YAMAPでは現在、活動日記にアップロードした希少植物の写真について「撮影場所の非公開」をユーザーさんにお願いしています。
しかし、こうした登山者の協力があるとはいえ、全国各地で希少植物が絶滅の危機にひんしているのも事実。昔からある盗掘や開発行為以外の原因も大きく影響していると考えられています。
そこで、希少植物の保護に詳しい植物学者で、九州大学名誉教授の矢原徹一さん(一般社団法人九州オープンユニバーシティ研究部長)に、国内で山野草の希少植物が減少し続けている現状や各地で深刻化しているシカの食害、保護のために「情報をオープンにして共有すべき」という理由についてお聞きしました。
2024.07.29
米村 奈穂
フリーライター
──2020年に環境省がまとめたレッドリストで、絶滅危惧種の植物は約2,000種ということでした。現在、日本の希少植物はどれほど絶滅の危機に瀕しているのでしょうか。
矢原徹一さん(以下、矢原):ちょうど今、環境省のレッドリストの見直しを行っていて、もうすぐ最新版が発表されるところです。2,000種という数字はそこまで変わっていないです。日本におよそ7,000種ある植物のうち、2,000種くらいがリストに載っているということです。
──絶滅危惧種2,000種のうち、山の植物が占める割合はどのくらいなのでしょうか。
矢原:山の定義にもよると思います。たとえば、対馬や屋久島は島ですが、どこまでが山でどこまでが海岸といえるかは難しいところです。平野部を除く意味での山でしたら対馬も屋久島も含まれますが、そうすると8割は山の植物だと思います。
──植物が危機にさらされている原因は、はっきりしているのでしょうか。
矢原:山に限らないことですが、ひとつは人間による開発です。山ではダム工事や森林伐採、リゾート開発など、さまざまな開発行為があります。そういう人為的な環境の改変が、ひとつの大きな原因です。
もうひとつ近年増えているのが、シカによる採食圧です。シカが食べない植物は増えていますが、多くの植物がシカの採食の影響を受けて減っています。
例えば、伊豆の天城山(1,405m)や箱根。林の下の植物が食べ尽くされていて、一目見ただけでシカが原因だと分かる場所が増えています。
3番目は草原の遷移です。もともと日本では、多くの場所で火入れをして草原を維持してきました。しかし、輸入の牧草を使うようになり、牧草以外のカヤの利用も減り、ほとんどの草原が管理されずに放置されてしまいました。
例えば島根県の三瓶山(1,126m)は、昔は草原の山でした。今では木が茂ってしまったせいで、草原の植物がどんどん減っています。明るい里山も減ってしまい、キキョウやオミナエシなど、かつては普通に見られた植物が絶滅危惧状態になっています。
このように、開発とシカの採食圧、草原の遷移というのが三大脅威と言えます。
加えて、温暖化の影響も現れ始めています。
神奈川県の丹沢の高いところにはダケカンバがあります。氷河期に標高の低いところで分布していたものが、暖かくなって標高の高いところに取り残された植物ですが、温暖化で暖かくなってくると、山頂部に追いやられて暮らしていけなくなります。
最初の3つの脅威に比べると限られた場所で起きていることですが、長期的に見ると大きな脅威になっていくと思われます。
矢原:一部の植物に関しては、盗掘があります。特にランなどは採取されて減っている状況ですが、以前に比べると改善されています。レッドリストが公開され、植物が絶滅に瀕している要因のひとつが、山野草の山採りであると分かりました。
1993年には、希少な野生生物の保全のための措置を定めた「種の保存法」(絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律)が施行され、指定種に関しては管轄の機関に登録しないと売買できない制度が導入されました。業者さんも、山採りをせず、きちんと登録をして販売する流れになっています。
もちろん、ごっそり採って通販で販売するような好ましくないマーケットはまだあります。しかし、昔のような、山から採ってきて売ることに関して規制もなければ、道徳的にもとがめられないという状況ではなくなりました。
