古くて新しい九州のロングトレイル「英彦山巡礼路」

地域の自然や文化に触れながら、長い道のりを歩く旅「ロングトレイル」。もしもその道が、ただ美しいだけでなく、千年を超える「祈り」の物語を秘めているとしたら? 福岡県にそんな悠久の足跡が刻まれた、古くて新しい道があります。それが「英彦山巡礼路 春峰ルート」。

この記事では「英彦山巡礼路 春峰ルート」の魅力と、千年以上にもわたって歩き継がれてきた「祈りの道」を、未来へと受け継ぐために行われている取り組みについて、ご紹介します。

英彦山巡礼路では、10月3日(金)〜12月7日(日)まで、デジタルバッジと巡礼記念タグがもらえるモーメントキャンペーンを実施中です。詳しくはこちら

からご確認ください。

2025.10.29

村上智一

デザイナー

INDEX

福岡が誇る悠久の巡礼路

「巡礼路」と聞いて、あなたはどんなイメージを持つでしょうか。特別な信仰を持つ人たちの道? 厳しい修行の道?

自分には縁遠い世界の話だと思うかもしれません。しかし巡礼の道、そして祈りの文化は、私たちの身近な場所に今もひっそりと息づいているのです。

今回の記事では、そんな素敵な道のひとつ「英彦山巡礼路(福岡県)」の歴史と復活の物語をお届けしします。

英彦山巡礼路 春峰ルートとは
7世紀末、役行者によって開かれたと言われる、宝満山と英彦山をつなぐ修行の道「英彦山峰入道」をもとにした総延長65kmの巡礼路。古処山のツゲの原生林、馬見山の尾根に広がるブナ林など、自然の見どころも豊富です。 英彦山巡礼路の詳細はこちら

受け継がれる巡礼の文化

9月某日、英彦山神宮には、『英彦山巡礼路』の活性化を図るプロジェクトの関係者が集まっていました。

その目的は、英彦山巡礼路活性化の取り組みに用いられる各種アイテムのご祈祷。巡礼路の復興と登山者の安全を祈る神聖な儀式が行われるのです。

祭壇に備えられたのは、『2025年 英彦山巡礼路モーメントキャンペーン』参加者に授与される「オリジナル巡礼記念タグ」、『英彦山巡礼路 春峰ルート』の道標に設置される「英彦山巡礼路のサインパネル」、加えて、今年テスト販売が開始される「英彦山巡礼路オリジナルTシャツ」の3種。

祈祷を行うのは、自らも修験者として山々を渡り歩く英彦山神宮の禰宜(ねぎ)、高千穂有昭さんです。読経が響く中、護摩壇の炎がパチパチと音を立て、白い煙は光の筋となり、場を包み込みます。

この日、祭壇に備えられた3つのアイテムには、いずれにも「三羽の鷹」をモチーフにした、紋章が入っています。紋章を手掛けたのは、阿蘇を拠点に活躍するデザイナーの伊澤良樹さん。

左から、英彦山神宮 禰宜の高千穂有昭さん、デザイナーの伊澤良樹さん

「僕たちが居なくなっても、ずっと残り続けるシンボルを作りたい」伊澤さんはその思いで、紋章のデザインに取り組んだといいます。

「三羽の鷹」は、英彦山の伝説に登場する神の使いとされる鳥。『鎮西彦山縁起』に記された伝説は以下の通りです。

ある時、豊後国日田郡の猟師・藤原恒雄(こうゆう)という人物が瑞獣(世の中に良いことが起こる前触れに出現する聖なる獣)である白鹿を、それと知らずに射止めてしまった。
その際、三羽の鷹がどこからともなく舞い降りて、不思議な力で白鹿を蘇生させた。
その奇跡を見た恒雄は、それが彦山の神の力だと悟り、自らの行いを大いに恥じて弓矢を捨て、善正法師(中国・魏の人。英彦山の開祖)に弟子入りし、忍辱(にんにく)という僧侶になった。これが日本における僧侶の始まりと言われる。

伊澤さんはこの伝説に登場する鷹を現代的なデザインへと昇華させ、英彦山巡礼路のシンボルとしました。

英彦山巡礼路モーメントキャンペーン参加者に渡される三羽の鷹をモチーフにしたトレイルタグ

春峰ルートに、新しく設置される「英彦山巡礼路」のサインパネル

今回、テスト販売が開始された英彦山巡礼路のオリジナルTシャツ

山そのものが祈りの対象

英彦山巡礼路には長い歴史を感じる場所が点在する

悠久の時を超え、今なお歩き継がれる道「英彦山巡礼路」とは、一体どのような道なのでしょうか?

