山岳遭難の発生時に出動するのは警察や消防がメインと思いがちですが、実は長野県の場合は、県が事務局を務める長野県山岳遭難防止対策協会(県遭対協)が設置する「山岳遭難防止常駐隊」が夏山シーズンの北アルプスの最前線で活躍しています。
さらに常駐隊は遭対協の最大の目的でもある山岳遭難の未然防止のために、夏山シーズンの平時においても常に山を歩きながら、登山者を見守っています。
今回は長野県山岳遭難防止常駐隊北アルプス南部地区の隊長・加島博文さんに、昨今目立っている単純な疲労での救助要請や、衰えの自覚なき40〜50代への注意、トレッキングポール使用の是非などの問題について、率直に語っていただきました。
2025.11.05
鷲尾 太輔
山岳ライター・登山ガイド

加島博文隊長(撮影:YAMAP MAGAZINE編集部)
長野県山岳遭難防止常駐隊の隊員は、長野県遭対協から委嘱されて、夏山シーズンの50日間と紅葉の秋山シーズンに、北アルプスの山を歩きながらパトロールや登山者へのアドバイスを行ないつつ、山岳遭難発生時には最前線で遭難者の捜索・救助活動しています。
北アルプス南部地区の常駐隊員になって30年目、隊長になって4年目を迎えるのが加島博文さんです。

北アルプスでも屈指の人気を誇る槍・穂高連峰(撮影:鷲尾 太輔)
── 北アルプスの常駐隊は北部と南部に分かれていますが、加島隊長が統括する南部の活動エリアはどの範囲なのですか。
加島博文さん:槍ヶ岳(3,180m)・奥穂高岳(3,190m)などが連なる槍・穂高連峰から焼岳(2,444m)へ続く稜線と、燕岳(2,762m)・大天井岳(2,921m)・常念岳(2,857m)・蝶ヶ岳(2,677m)と続く常念山脈をメインに活動しています。
── 上高地から入山できる山々や表銀座・パノラマ銀座など、人気のエリアで活動されているのですね。
加島さん:はい。北アルプス南部地区の常駐隊は涸沢の基地を拠点に、隊員15名が2人1組になって、毎日2〜3組が2泊3日かけて各方面をパトロールしています。期間中は各山小屋に宿泊して、登山者が出発した後に追従するような形式でパトロールをしています。
── 南部地区常駐隊のメンバーは、どのような方で構成されているのですか。
加島さん:各山小屋から紹介された人や、元従業員が多いです。そもそも山での生活に慣れていないと、技量・体力以前に常駐隊としての活動ができないですからね。

夏山シーズンの入山前には訓練も
隊員が勢ぞろいするのは夏山常駐期間だけなので、入山前には技術の再確認や新人隊員の研修や交流も兼ねて、毎年訓練を行うようにしています。

拠点である涸沢山岳総合相談所にて(提供:長野県遭難対策協議会)
── 常駐隊員の皆さんが活動中に重視していることはありますか。
加島さん:基本的に行き交うすべての登山者に話しかけることをモットーにしています。常駐隊員も5年くらい活動していると、ひと目でその登山者のコンディションがわかるようになります。そこで登山者が明らかに疲労していれば、身体のダメージを防ぐためにアミノ酸サプリを手渡すなどの対策をしています。
── ひとりでも多くの登山者と、直に接することが大切なのですね。
加島さん:はい。歩き方や挙動などから元気そうな登山者でも、その先の登山道の状況次第で、「滑りやすい」といった、情報提供や注意喚起をしたり、天候が悪化しそうなら、登山者の今後の行動や宿泊場所を確認するようにしています。そうしたひと声をかけるだけで、遭難の防止につながるのです。

ハイキング感覚で涸沢カールをめざす人も(撮影:鷲尾 太輔)
── 長年の活動を続けてきた中で、ここ最近で気になる事例や傾向はありますか。
加島さん:北アルプスが登山者のフィールドではなく観光地化してしまいました。特に南部エリアは山岳景勝地である上高地から入山できるので、涸沢カールあたりまでは気楽なハイキング感覚で歩いている人が多い印象です。
ただ、そうした人たちが装備不足かというと、むしろ逆なんです。私たち常駐隊員よりもよほど新しく高価な登山ギアを備えている人も多くいます。でも問題は、その装備の正しい使い方を理解していないことにあります。
特に気になるのがトレッキングポールの使い方です。私の実感では、登山者の9割近くがポールを使用していますが、正しく使えている人はほとんどいません。
多くの人がポールに頼りきりになっていて、体を支えるべきはずの“自分の足”ではなく、ポールに体重を預けて歩いている。その結果、バランスを崩して転倒し、重篤な遭難に至るケースもあります。

