山で注意したいのが、突発的な病気。薬の備えがない場合が多く、医療機関ですぐに受診もできないので、重篤な症状になりかねません。特に、日本の2,000〜3,000m級の山でも起こり得るのが「高山病」です。北アルプス・三俣山荘の夏山診療所でも活動している救急救命医・伊藤岳先生に、予防と対処法をお聞きしました。
2024.02.20
鷲尾 太輔
山岳ライター・登山ガイド
「病」という言葉がつきますが、高山病とされる諸症状のすべてが病的な問題なのではありません。標高が高い山で気圧や酸素濃度が低下し、これらの環境の変化で生じる身体の自然な反応に伴う症状を総称して高山病と呼んでいます。
ほぼ必ず発生する症状が頭痛。これに加えて、食欲不振や吐き気・嘔吐などの消化器の不調、めまいや立ちくらみなどの感覚障害、疲労感や脱力感をともなうことがあります。
適切な対処をせずに放置すると、脳浮腫や肺水腫などの深刻な病態を呈することもあります。
標高が上がることによる、気圧や酸素濃度の低下が高山病の原因です。
一般的なめやすとして、標高2,500m以上の場所で、発症のリスクが高まります。日本一の標高を誇る富士山(3,776m)をはじめ、御嶽山(3,067m)や2,000〜3,000m級の山々が連なる日本アルプス・八ヶ岳連峰などが該当します。
もちろんこれらの山で、全ての登山者が高山病になる訳ではありません。体質による個人差や、その時の体調などが、大きく影響するからです。ただし、高山病を発症しやすい条件はいくつか存在します。
一般的には、絶対的な標高(目安は2,500m前後と言われていますが、より低い標高でも症状が出ることがあります)に加えて、1日に登る(前日と当日に就寝する場所の)標高差が400m以上の場合、高山病を発症しやすいとされています。
ただし高山での登山では、これ以上の数値になることはごく普通です。高山病になるリスクがある行動日であることを予め認識して、後述する飲酒の抑制や水分摂取、睡眠などに配慮することが大切です。
ロープウェイや山岳道路・林道で標高が高い場所までアクセスできる山は、山頂までの歩行距離が短くなるため人気があります。しかし、一気に標高が上がると、低い気圧や酸素濃度に身体がすぐに順応できません。
標高2,450mの室堂まで立山黒部アルペンルートで行く北アルプス・立山(3,015m)、標高2,702mの畳平まで乗鞍スカイライン・乗鞍エコーラインで行く乗鞍岳(3,026m)、標高2,612mの千畳敷カールまで駒ヶ岳ロープウェーで行く中央アルプス・木曽駒ヶ岳(2,956m)などが該当します。
こうした山では、乗り物を降りてすぐに登山を開始せず、その場所で軽食を食べるなど、1時間ほど休憩するのがポイント。その間に高所順応することで、高山病になるリスクを軽減できます。
乗り物で一気に高所まで移動するという点では、富士山(3,776m)も同じ。一番メジャーな吉田ルートへ向かう富士スバルラインは、入り口の料金所の標高はわずか1,088m。ここから約40分で、標高2,305mにある登山口の吉田口五合目まで到達します。
車酔い防止や登山前の休息のため、登山口までのバスの車中では睡眠をとりたい場合もありますが、これも高山病になるリスクを高めます。睡眠中は呼吸が浅くなるため、酸素の摂取量が少なくなってしまうのです。
前述の乗鞍スカイライン・乗鞍エコーラインも同様ですが、山岳道路での移動中はずっと寝てばかり、というのは極力避けるようにして、意識して深呼吸を心がけましょう
体内の水分が不足すると重要な臓器に十分な血液が送られにくくなり、、高山病のリスクとなります。ヒマラヤの標高5,000m級のベースキャンプでは、多い時には1日5Lもの水分を摂取することがあります。
山小屋に到着したらお酒を飲むのが楽しみという人もいますが、アルコールには利尿作用があり、脱水を促進してしまいます。富士山の山小屋では、お酒を販売していない施設もあるほど。
標高が高い山小屋やテント場での飲酒は、控えめにするのが賢明です。前述の通り、その場所の標高に加えて、リスクの高い標高差を登る行動日には、特に注意が必要です。
登山中にもトイレの心配から水分補給を控えめにしがちですが、これも体内の水分不足につながります。少量ずつでも、こまめに水分を摂取するようにしましょう。
トイレに行く回数が少ない、普段よりも尿量が少ない、尿の色が濃いといった場合は脱水状態にある可能性があります。積極的な水分摂取を心がけましょう。
