YAMAPユーザーさんに等身大の登山ライフを伺う「ユーザーインタビュー」連載。第1回にご登場いただくのは、今年の登山日数がすでに70日以上という伊東拓哉さん(ユーザー名:山旅人TAKU)。幼少からアウトドアに親しみ、大学在籍時から山に登ってはいたものの、今のペースで山に向かうようになったのはコロナ禍がきっかけだったといいます。伊東さんに旅から始まった山への興味、頻度高く山を登る理由やこれからやりたいことなどをお話しいただきました。
2022.10.25
YAMAP MAGAZINE 編集部
―伊東さんは毎週のように山に登られていますが、普段はどんなお仕事されてらっしゃるのでしょうか?
大学卒業後に就職した、不動産関係の会社に勤務しています。今は入社して5年目です。全国転勤のある職種なのですが、最初の配属が名古屋で、そこからずっと名古屋に住んでいます。住んでみるまではわからなかったのですが、アルプスなどへのアクセスが良く、「なんだ、近いじゃん!」って思いましたね。今となっては、ずっと名古屋でもいいかなと(笑)。
仕事柄、週末に出勤することも多くて、その代休として平日に休みが取れて土日に休みをくっつけたりできるので、スケジュールはわりと調整しやすいですね。
―登山をはじめたのはいつ頃ですか?
大学在籍時からです。2017年だったと思いますが、就職活動が終わってから社会人の山サークルに入り、山を本格的に始めました。
でも、学生のときって同世代の山仲間が一人もいなくて。なので、バイト仲間や大学のゼミ仲間に「山行こう」って積極的に誘っていましたね。正直、山の魅力って行かないとわからないじゃないですか。
友達を初めて連れて行ったのが新潟県の妙高山。深夜に出発して朝に着いて仮眠して、結構ハードな山行でした。
わりと早いペースで登ったのでヘトヘトになってしまったのですが、山頂に着いたら、雲海が出ていたんです。本当に絶景でしたね。雲海を初めて見た友人もいて、「また山に来たい」と言ってくれました。本当にみんなと一緒に来てよかったなぁと思いました。下山後は温泉に入って、ジェラートなんかも食べて。楽しかったですね。
―学生時代は、ヒッチハイクなどもされていたとか。
そうなんです。大学時代は山も好きだったんですけど、「47都道府県制覇する」という目標があって、元々は「旅」が興味対象のメインでした。
電車で九州や四国、東北を一周したり、若いうちにしかできないチャレンジとしてヒッチハイクで東京から鹿児島まで行ったりしました。ヒッチハイクでは「日本の端」を目指すべく、本土最南端の佐多岬や最西端の神崎鼻に行き、ついでだからと屋久島へ渡って観光したりもしました。まだ行ったことがない都道府県は沖縄だけですね。知らない土地に行って、知らなかったことを知るということが好きなんだと思います。
―伊東さんの強い冒険心を感じます。幼少期から自然に触れる体験は多かったのですか?
元々両親はアウトドアをするタイプではなかったのですが、友人に誘われ小学校6年生のときに地元・埼玉のボーイスカウトに入ったというのが、アウトドア好きになった原点です。
ボーイスカウトでの最初の活動がオリエンテーリングという地図読み体験をするもので、そのときに、自分の中に秘めていた冒険心のようなものに火がついた感覚があります。
―ボーイスカウトがピタリとはまったのですね。いつ頃まで活動されたのですか?
小学生から大学生まで続けました。正式にはボーイスカウトという名称は中学3年生までで、高校生からはベンチャースカウトという名前になるんです。それまでは隊長と呼ばれる指導者のもとで活動していくんですけれど、ベンチャースカウトになってくると、主体性を持って自ら取り組むというものに変わります。無人島キャンプなんかも行きましたね。
大学4年時、就職活動が終わった後に、ボーイスカウトの隊長になる研修が3泊4日で開かれ、資格を取得しました。今はその資格を生かせるような場面がないのですが……。
今は完全に山にのめり込んでいるので、その熱量を山にぶつけているという感じですね。
―YAMAPのユーザー名「山旅人」の由来は?
学生時代は電車やヒッチハイクで日本中を旅していたのですが、今は山に旅の要素を絡めて楽しんでいるので「山旅人」という名前にしました。元々旅が好きだったので、時には、山より旅の方が目的になることもあるんです。
―今年、2022年の登山日数は10月現在で70日以上です。そんなにはまったきっかけは何だったのでしょう?
