世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にも認定され、日本を代表する「巡礼の道」として、多くの人を魅了する紀伊半島南部の「熊野古道」。その神秘的な魅力は国内のみならず、海外でも高い評価を得ています。しかし今、人口減少や農業の衰退によって、熊野古道を支えてきた里山の文化が存亡の危機にあるのです。その危機を解消すべくYAMAPでは、ユーザーの皆さんの力を借りた新たな地域創生の取り組み「熊野REBORN PROJECRT」をスタートしました。今回は10月初旬に開かれた、その取り組みの第1回イベントの様子をお伝えします。
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2020.11.03
YAMAP MAGAZINE 編集部
いにしえの時代より人々の信仰を集め、神話の伝承が今なお息づく地、紀伊半島。その信仰の中心である「熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)」へと通じる参詣道は「熊野古道」と呼ばれ、千年を超える昔から歩かれてきた祈りの道です。
世界的にみても貴重な祈りの文化と自然。しかし今、その姿が変わろうとしています。林業従事者の減少によって山は荒廃し、餌を求める鹿や猪が田畑を荒らすようになりました。また、農業従事者の高齢化による耕作放棄地も増加しています。
一見すると世界文化遺産にも登録されて観光客が増加し、地域経済もうまく回っているように見える熊野ですが、古道を支えてきた里山の営みは今、大きな危機にあるのです。
その解決の鍵として今注目されているのが、熊野に伝わってきた一次産業を取り入れた新たな観光作り。YAMAPでは、その取り組みを後押しするため、2020年秋より新たなチャレンジをスタートしました。その名も「熊野REBORN PROJECT」。
関東都市圏に住むYAMAPユーザーから15名の仲間を募集し、「熊野フィールドワーカー」に認定。地元熊野で「農業」「林業」「狩猟」「観光」に従事する事業者とともに、全4回のワークショップ(東京)、そして2泊3日のフィールドワーク(熊野)を実施し、現地事業者との交流を通して、登山者の視点で熊野古道に新たな観光資源を見い出すことを目的としています。
登山者の目線で熊野の自然と文化を楽しみ、フィールドワーカーとして地域の魅力を発見する。そして地元の事業者と共に、その魅力をより多くの人に楽しんでもらえるように具体化していく。今までにない、新しい取り組みが始まろうとしています。
ビルの間を吹き抜ける風もいつしか涼しくなり、秋の気配を含むようになった10月の初旬。東京駅そばにあるイベントスペース「DIAGONAL RUN TOKYO」にて、記念すべき第1回の「熊野 REBORN PROJECT」ワークショップが開催されました。
今回のテーマは「熊野古道 悠久の歴史とその魅力を知る」。低山トラベラーとして日本各地の低山の魅力を発信し、本プロジェクトのメンターでもある大内征さん、熊野古道の魅力を国内外に広く発信してきた観光団体「熊野ツーリズムビューロー」会長の多田稔子さん、そして、YAMAP代表取締役の春山慶彦が、それぞれに抱く三者三様の「熊野」について、熱くトークを繰り広げました。
YAMAPユーザーの中から選ばれた15名の熊野フィールドワーカーたちが初めて一堂に会した会場は、これから始まる挑戦への期待、そして緊張が充満し不思議な雰囲気。熱気のこもった静寂の中、時計の針が19時を回り、第1回のワークショップが始まりました。
ワークショップの口火を切ったのは、歴史や神話を辿って日本各地の低山を歩く低山トラベラーの大内さんと、YAMAP代表の春山。まずは、2人の熊野に関する思いから、会はスタートしました。
大内:初めまして。今回のプロジェクトでメンターを務めさせていただく低山トラベラーの大内征です。日頃は日本中の低い山を旅して、その面白さを世の中に広める仕事をしています。
今回は山好き・旅好きな皆さんと一緒に、この取り組みに参加できることを心から嬉しく思います。本当にバックボーンが豊かな面々に集まってもらいました。この貴重な機会を通して、自分の知らない熊野に触れるとともに、参加者の皆さんとの「出会い」も楽しめればと思っています!