登山当日だけでなく、登山前の備えも重要。高山病のリスクがある標高の山へ出かける前日は、しっかりと休養して十分な睡眠をとりましょう。
忙しい日常から解放されるのが登山の醍醐味ですが、疲労が残った状態は、高山病だけでなく、様々なトラブルの原因になってしまいます。
山麓のホテルや中腹の山小屋に前泊し、稜線上や山頂直下の山小屋に宿泊する場合のように、夜ごとの標高差が大きい場合も高山病のリスクがあります。
もちろん、日頃からしっかりとした体調管理や体力トレーニングを行うことが望ましいことは、言うまでもありません。
空気中の酸素濃度は、平地(標高0m)と比較すると、標高2,500mで約75%、標高3,000mで約70%まで低下します。富士山頂では約64%、平地の3分の2しかありません。
さらにザックを背負った状態で、きつい登りでうつむきがちな姿勢は、横隔膜などの呼吸筋も圧迫されて縮みがち。ただでさえ酸素濃度が低下している環境で、高山病の大きなリスクとなります。
標高が高い場所での登山中は、深い腹式呼吸でより多くの酸素を体内に取り込みましょう。「吸う」動作より、「吐く」動作を意識し、お腹がぺたんこになるまで息を吐き切ると、自然と深い呼吸になります。呼吸の回数を増やすのではなく、ゆっくりと深い呼吸を意識しましょう。
ただし、ここまで紹介したリスクのある条件を避けたり、しっかり予防策を講じたりしても、高山病の症状が現れてしまう可能性はゼロにはなりません。
高山病に根本的な治療薬は存在しません。富士山の登山口や山小屋では酸素吸入缶を販売しているところもありますが、酸素濃度を継続的に上げることは難しく、気圧の条件を解決することもできません。その後はまた気圧や酸素濃度が低い状態に戻ってしまいます。
歩くのに耐えられないほどの頭痛や、十分に栄養補給できないほどの吐き気がある状態であれば、登山の続行は困難です。標高の低い場所へと下山することが、唯一の根本的な対策となります。
高山病の症状が悪化する中で、無理に標高を上げ続けたり、標高が高い山小屋やテント場で一夜を明かすことは、賢明ではありません。脳浮腫・肺水腫などの症状まで悪化すれば、行動不能になるだけでなく生命の危険にさらされてしまいます。時として短時間で生命を失うこともあるのです。
「山は逃げない」という言葉があります。当初の登山スケジュールに固執して、頑なに山頂を目指すのではなく、次のチャンスに備えて引き返すことが、結果として自分自身が辛い思いをせずに済むのです。
症状が軽い頭痛のみという程度であれば、鎮痛薬の服用は一時的な対処として、症状の緩和に効果があります。
ただし、これまで服用したことのある鎮痛薬を携行してください。鎮痛薬に限らず、初めて服用する薬で重篤なアレルギー反応が起こってしまうと、山中では適切かつ迅速な対応が不可能だからです。
同じ理由で、自分の薬を仲間や他の登山者に提供することも避けましょう。処方薬でなく市販薬であっても、アレルギー反応や副作用などの有害事象が生じる可能性はあります。そればかりか、提供した側が法的責任を問われる場合もあるのです。
頭痛で眠れないからという理由で、お酒や睡眠薬・睡眠導入剤を飲むことも逆効果です。アルコールは前述の通り脱水、睡眠薬・睡眠導入剤は呼吸の抑制による酸素不足を引き起こし、症状が悪化する原因になってしまいます。
今回紹介した通り、高山病には完全な予防策や治療薬は存在しません。体質による個人差も大きく、同じ人が同じ山に登っても症状が出る場合・出ない場合もあり、予測が難しいのが現実ではあります。
けれども、高山病になりやすい条件や予防策を知っておくことで、少しでも症状が出る可能性を軽減することは可能です。もし高山病になっても、適切な対処法を実践すれば、症状が重篤化することも防止できます。
何よりも登山の計画段階で、目指す山の絶対的な標高や、その日に登る標高差、移動手段などから高山病リスクが高くなる日を認識し、当日の行動に留意することが大切なのです。
絶景のパノラマや雄大な雲海など、高い山でしか味わうことができない魅力を、快適に満喫してください。
救急救命医
兵庫県立加古川医療センター 救急科部長
公益社団法人日本山岳ガイド協会 ファーストエイド委員
在学中に文部省登山研修所(現国立登山研修所)大学山岳部リーダー研修会三研修を修了。平成13年アイランドピーク登頂、平成21年神奈川大学山岳部チョモランマ遠征登山隊に医師として参加。平成22年より北アルプス三俣山荘診療所で夏山診療に従事している。
執筆・素材協力=鷲尾 太輔(登山ガイド)