私も分布情報をチェックするため、登山の活動記録サービスに載っている植物の写真を参考にしています。かなり希少な植物の写真もありますが、その場所に行ってみて見つからないということはこれまでにありません。ですから、YAMAPなどの記録があるからといって、盗掘されて消失するということは今のところ起きていないように思います。
──レッドリストの改訂作業が行われているということですが、山野草で特に危機にひんしている山域や希少種を教えてください。
矢原:すぐに思いつくのは、キレンゲショウマです。紀伊半島・四国・九州の山地に分布していますが、シカの採食圧で激減し、群生があった場所では、植生防護柵の中だけに残っている状態です。残っている場所を急いで確認して、対策を取らないといけない種だと思っています。
シラネアオイもシカの採食により減少しています。栃木県日光白根山では、五色沼周辺のシラネアオイの大群生がほぼ消失しました。
──キレンゲショウマはYAMAPでも、活動日記での写真の投稿や情報の投稿は控えるようにユーザーのみなさんへお願いしています。シカに食べられたというのは明確に分かるのでしょうか。
矢原:それはもう、何もなくなりますので、見ただけでシカだと分かります。下の写真のような感じです。林の下に何も生えていないですよね。こういう変化が日本各地で起きています。伊豆あたりや箱根、栃木の状況が特にひどいですね。
──矢原先生が調査されている屋久島でもシカの採食被害が深刻になっています。
矢原:屋久島でもシカが増え、足の踏み場もないほど生えていたシダが、一時期ほとんどない状態になってしまいました。私が調査に入って、「これはとんでもないことになる」と行政と協議していたのですが、その後、3年くらいの間に、瞬く間に増えてしまいました。
空港にまでシカが出てくるような事態になって、さすがに行政も動き、5,000頭レベルで3年間捕獲するという、本格的な管理捕獲をするようになりました。かなり批判もあったんですが、そのおかげでようやく減ってきて、植生が多少回復しつつある状況です。
しかし、脅威はまだなくなってはいません。屋久島の山頂部で普通に見られていたいくつかの植物はほとんどなくなっています。
例えばシャクナンガンピ。九州最高峰でもある宮之浦岳(1,936m)やその南にある黒味岳(1,827m)に行く途中にもあったんですが、登山道沿いのものはほぼ全てシカに食べられてなくなりました。
シカがアクセスできないような岩場にはまだ残っていますが、屋久島の登山道でシャクナンガンピの花を見ることはむずかしくなりました。
日本最南端にある湿原、花之江河には、キンポウゲの仲間のヒメウマノアシガタが普通にあったのですが、希少種になってしまいました。
──登山者が踏み荒らした被害というのは、基本的には考えられないのでしょうか。
矢原:なくはないです。ヒメウマノアシガタも、かつては登山道沿いのちょっとした湿地などにたくさんありました。屋久島第二の高峰、永田岳(1,886m)の近くに小さな湿地があったんですが、登山者がシートを敷いたりして休む場所になってしまい、湿地自体がなくなってしまいました。
このような場合、1カ所だけなくなる程度で済みますが、シカがアクセスできる場所では、食べ尽くされてほとんどなくなってしまうんです。
園芸用の盗掘を心配していた時代とは状況は大きく変わっています。ガンゼキランという非常に美しい花は、かつて屋久島でも乱獲されていたんですが、今は人里近くにしか残っていません。
ちょっと山に入るとシカが食べてしまいます。シカが近寄らない民家の付近に残って、山ではなくなってしまっているという例です。
──シカの採食被害が目立つようになったのはいつ頃からでしょうか?
矢原:屋久島の場合、1990年代です。1989年に環境省版の植物のレッドリストが出て、その頃から問題が顕在化して、日本全国で大変な事態になっていきました。
神奈川の丹沢では昔、シカは保全のシンボルでした。保護獣になっていたために対応が遅れ、1990年代にはシカの採食によって、丹沢全体で林床植物が減っていきました。
その結果、保護団体は植生保護の重要性を認識し、環境省は保護獣を解除し、行政による捕獲管理が実施されるにいたりました。
──シカの増加には、どんな原因があるのでしょうか?
