福岡県筑豊地域の名山として親しまれている福智山。福智山系の最高峰であり、標高901mの雄大な姿は福智町のシンボルです。
見どころは、なんといっても360度見渡す限りの大パノラマの山頂。遠くは英彦山や脊振の山並が見え、東には周防灘、西には玄界灘を見渡すことができます。
山麓の文化も必見。山がもたらす良質な水、森、土は、上野焼(あがのやき)の窯元や農家をはじめ、土地に生きる人々の営みへとつながっているのです。
今回の記事では、そんな福智山と麓の町を文筆家の青柳舞さんが旅します。自然と山麓の営みに触れる、旅情あふれるエッセイをお楽しみください。
2024.10.10
Aoyagi Mai
食と暮らし、アートのフリーコーディネーター
朝5時前、自宅がある福岡市内から福智山を目指して家を出る。お盆が過ぎて残暑とは名ばかり、地域によっては早くも稲刈りが始まる季節だが、九州は厳しい暑さが続く。
そんななかでの福智山登山。ゆっくりマイペースで、暑さに負けないよう、日が昇るころに登りはじめたい。
都市高速道路から九州自動車道を経て、北九州市手前の八幡ICで高速を降り、福智町方面に向かう。人工物だらけの都会からゆったりとした田園風景に、あっという間に風景が変わっていく。
1時間ほど車を走らせて上野(あがの)登山口に到着する。迎えてくれた福智町役場の松本真美さんとはじめましてのご挨拶。今回の取材で山と町を紹介してくれる松本さんは、はじける笑顔が印象的だ。
転居して2年ほどだけど、福智町の奥深さに惚れたという松本さん
年間20万人を超える登山客が訪れる福智山は、福岡市内や北九州市内からのアクセスもよく、初心者やソロ登山者にも人気。360度の大パノラマが広がる絶景の山としても知られている。
また、「上野越ルート」「白糸の滝ルート」「牛斬山ルート」など、山の表情を楽しめるルートが豊富なのも魅力だ。
そんな中でも今回、松本さんが案内してくれるのは、「白糸の滝ルート」から登り「上野越ルート」で下るコース。
今回歩いたのは、おおよそ4時間の行程となる福智山で最も人気のある周回コース(地図をタップすると拡大できます)。該当の地図はこちら
「大迫力の滝や美しい森、山頂からの大展望。いろんな山の景色を楽しんでもらいたい」松本さんは笑顔で語った。
往路は、上野登山口そばの駐車場から少し下った場所に参道入口がある福智中宮神社に立ち寄ってから「白糸の滝ルート」を進む。
ロープや岩場、急な登り坂など険しい部分もあるけれど、白糸の滝の迫力と、八丁峠などの景色がおすすめ。帰りは爽やかな沢沿いを歩いて駐車場に戻る4時間ほどのコースなのだという。
松本さんは、「下山後もお楽しみがありますよ」と付け加え、駐車場にある案内板を見ながら山と町について教えてくれる。
体がなまっている私。おおらかな山に出迎えられて、急がずゆっくりと、自分のペースで自然と景色を満喫したい。
駐車場案内板の前で本日のガイド役、松本さんにお話をうかがう
森の中に静かに佇む福智中宮神社
登山口近くにある福智中宮神社は、上宮、中宮、下宮から成る福智神社のひとつだ。福智修験の発祥地で、白鳳元年(650年)に建てられたと伝えられている。
鳥居からしばらく続く長い石段は、苔むして趣がある。長い月日をかけて山と人が作り上げた、静謐な雰囲気だ。
森に囲まれた長い階段。ここで少し息が上がる
息が上がる私に、「後ろを振り返ってみて」と松本さん。指さす方を振り返ると「木の根元をよ〜く見て!」。
おや! 長い耳を持つあの動物が!
