追い払いに成功しています。
襲われている間は、クマをこれ以上興奮させないため、声を出さずに静かに隙をうかがう方が得策かもしれませんが、助けを呼ぶ必要もあるため、状況によって判断が必要でしょう。
次に市街地でバッタリ至近距離で対面してしまった場合です。こちらもクマがいることを想定していないため、対処は困難です。その場合、クマは一瞬で距離を詰め攻撃を仕掛けています。
そして狙うのは首から上の顔や頭が中心でした。足や胴体を狙ってくるのではないため、立ち上がったり、飛びついたりして、顔に攻撃を仕掛けています。
散歩帰りに家の前でツキノワグマと遭ってしまった70代男性は、「飛びついて、しつこく目を狙って来た。人間の目が怖いんだろう」と証言しています。
男性は馬乗りになられ、押し倒されましたが足で蹴飛ばして、一瞬の隙をついて離れました。それでも頭や耳を引っかかれ4週間入院しました。
秋田県北秋田市では、自宅車庫のシャッターを開けたところ、潜んでいたクマと遭遇し、負傷した60代男性もいます。
1.5mの距離で目が合い、「やばい」と思って反転して逃げましたが、追いかけてきたクマは左前に回り込み、男性を押し倒し、噛んだり爪で引っ掻いたりして、頭から脇腹に大きなけがを負わせました。
男性も「このまま死ぬんだろう」と死を覚悟しましたが、クマが一瞬離れた瞬間に起き上がって自宅に逃げ込み難を逃れました。
引っかかれた頭は皮膚が剥がれ、耳たぶを噛みちぎられて「鏡を見たら頭蓋骨が見えた」と話すほどの傷。男性は「動きが速すぎてどこをどう襲われたか分からなかった」と振り返っています。
それでも新聞表記上は「軽傷」です。決して軽くないことは分かると思います。
こうした市街地で襲われたケースを分析すると、正面から遭った場合、クマは首から上を狙って攻撃してくるため、うつ伏せになって腕で顔や頭、首を守る必要があります。
その際、大声を出すよりは、静かに黙って、クマが離れる一瞬の隙を窺う、というのがとれる最良の方法と言えるでしょう。
逃げたとしても時速50kmで走るクマから逃れるのは、容易ではありませんし、クマは逃げると追いかけて来る習性があるため、その場でサッと防御姿勢をとった方が、良さそうです。
クマ研究者でつくる「ヒグマの会」(北海道)も、襲われた際には腹ばいになって、腕で首の後ろを守る姿勢をとるよう推奨しています。この腹筋運動のポーズを裏返した格好の防御姿勢をすかさずとるということを覚えておいて下さい。
リュックを背負っていたり、鞄を持っていたりする場合は、これで後頭部と首ををガードしましょう。ザックに入っていたバインダーが爪を防いでくれたケースも実際にありました。
ただ、これは市街地でのバッタリ遭遇を想定した防御法です。山中で人に積極的に向かって来た場合は、また後で説明します。
市街地でも山中でも、人を襲いがちなのは実は北海道のヒグマよりも、本州のツキノワグマの方です。
今年全国でも人身事故が最多となった秋田県では、2023年11月22日時点で70人のうち、約8割が人里で襲われていました。
クマ研究者でもある秋田県ツキノワグマ被害対策支援センターの近藤麻実主任は「市街地に出没した場合、ツキノワグマの方がパニック状態に陥りやすく、人を襲いがち。人より体の大きいヒグマの方が余裕があり、襲うケースは少ない」と分析します。
一方、死亡率だけでみると、北海道がまとめた08~23年度の襲われた場合の分析では、ヒグマが62人中15人の24%。本州のツキノワグマが1,557人中23人の1.5%で、ヒグマの圧倒的な高さが目立ちました。
ヒグマの方が圧倒的に人を襲うケースは少ないですが、襲われてしまった場合の危険度は格段に高いということがいえます。本州に広く分布するツキノワグマの方が、事故件数も多くなっています。
それでは、本題の山中でクマあったらどうするか。
山でクマが人を襲うのは、以下の3パターンだと前に紹介しました。
①バッタリ遭遇して襲ってしまった
②子連れの母グマが子を守るために襲った
③興味本位、もしくは積極的に人に近づき襲撃した
まず、どのケースでも絶対やってはいけないのが、背中を見せて逃げることです。山中だと別に襲う気がなかったとしても、背中を向けて逃げるものを追いかけるというのは、獣を狩る肉食や雑食の生き物の習性です。
陸上男子100mの金メダリスト、ウサイン・ボルトがトップスピードで記録する時速45kmよりも速い時速50kmでクマは走るため、逃げても無駄です。
過去に、ヒグマの会がクマ牧場でかかしを使った実験をしていますが、向き合っている状態では、クマは動きませんでしたが、背を向けて後退した瞬間、走り出して、首の後ろにかみ付いています。
今から100年前に北海道に生まれ、アイヌ民族最後の狩人と言われた故・姉崎等さんの本「クマにあったらどうするか」でも、背を見せて逃げることは、自分は相手より弱いということをクマに知らせることで、腰を抜かして動けないほうがましだ、と説いています。
アイヌ民話でもそう教えているそうです。また、姉崎さんは「目を絶対にそらさない」とも言っています。クマの目を見ながら、ゆっくりと後ずさりして、距離をとる。これが一般的なバッタリ遭遇してしまった際にとる方法です。
しかし、子連れの母グマの場合はそうもいきません。
子を守るため、人間を排除しようと攻撃してきます。岩手県岩泉町で今年9月、キノコ狩りの最中に母グマに襲われた50代男性の場合、ガサガサという物音がしたと思ったら、近くの木に今年生まれた子グマが木の登るのが見えたそうです。