矢原:1995年頃に屋久島で行った調査で分かったんですが、夜間に何頭くらい見られるか調査をした結果、登山道を下りて林道に出るとシカがたくさんいたんです。間違いなくシカは歩きやすい林道を使っているんですね。
加えて、林道沿いは明るいため、いろんな植物が茂っていて餌も豊富なんです。移動しやすく餌も豊富な林道の存在が、増加の要因のひとつになっていると思います。
──それほどシカの採食圧が高まっているとは知りませんでした。
矢原:今や、盗掘乱獲よりもシカの方が遥かに大きな脅威と考えています。それでいくと、YAMAPの活動日記で、「ここは残っているからみんなで大事にしよう」というような記録を残してもらって、そこがシカに食べられてしまうようなことがあれば、行政に柵で囲ってもらえば回復すると思うんです。YAMAPはそういう監視保護、監視のツールになり得ます。
全国にユーザーがいるし、同じ山に通うリピーターも結構いらっしゃいますよね。そういう方々の目線でその山の変化を報告していただけると、日本全国の山の植物の変化を市民科学で追跡できます。そういうツールとして使われることを期待しています。
矢原:もうひとつは、ハンターの減少です。
屋久島では江戸時代からシカが獲られていて、一定量の捕獲圧があったんです。最高峰の宮之浦岳の北側に永田岳という山があって、その近くに鹿之沢という場所があります。名前の通り、昔からその辺りではシカの捕獲が行われていた記録があるんです。
それから、永田岳の北に「ネマチ」というピークがあります。シカを獲るときに寝て待っていた場所で、江戸時代の記録に、永田岳の付近でどこの誰がシカを獲るという区分けがされていた記録が残っています。
もっと遡ると、朝鮮半島と日本がつながったのが2万年前くらいで、その頃に朝鮮半島から九州にシカが入ってきているんです。ところが、人間が日本に入ってきたのは3万5千年前といわれています。3万5千年前の阿蘇の火山灰の下から旧石器時代の人骨と一緒にシカ科動物の骨も出ているんです。今のシカというよりもヘラジカがいたんですね。
旧石器人は、ヘラジカやバイソン、ナウマンゾウのような大型の哺乳類を獲っていました。その頃から人間は、日本の生態系におけるハンターだったんですね。よくオオカミがいなくなったからシカが増えたというようなことをいわれますが、オオカミの捕食圧と人の狩猟圧のどちらが高かったかは検討してみるべき問題だと思います。
ニホンオオカミが最後に確認されたのは1905年といわれていますが、オオカミが減ってからしばらくは、人間が日本の生態系の頂点の捕食者、トップ・プレデターとして自然に組み込まれていたと考えられます。
それが1955年くらいの高度経済成長が始まる頃まで続くんです。高度経済成長期を通じて化石燃料を使うようになって森林の利用が減り、それとともに狩猟も減って、今では猟友会の一部の人たちだけが獲っているような状況です。それも有害鳥獣の捕獲で補助金が出るような場所がほとんどです。
日本では、約3万5千年の間、人間がハンターとして自然に関わってきました。それを0にすると、シカの数の調整は到底成り立たないんです。
──我々は約3万5千年続いた狩猟の歴史の端境期にいるということなんですね。
矢原:まとめると、林道ができた影響とハンティングが減った影響、この両方が高度経済成長期以来ずっと続いて今に至っています。それに加えて、温暖化の影響があります。屋久島も昔は今以上の冠雪がありました。1,000mを超えるような場所では今より雪が多く、冬季のシカの死亡率がもっと高かった可能性があります。
また、厳しい冬を過ごした後では、春になっても病気が流行るなどの自然減がより大きかったと思われます。1995年くらいから屋久島で推移を見ていて、一度かなり大きな寒波が来たことがあるんですが、その翌年は山中でシカの死体を見たという報告が増えたということもありました。
──シカの活動範囲が広がることで、食べ物を求めてどんどん山の上まで入ってしまうんですね。屋久島以外でも同じような状況なのでしょうか?
