山あるところに、うまい地酒と温泉あり。ということでやってきたのが、福島県の名峰・安達太良山と岳温泉を擁する二本松市。首都圏からは日帰りも可能なエリアですが、今回の目的は「紅葉」と「温泉」と「地酒」! 秋も深まる10月初旬、安達太良山の中腹に位置する温泉のある山小屋「くろがね小屋」で1泊して、地元の歴史や文化、この地で暮らす人々の温かさに触れてきました。
2019.12.10
中條 真弓
YAMAPスタッフ
郡山駅に着いたのは7時24分。外はどんより曇り空で、今にも雨が降り出しそうだった。事前の天気予報で言っていた通り、どうやら台風は着実に近づいているらしい。やっぱり雨かと残念に思いつつも、「少しくらい雨に打たれた方が、きっと気持ちいいお湯に浸かれるよ」「霧がかった紅葉もかえって綺麗かもしれないし」と、友人2人に声をかけた。
そう、今回の旅の目的は女子旅らしく「温泉」と「紅葉」。これから私たちが向かう「くろがね小屋」は安達太良山の中腹、標高1400mに位置する山小屋で、年中無休の源泉かけ流し温泉を楽しむことができるスポットとして知られている。
いつ訪れても素晴らしい場所には違いないけれど、秋ならダブルで紅葉も楽しめる。しかも小屋では、地元・二本松の地酒も飲めるらしい。温泉に紅葉に地酒…。「これはもう行くしかない!」と、満場一致で安達太良行きを決定、その場でくろがね小屋の宿泊を予約したというわけだ。
駅からバスに揺られること30分、奥岳登山口に到着した頃には雨がしっかりと降り出していて、最初から雨具上下を着用しての登山となった。晴れていたらロープウェイで安達太良山のピークを踏んでから向かいたいところだけど、何せ今日は生憎の雨。明日の天候回復に望みをかけ、安達太良奥岳登山口を起点に、くろがね小屋まで約2時間の最短ルート「馬車道コース」を進むことにした。
序盤は奥岳自然遊歩道の中をいくつかの滝や沢を眺めながら、よく整備された木段を登っていく。樹林が優しく雨を受け止めてくれているせいか、悪天候もさほど気にならない。
奥岳自然遊歩道を抜けると、今度は3人並んで歩けるほどの幅の広い砂利道、通称・馬車道と言われる道に出る。
馬車道ルートは初心者でも比較的歩きやすい。同行者の2人でも登山を楽しめるようにという意図もあったが、それ以上にここを歩きたいと思う理由があった。それはこの馬車道ルートが、源泉が温泉街にたどり着くまでの「引き湯の道」だと聞いていたから。
くろがね小屋付近には「湯本」と呼ばれる源泉が15ヶ所あって、そこから時間にして40分、全長8キロの配管を通って麓の温泉街「岳温泉(だけおんせん)」まで運ばれている。馬車道ルートはその引き湯のルートと重なっているため、小屋に向かう途中、配管の一部を目にしたり、お湯がゴオゴオと流れる音を聞いたりと、至るところで温泉の存在を感じることができるのだ。
今進んでいるこの道が、温泉への源流へと繋がっている。まさに今、目の前の配管を温泉が流れているのだと考えると、なんだかロマンを感じてしまう。
登山道を出発してからきっかり2時間でくろがね小屋に到着。扉を開けると、テーブルや椅子のほか、ランプやストーブが置かれた空間が広がっていた。食堂兼サロンとされているその場所では、すでに何人かの登山者がくつろいでいる。
「天気が悪かったからどうしたかなあと思ってたんだ」「無事に着いてよかった」そんな温かい言葉とともに出迎えてくれたのは、前・小屋番の佐藤敏夫さん。この場所で30年以上働いている大ベテランで、安達太良の魅力やくろがね温泉の歴史をよく知る人だ。
くろがね小屋の開業は1953(昭和28)年で、当時から引き湯をしていたそう。1963年に現在の木造2階建てに改築され、以来、温泉に入れて冬季も営業している山小屋として多くの登山者に愛されている。
