日本各地に点在する里山に着目し、その文化と歴史をひもといていく【祈りの山プロジェクト】。今回のナビゲーターは、神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家で山伏でもある中村真さん。大分県・北部地方の里山「御許山」にまつわる山岳信仰に迫ります。
(初出:「祈りの山project」2018年4月18日)
2021.05.17
中村 真
イマジン株式会社代表 / 神社愛好家
日本を代表する信仰のひとつに「八幡信仰」なるものがある。全国に4万社以上は「八幡」という名称を社名に掲げ、名称を異にして同じ系統の神々を祀る数まで入れるとゆうに7万社以上存在するという神社界の最大勢力といっても過言ではない。有名なところでは京都の石清水八幡宮から、鎌倉の鶴岡八幡宮など一度は訪れたことのあるお社ではないだろうか。近年、悲しい事件が起きてしまった東京の富岡八幡宮も同じ神々を奉ずる。
これら全国で活躍する「八幡様」の総本宮がどこかというと、大分県宇佐市に鎮座する宇佐八幡神宮である。元々は宇佐地方をおさめていたとされる大神氏の氏神・比売大神を祀ったと考えられ、農耕神あるいは海の神とされてきたが、一方では鍛冶の神ではないかとの説も根強く残る。539年欽明天皇の御代、大神比義という者によって祀られたと伝えられるが、宇佐八幡宮に残る社伝によると、創建32年後の571年元旦、「誉田天皇広幡八幡麿」(誉田天皇は応神天皇の国諡号)と称して八幡神がこの地にあらわれたとしており、ここから八幡神は第15代の応神天皇のことであると伝わってきた。時を同じくして応神天皇の母である神宮皇后と父である第14代仲哀天皇も奉られ、神宮皇后の三韓征伐の神話から戦いの神様として全国の武将の信仰を一手に担ってきた。その後、時代の移り変わりの中で、天応元年(781年)に「八幡大菩薩」の号が贈られた。これは、当時の朝廷が、聖武天皇が没後に八幡神と結合したと考え、八幡神に菩薩号を与えることで聖武天皇の祟りを防ごうとしたものと考えられている。
時は移り鎌倉時代、源氏勢力の拡大とともに全国各地に戦いの神として勧請され、冒頭で紹介した通りの神社界きっての最大勢力となっていく。このような背景から宇佐八幡宮は日本で一番早くから神仏習合した神社として知られている。しかし、全国の「八幡信仰」総本宮である宇佐八幡神宮にもまた、元となるお社が存在する。その名も大元神社。
大元神社は現在の宇佐八幡宮から南東に4キロほどのところにある御許山(おもとやま)の山頂付近に鎮座し、神代の時代、この御許山山頂に存在する3つの磐座を目指して比売大神が降臨したと伝わっている。比売大神は3柱のヒメ神様とされ、おなじ九州の宗像大社に祀られる3女神と同体ではないかと言われている。宗像三女神といえばもちろん海の神であり、農耕の神であることから宇佐八幡宮の元来の信仰が発生したのかもしれない。そして古来、早くから神仏習合した御許山の山中には東の坊、西の坊、石垣坊、成就坊、谷の坊、椙洞院という御許6坊があり山岳信仰が栄えていた坊跡や決して水の枯れることのないご霊水が今でも残っている。しかし明治元年に坊舎が何者かによって焼かれたことと、神仏分離令の発令によりその地での山岳的な信仰は終わりを告げたとされている。ここもまた日本人の信仰の変化が色濃く残っている御山と言えよう。
大元神社への参拝は、今では車で山のかなり上まで上がることが出来るが、その山道は一切整備されることなく、普通車で登ることはお勧めできない。そして神や仏に出会うために山に入る登拝が目的ならば、山の麓の登山道から足を踏み入れるのが良い。いくつかある登山ルートはどれをとっても1時間以内で大元神社までたどり着く。登拝路のいたるところに板碑が残るが文字は薄れ何が書かれているのかは判別しがたい。山はこれまで林業家などによる管理の対象外であったのか、原始的な様相を保ち、647mという低山でありながら神秘的な空気に包まれている。
神社境内の9合目付近の直下にはご霊水があり龍神様が祀られ、その50m先に大元神社が鎮座している。ここまでくると、麓と山頂付近という空気感の違いとは異なった、下界との隔絶を感じざる負えない。大元神社は本殿をその先の山頂と見立て、拝殿のみのお社である。その対面には素戔嗚尊を祀る八坂神社も鎮座し、まるで悪霊を寄せ付けない為にこの地を守っているのではないかと思わせる異次元ワールドが広がっていた。
大元神社拝殿のその先はご神域であり何人の立ち入りも禁止された禁足地として守られているが、そこにある鳥居には禁を犯す人々への戒めなのか、鉄線が巻きつけられているのが印象的だ。3つの巨大な磐座が鎮座するとされているのは、その鳥居の奥。直接拝むことはできないが、大元神社拝殿よりその先に降臨した比売大神に想いを寄せて遥拝していると、今、自分がどの時代に生きているのかを錯覚してしまうほど、この場所自体が時空を超え存在しているのはないかと思えてしまうから不思議だ。
全国に数えきれないほど存在する八幡信仰の総本宮である宇佐八幡宮の元宮とされる大元神社。そのご鎮座が御許山であり、そこにはヒメ神様の降臨神話が残っている。御許山は山を楽しむ目的にはそぐあわない山である。ただただ神や仏に出会いに登るための登拝をしてこそこの山の神様に立ち入りを許される山なのかもしれない。是非、山名の「御許し」の文字の意味をそれぞれが考え感じながら足を踏み入れてほしい聖地としての御山である。
一の山に、百の喜びと祈りあり。その山の歴史を知れば、登山はさらに楽しくなります。次の山行は、大分県・北部地方の里山「御許山」を歩いてみませんか?