春山:はじめまして。YAMAP代表の春山慶彦です。熊野は個人的にも非常に思い入れのある土地です。かつて、父と一緒に熊野古道の小辺路(こへち)を歩いたこともあります。
小辺路というのは高野山から熊野本宮大社まで、仏教と神道をつなぐように伸びる道なんですが、その道沿いに広がる風景や文化が非常に素晴らしいんです。
「まさに祈り・巡礼の道であること」そして「風土・文化を実感できる道であること」に驚きました。そういう道は、日本にはあまり残されてないんですよね。
実は熊野を含めたこの「巡礼」という経験こそが、私がYAMAPを始めた理由につながっていくんです。今日は、私がYAMAPを始めた理由や、歩いて旅をする価値についてお話をしたいと思います。
ふたりの自己紹介も終わり、おもむろに大内さんが話し始めたのは「日本全国に点在する熊野の謎」について。日本中の山をフィールドに活躍する大内さんならではの熊野論が展開されました。各地に点在する熊野神社の謎について、話は熱を帯びていきます。
大内:日本全国の霊山を歩くことが多く、そうした山々で熊野と所縁のあるものに、なぜか出会う。地名だったり神社だったり、人だったり。熊野ではない別の場所で熊野に触れることがよくあったので、ずっとその存在が気になっていました。実際に熊野古道を歩いたのは、そういう“ご縁”を各地で受けとった後だったんです。
プロジェクトのスタートにあたって、ぼくからは、そんな風に日本各地で出会った“熊野以外の熊野”を、ここでちょっとご紹介したいと思います。自分ごととして、旅先で熊野に触れた記憶を振り返るという作業でもありますが、少しの間、お付き合いください。
さて、突然ですが、この写真の場所、どこかわかる人はいますか?
この情報だけだとわからないですよね。写真(上)の奥に見えるのが福島県の安達太良山と吾妻山です。これを撮った場所は信夫山という福島盆地の浮島のような低山からで、とても眺めがいい。山形の出羽三山の影響が大きい霊山なんですが、その中になぜか「熊野山」がある。山頂には「熊野大神」と書かれた石碑(写真下)が置かれています。宮城の霊場、金華山の遥拝所でもありました。
こちら(写真上)は、伊豆半島の先端、石廊崎(いろうざき)です。この写真の岬の裏側には役行者の像と断崖絶壁に張り付くように建てられた石廊神社があります(写真下)。
その先、石廊神社を越えた突端まで行くと、そこには磐座(いわくら・神が宿るとされる巨石)があって、ここも「熊野神社」なんですね。ちょうど、宮司さんにお会いしたので伺ったところ、どうやらここの神様は黒潮に乗って紀伊半島からやって来たらしいんです。
ところ変わって、次は島根。松江市にある出雲一宮(いずもいちのみや)で、ここの名前は「熊野大社」です。僕は山陰を旅する時に、出雲に伝わる神様、大国主命(オオクニヌシノミコト)や須佐之男命(スサノヲノミコト)の神話を辿って山旅をするんですが、そこに突如として「熊野大社」が現れた。
ここまでは、出羽・伊豆・出雲という、いずれも「いずる(出ずる)」ことが共通点となっている場所です。
続いて、かつてUMA「ヒバゴン」でも知られた比婆山です。国作り神話の伊弉冉尊(イザナミノミコト)の御陵とも言われる山で、南の登山口にあたる“ゲート”が熊野神社。熊野古道の三重側(伊勢路)にも、伊弉冉尊の墓所と伝えられる「花の窟」という場所がありますね。なんのゲートかは、みなさん想像してみてください(笑)
さあ、そして今回のプロジェクトの舞台、和歌山県南部にある熊野三山。
なぜ、こんなにも日本中の至る所に熊野があるんだろう? 僕はここに「信仰が各地に伝播して根差した」という事実以上に、なにか別の理由がある気がしてならないんです。
なぜ、自分の住む土地に熊野の神々を勧請するほど、人々は熊野に惹かれたのか? ほかに理由はあるのか? 熊野の魅力とは……? この機会に、山の旅人たる自分なりの視点と受け取り方で、その魅力と謎を探っていこうと思います。
今回のプロジェクト、フィールドワークを通して、僕たちは幸運にも熊野の魅力を探究し確認する機会に恵まれた。これはこの大いなる謎に当事者として向き合える貴重な機会を頂けたのだと考えています。今日ここに、熊野を見つける旅のスタートを皆さんと切れることを本当に嬉しく思います。