「冷えただろうから温泉に入っておいで。うちのお湯は疲労回復効果が抜群だよ」と言われ、さっそく温泉へと向かった。
くろがね小屋の温泉は源泉から最も近いだけあって、湯温は58度と熱め。水を足して調節する人がほとんどだろうと思いきや、そのまま浸かる強者もいるらしい。泉質は酸性泉で、疲労回復の他、筋肉痛や神経痛、関節痛、冷え性、五十肩、慢性皮膚炎などに効くと言われている。そっと足を入れ、掛け湯をしながら徐々に体を慣らしていく。「あ、湯花が浮いてるね」白濁したお湯にほんのり、ふわふわと浮かぶ湯花や、湯気とともに立ち込める硫黄の匂い、窓の外に広がる赤や黄色に色づき始めた山々をじっくりと味わいながら、「ああ、これぞ温泉」という満ち足りた気分になった。
台風でいくらかキャンセルが出たと言うが、それでも2階・3階の宿泊室はほぼ満室で、多くの登山者で賑わっていた。同室になった人たちの中には「くろがね小屋に泊まるのが夢だったの」と話すご婦人がいたりして、あらためてその人気ぶりを感じる。
17時、「夕食の準備ができましたよー」代々小屋番に受け継がれてきたという宿泊者限定の名物カレーと、もっきり酒をいただく。
くろがね小屋のお湯と温もりに、すっかり心を奪われた私たち。翌日は、普段は立ち入り禁止の湯本エリアを見学できる「湯守(ゆもり)ツアー」に参加して、くろがねの湯の魅力にもう一歩迫ってみることにした。「湯守」とは読んで字のごとく温泉を守る人。くろがね小屋や岳温泉のお湯を管理する人だというのはわかるけど、一体どんな仕事をしているんだろう?
「湯花による管の詰まりを防ぐため、週に1回は山道を登ってブラシで清掃する作業をしています。 ”湯花流し” と呼ばれるこの作業を怠ると、管の中に湯花が何層にも付着してお湯の流れが悪くなってしまう。人間で言う動脈硬化みたいなもんですね。冬は湯本あたりで4〜5mの積雪があるので作業場までたどり着くのが一苦労ですけど、体験したい方は冬場に来てくれたらできますよ」と、茶目っ気たっぷりに話してくれたのは、この地に5人しかいないという現役湯守の影山政敏さん。
「ほら、これが湯本です。触ってみてください」
ゴミが入らないようにと被せられた丸太と布をえいやとどかして、影山さんが湯本を見せてくれた。言われるがまま、勢いよく流れ出るお湯にそっと手を触れると、思わず「あちち」と声が漏れた。湯本は高いところで90度くらいはあるらしい。
15ヶ所の湯本から集められたお湯は本線で一つになり、その1割が支線としてくろがね小屋に、残りの9割が岳温泉へと流れていく。湯本エリアをメインに1日1〜2区間のペースで本線と支線を交互に掃除するのが常で、それより下に続く400〜500mの標高差を利用して作られた区間は年に数回、草刈りをかねて確認するそうだ。
「くろがね小屋のお湯は支泉ですが、源泉の温度と同じくらいなので熱めです。温泉街の分湯までは58度くらいに調節されていて、冷ます冷まさないは温泉施設次第。自分好みの湯加減を見つけるのも楽しいですよ。」
「あのブルーシートがかかっている辺りも湯本ですか?」
何気なく尋ねると、思わぬ返事がかえってきた。
「ああ、あれは震災の影響で崩落した斜面ですよ。土砂に埋もれたことで、それまで整備されていた湯本がてんでバラバラになってしまってね。崩落直後は岳の人たち総出で掘り起こし作業をしたんですが、まだ一部修復しきれていない箇所があるんです。」
岳温泉があるのは福島県の中北部。2011年の東日本大震災で被害を受けたほか、原発事故による風評被害もあり、未だに観光客数は震災前の水準まで回復していないというのである。
思いがけず震災の爪痕を目の当たりにし、ショックを受けた。まさかこのタイミングで、「震災」や「復興」、「風評被害」といった言葉を耳にすることになるなんて…。胸を痛める私たちに影山さんは続けた。
