登山地図GPSアプリ「YAMAP」は、ダウンロード者数がすでに220万を超え、今や安全登山を支える「登山者のインフラ」になりつつあります。単なる機能としての登山アプリを超え、安全登山のために何ができるのか日々試行錯誤する人たちをちょっとだけ覗いてみませんか? 安全登山には人一倍思い入れがあるという、山雑誌の編集を経て現在フリーライターとして活躍する米村奈穂さんが、YAMAPで働く「中の人」に迫る本シリーズ。第1回は、3,500にも及ぶ地図を作成し続ける、一人の地図職人が登場します。
GPS登山アプリの「中の人」ー安全登山のためにYAMAPができることー #01/連載一覧はこちら
2021.03.01
米村 奈穂
フリーライター
YAMAPが作成している地図の数は現在3558。その地図の作成業務を、ほぼ一人の担当者が担っていると聞けば、今やダウンロード数220万人というユーザーは驚くに違いない。その一人、YAMAPのサービスの根幹となる、地図づくりに携わる職人ともいえる樋口賢祐さんに、正確で新鮮な地図作りのこれまでとこれからを聞いてみた。
話を聞くうちに、我々登山者がYAMAPの地図を使いこなし山を歩くことは、同時に精度の高い地図を作っていることにつながるということが見えてきた。
「ユーザーさんからいただいた情報を上手に加工して、みなさんが使える正確で新鮮な地図を作成していく。それが僕らの一番の仕事というか、コアの部分だと思っています」
そう語る樋口賢祐さんは、YAMAPの本家本丸とも言えるアプリの地図作成や改善、地図に関するユーザーの要望を反映させる業務を担当している。まだ地図が数枚だった頃を知る、YAMAP創業時からのメンバーだ。
現在、社員数64人のYAMAPだが、当時のメンバーは、社長の春山さんと樋口さんのお兄さんの浩平さん、そして樋口さんの3人。地図作成業務だけでなく、WEBサイトの作成、電話対応、来客対応までなんでもこなした。
全国の人が誰でも使えるものにしたいということで、日本百名山の地図を作成することから手掛けた。初めは不具合だらけでクレームも多かったという。
「会員さんの活動日記が保存できないというような、とんでもないこともありました。でも、黎明期のユーザーさんは温かい人が多くて、クレームというよりも一緒に作っていこうという雰囲気が強かったのを覚えています」と樋口さん。
地図を作るとは、具体的にどんな作業をしているのだろう? 樋口さんの日々の業務は、ユーザーからの要望で新しい山の地図を作成したり、廃道になっているルートを削除したり、間違ったルートの修正作業をしたりして、地図を常に正確で新鮮な状態に保つこと。
YAMAPのアプリ内には要望フォームがあり、そこに集まったユーザーの情報をもとに地図が更新される。話を聞いたここ2か月でも、寄せられた要望は167件。最近は要望数が増えてきて、反映させるまでに場合によっては1か月くらいかかることもあり、一人体制の限界も感じているという。
なお、プレミアム会員なら新規地図の追加の要望が可能。無料ユーザーもコースの追加・修正依頼ができる。
地図リクエストの詳細はこちら
一ユーザーとしては、寄せられる修正依頼の信頼度や、安全性をどのように確認しているのかが気になる。
「たとえば、富士山の地図を作って欲しいと要望があった場合、みなさんの活動日記から、山頂のランドマークを通ったルートを抽出して、ランドマークを通った日記の数によって、信頼できるルートかマニアックなルートかを判断しています。あとは、ランドマークとランドマークの間の時間も抽出できるので、コースタイムはそこから平均値を出せます。数値を元に、より正確なルートを提供できるようになっているんです」
実線ルートであっても、使用頻度が極端に少なければ破線に修正される。しばらく更新されていない地図は、活動日記から歩かれた平均値を出して、ズレがあれば修正する。
データの抽出作業は、地図作成業務において重要なパートナーであるデータ分析チームが担う。データ分析チームの斎藤大助さんは「賢祐さんの仕事ぶりは一言でいうなら職人。口数少なく黙々と確実に仕事をこなしています。カスタマーサービス、営業、データ分析などからの多岐にわたる要望を着実にこなしてくれる信頼できる地図職人です。地図の作成はユーザーの安全に直接関わるYAMAPのコアですが、賢祐さんに任せておけば間違いなしです」と太鼓判を押す。
データ分析で地図が作られているとなると、その情報源である活動日記の総数も気になる。ユーザーによりアップされる活動日記の数は、1日で平均1.5万件ほど。樋口さんは、まだまだ活用しきれていないと感じる。逆に、活動日記に惑わされる部分はないのだろうか?
