この連載は「体育会系」ではない「文化系」の山登りの楽しさを広めるため企画されました。「文化系の山登り」とは、山に登る時、事前にその山の歴史や文化を知ってから登る事。そうする事で、普段なら見過ごしてしまうような何気ない山の風景にも深い意味があることに気がつくでしょう。もっと山を深く楽しむために、レッツ文化系山登り!
連載第2回の題材は富士山。誰でも知っている富士山ですが日本の歴史にも大きく関わっている秘密があるようです…。
フカボリ山の文化論|登山が100倍楽しくなる、山の歴史と文化の話 #02/連載一覧はこちら
2019.12.24
武藤 郁子
文化系アウトドアライター
「富士山」と聞くと、何を連想しますか?
「日本一の山」。世界中の人が知っている「日本」の象徴。青と白の美しい単独峰。あるいは「赤富士」。
登山やアクティビティといった側面はもちろんですが、文化的イメージの方でも果てしない。まさしく特別な山です。
連想するものは人によってそれぞれだと思いますが、私の場合、ちょっと変化球かもしれません。私が思い浮かべるのは、「常世(とこよ)の神」の物語。『日本書紀』に、富士山のふもとで「常世の神」=「虫の神」を信奉する人たちの物語が出てくるんですが、これがなんとも不思議で、印象深いんです。
日本最古の正史『日本書紀』は、来年で成立1300年を迎えます。「正史」というのは、その時の政府が公認している内容を編纂している歴史書ですから、政府にとって必要で有用な事項が載るわけですけれども、その中に「常世の神」の物語が唐突に登場します。
――不尽川(富士川)のほとりに住む大生部多(おおうべのおお)が、虫を祀ることを人に勧めて、「これは常世(とこよ)の神だ。この神を祭れば、富と長寿をもたらす」と言った。巫覡(ふげき)たちは「常世の神を祭れば、貧しい人は富、老いた人は若返る」と言い、財産を路傍に捨てさせた。田舎の人も都の人も、虫を捕って神聖な座に祭ったが、損害や出費ばかりが出て被害が甚大だったので、秦河勝(はたのかわかつ)が大生部多を討伐した(意訳)。
今風に言えば、「虫(「常世の神」)を信仰し、「不老長生」を説くカルトが出現し、多くの人が入信したり被害にあったりしたので、秦河勝が教祖を討伐した」、という内容です。
それにしても、「正史」になんでわざわざこのニュースを掲載したんでしょう。
この事件が起こったのは644年。大化の改新(乙巳の変)が起こる前の年ですから、かなり緊迫した情勢です。そんな中に反社会的なカルトが流行して、世情が乱れていたんだとしたら、政府(朝廷)の命令で制圧されるのも、なるほどと思います。しかし、『日本書紀』は、河勝が自発的に討伐しているような書き方をしているのがひっかかります。というのも、実はこの前年に河勝が仕えていた聖徳太子の一族(山背大兄王ら)が全滅する事件が起こっていますから、ここで河勝が登場するのは、どうにもこうにもおかしな感じなのです。
実はこの事件、古代史ファンにとって最重要トピックスである「聖徳太子」問題も関わって来そうな匂いがプンプンするのですが、それについてはちょっと置きまして。今回注目したいのは、この事件が起こったのが「皇極天皇」の時代だということです。皇極天皇は、大化の改新を推進した中大兄皇子(後の天智天皇)のお母さん。実は中国の宗教である「道教」の気配がものすごく強い人なんです。ちなみにその息子である天武天皇も道教の信奉者として有名です。
この「道教」の最大の目的こそ「不老不死」なのです。多が唱えたのは「不老長生」なので微妙に異なりますが、共通している時代の空気感みたいなものがあるような気がします。
多の「常世の神」とは、常世の国の神を指し、常世の国とは、不老不死の神仙国を意味します。つまり中国の神仙思想(道教)的な理想郷の神ということです。しかしその「常世の神」が「虫」というのは、なぜなんでしょうか。別に虫でなくてもいいような…。
ところで、漢字の「虫」は、その大元である甲骨文字では「蛇」を意味する字でしたが、その後、生きもの全般を指すようになりました。
ですから、何かそういう方向の言葉が間違って伝わってる?……と思わないでもないのですが、『日本書紀』では、「この虫は橘の樹に生る。長さは12センチ余りで人の親指ほどの大きさ、緑色で黒の斑点があり、蚕の形に似ている」と細かく記述しています。妙にリアル。多分アゲハチョウか何かの幼虫ですよね。
しかし、それが何だって「常世の神」とされたんでしょうか。蝶に変態することが、いのちの新生を想像させたからじゃないか、橘の実は常世の国の果物と考えられたからそれとクロスしたからじゃないかとかと言われたりしますが、でもそれだけなんでしょうか…。
…いや。
というよりも、むしろここは「細かく描写しすぎてるのがあやしい」とフカボリして、疑いの眼を向けてもいいのかもしれません。
「虫」とは、リアルなイモムシのようなものではなく、「蛇」を指していて、この記事は、蛇をトーテム(祖神)としている人に関わる事件を指しているのかも…。蛇は水の神、そして「水源イコール山」で、山の神でもあります。さらに、脱皮を繰り返す蛇は、不死・回生の象徴でもありました。富士山山麓にそのような神を奉じる渡来系の人々が住み着き、勢力が強まったので、別系統の渡来系である秦氏が制圧した。…なんて妄想はいかがでしょう。
この「常世の神」事件に関しては、あまりにもわからないことだらけなので、妄想し放題です。何しろ『日本書紀』に出てくるだけで、現在の富士山山麓には、多の信奉した「常世の神」の痕跡はまるっきり残っていません。もしかしたら古代には常世の神を祀る祠などはあったのかもしれませんが……。為政者による弾圧もあったでしょうが、それ以上に富士山は何度も噴火していますからね。