幼い時から英彦山で育ち、神職となってからは山を訪れる修験者たちに同行する形で、修験道を学び始めたという高千穂さん。彼の言葉には、この道の壮大な過去と、未来へ希望がこもっていました。

「この山全体が、ご神体なんです。だから古い時代の仏像などは、ほとんど残っていません。山そのものが祈りの対象ですから、他から持ち込む必要がないのです(高千穂さん)」

驚くべきことに、福岡県でも屈指の登山人気スポットである英彦山は、それ自体が巨大な神様なのです。これが自然崇拝の形。古代から人々は、山、岩、木、太陽、雨などを神と見なし、畏敬の念を持って信仰してきました。

英彦山は、日の神「天照大神 (アマテラスオオミカミ)」の御子である「天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)」、すなわち日の子を祀る「日子神の山」であると同時に、麓の広大な田畑を潤す重要な水源、「水分(みくまり)の山」でもあります。

太古の昔から人々は、豊かな山の恵みを求め、農作物の豊作のために、この山に祈りを捧げてきました。

山と麓の人々の営みは、今も昔も、決して切り離すことはできないのです。

昭和初期の英彦山門前坊舎群。写真提供添田町役場

鎌倉時代初期に記された『彦山流記』によれば、鎌倉時代、英彦山には多くの修験者が修行に集い、二百以上の禅庵が軒を連ね、一大宗教都市を形成していたといいます。

戦国時代には、大友義統の焼き討ちや、豊臣秀吉の寺領没収など、幾多の苦難に見舞われましたが、その度に細川家や鍋島家といった有力大名の庇護を受け、不死鳥のようによみがえってきました。

江戸時代には、その檀家は九州(九国二嶋)一円に42万戸を数えたといいます。

1637年に佐賀藩主の鍋島勝茂の寄進により建てられた青銅製の鳥居(国・重要文化財)。「英彦山」の扁額は1729年に霊元法皇が下賜したもの。額の縁には八個の菊花御紋章が施されている

1616年に小倉藩主、細川忠興によって再建された英彦山神宮奉幣殿(国・重要文化財)

俗と聖によって受け継がれてきた「英彦山の祈り」

戦国大名や地域の人々と共に刻んできた祈りの歴史は、英彦山修験のユニークな個性にも表れていると、高千穂さんは続けます。

「非常に、泥臭いんです。厳しい修行はもちろんありますが、それ以上に麓の人々と深く関わり、安全や豊作を祈る。民衆に寄り添う温かい人間味のようなものが、英彦山修験の大きな特徴です」

その個性は英彦山の祭礼の中に、今も息づいています。

元旦の「松柱神事」や3月の「御田祭」、4月の「御神幸祭」などに代表される、英彦山神宮の祭典の多くは、山と麓を繋ぎ、人々の安寧を祈る儀式。

これらの祭礼には、神職だけでなく麓の町の人々、そして「彦講(ひここう)」、「権現講(ごんげんこう)」という信仰組織に属する、九州各地の無数の人々が関わってきました。

人々が一体となって、山の神を畏れ敬ってきた「祈りの記憶」が、今も英彦山には息づいているのです。

①松柱神事(1月)、②祈年御田祭(3月)、③御神幸祭(4月)、④大祓式・茅の輪くぐり(7月)、⑤例大祭・権現講社大祭(9月)。写真提供:英彦山神宮。各祭典の詳細日程は下記ボタンから

過酷な修行「峰入り」

それら儀式の中でも、ひときわ特別な意味を持つのが「峰入り」と呼ばれる厳しい山中修行。「英彦山巡礼路 春峰ルート」は、「春の峰入り」で修験者たちが歩いてきた道がその原型となっているのです。

「春の峰入りは、修験道でいう『胎蔵界入峰』にあたります」と、高千穂さん。

「英彦山を、全てが生まれる『母なる母体(胎蔵界)』と見立て、そこから一度、宝満山という『外界(金剛界)』へ出る。そして、再び母胎に還ってくる。それは古い自分から新しい自分へと、うまれなおす道なのです」

極寒の峰入り道をゆく様子

その道は、決して平坦ではありません。片道65km・往復130kmにわたる長さに加え、寒さや暑さも体力を奪います。また、修験者たちは、一般登山者が立ち入らない危険な山中にも分け入っていくのです。

