アークテリクスが「ベータ ジャケット」をアップデート|環境のための見えない進化

アークテリクスを代表する、ゴアテックスのハードシェルが、今期大きなアップデートを果たしました。見た目やデザインにとくに変化はありません。しかし、目に見えないところでは、アウトドアウェアの歴史の転換期を象徴する、大きな一歩を踏み出しています。長年の目標と掲げてきた進化の内容と、目標を達成したアークテリクスがその先に何を目指すのかを、異なるフィールドのために作られたふたつのジャケットを道しるべに、じっくり紐解いていきましょう。

2024.03.21

小川 郁代

編集・ライター

INDEX

PFCフリー時代の幕開けを飾る「べータ ライトウエイト ジャケット」

ひとつめの製品は、「べータ ライトウエイト ジャケット」。軽量で耐久性に優れる、アルパイン向けのハードシェルです。

天候の急変に見舞われやすい高山など、厳しい環境で使うための優れた耐久性と、限られた荷物で行動するための軽量・コンパクト性を備え、立体的なカットでテクニカルなシーンの複雑な動きもスムーズ。少ないアクションでフィットできるヘルメット対応のストームフードや、手早く温度調節ができる脇下のビットジップをはじめ、アルパイン環境で必要とされる要素を過不足なく備えます。

防水透湿メンブレンの新機軸「ePEメンブレン」

以前から「ベータ シリーズ」にあった同じ位置づけのモデルから、アップデートを期に名前を「べータ ライト ウエイト」と改めましたが、もちろん大きな進化とは、そのことではありません。変わったのは素材の核となる、ゴアテックスのメンブレンです。

「べータ ライトウエイト ジャケット」の生地は、三層構造。表地に100%リサイクルの40デニールナイロン、裏地にしなやかで着心地がよく透湿性に優れる編み物構造の生地(ゴア®C-KNIT® バッカ―テクノロジー)を使用。その間に防水透湿の機能を持つゴアテックスのメンブレンを挟んで結合させて、1枚の生地に仕立てています。そのメンブレンが、新しく「ePE(イーピーイー)メンブレン」に変わったことが、とても重要な変化なのです。

現代のアウトドアシーンに、ゴアテックス メンブレンはなくてはならない存在ですが、素材に含まれる、PFC(フッ素化合物)の一部が環境や人体に悪影響を及ぼすことが、ずいぶん前から問題視されていました。

SDGs(持続可能な開発目標)の名の下に世の中の環境に対する意識が高まるなか、ゴア社も当然のことながら、環境負荷の少ない防水透湿メンブレンの開発に取り組んできました。その長年の努力がようやく実を結んだ結果が、PFCフリーの「ePEメンブレン」です。

実は、ゴア社は数年前にはすでに「ePEメンブレン」の提供を始め、アウトドアブランドでも製品に採用されていました。しかし、比較的安定した環境で使うものとしては充分でも、過酷な環境を前提としたアルパイン向けの製品としては、ゴアテックスの定める基準をクリアできていなかったのです。

ようやく基準に到達した「ePEメンブレン」は、従来のメンブレンと比較して、まったく遜色のない防水透湿性能を確保したばかりか、素材自体の強度が増したことで、メンブレンをさらに薄くすることができました。私たちが実際に目にすることはない小さな変化ですが、製品になったときの着心地にとっては大きな成果。実際に「べータ ライトウエイト ジャケット」に袖を通した瞬間の、本格的な山岳用モデルとは思えないほどの軽くしなやかな着心地が、それを証明しています。

ゴア社と一緒に歩んだPFCフリーへの道のり

「ePEメンブレン」の開発はまぎれもなくゴア社の偉業ですが、メンブレンを開発するゴア社と、オリジナル素材を必要とするアークテリクスは、早い段階から同じ目標に向かって、試行錯誤を重ねる必要がありました。

各ブランドが自社開発の防水透湿素材を使用するなか、一貫してゴアテックス ファブリックだけを使用してきたアークテリクスには、ゴア社との間に、長年の共同開発パートナーとしての特別な信頼関係があります。

アークテリクスのアイデアで製品化されたゴアテックス製品が、後に多くのブランドに採用されるケースは珍しくありません。アークテリクスにとっても、PFCフリーのゴアテックス素材で製品をつくることは、長年の目標であり、到達しなくてはならない使命でもありました。

アークテリクスが考える「耐久性」の意味

ゴア社が完成させた素材に対して、アークテリクスは、ゴア社の基準をさらに上回る厳しい基準を自らに課しています。それは、アークテリクスが何よりも大切にしている、「耐久性」への強いこだわりがあるからです。

「耐久性」という言葉は、アウトドアの世界で頻繁に使われますが、アークテリクスがこだわるのは、「破れない」「壊れない」という意味ではありません。もちろん、尖った岩や氷の角、植物のとげ、ギアとの接触などに負けない素材の強度は重要ですが、それはアウトドアウェアの性能として備わっているのが当たり前のこと。アークテリクスがさらに強く意識するのは、「長く使える」ということです。