おわかりだろうか? よ〜く見ると、2本ある奥の木の根元に愛らしいウサギの形をした樹洞が。
ふだんから、登山客を案内する地元のガイドさんはこんな謎かけをしながら、神社を案内するそうだ。
階段を一歩一歩進むと、素朴ながらもきれいに手入れされた社殿へとたどり着く。これからの山道を楽しんで歩めるよう、最初に神様へ手を合わせる。
福智山頂、中腹、そして麓にある3つの神社を総称して福智三宮と言われる
参拝後、右側から裏手へ回ると、白龍王神が祀られている。中を覗くと「金運」という文字が彫られているのが分かる。「なでるとご利益があるかも」。そう言われて、迷いなく行動に出てしまう私。隠れた名所である白龍王神さまにもご挨拶させていただいた。
さあ、参拝を終え、山の世界に入っていきたい。
神社から少し歩いたら白糸の滝が現れた。落差は25mだという。この日は、雨のあとで水量が増していた。勢いよく落ちる滝の音と迫力に圧倒される。
滝の両側には石像がある。もともとは「梵音(ぼんのん)の滝」と呼ばれていたようで、お坊さんたちがよく立ち寄る滝行の場所だったのだろう。
ここで深呼吸。さわやかなマイナスイオンが一気に心と体を軽くしてくれて、疲れが吹き飛んだ。
水しぶきが織りなす風景がなんとも美しい
福智山はエドヒガンという桜の名所だそうだ。白糸の滝ルート近くには、虎尾桜、そして、離れたところに平家桜と源氏桜と名付けられたエドヒガンがある。
虎尾桜は樹齢600年を超え、福岡県内最大最古といわれる。昔、枯死寸前まで衰弱したことがあったが、地元の有志「虎尾桜を心配する世話人会」の熱意と手入れによって奇跡の回復を遂げた。
山には大小42本以上のエドヒガンが散在し、福智山は福岡県内を代表する生息地。桜をはじめ、愛らしい山の草花が咲き誇る春を、毎年待ち遠しく思う登山客も多いという。
緋色の花を咲かせる虎尾桜。例年3月下旬〜4月上旬が見頃(写真提供:福智町)
険しい道が続く中、松本さんは息も切らさず、軽快に進む。福岡市内でサラリーマンをしてきたが、縁あって福智町に来てから2年が過ぎた。長いとはいえないが、山や町の魅力、あたたかい地元の人たちとの話などを愛情たっぷり語ってくれて、町が好きなんだなあ。そう感じる。
往路途中の岩場から福智町を見渡す
稜線に出るまでの急登は岩場が多く、坂道が続き、脚はずんと重い。汗をたっぷりかいて、息も上がる。小休止を入れながら足取りはゆっくり、目的地へ進む。澄んだ朝の空気を深く吸って、ゆっくり吐いて。
「もう少しで絶景ポイントです。がんばりましょう」。松本さんは「もうすぐ、もうすぐ」と笑顔で振り返りながら、私のペースを見てくれる。
黙々と登っていたので鳥の声にも気づかなかったけれど、どこからか樹木にかくれて野鳥の鳴き声が響いてきた。「もうすぐだよ」と応援してくれているのかな。
「ほら、八丁峠はもうそこですよ」。松本さんは清々しい声で待ってくれる。
照葉樹の原生林からクマザサに植生が徐々に変わり、ようやく視界が開けてきた。後ろを振り返ると、さきほどよりも遠く小さく福智町が見える。
水蒸気を含んだ空気が地平線をぼんやりとまとい、福智町、直方市、北九州市の街が穏やかに広がっているのが分かる。
ふう。八丁峠までがんばりました。そう自分を褒めていると、「あっちが福智町役場、その向こうにある緑色の屋根が金田ドームです。ここまで来るとあとはそんなにきつくないですよ。ここでちょっと休みましょう」。松本さんがやさしく声をかけてくれる。
八丁峠から見上げる山頂。大きな岩がたくさんある
あとちょっとだよ。そう語りかけるようなベンチの丸太に描かれた絵
峠に備えられたベンチに座って一息つく。
山頂はもうすぐ。伸びやかな山容が目に入る。クマザサに覆われた美しい稜線。雲が影を落とし、差し込む光とのコントラストや、風と光で山肌の表情が変化する様子は、見ていて飽きない。
途中振り返って、玄界灘方面を望む
登山客のためにクマザサが刈られた細い道を進み、山頂へ到着。久しぶりの山歩きで少しぐったり。だけど、見晴らしの良い場所にたどり着いて、疲れもふわっと吹き飛んだ。
さえぎるものがない山頂は、周囲に広がる山並みを見下ろせる。さらに、遠くに玄界灘の海が見え、その間に広がる住宅地や工場など、北九州市や福智町が360度見渡せる。
古代から信仰の山として敬われていたと伝わる福智山。多くの人々が大パノラマを前に、ひとり、静かに自然と向き合い、自分と向き合う時間を過ごしてきたのだろう。そんな思いを胸に、上宮の神様にそっと手を合わせた。
なぜ山は人々を魅了するのだろうか。