なぜ、英彦山の修験者たちは、このように厳しい道を歩いてきたのでしょうか? 高千穂さんに尋ねてみました。

「修行と聞くと、ひたすら厳しいイメージがあるかもしれません。でも、そんなことはないんです。途中には、心落ち着く静かな場所もたくさんある。きっと、昔の修験者たちは、何か特別なものを感じたから、意図的にこの道を歩いてきたのだと思うのです。

彼らが一体、何を感じてこの道を修行の場としたのか? 実は、私にもまだ分からないんです。

でも、そこにはきっと理由がある。先人の残した“問い”に自分なりの答えを見つけることも、修行の一つだと考えています」。

千年を超える祈りの道が、現代に投げかける“問い”。その答えを見つけることは決して簡単ではありません。

でも、その“問い”と向き合い、森羅万象を感じながら歩くこと自体が、私たちが忘れかけている大切なことに気づかせてくれる豊かな行為なのかもしれません。

巡礼の文化を未来へ繋げるために

ひっそりとした雰囲気に包まれる英彦山巡礼路の雲母坂(きららざか)

戦いによる災禍、明治時代の神仏分離令・修験道禁止令、度重なる自然災害。英彦山の歴史は、苦難の連続でした。特に近年は、自然災害による登山道の崩落、建物の老朽化、鹿による原生林の食害などにより、聖なる山を守り続けることが前にも増して難しくなっています。

それでも、英彦山は人々に支えられ、千年を超えて祈りの歴史を繋いできました。そして、その歴史は今も脈々と受け継がれています。

灯籠には、先人たちが英彦山を守ってきた歴史が刻まれている。今を生きる我々も、英彦山を守ることが可能だ。寄付はこちら

嘉穂三山愛会・九州自然歩道フォーラム・福岡県観光連盟・YAMAPの4者で実施した「英彦山巡礼路春峰ルート」の整備活動もその一環。2025年9月下旬に、秋月 古処山登山口〜英彦山神宮 銅鳥居に点在する道標の清掃と約40本の道標への巡礼路サインパネル設置を行いました。

千年を超えて受け継がれてきた祈りの歴史の中では、とても小さな取り組みです。でも参加者は、「これが英彦山の文化を未来に伝える一助になれば」と額に汗を浮かべて、作業を行っていました。

千年の足跡の上に、私たちの足跡が重ねられる

筆者もかつて、1,300kmの祈りの道を歩き続けたことがあります。四国お遍路です。最初は「何かを得よう、何かを理解しよう」と、意味を求めて歩き出したはずでした。でもいつの間にか、ただ歩くことだけが喜びになっていきました。

長い距離を歩いていると、計画通りにはいかないし、様々なことが起こります。毎日のように、想定外の「気づき」が、向こうから訪ねてきました。

そういう日々を過ごすうちに、いつしか意味なんて考えなくなりました。山を越えた先に見えた水平線、古城を中心にした人々の暮らし。ありのままに世界を見たら、なんだか涙が溢れてきました。心が空っぽになるまで歩く。その時に足元にあった、自分だけの気づき。それこそが、巡礼という旅の、本当の価値なのかもしれません。

きっと人それぞれに感じ方は違うでしょう。それでも「祈りの道」を歩くことは、普通の登山とは違った、とても豊かな時間をあなたに与えてくれると思うのです。

「英彦山巡礼路」では、モーメント投稿キャンペーンを開催中

YAMAPでは昨年に続き、福岡県観光連盟と共に「英彦山巡礼路モーメント投稿キャンペーン」を実施しています。

期間は2025年10月3日(金)〜12月7日(日)。「春峰ルート」でデジタルバッジを獲得し、英彦山巡礼路に関するモーメントを投稿してくださった方には、英彦山神宮で先着450名に「オリジナル巡礼記念タグ(木製)」を授与しています。ザックにつけて登山のお供にしてくださいね。

英彦山巡礼路オリジナルTシャツが気になる方は

福岡県観光連盟では「英彦山に訪れる前から、英彦山の文化に触れ、豊かな自然の恵みを感じて欲しい」との思いから、現在「英彦山巡礼路旅マエBOX」を限定50セットでテスト販売しています。

中身は、「英彦山巡礼路限定オリジナルTシャツ」や「英彦山巡礼路限定オリジナル和たおる」、周辺市町村の「名産加工食品の詰め合わせ」などなど盛りだくさん。気になる方は下記からチェックしてください。

写真・文:村上智一

村上智一

デザイナー

村上智一

デザイナー

東京で広告や雑誌の制作に携わった後、福岡を拠点に活動。写真を撮りながら、ゆっくり、のんびり、歩く旅が好き。 https://inthefield.work/

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