さらに、トレッキングポールが長すぎたり、短かったり、そもそもの使い方が間違っています。また、少なくともストラップを手首に通すのはやめた方がいいですね。転倒した時にポールをすぐに手から放さず、顔面強打や手首の骨折の原因になります。
個人的にはトレッキングポールは使ってほしくないのが本音。まずは自分の足腰を鍛え、トレッキングポールに頼らなくても歩ける登山に必要な力を身につけてから北アルプスに挑むべきです。
私自身は常駐隊の活動期間外にも、山小屋からの依頼で崩壊した登山道の整備を行っています。その経験から強く感じるのは、トレッキングポールが登山道や植生に与えるダメージの大きさです。
もともと人が歩くだけでも登山道に負荷を与えているのに、トレッキングポールを使うことで2倍のダメージがかかり、登山道が溝のように深く削れてしまう「洗堀化(せんくつか)」が進んでいます。

初心者でも槍ヶ岳に登れるという誤解の原因は…(撮影:鷲尾 太輔)
── 登山のルール・マナーが身についていない登山者が増えた、と耳にすることがありますが要因は何だと考えられますか。
加島さん:SNSやWEB・テレビ・雑誌などのメディアで情報があふれていることから、登山経験があまりない方でも簡単に北アルプスへ登れるイメージを抱いてしまうことが要因の1つだと思います。
でも北アルプスはそんなに簡単に登れる山ではありません。
低山から少しずつステップアップしながら、しっかりトレーニングを重ねた上でのぞむべき山が北アルプスです。登山を始めて間もない人が、槍ヶ岳・穂高連峰へ登ろうと計画する段階で、既に遭難しているようなものです。
私自身、常駐活動に入る前には、日常生活の中で走り込みやジムでのトレーニングを行い、体を仕上げてから入山しています。
北アルプスは装備だけ立派に整えても通用する山ではありません。
厳しい言い方ですが、山に対して失礼ですし、体力不足で疲れただけなど、本来であれば救助要請に値しない遭難も、山に「帰れ」と言われていることの表れではないでしょうか。
── 自分の体力や技術に見合っていない登山をすると、自分で「これ以上は危ない」という判断もできないでしょうね。
加島さん:その通りです。だからこそメディアも「この山は絶景」「あの山の稜線歩きは最高」という切り取った情報ばかりでなく、その山にふさわしい体力や技術、準備の大切さもセットで伝えてほしいのです。
今は社会人の山岳会や大学山岳部も減少して、先輩が後輩に登山を基本から教える機会が減っています。だからこそ、メディアの果たす役割は本当に大きいと思っています。
私たちも「登山者をどう導けばいいか」考えていますが、その間にも、山岳遭難は年々増え続けているのが現実です。
だからこそ、繰り返し伝えたいメッセージがあります。
「山を舐めるなよ、簡単じゃないぞ」。
これが、現場に立つ私から、すべての登山者に伝えたいメッセージです。

最後まで自力で下山する気構えが重要(撮影:鷲尾 太輔)
── 山岳遭難者の年齢層が上がっているような実感はありますか。
加島さん:一概にそうではないですね。若い人が遭難することも珍しくありません。共通しているのは体力不足です。若くてもトレーニングしていなければ遭難しますし、高齢でも十分な体力があれば安全に歩けます。
ちょっとバランスを崩しても踏ん張ることによって転倒を防いだり、少々の悪天候でも適切なウェアリング(服装)で安全に行動できるリカバリー能力は、十分な体力があってこそ身につくものです。
私の持論なのですが、滑落したからといって即遭難というわけではないのです。かなりの距離を滑落しても、足が動けば遭難にはならず自力で行動を再開できます。
けれども体力がない人ほど、すぐに心が折れ、自分でリカバリーしようという気力が失せてしまって、他人頼みの救助要請になってしまうのです。
── 自力で何とかする…登山者にとっては大切なことですね。
加島さん:最後まで自分の力で下山するという気構えを持って、すべての登山者に歩いてほしいですね。ただ先ほどの通り、近年は多くの方が登山者ではなく「観光客」なので、難しいのが現状ですが…。
繰り返しになりますが、そうした観光客気分で北アルプスをめざすということは、計画を立てて自宅を出発する段階から遭難が始まっているといっても過言ではありません。

しかるべきステップアップを経て見るべき絶景(撮影:鷲尾 太輔)
── 実際に接していて、困ってしまう登山者もいますか。
加島さん:常駐隊員がよかれと思ってアドバイスしても、納得してくれないという方が一番困りますね。「このペースで歩いていたら絶対に目的地に到着できないから引き返しましょう」と説得したのに、それを無視して進んでしまった人が案の定、数時間後に救助要請をしてきたということも沢山あります。
── 言いにくいのですが、やはり高齢の方が多いのでしょうか。
加島さん:そうですね。意外と若い登山者は素直に謙虚に受け止めてくれますし、救助要請も本当に必要な時にだけ行う人が多い印象ですね。
要注意なのは、体力が加速度的に落ちているのに、その自覚がない40代〜50代の人です。長野県には技術的難易度と体力度を明示した「信州山のグレーディング」という指標があるので、うまく活用して無理のないステップアップの先に北アルプスを目指してほしいですね。
いきなり北アルプスに挑戦して登頂できる場合もありますが、おそらく7割くらいは幸運だったに過ぎず、下山したら疲労困憊で「しんどかった」という思い出しか残らないのではないでしょうか。
しかるべきトレーニングをして登るべくして登った人は、充足感も高いでしょうし、そこからさらなる高みをめざすことができます。
低山でのトレーニングも回数を重ねることで、登山の辛さとそのリカバリー能力が身に付くものです。そうした前置きなしで、いきなり北アルプスの辛さに耐えられる訳はありませんよね。

