アメリカのジョン・ミューア・トレイルの山旅から4年——。登山好きとしても知られるフリーアナウンサーの大橋未歩さんが、ニュージーランドの北島にあるエグモント山を周回する「アラウンド・ザ・マウンテン・サーキット」を歩いた“旅の記憶”を綴ってくれました。連載第3回目は怒涛のアクシデント続き! 道なき道をゆく大橋さん夫妻の身にいったい何が……!? まさかまさかの展開に目が離せません。
大橋未歩のニュージーランド海外トレイル体験記/連載一覧
2023.05.15
大橋 未歩
フリーアナウンサー・"歩山"家
歩いて渡れる場所を探すのに一苦労した川をやっとの思いで渡り切ったところまでは、前回記した通り。羊羹でエネルギーをチャージして、私たちは再び道なき道を歩き始めた。地図と自分と、トレッキングシューズをひたすら信じる。
不安定な岩場にぐにゃりと足首が持っていかれそうになるけど、いつも未遂で終わるのは、足首を固定してくれるミドルカットの登山靴のおかげだった。しかも、このザ・ノース・フェイスのミドルカットは私の右足との相性が抜群だった。
大学時代インラインホッケーを少しだけやっていた時に、右足首を捻挫。以来、右足首が外側にほんの少し傾いている。その古傷のせいで、ミドルカットを履くと、足首のホールド部分の生地と右くるぶしが擦れて、皮がべろりと剥けてしまうことが度々あった。
体力はあるのに、この地味な痛みで山歩きに没頭できないのが何より悔しい。でもこの相棒は、足首を安定させつつも何故か靴擦れを起こさない、不思議な代物だった。そして私をどこにでも連れて行ってくれた。
だけど、それもこれも全て道があってのことだったのだ。足が痛いとか体力が持たないとか、山で苦々しい経験ができたのも、まず道があったからなのだ。
足元を染める灰色一色の世界を見て我に返る。
私は一体今どこにいるんだろう。
すると、先を歩く夫が突然立ち止まった。
いつもはお面を張りつけたような顔をしているのに、珍しく口角を上げて、得意気にストックで何かを指している。
その先を目で追うと、平たい石が五重塔のように積み上げられている。1段目の直径20cmほどの平べったい石から、上段に行くに連れて石は少しずつ小さくなり、ピラミッドのような形を築いていた。
もしやと思いつつも、糠喜びだけは避けたい。この状況でもし違ったら、心が折れてしまう。
だから慎重に上下に目線を動かして石の塔を観察した。やや傾きつつも決して崩れない絶妙なバランス。これは偶然の産物ではない。人間の仕業だ。
間違いない、ケルンだ。
ケルンとは、山頂や登山道の道標となるように、石を円錐型に積んだもの。後続の登山者が困らないように、先人たちが残してくれた道しるべ。
そうと分かった途端、私は叫んだ。
「ケルンーーーーーーーーー!!!!!ケルンだよーーーーーーー!!!!!」
とにかく叫びたかった。
不安がぱんぱんに充満して今にも爆発しそうな心を、解放したかった。ケルンという言葉を全身に浴びて、自分を安心させたかった。
ケルンは過去にも何度か見たことがあったけど、今までは道脇に咲いている花を鑑賞するような感覚でしかなかった。でもこうして、命の道しるべとして遭遇したケルンは、神々しくて、ありがたくて、石を一つひとつ積んでくれた先人への感謝で、胸が熱くなる。
私も座りの良さそうな石をひとつ拾い上げると、崩さないように上段にそっと置いた。私がもらったこの安心が、どうか後ろの人にも繋がりますように。
窮地に立ったときほど人の優しさが身に染みる。優しさをもらうと、今度は人に渡したくなる。
自分が正しい道を歩いていると分かった途端、2本の足は急速に自信を取り戻して力強く地面を捉えた。ケルンは25m置きくらいの等間隔で築かれ、視界の中にずっといてくれた。
そうして私たちを誘った先には、先端が赤に色付けされたポールが立っていた。ポールはこのトレイルの管理者が立てたものだ。正式にここが登山道であることを証明していた。