きっかけはパンデミックでした。コロナでなかなか旅ができない状況になりましたが、「旅行よりも山は行きやすい」っていう空気が先に出てきたと思うんです。
登山に行けば運動もできて下山後には温泉が待っていて、近くのお店にも立ち寄れる。これってすごく楽しいことなんじゃないかと気づきました。
僕はジェラートやプリンが好きで、よく美味しいスイーツ屋さんを探します。山の中にある温泉も好きで、去年は「日本一遠い温泉」と言われる、北アルプスの水晶岳の麓にある高天原温泉(富山県)へ行きました。歩いてしか行けない温泉っていいですよね。やっぱり山と旅の組み合わせは最高です。
―今までで思い出に残っている山行はありますか?
涸沢カールでのテント泊でしょうか(そのときの活動日記)。9月の連休と重なっていて、僕が行ったときは800張ぐらいのテントで埋まっていました。初めてのテント泊だったので、とても印象に残っています。
―お一人で行かれたのですか?
そうです。そのときは奥穂高岳から涸沢岳に向かい、途中から同じルートを歩いているおじさんとご一緒しました。下山して涸沢小屋に着いたときに、一緒に苦労を分かち合った仲ということで、ビールを奢っていただいたんです。
同じルートを歩いた人たちと仲良くなって一緒にご飯食べたり、話をするのがいいですよね。僕は人がどんなことを考えているのかを聞くのが好きなので、山で泊まるっていうことにこれだけハマったのかなと思います。
―山では一期一会の出会いがありますね。
南アルプスの白峰三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳の三山の総称)を歩いたときも、周囲の人たちと同じルートを歩くので、最後に泊まった小屋で一体感が生まれる経験をしました。それで、また南アルプスに来たいなぁと思ったんです(そのときの活動日記)。
山に登らない人に「なんでそんなに登ってるの?」と聞かれるけど、そういう感情が伝えづらいんですよね。写真を見せても、「綺麗」とは言ってくれますけど、やっぱり写真じゃ伝わりづらい部分がありますね。
―年間でかなり登ってらっしゃるので、体力もきっとあるんでしょうね。
いえ、体力は本当にないんです。中学・高校では陸上をやっていたのですが、今でも体力に自信がなくて、山を登っているときは結構つらかったりします。ほかの方と一緒に登るときも置いていかれるんじゃないかと心配です。
ただ、陸上のおかげで根性はあるのかな。毎週末登っているので、山を登る体力と筋力は山で鍛える、みたいな感じでやっています。
―そのモチベーションはどこから湧くんでしょうか。
「何かしら挑戦できたらいいな」と、何をするにも思っています。過去に「自分を変えたい」という気持ちで勉強に取り組んでいた時期があり、それを乗り越えられた経験が山にもつながっているのかもしれません。
―具体的にはどんな体験だったのでしょう?
小・中学校のときにいじめらた経験があり、当時はとても辛かったんです。「いなくなりたい」と思ったこともあったほどでした。
でも、落ち込むんじゃなくて、それをバネにしようっていう思いが強くなって。それで、勉強を頑張ったんです。おかげで、自分にとって高い目標だった高校や大学に進学することができました。
高い目標に挑戦し頑張った結果、「自分はこんなところにきたんだぞ」みたいな経験は、今でも自分の原動力になっているのかもしれません。
―旅の要素以外で、伊東さんにとって山の醍醐味といえばなんでしょうか?
「自分の足でここまで来たんだ」という達成感でしょうか。
たとえ景色が見れなくても、「こんなに高いところまで歩いて来たんだ」という、苦労もあったからこそ味わえる達成感が格別だなと思います。
―活動日記を毎回しっかり書かれる理由は?
もっと若い人にも山に登って欲しいという思いが常々あって。それで、YAMAPでしっかり活動日記を書いています。
山へ行くと、疲れにくくなったり仕事もうまくいったり、ストレスもなくなると思うんです。自分の場合がそうでした。旅の面白さもありますし、魅力を言えばキリがない。
山に登ると人生が楽しくなるなって思うんです。同世代の人たちにも、若いうちだからこそ経験して欲しい。僕の活動日記が少しでもそういう方に届けばいいなと思っています。
―これから伊東さんがやりたいことはありますか?
今までとは少し違う山の楽しみ方もしていきたいなと思い、ボランティア活動には積極的に取り組みたいと思っています。
先日は、YAMAP主催の「池ヶ原湿原ヨシ狩りツアー(岐阜県飛騨市)」に参加しました(そのときの活動日記)。普段何事もなく登れる山も、裏では整備をしてくれるたくさんの人の苦労があって成り立っている。もともと登山道整備などに興味はありましたが、それを実際に体験できたのは自分にとって大きなきっかけになりました。
山とのかかわり方っていろいろあると思うんです。たとえば「山の道中で食べて街にお金を落とす」みたいな還元の仕方もあるかもしれません。新しい楽しみ方として、山の整備や自然維持に携わることがあってもいい。飛騨市の池ヶ原湿原では、毎年7月にヨシ刈りを行っているようなので、来年もぜひ行きたいなと思っています。
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編集協力:上川 菜摘