山を歩き、自然を感じることで豊かになり満たされる心と体。YAMAPが提案する「山歩(さんぽ)」には、多様な自然環境を育む日本の風土を存分に楽しむためのヒントが詰まっています。自然の楽しみ方は人それぞれ。今回お話を伺ったのは、テレビ東京の伝説の番組「ハイパーハードボイルドグルメリポート」を手がけた名物プロデューサーで、現在は独立し、作家としても活躍する上出遼平さん。上出さんがしばしば渇望するのは、誰もいない自然の中の静かな世界。学生時代から一人で山を歩くようになり、世界各地の辺境の地を旅してきた上出さん流の山歩道(さんぽみち)とは?
2023.07.05
庄司 真美
元山岳部のライター
東京・小平市で育った上出さん。近くには玉川上水や武蔵野美術大学があって、落ち葉を踏みしめて歩き、川で遊んだ思い出が詰まっています。また、休みの日には家族みんなで奥多摩の山々を木の杖を持って歩いたほか、キャンプの思い出が色濃く残っているといいます。
上出:家族でおでかけといえば、キャンプの思い出しかないくらい、よく行っていました。関東近郊のオートキャンプ場には片っ端から行っていたんじゃないですかね。僕はいつも焚き火担当で、キャンプ場に着いたらまずは一番燃えやすそうな薪を吟味して集めていました。炎に見入るあまり、よくまつ毛を燃やして怒られていましたが。
時は経ち、10代の頃はパンクロックに熱中するように。大学に入学すると、再び山への思いが再燃したそう。
上出:中学生くらいから山とは離れていたのですが、大学生になったら自分の中でリバイバルが起きたんでしょうね。家から古いステンレスの鍋を引っ張り出してバックパックに放り込み、南アルプスなどを歩くようになりました。今思えば超重量級の荷物を背負っていたわけです。それからネットオークションで山の道具を買い集めるようになりました。
上出さんの母校は早稲田大学。高野秀行さんなどのノンフィクション作家を輩出した探検部が有名です。テレビ東京時代、「ハイパーハードボイルドグルメリポート」などの番組制作の中で、世界の辺境の地と関わってきた上出さんゆえに、よく探検部出身だと間違われることが多いそうですが、むしろ好んでいたのは、ソロ登山でした。
上出:学生時代は部活にも所属せず、最初から一人で山に行っていました。今振り返ると、当時のいろんなことが僕に山を必要とさせていたんだな、と思います。それからずっと今に至るまでですから、今後も一生、山に触れていくんでしょうね。今この瞬間も山に行きたいと思っているくらいです。
初めての単独行で歩いたのは、南アルプスの白峰三山でした。
上出:白峰三山を選んだのは、金も技術も足りないのでロープワークが必要な山は自動的に排除するしかなかったからです。一人の山歩きを好んだのは、新田次郎の『孤高の人』に影響を受けていたのもあったでしょうし、山に限らず街でも一人が好きだったから。山に入っても誰かのことを気にするなんて御免だと思っていました。それから父がよくアメリカに行っていて、星野道夫の写真集をお土産に買ってきてくれたことも関わっているかもしれません。だから一人で自然の中に入っていくことが当たり前になっているし、未だにピークハント的な山登りにはまったく興味持てない。それは星野道夫イズムの真ん中の姿勢で、自然を征服するのではなく、自然と交わろうというスタンスです。そんな感じなので、登った山の名前もあまり覚えていないんです。
学生時代のソロ登山では学んだことも多いといいます。それは、あわや遭難寸前の状況からどうにかサバイブできた経験から来ています。
上出:初めての単独行では白峰三山を3泊4日かけて縦走する予定でした。10月だったのでシーズンオフ。登山客は全然いないし、雪まで降り始めていました。知識も経験もないまま20kg以上の荷物を背負って、地図を睨みつけながら。その上初日から膝を傷めて。それでもなんとか北岳、間ノ岳、農鳥岳を越えてあとは下山するだけという局面で大きなミスを犯しました。一刻も早く下山したい一心で尾根をズンズン歩いていたら、稜線が崖で行き止まりになっていたんです。落ち葉が多かった上に雪も降り始めていて、踏み跡に気づかずいつの間にかルートを外れていたんだと思います。どこかのタイミングで尾根を外れなければいけなかったのに、歩きやすいから尾根をひたすら進んでしまった。今思えば遭難する典型的なパターンですよね。
そしてさらなる災難が待ち受けていました。
上出:崖の一番端っこの木に針金がくくりつけてあって、下に伸びていました。あ、これでみんな降りているのかと思い、その針金を掴んで懸垂下降のかたちで降りようとしたら、針金がぶちっと切れて、落下してしまったんです。幸い大けがには至らなかったのですが、指が切れてものすごく出血するわ、上には上がれないわで、途方に暮れました。今では何の針金かもよくわからないのに命を預けるなんてあり得ませんが、あの時はわからなかった。
幸い、沢沿いに何時間も歩いた結果、つり橋が見えてきて助かった上出さん。このときの体験が、現在の山歩きにも生きているといいます。
上出:滑落する前になんでだったか手袋を外していて、そのせいで手を深く切ってしまっていました。手袋をしていたら怪我は防げたと思います。山では小さな判断が大きなリスクにつながりますよね。加えて、「早く下山したい」と思って焦ると信じられないようなミスをする。最近でもたまにありますが、とにかく冷静であり続けることが山では何よりも重要だと知りました。今は妻(フリーアナウンサーの大橋未歩さん)と一緒に山に行くようになりましたが、妻は大雑把というか豪快なので、一緒に山を歩いているときによく言い合いになります。そのたびに、「そんなことやってると死ぬよ」と、伝えています。
遭難寸前の体験をしながらも、また懲りずに山に登ろうと思ったモチベーションはどこにあるのでしょうか?