大内さんによる謎深き熊野論の後にマイクを持ったのは、YAMAP代表の春山。自身も熊野古道を幾度となく歩き、さらには世界を代表する巡礼路、スペインのカミーノ・デ・サンティアゴを約60日間かけて歩いたという春山が見出した「歩く旅」の価値について語りました。
春山:突然なんですが、僕の人生のテーマは「巡礼」です。20代の頃からずっと、巡礼という行為に惹かれていて、写真や文章でその精神性を表現したいと思い続けてきました。その思いは今も変わりません。
では、巡礼とは何か? 僕は「歩くこと」と「祈ること」だと思っています。
少し話が飛躍しますが、人の大きな特徴である「直立二足歩行」。これこそが長距離の歩行を可能にし、その結果、人類は世界中に広がることができました。
そして、人が持つもうひとつの大きな特徴、それは「祈り」だと思うんです。自分の存在を超えて誰かを思う。自分の人生の時間軸を超えて過去や未来を思う。
それは、人のものすごい特徴です。
だからこそ、巡礼という行為を突き詰めていけば、「人間とは何か?」「人間にとって大切なものは何なのか?」といったことが浮かび上がってくる気がしているんです。
巡礼に代表される「歩いて旅をする」という行為が、ここ最近とても重要になっているなと感じています。歩いて旅することの豊かさと可能性はもっと見直されるべきだと個人的には思いますね。
歩いて旅をすると、当然、車よりもスピードが遅くなる。そうすると、街の風景や名所旧跡がはっきり見えてくる。それはすなわち、より深く歴史や文化を知ることに他ならないと思うんです。おそらく車だったら、ほとんど見落としてしまうでしょう。
歩きながら風景を見るという行為を通して、その街の文化や風景を眺めていれば、きっと特別な思いや自分なりの考察が色々と想起されると思うんです。
だからこそ「歩く旅」というのは、これからの観光に必要な要素ですし、観光にとどまらず、僕らの生活全般に新たな価値を生み出してくれる行為なのではないかと感じています。
例えば、こういう考え方をしてはどうでしょうか?
「歩く」という動詞から風景、街、そして生活を作り直す。
おそらく「歩く」という行為から世の中を作り直すことができれば、世界はもっと生きやすくなるんじゃないかな。それはきっと人間だけじゃなくて、いろんな生物にとっても同じだと思うんです。
で、そういった世の中作り、街作りが観光につながっていくのだと思います。
「観光」とは、書いて字の如く「光を観ること」。地域の光を見るのが観光なので、その土地々々にどれだけ光(力)があるかというのが大切だと思うんです。光(力)というのは、住む人がどれだけ自分たちの土地に愛着を持っているかということ。
通り過ぎるだけの街なのか、歩いて楽しめる街なのか、それだけの差で街の風景は全く違うものになります。わざわざお金を使って何か突飛なことをする必要はないんです。これからの観光、街作りにおいては、もう一度「歩く」という行為を意識することがとても大切になってくると思います。
それを教えてくれたのが、カミーノ・デ・サンティアゴでの経験。僕は2010年におおよそ1,200kmの道のりを約60日間かけて歩きました。その時教えられたことが、実はYAMAPの創業にも関わってくるんです。
カミーノ・デ・サンティアゴって北スペインのものすごいど田舎にある巡礼路なんですが、そこになぜか世界中から100万人以上の人が訪れている。僕はクリスチャンではないんですが、この道には、異教徒でも温かく迎え入れてくれる文化があるんです。
歩く旅というのは当然スピードが出ませんから、1日に進めるのはせいぜい20km〜30km。だからこそ街を転々と移動せざるを得ない。そのスピードであれば、各街の滞在時間がおのずと長くなり、結果として地域の人々の生活に溶け込み、文化に触れることができる。また、来訪者が来ることで、地域に経済的・文化的な潤いももたらされる。
「歩いて旅をするということは、こんなにも地域を豊かにできるんだ」というのが、カミーノ・デ・サンティアゴで僕が気づいたことなんです。
では、翻って日本はどうか?