そこは10mほどの崖が崩れて、下の岩場に向かって斜めに土が剥き出しになっていた。土にはくっきりと人間の踏み跡が刻まれていて、その鮮明な筋は崖上の樹林帯の中へと続いている。
私は喜び勇んで急勾配をよじ登った。砂に足をとられてずるずると滑ったが、それでもここが道だと思うだけで嬉しかった。最後の急登は、地中から飛び出した木の根っこを捕まえて、腕の力で下半身を引き上げ、一気に登り切った。
こうして私たちは樹林帯に復帰した。
待ち望んでいた木々の匂い。木漏れ日の美しさ。喜びで全身が満たされる。
しかし、同時にいくつものぬかるみとの戦いが開幕した。それは文字通りの泥沼だった。
川と違って深さが分からない。表面が渇いているように見えても、ストックを試しに挿してみると30cmほど沈んだりする。
沼に遭遇する度に、当初はちゃんと立ち止まって、深度を見極めるべくストックを至る所に挿していた。少し深い場所には、たいてい足場として大きな石が置いてあったり、枯れ木が橋のように渡されてあった。
それを幾度となく繰り返すうちに、何故か私の脳内では「石や枯れ木がない場所は浅い」と都合よく変換された。いつしかストックでチェックをしない沼も出てきた。
そして事件は起きた。
やばい!!
そう思った時にはもう遅かった。置いたはずの右足がずぶずぶと沼に吸いこまれる。泥が足首から靴の中に雪崩れ込んだ瞬間、慌てて抜こうとしたらバランスを崩して、尻から思いっきり仰向けにダイブした。
ぎゃー!!
そこからはパニックであまり記憶がない。
気づくと、はあはあと息を切らしながら、沼から必死に這い出していた。白のバックパックはもちろん、右太ももから尻にかけて、茶色の泥がペンキのようにべっちゃりと塗られていた。
そして何故か私の右手には、ビニール袋に入った携行食のデーツがしっかり握られている。
デ、デーツ!?
目を疑う。
私の叫び声を聞いて駆けつけた夫が、ディレクター魂むき出しでレンズをこちらに向けている。しかもダイブの決定的瞬間を逃したという悔しさがちょっと滲んでいる。
「あらあら派手に行きましたね。で、なんでデーツ持ってるの?」
いや、こっちが聞きたいくらいだ。
どうやら仰向けに倒れたときに、外ポケットからデーツが飛び出したようだ。そして、泥に浮くデーツを反射的に救出したらしい。
でも、デーツじゃなくて守るべきものがほかにあった気がした。お尻が冷たい。下着にまで泥が浸透している。右足をゆっくり引き抜けばそれで良かったのに、何故豪快に尻からダイブしたのだろう。
が、とにかくデーツは無事だった。せっかく無事だったんだからとデーツをひとつ口に放り込む。口の中も少しじゃりじゃりした。
励ますように夫が言う。
「今日は小屋泊だよ。蕎麦食べるんでしょ?」
そうだ。今日は小屋泊、そして12月31日なんだ。小屋に着いたらこの泥をしっかり洗い流そう。それで、体もちゃんと拭いて、ピカピカの状態になって、大晦日を迎えるんだ。
日本から持ってきた蕎麦。暖炉から漏れる柔らかい炎が頬を照らす中で、嬉しそうに蕎麦を啜る私たち。夜が深くなってきたら、コーヒーを淹れる。暖炉の中で炭がパチパチと弾ける音を聴きながら、今年1年を振り返ったりしてコーヒーを飲む。
想像が止まらなかった。
再び歩き始めた。先には小屋がある。蕎麦がある。
歩いているうちにウエアの泥も渇いて、ひび割れした砂の破片がポロポロと落ちるようになった頃、分岐点に到達した。
緑色の標識には「Waiaua Gorge Hutまで1時間半」と鮮やかな黄色文字で記され、矢印が右を指していた。ペンキも全く剥げていない真新しい標識を見て安心した。
道迷いに、泥沼ダイブに、今日は疲れ切っている。今は16時だから、かかっても18時過ぎには着けるだろう。夕飯にはちょうどいい時間だ。
標識通り右に進む。