上出:人間というのは複雑で、遭難しかけているときは強烈な後悔に見舞われ、「こんなことならおとなしく家で本でも読んでりゃよかった」なんて思うわけです。でも、下山して温泉に入っている頃には忘れちゃいますよね。すべて納得させられちゃうんですよ。下山後の温泉やビールによって。あの苦しみはそうか、これのためか。ありがとうございます! という感じで(笑)。
山歩きには気力や体力が尽きそうになり、つらい瞬間がつきもの。しかし、そのつらさ、苦しさがあるからこそ、その先の快楽が大きくなる。その瞬間がたまらなく好きだという上出さん。
上出:妻とアメリカのロングトレイル・JMT(ジョン・ミューア・トレイル)を歩いたとき、途中、マンモスレイクという街に下りたのですが、そこで飲んだビールと食べた肉のうまさを超えるものは未だにないですね。あの感覚は全人類に体感してほしいです。自分の渇きを嫌というほど身体的に感じたあとで満たされる喜びには、すさまじいものがあります。喜びの本質はその苦痛からの落差にあるんだと思います。
そんな上出さん流の山歩スタイルは、目的地に執着せず、人がいないところを気ままに歩くこと。必然的に難易度の高いコースとなり、テント泊をする前提で、旅全体として楽しめることが重要だといいます。
上出:高知に行ったときは、最終日に石鎚山を登る予定で北東からスタートしました。3日間の縦走になるはずだったのですが、初日から天気が荒れて、かなり疲弊した挙句、2日目も雨が止まなかったので、あっさり予定を変更。南側の香川方面に下りて温泉に入り、翌日電車を乗り継いで今治のキャンプ場に行きました。そのキャンプ場が本当にすばらしくて! おばあちゃんが一人でやっているのですが、砂浜のキャンプ場が完全に貸切状態。そんな感じなので、妻との山行で目的地に辿り着けるのは5割くらいです。
さらに、上出さんが旅を通じて幸せを感じる瞬間もまた、落差からの喜びが関係していました。
上出:人がいないところを求めて山に行っておきながら、山小屋にたどり着き、人の存在が感じられる瞬間は思わず嬉しくなりますね。この高揚感は山でしか味わえないものだと思います。それから旅の帰り道が好きです。仕事柄、危ない旅をすることが多かったこともあって、帰りの飛行機に乗った瞬間、安堵感に全身が包まれる感覚があります。山から下りてバスを待っている間は、もう歩かなくていいんだ。あとはお金さえ払えば…!と、えも言われぬ気分に。最高の帰り道のために旅に出ているのかもしれません。
また、近年、映像プロデューサーとしてだけでなく、作家としても活躍の幅を広げている上出さん。「群像」の連載「歩山録」では、山や日常での自然体験がアイデアを引き出すきっかけになっていると書かれています。
上出:歩いていると企画や構成といった仕事のアイデアが浮かぶことはよくあります。山に行かずとも、アイデアを欲しているときは、コーヒーを買いに行きがてら歩くようにしています。3つくらい頭に課題を抱えたまま歩くと、1つや2つは絡まりがほどけてくる感覚があるんです。ただ、山を歩く場合は、その難易度にもよります。たとえばJMTでは自分たちの生存に関わることを考えることで手一杯。とはいえ脳が刺激されて、ふとした瞬間にアイディアが降りてくる感覚になる時はあります。
アイデアの引き金となるほか、上出さんが自然の中にどっぷり浸かりながら歩く目的は、自分で生きている感覚を持つためだといいます。
上出:都市生活では使えていない脳や身体を使いに行っているところがあります。山を歩くと、この距離を歩くのにどれだけの水が必要か、この時期このくらいの標高の山に行くなら何度対応の寝袋が必要かなど、自分の命にかかわるすべてをジャッジする必要がありますよね。それ自体が楽しいのですが、逆にそれをやらないでいると、自分で生きている感覚が持てなくなり、自信がなくなってしまうんです。
プロデューサーを務めた番組「ハイパーハードボイルドグルメリポート」では、食をベースにしたワイルドな体験を通じ、世界にはいろんな生き方があることを学んだという上出さん。その経験が、現在にもつながっているといいます。
上出:会社を辞めてフリーランスになりましたが、山を歩いてきたことで、自分の力で生きていけるという自信を養うことができました。それからあらゆる国を旅して多様な人たちと一緒にメシを食い、いろんな生き方があって、その先にいろんな幸せがあり得るということを知ったことも大きいですね。