能や茶道などの身体性が高い文化を持ち、歩く文化が育ってきた国であるはずなのに、今はそれが大きく損なわれている。
もう一度、日本に歩く文化を根付かすことができたら、僕らが今まで見落としてきた大事なものを、再び発見することができるのではないかと思っています。
実は、それを事業にしようと思ったことが、YAMAPの創業につながるんです。YAMAPの地図をみてもらえればわかると思うんですけれども、国内の巡礼路と言われるものはすべて押さえています。
僕は、歩いて旅する人たちをサポートしたいし、そういう文化を根付かせる事業ができたら悔いはないと思ってYAMAPを始めたんです。
熊野古道には、歩く文化が純度高く残っていると思っています。古道が長い区間に渡り、街と街をつなぐように伸びているので、旅をしながら街々を渡り歩くこともできる。それは、熊野古道が持つ大きな魅力だと感じています。
僕ら来訪者は、熊野古道を巡り、そこに住む人と出会うことで気づいた「歩く文化の素晴らしさ」を自分たちの街にどう活かしていくか? という観点を持つことが大切だと思うんです。
「熊野の文化を学ぶ」だけでは足りなくて、それを自分が暮らす街にどう活かしていけるか、仕事にしていけるかを個々人が考えることが重要です。
街作りにおいて大切にすべきなのは、「自分たちが住む土地に、どういう風景を作りたいか?」という当事者としての意識を持つこと。それが街作りや観光作りにつながるのだと思いますね。
今までの日本は「風景を作る」という行為を人任せにしてきた。だから結果として風景がボロボロになってしまった。今回のプロジェクトの参加者の皆さんには、「自分たちも風景を作る一員なんだ」という気概で熊野古道を歩いてほしいと思います。
「歩く人」として僕が最も尊敬しているのが、宮本常一さんです。彼の言葉にこういうものがあります。
「それぞれの地域に住む者がその土地を真に愛し、その土地で生き延びていこうとするとき、その環境もまた美しくゆたかになっていくものではあるまいか。そういう人たちは遠い将来に対して夢を持っている。50年さき、100年さきの自分たちの子や孫の住む環境を考えている。食うや食わずの生活から立ち上がっていくとき、まず気になるのは落ち着いた美しい環境であった」
この言葉にあるように、環境と人の幸福感というのは密接につながっていると思うんです。短期的な視点しか持ち合わせないと、人の生き方というのは非常に貧しくなる。一方で「自分の命を超えて物事を考える」ということを教えてくれるのが、風景だと思います。
しかし、「失われた風景をどう回復するか?」その局面に立った時、我々は漠然と立ちすくんでしまいます。その際に「歩く」という行為にヒントがあるのではないかと思うんです。
そして僕がもうひとり尊敬している人が、和歌山出身の博物学者、南方熊楠さんです。熊野古道を歩いていると必ず一度は出会うと思うんですが、この方の言葉に
「風景はわが国の曼荼羅ならん。風景ほど実に人世に有用なるものは少なしと知るべし」
というものがあります。
「風景がいかに人の役に立つものであるか、文化や英知を養ってくれるものであるか」。そういう価値観をどれだけ多くの人が持てるかが、これからの社会には大切だと思います。
そしてこの価値観は山を旅する人であればきっと実感として持っているはずなんです。今回のプロジェクトをきっかけとして、こういった価値観がもう一度、世の中に広まっていくといいなと思いっています。
当日は他にも参加者の自己紹介やこのプロジェクトにかける意気込みなどの発表もあり、充実した内容になりました。それぞれが持つ個性や熊野に対する思い出などが活発に発言され、会場は次第に親密な雰囲気に。
そこで満を辞して本日のメインスピーカーであり、熊野古道の魅力を国内外に広く発信してきた観光団体「田辺市熊野ツーリズムビューロー」会長の多田さんのメインセッション「熊野への誘い」が始まりました。
多田:皆さん初めまして。田辺市熊野ツーリズムビューローの多田と申します。今日は現地熊野に住む人間として「こんな風に熊野を感じている」といった内容をお伝えしたいと思います。
まず見ていただきたいのはこちら、「伏拝王子(ふしおがみおうじ)」からの風景です。