矢原:知床で冬の間にエゾシカが存続できるのは、雪の上に出ているチシマザサの葉などを食いつないでなんとか生き延びているからなんです。温暖化で雪が減れば減るほど、食べられる量が増えるので、知床でも温暖化の影響を受けて、エゾジカが暮らしやすくなっていく可能性が高いとみられています。
──シカの採食圧により森の多様性が失われることで、山の機能としてはどのような影響を受けるのでしょうか。
矢原:屋久島の場合、地表を覆う植生が大きく減少してしまった結果、世界自然遺産地域に含まれる「西部林道」などで土砂流出が増えています。ただ、この西部林道にはサルも多く、時々シカの背中にサルが乗って遊んでいるような光景が見られ、それはそれで観光資源になっているんです。
野生動物を簡単に見られるというのも屋久島の魅力のひとつです。西部林道の問題は非常にデリケートで、全域で管理捕獲をするのは合意が難しい状況であるため、西部林道全体では今はシカの捕獲管理はしていません。
西部林道の林床植生を回復させてほしいという要望もあるので、西部林道の南端の「瀬切」という県有地では、環境省で試験的に捕獲をして効果を調べ始めているところです。ヤクシカは屋久島固有のシカの亜種ですから、根絶するようなことは毛頭考えていません。ヤクシカと屋久島の植物のバランスをどこで取るかという問題です。
この問題は日本全国で言えることです。野生の哺乳類を捕獲管理しなければ、クマにせよイノシシにせよ、人里に進出してきて人間との軋轢が大きくなり、人的被害も出ています。
野生動物が増えることで、重症熱性血小板減少症候群(SFTS)というダニが媒介する熱病も発生しています。これはお年寄りが感染すると非常に致死率が高い病気です。
──山野草ブーム時代の盗掘は、どのくらいひどかったのでしょう?
矢原:獲れるだけ獲って、ある程度の販売数量を確保したら、他の業者が獲りに来ないように、1本残らず抜いてしまう業者もいました。
──買う側には、その植物が絶滅危惧種であるという認識はあるのでしょうか。
矢原:なかったと思います。1989年に日本自然保護協会と世界自然保護基金日本委員会で、初めて植物のレッドリストを出したんです。私も携わったのですが、当時はレッドリストという言葉はほとんど知られていなかったので、「我が国における保護上重要な植物種の現状」というタイトルで出したんです。
本が出た頃は、絶滅危惧種というとイリオモテヤマネコやトキくらいしか話題に上らなくて、植物に絶滅危惧種があるということ自体が、社会的にほとんど認知されていませんでした。
ですから、「山にあるものは採って当たり前」「自然に増えるからいくら採っても大丈夫だ」という理解だったのでしょう。きれいな植物があったら採ってきて、家の庭に植えるというのが当たり前の感覚で行われていました。絶滅するという認識は全くなかったんじゃないでしょうか。
──戦後から何回かにわたってあった登山ブームも影響しているのでしょうか。
矢原:それだけではないと思います。私が小さい頃は、山に入っていろんなものを採って暮らしていたんですね。祖父はよくメジロを捕まえてきて飼っていたり、その辺のスズメを捕まえて食べたりしていた時代でした。
元々、日本には村落で共同利用する「入会地」という管理思想があって、山に入って生えているものを採ってくるということは、普通にやっていたことです。
山草ブームが起きたときに、 きれいな花を山から採ってきたら売れるという状況になって、あっという間に山からエビネが消えました。
私が生物部に入っていた中学校時代は、あちこちに野生のエビネがあったんですが、高校時代に次々と消えていって、大学に入った頃には野外でエビネを見られることはほぼなくなってしまいました。1960年代〜70年代にかけてですね。ちょうどその頃がブームの始まりだったと思います。
今は、その頃に取り残された植物が回復してきている状況です。例えば、宮崎県北部の延岡市で発見されたオナガカンアオイという植物。花びらの先が尻尾のように長く伸びていて、カンアオイの中でもとりわけ変わった花を付けます。
宮崎の植物をずっと調べられている南谷忠志さんという方が発見されて、1970年に新種として発表されたんですが、発表されるやいなや、瞬く間に乱獲されてなくなりました。
ただ、その頃に取り残された小さな株が、50年くらい経って花をつけるようになって、今では延岡市近郊に点々と復活してきています。時系列で整理すると、1970年ごろが盗掘がひどい時期で、1993年になって「種の保存法」ができ、絶滅危惧種を守ろうという理解が広まりました。
良心的な業者は、法律にのっとって山採りをできるだけ避けるようになって、今は1970年頃に取り残されたエビネなども各地で復活してきている状況です。