「マイナーなルートをまるでメジャールートのようにコメントされていたりすることはあります。ですので、あまり一つの活動日記に執着しないように注意しています。
活動日記には問題を報告する機能もあって、ユーザーさんが他の日記に対して報告できるようになっているんです。立ち入り禁止のルートや危険なルートを歩いているという報告が多く、そういった報告を元に地図を修正することもあります。
問題のある活動日記は、カスタマーサービスによって、ユーザーさんとやり取りがなされ、非公開を依頼したり、場合によっては削除をしたりという対応も取られているんです」
2020年10月から追加された新機能「フィールドメモ」に上げられた情報も、地図の更新に活用されている。ユーザーが、登山中に気づいた危険箇所や通行止めなど、リアルタイムの情報を現地でルート上にメモし、他の登山者と共有することができる機能だ。
フィールドメモに寄せられる地図に関する修正や危険ルートの指摘は、1日におよそ10〜20件。土日になると30件ほど寄せられる。ルートが不明瞭、廃道になっている、分岐や水場の位置がずれているなどの内容が多い。自然災害が起きた直後もたくさん情報が寄せられる。
コロナ以降は、山小屋が休業しているために、山小屋に宿泊しなければ実際は歩けないルートが立ち入り禁止になるということもあった。そういった情報もフィールドメモから得ることができた。ユーザーが機能を使いこなせば使いこなすほど、地図の精度も上がっていくということだ。
樋口さんにお勧めの機能や、使いこなして欲しい機能を聞いてみた。
「僕が重宝しているのは、自分が向いた方角がわかる機能ですね。地図の右下の矢印を押すと三角マークが出るんです。これでスマホが向いている方角が分かるんですが、意外と知られていない機能で、たまに問い合わせで自分の向いている方角が知りたいというものが寄せられます」
「設定の中で、赤いルートの表示を消して、ルートのない白い地図として使うこともできるし、フィールドメモの表示を消すこともできます。いろんなことができるんですが、設定までいかずに機能に気づいていない人が多いです。機能が増えてきて分かりにくくなっている部分もあるかもしれません」
ダウンロードしただけ、地図を見るだけで、活動記録を取っていない人は意外と多い。機能を知って使いこなせば、地図を持って動くほどに、また新しい機能が生まれるかもしれないのだ。
活動日記やフィールドメモなど、ユーザーの声が地図作りの重要な情報源になっている訳だが、自分たちの上げる情報が、作る側にとってこんなに役立っているとは、使う側はあまり感じていないのが実際のところ。
「寄せられる要望の中には、たくさんのユーザーさんが上げてくれた情報をもっと活用するべきだという声があります。まだまだ活用しきれていないですが、実際に活用している実例などは多くあるため、積極的に公開する必要性も感じているところです。情報をより活用してより良い地図をつくっていきたいと思っています」
樋口さんの思う、理想の地図とはどんなものだろう?
「僕がほとんど手を動かすことなく、すごいスピードで地図が自動的に最新の情報に更新されていくことですね。最終的にはそこを目指しています。
ユーザーさんも増えて、それだけ要望数も増えています。これは僕の課題でもあるんですが、7、8年前と僕自身の作業の仕組みは大幅には変わっていないんです。でもそこはもっと、今の会員数に迅速に対応できるように作業効率を高めていかないといけないと思っています。
そのためにも、自動化に力を入れていくべきだと感じているところです。人力では限界が見えてきています。データ分析チームと協力して、少しずつですがルート作成を自動化している部分も増えています。
そんなに遠くない未来では、現状は全て同じ太さの赤線で引いているルートを、いずれは赤線の太さや細さでよく歩かれている人気のルートが一瞬で分かるようにしていこうと考えています」
地形図や書籍など、紙の情報しか得ることができなかった時代、それらを盲目的に信頼していた。YAMAPの地図作りの話を聞いていると、より多くのルートを提供することが先にあって、地図の精度はユーザー情報を元に、後からついてくるような印象を受けなくもない。
「確かに以前は質より量を重視してやっていた部分はありました。ただ、今はデータもすごく増えたので、量も質もある程度のものが提供できるようになりました」
2018年3月からは、国土地理院にYAMAPのデータを提供していて、地形図がYAMAPのデータを元に修正されることもあるという。「YAMAPの地図がよくなると同時に国土地理院の地図もよくなっているんです」と樋口さんは言う。これは同時に、ユーザーの情報提供が国土地理院の地図の精度を上げることにつながっているとも言える。
一見すると、ユーザーの要望や情報を元に作られる地図は心もとない気もするが、YAMAPはすでに、客観的に分析できる量のデータを持ち、それを活用できる技術も持っている。その地図を安全に使いこなせるか、そこは我々登山者にかかっている。
私たちは、巷に溢れるGPSアプリの地図サービスを当たり前に享受しすぎていないだろうか? その地図の向こうには、作る人がいて、そして使う私たちがいる。その両方が両輪となり新しい地図を描いている。地図を使いながら、地図を作ろう。そう言われている気がして、次に使うのが楽しみになった。
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(撮影:YAMAP 﨑村 昂立)