ここは、かつて京の都から歩いて熊野を目指す道中で、初めて熊野本宮大社が見えた場所なんです。
明治の大水害で大斎原(おおゆのはら)にあった旧本宮大社が流されてしまったため、今は見ることができないんですが、かつては今の本宮大社の数倍にも及ぶ巨大な社殿があったと言われています。
今でもこの旧社地である大斎原では、熊野本宮大社例大祭のフィナーレを飾る渡御祭(とぎょさい)というお祭りが毎年4月に執り行われているんですが、私はこのお祭りが大好きなんです。
なぜかというと、このお祭りには本当にいろいろな人が参加される。毎年お祭りの前、ご縁がある多くの方に「例大祭に参加されますか?」という出欠の手紙が届くんですが、それにYESと答えると、答えた人が全員、玉垣(たまかき)の中に入り、玉串を奉献できるんです。
多くの神社では、玉串奉献なんかは代表の方だけだと思うんですけど、熊野は希望者全員。毎年700人近くの方が参列しますが、その全員を迎え入れてくれる。行列が延々と続くんです。
そして、参加している人たちが本当に様々なんです。神官や山伏、お坊さま、合気道の方(合気道の創始者である植芝盛平翁は熊野出身)、政治家、経済人、民間人にお役所の方、外国人、本当にいろんな方が自由な服装で参拝するんですね。中には前衛芸術的な衣装を着ておられる方もいらっしゃいます。さしずめコスプレショーのようです。
私はその光景を見て、これこそ、熊野の大きな特徴である「懐の広さ・深さ」を象徴しているなと思うんです。普通、聖地といえば、古くは女人禁制の場合がほとんどです。でも熊野は昔から、老若男女、おまけに信不信さえ構わず、参詣が可能。まさに如何なる人々も受け入れる聖地なんです。なので、私はこの例大祭の風景を見ると「これこそ熊野の精神をあらわすお祭りだな」と思うんです。
さて、その旧熊野本宮大社跡の大斎原、そして現在の熊野本宮大社なんですが、この地図中、緑色の丸の部分にあります。見て分かると思うんですけど、熊野古道と呼ばれるすべての道がここに集まっています。
図の一番左側の道は京都からつながる紀伊路を通って現在の田辺市を通過、本宮大社に至る「中辺路(なかへち)」。現在の熊野古道観光のメインルートです。
そして左から順に、高野山から熊野本宮大社を目指す道が「小辺路(こへち)」。山々が続き一般の方ではなかなか歩くことができない山伏の修行の道である「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」。その次が伊勢神宮から熊野本宮大社を目指す「伊勢路(いせじ)」。半島の下、海沿いの道が「大辺路(おおへち)」。
これらの道を総称して「熊野古道」と呼び、すべての道が先ほども言ったように熊野本宮大社に向かって伸びているんです。
これらの道を通って熊野を目指す旅は「熊野詣」と呼ばれているんですが、これは「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」(熊野三山)に巡礼する旅のことです。
昔は都からおおよそ15日くらいをかけてお参りに来て、そしてまた同じくらいの日数をかけて帰っていく。それだけ時間と体力を使う旅だったんです。
そしてこの三山にはそれぞれに違った「熊野牛王神符(くまのごおうしんぷ)」と呼ばれるお札があります。
これは家に置いておけば護符(お守り)になるんですが、鎌倉時代以降は誓約書に使われるようになりました。
例えば赤穂浪士の討ち入り。四十七士が討ち入り前に血判状を記したのが、この護符だったと言われています。そしてなんと、最近では郵政民営化の際にも反対派が結束を保つために、この護符に署名したと聞いています。
約束を違えると、ここに描かれている八咫烏(日本神話に登場し、熊野に祀られる神)が1匹死ぬ。そして約束を違えた者も血を吐いて死んでしまい、地獄に落ちると伝えられています。そう言ったことから「熊野護符で約束を交わしたら決して破ってはいけない」という意味を込めて誓約書に使われてきたものなんです。
昔ならまだしも、現代においても歴史の重要な局面に顔を覗かす熊野の信仰。それは、まさに今なお人々の間に生きる「祈りの文化」だと私は思っています。
神仏習合の聖地である熊野三山と真言密教の聖地である高野山、そして山岳信仰の聖地である吉野・大峰。紀伊半島にある3つの聖地が合わさって「紀伊山地の霊場と参詣道」という名称で世界文化遺産に登録されています。