私は、誰かと一緒に山に登るときでも自分の心の内側にひたすら集中することが多いように感じる。周りに気を配っているつもりでも、頭の中で自分と向き合う時間が多いのだろう。
そんな時にふと、足元の石ころや山野草の姿や色、鳥のさえずりなどに気づき、自然にすっぽりと自分が覆われた感覚になって、自分という小さな存在を超えた大きな世界を感じさせてくれる瞬間がある。
気高い山はそういう深いメッセージを押しつけがましくなく、わたしたちに沁みわたらせる力があるのかもしれない。
コラム|こんなところも、福智山のよいところ
山頂から15分ほど歩くと、避難小屋として存在する「荒宿荘」の隣に、2006年に建てられたバイオトイレ「山ぼうし庵」がある。
バイオチップを使った山のトイレは清潔で、利用者はただただありがたいと思うばかりだ。
山頂にぐるりと広がるクマザサ群落。この光景も福智山の人気のひとつだ。
日陰は無いけれど、ふだん見ることができない景色に心が弾む。雲の間からさす光と風で、緑の葉がサワサワ、キラキラと輝く。
クマザサ群落も、福智山山頂の魅力のひとつ
クマザサの草原に別れを告げ、上野越ルートから下る。清流の音があたりに響いて、森の中はすがすがしい。
地元の人が水を引いたのだろうか。途中、手を洗える水場もある。
雨のあとだからか、水場の湧量が豊富だった
沢沿いをしばらく下りながら、途中、ロープがある岩場をゆっくりと降りて、あっという間に下山口近くにある「努根状(どこんじょう)」が近づいてきた。
足の置き場を一歩一歩考えながら、岩場を下りる
立派な根の姿を見せるスダジイ。岩盤の多い福智山ならではの光景だ
下山口近くには、「努根状(どこんじょう)」の看板が掲げられたスダジイがある。長い時間をかけて、岩盤の表面に広がった根に名付けられた愛称だ。
「虎尾桜を心配する世話人会」がつくった看板が、生命の凄さを伝える。インパクトあるネーミングを付けたのも会の方々だろうか。そうだとしたら、山を取り巻く地元の人々はとびきりユーモアだ。
本来は、土の中ですくすくと育ちたかったのかもしれないけれど、どんな環境でも生きることができる。そんな生命力に満ちた姿が、多くの人に力を与えているのではないだろうか。
努根状スダジイは、これから登る人にも、無事に下りてきた人にも、「おつかれさま」と話しかけてくれる森の精霊なのだ。
山を下りたら、福智山に抱かれた人々の営みをぜひ覗いてほしい。おいしいもの、癒しの温泉、魅力あふれる器を紹介したい。どうぞもうしばらくお付き合いください。
山を降り、汗をたっぷりかいた私たちが真っ先に向かったのが温泉「ほうじょう温泉 ふじ湯の里」。
下山後、車に乗って約10分。ふじ湯の里は、レストランや売店、休憩スペースを備えた、広々とした温泉施設。源泉かけ流しのやや鉄分を含んだにごり湯で、町の人からも愛され、美人の湯と評判が高い。
筋肉痛や疲労回復を効能とした温泉で、さっそくガクガクになった足と疲れたからだをほぐそう。山のエネルギーを感じながら、福智山を望む露天風呂は特におすすめだ。山の近くにこのような温泉があるのはとてもありがたい。
入浴後は、売店で「ふくち☆リッチジェラート」をお試しあれ。果物がおいしい福智町のあらたな名物だ。なかでも、ブランドいちじく「とよみつひめ」を使ったジェラートは、濃厚でさわやかな甘さ。ぺろりといただけた。
福智産とよみつひめを贅沢に使った「いちじくの赤ワイン煮」
温泉で汗を流したら、次はお待ちかねのご飯だ。福智町上野ふれあい交流館の敷地内にある「こだわり食房 あが乃」さんは2023年にオープンしたばかり。上野焼の器と地元の食材で心を込めた料理を提供してくれる。
登山と温泉で、しっかりとお腹を空かせた私たちは、お店の看板メニュー「あが乃ライス」をいただいた。マッシュルームや玉ねぎをとろりと煮た、やさしい味わいのハヤシライスソースを、ごはんとふわとろ卵と絡めて食べる。ほっこりする、あったかい味わいだ。
ごはんは、その日使う分を玄米から精米して、福智山の水で炊く。添えられたサラダや副菜も上野(あがの)の野菜だ。味噌汁もしみるおいしさ。一品一品、大切につくられ、店名とおり随所に地元へのこだわりが散りばめられている。
店長・東賢司さんは地域とお客様を想うこだわりメニューを考える
器はもちろんすべて上野焼だ。料理も器も手を抜かない。時に、作り手と一緒に料理にあった器を新しくつくることもあるそうだ。
店長の東さんが定年退職後に趣味が高じてはじめたお店だが、こだわりはもちろんのこと「愛情」に満ちている。上野を知るおいしいスポットとして、ぜひとも立ち寄ってほしい。隣りには「上野焼陶芸館」や「ふれあい市」もあり、上野をさらに知ることができる。