しかし今度はシカが1990年代から増えて、復活した植物がシカに食べられている状況です。
宮崎県の霧島の東南にある御池の周辺は、シダが鬱蒼と茂っている中に、キリシマエビネやキエビネや、その雑種も咲く、楽園のようなエビネの群生地だったんです。しかし今は、先ほどお見せした箱根の様子と同じように何もないんです。楽園が消えてしまいました。
──今は盗掘して販売しても、DNAですぐに特定できたり、技術面での追跡が可能になったりしているため、盗掘自体は減っていると考えていいのでしょうか。
矢原:東北大学の陶山佳久(すやまよしひさ)教授が開発した「ミグセック(MIG-seq)」というDNAの分析手法を使うと、どの山で採ってきたのかまで分かります。
2023年12月には、九州オープンユニバーシティの私の研究チームが、ミグセックでゲノム(遺伝情報全体)の中の配列の違いを調べ、四国産ギボウシ属の新種5種を発表しました。
その中のミナヅキギボウシは1カ所にしかなく、採られると非常に心配なので、環境省と事前に保全対策を協議しました。その結果、発表の直後に環境省が緊急指定種として指定し、採集できない種にしました。
緊急指定種にしたのは、ミナヅキギボウシとセトガワギボウシの二つですが、それ以外のタキミナヅキギボウシやサムカゼギボウシなどは指定していません。
ただ、それらも自生地の系統についてはDNAの配列の違いを特定しているので、採ってきて販売すれば分かります。そういった技術で山採りにブレーキをかけることはできる状況です。
──指定種を販売すると罰則が課せられるのでしょうか?
矢原:罰則はないですが、行政が注意喚起して販売を停止させることはできます。そうなると業者としては傷がつくので、今は大部分が登録業者になっていて、盗掘、乱獲に手を貸していないケースがほとんどだと思います。
もちろん例外はあるので、常に監視して種の保存法の指定種が販売されていたら、チェックして注意するということは必要になります。
──矢原先生は、希少植物の情報は基本的にはオープンにして、登山者みんなで監視した方が保護としてはより有効ではないかというお考えです。
矢原:オープンにすることで影響がないとはいえませんが、保全に役立つ効果の方が大きい場合が多いと思います。
ただし、監視員が保護の努力をしている場所では、監視をしている人や部署と連絡を取り、よく相談した上でやらないと、反発を招いてしまいます。
現状として、絶滅危惧種の生育している場所は、公園や保護地域以外の場合が多く、情報をオープンにした方が保護につながると思います。そういった場所は、保護の手がかかっていないので、守ろうという声がどこからも出ない状況が問題です。
絶滅危惧種がどこに自生しているかという情報がないと、行政は保全対策を立てようがありません。自生地の情報を隠していたために、保全対策がとられないままに消失してしまったという事態が実際に起きています。
全国の絶滅危惧植物を調査し、その保全のための努力を払ってきた経験から、情報を公開するほうが保全に役立つ場合が多いことを実感しています。
──管理されていない場所では、盗られても誰も知らないという状況になってしまうんですね。希少植物の保護にあたって登山者ができることはありますか?
矢原:私たちとしては情報が欲しいんです。専門家や各都道府県の絶滅危惧種の調査員は、各都道府県に10人ほどの単位です。その人数で日本全国の絶滅危惧植物約2,000種の状況を見守るのははっきり言ってほぼ不可能です。
私はYAMAPの活動記録のような集合知の仕組みを利用すれば、多くの人と協力して植物を見守れるのではと期待をしています。
──YAMAPのユーザーが花の情報をあげるときに、要望はありますか?
矢原:YAMAPでいくつか植物のグループを指定して、その仲間の植物があればルートマップに写真をあげてもらうようにお願いをするのが現実的です。タニウツギやタニギキョウの仲間など、今まで日本中で1種とされていた植物も、実際は10種くらいに分かれていて、まだ新種があちこちにありそうです。
YAMAPで、みんなで新種を探そうと呼びかけて積極的に写真をあげてもらい、新種の分布情報を正確に把握して、その情報を保全に役立てていくようなプロジェクトができないかと思っています。
私自身も、これまでYAMAPの記録は見るだけだったのですが、今後の調査では、こういうルートで調査してこういうものが見つかったという情報をあげていってもいいかなと考えています。
執筆:米村菜穂
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