「私が湯守になったのは、故郷のためになる仕事がしたいと思ったからです。もし岳温泉に温泉がなければ ”ただの岳” 。 ”岳だけ” になってしまうでしょ。それではみんなが困ってしまう。まだまだ学ぶことが多いし、自分なんてまだほんの手伝いレベルだけど、故郷のためになっていると思うとやりがいがあって楽しいですよ。
それにね、この土地の魅力は温泉だけじゃない。酒がうまいのも、料理がうまいのも、もとを辿れば安達太良山に繋がるんです。岳温泉、二本松の観光はすべて安達太良山の恵みから始まっているんです。安達太良山に登ったら、ぜひ岳温泉や二本松まで足を伸ばして福島の魅力を堪能してほしいですね。」
影山さんの故郷への想いを聞いて、胸が熱くなった。「岳温泉・二本松の観光は安達太良山の魅力とひとつなぎ」と言う表現にもしっくり来たし、純粋にもっとこの土地の魅力を探究したいという気持ちになった。
ちなみに。その日の安達太良山山頂付近は激しい風雨に見舞われ、なんとか登頂は果たしたものの、思い描いていた絶景は見ることができなかった。
赤黄色に染まった山の斜面と抜けるような青空を期待していただけに残念だったが、これもまた一興。むしろリベンジする理由ができてよかったねということで、その分、下山後の観光をめいっぱい楽しんでから帰ることにした。
以下で紹介するのは、私たちが実際に立ち寄ったスポット。安達太良山は首都圏からの日帰りも可能だが、麓の観光も含めて楽しむことをおすすめしたい。湯文化に触れ、地元のグルメやお酒を堪能し、安達太良山に所縁のある観光スポットを訪れてみる…。そんな山旅的な発想で安達太良山や岳温泉、二本松市の魅力を味わってみてはどうだろう。
くろがね小屋付近の湯本から引かれた温泉が流れ着き、各旅館へと分湯される場所。岳温泉の歴史資料や旧来使われていた元祖・湯どいが展示されており、安達太良の湯文化に触れることができる。
温泉街のなだらかな坂を登った先にある小さな神社。引き湯小屋からも近いのでセットで訪れるのがおすすめ。正式名称は陽日熊野神社(ゆいくまのじんじゃ)。温泉の守護神として崇敬されてきたそう。
「アクティビティ好きの湯宿」として2019年4月にオープン。ギアレンタルを行うほか登山講習も開催しており、温泉はもちろんアクティビティを楽しむための設備が整っている。共有スペースのカフェ・バーでは、冷えたドラフトビールや二本松の地酒、オリジナルブレンドコーヒーなどを販売。
二本松市内の酒蔵、檜物屋(ひものや)酒造店では酒蔵見学ツアーを体験。もっきり酒としてくろがね小屋で呑んだ「千功成(せんこうなり)」は県外にほとんど卸していないため、ここ二本松を訪れたなら絶対に呑んでおきたいお酒。
名峰・安達太良山は、高村光太郎の詩集「智恵子抄」の「あどけない話」の中で、「阿多々羅山の山の上に、毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ」と詠まれている。智恵子の生家を訪れ、今回は悪天候で見れなかった「ほんとの空」に思いを馳せる…。
安達太良山の東山麓、標高550mの自然豊かな高原に佇む、地元でも人気のカフェ。常時8~10種類のチーズケーキや地元産の牛乳を使ったプリンなどを販売する他、カフェ・ランチメニューも充実。厳選したナチュラルライフのための雑貨・ファッション・クラフトを取り揃える「もりのこうぼう」も併設されているのでお土産選びにも困らない。
二本松市街地の北に位置する梯郭式の平山城「二本松城」の跡地。現在は「霞ヶ城公園」として整備され、菊人形まつり(例年10月〜11月中旬にかけて開催)などイベント会場としても使われている。復元された箕輪門や、幕末の戊辰戦争でふるさとを守るために若い命を散らした「二本松少年隊」の群像は見どころの一つ。
写真:一瀬圭介