使用する間に、ウェアは温度、紫外線、水分、摩擦、汗や皮脂など、さまざまな要因でダメージを受け、いずれは使用できなくなる時が来ます。それを少しでも先にのばすこと、製品の寿命をのばすことが、アークテリクスが大切にする「耐久性」です。

製品が長持ちするということは、新しく製品が売れる機会を減らすことになり、経済の仕組みからいえば、メーカーにとってはマイナスになるはずです。それでも「長く使えること」を重視するのは、それが環境負荷を減らすための最大の手段のひとつだから。ゴミを出さず、廃棄に必要なエネルギーを削減し、必要以上の製造を控えることが、自然を相手にするアウトドアブランドとしての使命だと考えているからです。

その考えが、具体的にどのように製品に反映されているのかは、これからご紹介する、もうひとつのアイテムのアップデートの中身が教えてくれます。

長く使うための進化を選んだ「べータ ジャケット」

「ベータ ジャケット」は、ハイキングやトレッキングなど、幅広い山岳アクティビティに使えるゴアテックスシェルのオールラウンドモデル。ゴア®C-KNIT® バッカ―テクノロジーを採用した生地の柔らかな風合いと優れた透湿性を備え、レイヤリングしやすいややゆとりのあるシルエット。優れた防水透湿性と着心地のよさを兼ね備えた、バランスの良さが特徴です。

こちらのモデルも、今回のアップデートで、素材がPFCフリーの「ePEメンブレン」を採用したゴアテックス シェルジャケットになりました。それに合わせて、以前は30デニールだった表地を、80デニールの100%リサイクル生地に変更しています。繊維の太さを表す単位である「デニール」は、数が大きくなるほど太くなります。つまり、今回のアップデートで、ベータ ジャケットは表地の素材を、従来よりも厚手のものに変更したことになります。

これだけ表地が厚くなれば、トータルの重量にかなりの影響が出るはずですが、以前のモデルが300g、アップデート後は375g (メンズMサイズ)と、その差は75g。重量の増加を可能な限り小さく抑えられているのは、「ePEメンブレン」が以前のメンブレンよりも薄くなったことが理由です。

とはいえ、なぜあえて表地を厚くする必要があったのでしょうか。

アウトドアで軽さは重要な要素で、同じ機能を保ちながらいかに軽量化するかを、どのブランドも常に追い求めているはず。以前と同じ30デニールの表地を使っていれば、メンブレンの変更で軽量化ができ、大きなメリットになったことでしょう。

それをしなかったのは、アークテリクスが「軽さ」よりも「長持ちすること」を選んだからにほかなりません。もちろん、以前の30デニールでも充分な強度を確保していましたが、表地が厚くなれば、その分物理的に強度が増して、製品の寿命がより長くなります。

1gの軽量化がパフォーマンスに影響するようなシビアな環境で使うものなら、この選択をすることはなかったかもしれませんが、機能性と同時に使いやすさや着心地を重視し、幅広いシーンで使うことを想定した「ベータ ジャケット」には、扱いが簡単で長く使える、安心感のほうが重要だと判断したのです。

重量は多少増したものの、実際に手に取り袖を通しても、重さの違いに気づくことはありません。「ePEメンブレン」の柔らかさのおかげで、生地の厚さで硬さやゴワつき感が増えることもなく、言われなければ素材の変化に気づかないでしょう。

「最後の一着」になり得るをものを選ぶということ

SDGsやサステナブルという言葉が頻繁に聞かれるようになり、環境に関する意識が高まっていますが、未来の地球のことがなかなか身近に感じられないという人も、きっと少なくないでしょう。しかし、ブランドが意志を持って、地球のために長持ちするものを作るのなら、私たち消費者はその商品を選ぶことで、環境を守る行動をすることになります。

たとえば、10年、15年と年月が経った後も、変わらず登山やアウトドアを続けているとしたら、今手に入れた「長持ちする」は、あなたの最後の一着になるかもしれません。山に行く機会が減っていたとしても、普段の生活の近くで、雨や風を防ぎ続けるでしょうし、もしかしたら大切な人に受け継いで、その人のお気に入りの一着になっているかもしれません。

そのためには、「長持ちする」だけでなく、本当に着たいと思えるもの、いつまでも変わらず愛せるものであることも必要。決して安い買い物ではありませんが、この2つのジャケットのデザイン、カラー、素材、そして製品に込められたブランドからのメッセージに共感できるなら、製品が寿命を迎える日まで、数えきれないほどの回数袖を通すことになるはずです。

ものの価値とは、その製品と過ごす時間の長さと満足感で決まるもの。遠い未来の地球ではなく、少し先の自分の未来なら、思い描くことができるのではないでしょうか。

*「ベータ ジャケット」は4月中旬発売予定。

原稿:小川郁代
撮影:中村英史
協力:アークテリクス カスタマーサポートセンター/アメア スポーツジャパン

小川 郁代

編集・ライター

小川 郁代

編集・ライター

まったくのインドア派が、ずいぶん大人になってから始めたクライミングをきっかけにアウトドアの世界へ。アウトドア関連の雑誌、書籍、ウェブなどのライターとして制作に関わるかたわら、アウトドアクライミングの環境保全活動を行なう、NPO法人日本フリークライミング協会(JFA)の広報担当としても活動する。