私の妄想はさておき、この記事でわかる確かなことは、富士山とその山麓が、この7世紀の時点ですでに異界、「神仙境」と捉えられていたということです。
少し後の時代の、有名な『竹取物語』(10世紀ごろ成立)もそう。かぐや姫が月に帰った後、帝は、かぐや姫にもらった「不死の薬」を、富士山の山頂で燃やさせてしまいます。ここでも、「月に住む天人」といういかにも中国神話らしい設定の美しい姫と「不死」というテーマが登場。そして、帝はかぐや姫が提示してくれた「不死」を選ばず、有限の命を選びます。ここで有限の命を選ぶのは、日本人らしい結論だなあ、と思います。本家・中国の物語でしたら、不死の薬を飲むかもしれません。このあたりは非常に日本ローカライズされているように思います。
つまり、時代を超えて、ずっと「富士山」には、神仙と不死というモチーフの舞台になる場所だという共通認識があったといえるのではないでしょうか。
私が「富士山→常世の神→不老不死の概念」と連想したように、多くの日本人にとって、それは常識のように意識の中に入り込みました。そしてその伝統は、山岳修行者を中心として、ずっと引き継がれてきたのではないかと思います。
道教における理想像とは、寿命や加齢といった「人間としての宿命」を超越し、姿を消したり、天を飛ぶといった特殊能力を獲得した超人を指しました。つまり「神仙(仙人)」です。そして神仙境(異界)と考えられた富士山にも、そんな超人たちにまつわる伝説が残されています。それが、聖徳太子と役小角(えんのおづぬ)です。日本宗教界のビックスターそろい踏みですよ!
聖徳太子はいうまでもありませんね。役小角は修験道の開祖。いずれも聖人としてあまりにも有名ですが、富士山と絡む時に、特記したいのはいずれも超能力を駆使して富士山にやってきたということです。
まず聖徳太子は、愛馬「甲斐の黒駒」に乗って、富士山へと飛来します。また、先程登場した秦河勝は、聖徳太子の寵臣としても有名な人物です。
そして、役小角は流罪で伊豆大島にやってきて、毎晩海上を歩いて渡り、富士山に登って修行し、朝になると伊豆大島に戻ったと言います。
いずれも彼らの死後に編まれた伝説です。史実ではないでしょうけど、しかしこの物語から、後世の人々がこの二人に超人「神仙」の姿を重ね合わせていたことがよくわかります。
江戸時代に大流行した富士講の創始者である長谷川角行(かくぎょう)は、夢に現れた役小角に導かれて、富士山を目指したと言います。富士山麓の「人穴」に籠り修行を重ね、ついに大行を成就。数多くの難行を成し遂げ、富士山には128回登拝したそうです。
この役小角こそ、角行のような修験行者が目指した理想像です。つまり、「神仙になる」という道教的な憧れは、「修験道」の中に形を変えながらも引き継がれたのでしょう。一般的に修験道は仏教と神道のシンクレティズムと言われますが、もう一つ、道教も忘れてはいけない。そう考えてみたら、日本一の山である富士山は、山岳修行者の聖地でもあったわけで「神仙」や「不死」の物語が関わってくるのは当然なのかもしれません。
さて、現在ではどうでしょうか。「富士山と言えば不老不死」と言う人は、まずいないでしょう。しかし、富士山に不思議なパワーを感じるという人は多いのではないでしょうか。そのようなややスピリチュアルな方向性は今でも健在。実際問題、今も富士山山麓ほど、新旧の宗教関係の施設が多いところはないと思います。
しかし、そうした中で「不老不死」を追い求める教義をもつ宗教というのは、昔ほどは多くないだろうと推測します。というのも今の時代「不老不死」は別にしても、「不老長生」なら、ある程度実現できているからです。
平均寿命が延びて、百歳も珍しくなくなってきたという今の状況は、人類にとって「夢の実現」と言っていいでしょう。かつて多くの権力者たちも追い求めた至高の世界です。しかし実際本当になってみると、みんなそんなに喜んでいないような気がします。
私自身で言うと、そこそこで終わりを迎え自然に帰りたいと思っていますから、嬉しいよりは不安の方が先に立ちます。スルッとは死ねないとなると、いい感じに死ぬとはどういうことかを自分で考えて、自分で終わりを決めなくてはいけないなんてこともあるのかもなあ……などと思い、果てしない気がして頭が重くなります。
そんな時、遠くからでも富士山を見ると晴れやかな気持ちになるんです。富士山に行くと、体に清々しい空気が流れ込んで「生きもの」として元気になるような気がします。そして、なんとはなしに「いのち」について考える。あの超絶した場所が、そのような大きなこころに導いてくれるような気がします。私にとって、富士山とはそんな場所なのです。
そんなふうに感じる人は多いのかもしれません。だから、縄文時代から今に至るまで、形を変えながらも、人々は富士山に祈り、集まってきたのではないでしょうか。
最近では日本だけではなく、世界中から多くの人が集まってきています。それを見ると、この心境というのは、普遍的な何かを含んでいるのかもしれませんね。人種や宗教も関係なく共有できるということは、これからの世界でとても大切なことなのではないかと思います。
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トップ画像:葛飾北斎 富嶽三十六景「凱風快晴」(シカゴ美術館コレクションより転載)