こういった、複数の聖地をつなげた道が存在するー。それが紀伊半島の素晴らしいところだと思うんです。これは世界的に見ても例がない。
異なった宗教が隣接すると宗教戦争なんかも勃発しがちなんですが、そういったこともない。そんな希少性も世界文化遺産登録時に評価されました。
ですが、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録されたのには、もうひとつ大きな理由があるんです。
それは「文化的景観」という点。これらの聖地や古道と合わせて、それを取り巻く人々の生活や文化も世界遺産登録の重要な要素となりました。
古道は、本当に地域の人々に支えられて今まで残ってきた道なんです。例えば冬の間、お地蔵さんに笠をかけたりするのも地域の方ですし、荒れた古道を整備する「道普請」も地域の方や企業のCSR活動で成り立っています。
今、紀伊半島の世界遺産は危機的な状況にある。高齢化や人口減少によって集落が維持できなくなる可能性があるんです。人がいなくなって文化が途絶えてしまうと、このエリアに世界遺産の値打ちはなくなると思っています。
私はこのプロジェクトを通して、熊野の山々に生きる人々がこれからも文化を守っていくための新しい動きが生まれることを期待しています。
内容が充実した3名からの発表の後は、参加メンバーからの気づきの共有。3名1グループになって、今日の話を受けての熊野感について、活発な意見交換が行われました。
「”熊野古道”と聞いて、何か素敵な物がありそうな気はするけど、それが何かが分からなった。今日の話を経て概略がわかった気がするけどまだまだ。これからのワークショップを通して、より深く知っていきたい」
「現代社会では、観光も商業主義・消費傾向にあった。しかし今、それらが揺り戻しの時期を迎えている気がする。熊野古道の場合は、ありのままの自然と文化が一体化している情景が残っている。それをどう活性化し、広めていくかが大切だと思う」
「熊野と聞いて、素晴らしい場所なんだろうなとは感じつつ、すぐに”じゃあ熊野にいこう”とは思わない自分がいる。沖縄とか東北とか、そういう派手な観光地を目指してしまう。”長期で歩く”という旅の文化がまだまだ日本には足りていない。このプロジェクトをきっかけにそういう日本の旅文化に変化を生み出せればと思う。週末や2泊3日だけの旅のスタイルを変えていきたい」
「何かありそうだけど、何があるのかが分からない。それはまだまだ国内への情報発信が足りていないんだと思う」
「1週間あるとどうしても海外など遠い場所に目が向いてしまう。でも東京から1時間で、こんなにも豊かな土地があるということに気がついた」
「”祈り”という旅のスタイルは”浄化”にもつながると思う。ストレスが多い現代に生きる我々にとって”祈る旅”というのは、心のケアにも大いに貢献すると思う」
といった声が聞かれました。
特に、”熊野”を見つめ直すに留まらず、”自分の旅のスタイル”を見つめ直すことにつながる意見が多く出ていたのが印象的。
今回のワークショップは、参加者それぞれが、自分の中でいつの間にか固まってしまっていた旅の価値観を見直すきっかけにもなったようです。
始まったばかりの「熊野REBORN PROJECT」。これから多種多様なメンバーが熊野の文化に触れ、どのような化学反応が起きるのか? そしてどういったアイデアが生まれるのか?
まだまだ、どういう方向に議論が進んでいくのかは分かりません。しかし、そういった未知への探究こそが旅の醍醐味。
15名のメンバーの半年にわたる、熊野を、そして自分を探す旅は始まったばかりなのです。
今回のプロジェクトでは、思考の整理のために最新の”グラフィックレコーディング”の技術を活用。グラフィックレコーダーの中尾仁士さんにもご参加いただき、発表内容や参加者の思考をイラスト化してもらいました。
今後の活動にも中尾さんには参加してもらい、逐一会の様子をわかりやすくまとめてもらう予定です。
15人のメンバーたちは自らの思考、仲間とのチームワークに加え、グラフィックレコーディングも活用しながら、熊野に新しい価値を生み出す挑戦を続けていくことになります。