福智山の麓から福智川沿いに窯元が点在する上野焼。窯のはじまりは1602年と伝えられ、大名茶人・細川忠興が李朝の陶工・尊楷(そんかい)一行を招いて作らせたと言われている。今回は、登山口近くにある窯元「渡窯」にうかがった。
私たちを迎えてくれたのは、十二代当主の渡仁さん。工房の側にある展示ギャラリーにてお話を伺う。茶器や酒器、とりどりの日常使いの器がずらりと並ぶ。
渡さんは、ご自身の作品とともに上野焼を築いた先人たちの計り知れない努力を、ご自身が探求してきたエピソードも交えて、わかりやすく語ってくれた。
福智山の土は焼き物に適した良質なものなのかしら? そう思っていた私に、「そればかりではなく、おそらく燃料もふんだんに採れる環境だったから上野焼は栄えたのだと思います。」と、渡さん。
福智山の周辺には今も松林が残る。土や水に加え、森も人々の営みに大きな恩恵を与えてきたようだ。
火力が強く、火が長く続くアカマツの薪。福智山でも昔はよく採れたという
「当時、上野焼は登り窯が主流であり、燃料はアカマツの薪を使っていました。福智山では薪に適した松林が豊富にあり、良質な燃料を確保できる環境だったのでしょう」と続け、「ぜひ登り窯を見ていかれませんか」と工房へ案内してくれた。
年季が入った登り窯や道具が並ぶ工房のなかは、雰囲気を醸した味わいのある世界。土づくりからこだわり、釉薬に試験を重ね、追求する熟練の陶芸家の大切な仕事場だ。
器に表情を出したいときには、茶道具に限らず登り窯で焼くという渡さん
もともとはスポンサーが大名茶人であったことからもわかるように、上野焼は茶会に用いる茶陶のための藩窯だった。
気品と風格があり、藁灰、鉄、飴、緑青などさまざまな色彩が上野焼の特徴である。侘寂のある名品を囲んだ当時の人たちの明るく弾んだ茶席の会話が聞こえてくるようだ。
さらに、渡さん曰く、1600年代の上野では、さまざまな背景が重なり、ぶどう酒用の甕もつくっていたのではないかとのこと。
歴史の痕跡から人々の記憶を巻き戻すかのように、悲喜こもごもに生きた人々の暮らしが目に浮かぶ奥の深い話。この続きを聞きたい方は、ぜひ気さくな渡さんの工房兼ギャラリーを訪ねてほしい。
400年前の器(左)を見て作られた器(右)。右は、決して手が出ない値段ではない
料理に合う日常使いの器として、ひとつご紹介したい。
400年ほど前の高坏皿(高い脚が付いた器)を渡さんが見せてくれた。その姿や土肌、釉薬の表情は、渡さんに強烈な印象を残した。静かな佇まい、控えめな存在感。料理の魅力が際立つ本質とは何かを教えてくれるようだ。
その横に置かれた少し大きめの器。古い器からヒントを得て、渡さんが現代に使いやすいかたちにしたという。渡さんにとって大切なのは、古典を基本としながら新しいエッセンスを加えること。いまの人にも気軽に上野焼を楽しんでほしいと願う。
私も自宅用にと持ち帰り、煮魚や刺身、ちょっとしたおつまみと一緒に器を楽しんでいる。料理をのせると、また違う表情を見せてくれる不思議さがあるから器は楽しい。
長時間歩いてヘトヘトに疲れたけれども、北部九州が誇る自然いっぱいの福智山のみずみずしいパワーと恵みをいただいて、からだも心もすっきり。
自然を存分に味わえたことに加えて、山と共に暮らす里の人たちに出会え、温かな気持ちに満たされた旅となった。
山と山麓の魅力を1日で満喫できるのは、低山ならではの楽しみ方だ。心も体も満たされる1日をお望みなら、ぜひ福智山へきて欲しい。帰り道では、きっと笑顔になっているはずだ。
秋も深まり、山が気持ち良くなる10月下旬。上野地区では、県内外から多くの陶芸ファンが訪れる「秋の窯開き2024」が開催されます。多彩な色合いが魅力の上野焼が並び、普段使いにもぴったりな器がお得な価格で販売。秋の福智山と一緒に山麓の窯元をめぐる窯開きイベントにもぜひご来場ください!
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開催期間
2024年10月25日(金)~27日(日)
開催場所
上野の里ふれあい交流会館(福岡県福智町上野2811)および参加窯元
無料バス
期間中は平成筑豊鉄道「赤池駅」前と会場となる上野の里ふれあい交流会館(陶芸館)、参加窯元を循環する無料シャトルバスを運行します。
また、町内の予約型乗合バスサービス「ふく~るバス(片道200円・要予約)」もおすすめ。ご予約・詳細は予約センター0947-22-3300(8:30~16:30)まで。
原稿:青柳舞
撮影:村上智一
協力:福智町 まちづくり総合政策課