2018年にはアメリカのJMT、その4年後にはニュージーランドの北島にあるアラウンド・ザ・マウンテン・サーキットを、ご夫婦で歩かれている上出さん。YAMAP MAGAZINEでは、奥様・大橋未歩さんにそれぞれの体験記を寄稿いただいていますが、そもそもこうした海外のロングトレイルに興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか。
上出:僕はとにかくできるだけ長く山にいたいんです。長く歩ける山を模索していたとき、ロングトレイルの存在を知りました。ネイチャーライターの加藤則芳さんの本も読みましたし、山道具ショップ「ハイカーズ・デポ」「ムーンライト・ギア」とも出会い、道具を考える楽しさを知りました。
そんな折、アメリカには3本の長い山道があり、そのうちの1つ「PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)」の一部であるJMTというコースが、どうやら王様級に人気があるらしい……と知るわけです。当時はまだ会社員で、1週間の予定のはずが1ヶ月かかりました……となると洒落にならないので、アクセスしやすいJMTを選びました。
結婚後はJMTをはじめ、夫婦でさまざまな山歩きを楽しんできた上出さん。二人の山歩で会得したこととは?
上出:一人の場合は、すべての選択の責任が自分にある状況だからこそ、帰り道が心地よく、自信のつき方が違います。では夫婦二人のときはどうかというと、実はかなり気を張っていますね。妻の命も預かっているので、山に行く前日はかなりピリピリしているんです。
妻があきらかにいらないモノを持って行こうとしていて、「それ絶対使わないでしょ」と、僕が突っ込んでも、「これは私が持つからいいの」と、妻が譲らないわけです。そういうことじゃないんですよ。妻のリスクは僕のリスクなわけです。荷物の重量が増えたことで、万一ケガをしたり、体力が尽きたりしても、妻を置いていくわけにはいきませんから。結局、その分の荷物を僕が背負うことになるわけです。ただ、妻がこっそり持ってきたものに後で救われるということもよくあるので、どちらが正解というわけでもないのですが。
ニュージーランドでは、途中完全に道を間違えて、足首まで沼に浸かりながら歩いているうちにどんどん不安やストレスが募って、そこから逃げ出したくなった妻が、パニックを起こして走り出したんです。案の定、びたーんと転んでましたけどね。僕は冷静にそれを見て、こうやって人は死ぬんだなと思いました。
この夏、夫婦揃ってニューヨークに移住する予定の上出さん。最後に、今後の活動でやりたいこと、行きたい場所について教えていただきました。
上出:その時々で行きたいところに行くスタンスなので場所に執着はないし、旅に目的がないのと一緒で、ニューヨークに行く目的も、とくにないんです。いつまでいるかも未定です。でも、星野道夫さんに倣ってアラスカ大学に行ってみたいですね。それと、星野道夫さんの軌跡を辿ってみたいです。アメリカで最も古いロングトレイルといわれるバーモント・トレイルにも行こうと思っています。
ニューヨークに移住すること自体が旅の始まりなので、そこから旅をするのは先の話になるかもしれませんが、発つ前に、みちのく潮風トレイルなど、日本のロングトレイルは歩いてみたいですね。あとは東京から山に入って、里に下りては一泊しながら立山の方まで歩いてみたいですが、時間がとれそうにないのが心苦しいところです。
|雲取山 三条の湯コース
雲取山は、奥秩父山塊に位置する標高2,017mの富士山景勝地。「温泉も最高ですけど、昨年小屋番さんが変わって、ものすごくごはんがおいしくなったのも高ポイント」と上出さんがおすすめする、思いたったらすぐ行ける、都内からアクセスしやすいコース。「山に行ってみたい」という友人がいたら、まずはここに連れて行ってあげることが多いそう。
JR中央線・奥多摩駅からバスで登山口までアクセスでき、片道5時間程度で三条の湯まで行くことができます。雲取山の山頂まで足を延ばすと、富士山の絶景を眺めることも。
上出遼平(かみで りょうへい)
東京都生まれ。映像プロデューサー、作家。早稲田大学法学部卒業後、テレビ東京に入社。「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の企画、演出、撮影、編集を手掛ける。2019年に『ハイパーハードボイルドグルメリポート』でギャラクシー賞を受賞。2022年6月よりテレビ東京を退社し、独立。