25年、山に入ってきた男性は、「間違いなく近くに母グマがいて、襲ってくる」と思ったそうです。山で拾った木の棒を持ち、身構えていたところ、ササやぶの中を母グマが突進してきました。バットのようにフルスイングして、母グマの鼻っ柱に一撃を食らわせましたが、クマはちょっと横を向いただけで、そのまま襲いかかってきたそうです。
1mほどの棒を突き出して抵抗し、距離をとろうとしましたが、クマは棒を両手で掴み、引っ張り合いになったそうです。そして、懐に入り込まれた瞬間、男性は左腕をかみ付かれました。
男性は「素早すぎて、何がどうなっているのかすら分からなかった。私に一撃を食らわせない限り、攻撃し続けてきた」と振り返ります。
男性の場合、体の小さい雌のツキノワグマだったので、棒1本でなんとか凌ぎましたが、雄グマやヒグマが接近してきた場合は難しい。鉄の棒が曲がるくらい頭を殴りつけても、お構いなしだったという報告もあります。
そこで、クマを追い払うのに有効なのが、クマ撃退スプレー。2023年12月に登山帰りの乗客が新幹線の中で誤射してしまい大騒ぎになった、あれです。
トウガラシの辛み成分を勢いよく噴射するもので、5~7mほど届きます。これをクマの顔に向かって吹きかけることで、クマを追い払うというものです。
真っ正面にクマと向き合ってしまうと、スプレーでもクマが止まらなかった場合、攻撃を受けてしまう恐れがあります。そのため専門家は、立木や石などの陰に体を隠した上で、スプレーを噴射するよう、提唱しています。
その場合も5mほどまで引き付けてから噴射しないと、効き目が薄いと言われています。風上、風下など考えている余裕はないので、多少自分にかかることも覚悟の上で使うしかありません。
2022年3月に札幌でクマの冬眠穴を調査していたNPO職員2人が、穴で子育てしていた母グマに襲われた際には、どちらかが襲われた際にそれぞれもう一人がスプレーを噴射し、2本使い切ったところでやっと母グマが逃げて行きました。
これは実際に人が襲われたケースにおいて、スプレーで撃退できた初めての例ではないかと言われていますが、スプレーの効果は立証される結果ともなりました。
2023年10月に道東の阿寒町で、親子連れのクマと遭遇し、母グマに噛み付かれた男性も、右肩を噛まれたままスプレーを噴射し、なんとか逃げることに成功しました。
ただ、1本で追い払えるかは分からないので、最近では道内でクマの調査を行う研究者たちは、スプレー2本を腰に差して山を歩いていると言っていました。
スプレーを持っていない、もしくは噴射しても逃げてくれなかったらどうするか。刃物を手に戦った事例を紹介します。
2023年11月に道南の福島町の大千軒岳(1,072m)で男性3人パーティが、ヒグマに襲われた際は、山菜採り用のナイフで反撃しました。
大声をあげてもクマは駆け足で接近してきており、③の積極的な攻撃といえます。取っ組み合いになった際、最初は目を狙って刺しましたが、うまくささらず骨に当たって「コツン」と音がして、はじき返されました。
その後、馬乗りにされたところで喉元にナイフを刺し、撃退しました。後の調査で、男子大学生がクマに襲われて死亡し、付近に埋められていました。
大学生のケースは状況からバッタリ遭遇の可能性が高いと言えます。その学生が埋められた土饅頭を守るため、クマは男性たちに襲ってきた可能性が高いと結論付けられました。
クマは、土饅頭の近くで死んでおり、若い雄で体長は125cm。皮下脂肪がつき、栄養状態は良かったというので、やはり飢えて人を襲ったわけではなさそうです。
喉付近にあったナイフで刺されたとみられる傷は気管の後ろまで達し、大動脈を傷つける深さがあり、右目の下に刺し傷がありました。
麻酔をかけられていないヒグマを刃物で殺したケースは少なくとも記録はなく、異例の撃退例となりました。ヒグマの目は小さく、襲われた際に狙うのは難しそうです。
なので、首を狙うのが鍵となりそうです。これにより、刃物を持参することの重要性が見直されたことと、複数人で行動することで襲われた際にも死亡事故とならない要因だったと言えます。
襲撃パターンの記事詳細:クマ研究者の取材で分かった襲撃3パターン|意外と少ない登山中の遭遇事故【クマとの共存。vol.2】
人を襲うクマは、大型の成獣ではなく、恐い物知らずの若い雄が多い傾向があります。2023年6月に朱鞠内(北海道幌加内町)で釣りをしていた男性を襲い死亡させたヒグマも推定3歳の雄で、推定体重は120キロ、体長162cmと小柄でした。それでも一対一で襲われたら、太刀打ちできないとも言えます。
ちなみに1970年に日高山脈で学生3人を襲って殺したヒグマは体重130kgで推定4歳の雌でした。
単独行でクマに襲われた場合、防御姿勢でやり過ごす事ができれば、生還できるかもしれません。ただ、待っていてもそのままかみ殺されてしまう可能性もあります。
不意打ちを食らった場合は、まずは防御姿勢をとり、隙をみてスプレーや刃物で反撃する、というのが現実的な対処法でしょう。
そのためにも、スプレーや刃物は腰やザックの肩紐など取り出しやすい位置に備えて置く必要があるでしょう。いざという時にもとっさに取り出す練習も積んでおくことが大事です。
2023年10月には群馬県の高齢女性がスプレーを持って散歩していても、噴射することすらできずに、頭や顔に大けがを負ったケースもありました。スプレーも刃物も持っているだけで安全というわけではありません。