涸沢カールのテント場など何でもないところでも事故が(撮影:鷲尾 太輔)
── 実際に発生している山岳遭難で、傾向や示唆に富んだ事例はありますか。
加島さん:例えば岩稜バリエーションルートである前穂高岳北尾根などは、そもそもリスクを想定してロープなどで安全確保しているので、大事故になることは多くありません。
やはり、例えば涸沢カールのテント場など何でもないところで、深刻な負傷程度ではないものの、救助が必要な山岳遭難が多いことが気になりますよね。
私は「危険探し」と呼んでいるのですが、「この場所で転んだらどうなるだろう?」と想像することが遭難防止には重要です。けれども最近は、登山者にそうした想像力が欠けていると感じる場面が多々あります。

長野県の消防防災ヘリコプター・アルプス(提供:長野県遭難対策協議会)
── そうした疲労困憊になってしまって、救助要請する事例もあるのでしょうか。
加島さん:「疲れてもう歩けない。どうしたらいいでしょうか?」。かつては理解できないような通報も近年では増えています。これが観光客気分の典型ですよね。
疲れて歩けないのであれば、その場でビバーク(緊急露営)して、食糧や水を摂取して眠ることで体力の回復を待てばいい。その後に行動を再開すればいいのですから。
しかし110番通報をされてしまうと、受理した警察としても放置できません。ケガでも病気でもないので本来は遭難ではないはずですが、知識が欠如していると、「ここで死んでしまうかも知れない」と思い込んでしまい、実際にビバークに必要なツエルトなどのアイテムも所持していないから、救助要請をしてしまうのです。
── 気軽に入山できる北アルプス南部ならではの問題ですね。
加島さん:観光客気分で入山できるという現状が変わらない以上、この状況は続くと思っています。
命の危機に直面している負傷者の救助活動が、「疲れて動けない」といった安易な救助要請によって妨げられかねないのが現状です。これは巷で話題になっている救急車の適正利用と同じです。

厳しい訓練で「必要な救助」に備えているのに(撮影:YAMAP MAGAZINE編集部)
── このような安易な救助要請が増えてくると、救助する側も疲弊してしまいますよね…。
加島さん:はっきり言って、昨今は救助する側の心が折れています。常駐隊員は皆、遭難者をひとりでも多く助けたいという信念で活動しています。
けれども、本来であれば自力で行動を再開できる登山者からの救助要請が続くと「本当に救助しなければいけない登山者」を後回しにして現場に向かわざるを得ないのです。警察も同様のパラドックスを抱えているのではないでしょうか。
安易な観光客気分で入山するのと、しかるべきステップアップの過程を経て、登るべくして登った登山者とでは、救助要請をするボーダーラインは明らかに違います。
北アルプスへは万全の準備を整えて入山してほしいと思っています。
── そうした「本当に必要な救助要請」に絞って、110番通報がされるといいですね。
加島さん:はい。そうした危機が迫る現場で救助ができて帰還した常駐隊員からは「成すべきことをきちんと実行した」という使命を全うした充実感が、表情からも満ち溢れていますから。

加島隊長からのメッセージ(撮影:YAMAP MAGAZINE編集部)
── 最後に、北アルプスを訪れる登山者の皆さんへメッセージをお願いします。
加島さん:誰もが「安全に」登山を楽しみたいと思うものですが、それを保障してくれるボーダーラインはありません。登山という行為は、常に「危険」と裏腹なアクティビティです。
個人的には経験が豊富な登山者から、初心者に山のあれこれを伝えてあげるプロセスも必要だと思いますし、プロであるガイドに教えを請いつつ着実にステップアップすることも重要だと思います。
山岳遭難は同じ日に多数発生することもあり、常駐隊員や警察・消防の救助隊が、すぐに駆け付けられないこともあります。そんな時に備えて、例えひと晩でも持ち堪えられるようにツエルトなどのシェルターや最低限の非常食・水分を携行し、救助まで心が折れないメンタルを維持できる体力を備えているようにしてください。
協力:長野県観光スポーツ部 山岳高原観光課
執筆:鷲尾 太輔(登山ガイド・山岳ライター)
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