「そばあ、そばあ、そばはすぐそば〜♪」
歌う私に夫は完全シカトを決め込んでいる。このとんでもない鼻歌が口をついて出るのも、全部疲れのせいだ。
あとは登山道。深い樹林帯も抜けて、トレイルは目を瞑ってでも歩けそうなくらいよく整備されていた。日の入りが近づいている。早歩きなのかスキップなのか分からないくらい、足取りは軽快だった。
が、視界の前方に何かが見える。巨木だった。苔むした巨木が朽ちて横倒しになり、道を完全に塞いでいた。
今までも何本か倒れていたけど、これは直径が2mほど。よじ登ることもできず、木の向こう側がどうなっているのか全く見えなかった。道がこのまま真っ直ぐ続いているのか、それとも左カーブなのか右カーブなのか検討がつかない。
地図を出し、GPSと照らし合わせる。この巨木を越えてしばらく直進すると左折するようだ。
迂回路があるはずだと辺りを探すと、あった。左に少しそれた場所に人が入れそうな空間があり、その足元の土には、くっきりと矢印が彫ってあった。その矢印の山型は定規で書いたような美しい二等辺を形成し、左側をさしていた。なるほど巨木が道を塞いでいるから早めに左折するのか。
几帳面な人が書いてくれたのだろう。疑いようのない矢印だった。ケルンといい、みんな本当に親切だ。再び先人に感謝する。
その矢印に沿って、左側に入った。が、何かがおかしい。踏み跡らしきものが全く見当たらないのだ。
あれ…と思いつつ、振り返って再度矢印を確認する。矢印が作る山型から線を延長させると、今私がいる場所になる。でも、私を通り越して、線を前方に向かってさらに延長させると、そこは深い森なのだった。
少し進めば道が開けるかもしれない。歩き出してみた。
でも程なくして、炭黒色の蔦が縦横無尽に空間を埋め尽くすようになった。その蔦は直径が1.5cmくらいあり、ゴム管のような重さとバネがある。まず頭が引っかかり、脱皮するかのように体をくねらせてなんとか抜けると、今度は右足が引っかかる。そして左腕、次はバックパックが引っかかって、1m前進するのも四苦八苦なのだ。
私たちは蜘蛛の巣に捕えられた昆虫のようだった。この森は私たちを絡め取り、脱出を試みる間に体力を消耗して次第に弱っていくのを、静かに待っている。そんな気がした。
だっておかしい。道迷いは今日だけで2回目だ。今までの登山経験で、こんな頻度で道迷いしたことなんてなかったじゃないか。得体の知れない何かが、私たちをこの森から出すまいとしている。そんな不気味な意思を感じて身震いがした。
日も傾き始めている。急がなければ。でもどこに向かって急げばいいのだろう。
ふと、今日岩場で道を聞いてきたあの女性のことを思いだした。あの後、彼女に会うことはなかった。同じルートなはずなのに、ここまで一度も会わなかった。どこか別の時空への入り口があるんじゃないか。
そんなことを考えるほどに、信じられるものがひとつずつ減っている気がした。それが、道に迷うことの大きさであり、怖さだった。
夫と協議した結果、先ほどの標識まで戻ろうということになった。あの真新しい標識があったということは、あそこまでは確実に正式ルートだったわけだ。
急いで来た道を引き返す。その間にも刻一刻と時間は過ぎていった。
夫も私も、もう一言も喋らなかった。だけど、二人の頭をよぎっていたのは同じ言葉だったはずだ。
『ビバーク』。緊急野営。
その現実をまだ信じたくなかったから、口には出さなかった。泥だらけの体を拭いて新しい下着に着替えて、年越し蕎麦を食べる。そんな平和な大晦日を、まだ諦めたくなかったのだ。
足早に戻って標識に着いた。薄暗くなったからなのか、蕎麦の鼻歌を歌っていた1回目とは、全く違う場所に見えた。でも鮮明な黄色の矢印はやっぱり右を指していた。
でも右に行ったら、さっきと同じで蔦に絡め取られる。どうしよう。既に20時近い。あと1時間で日が暮れる。すがるようにあたりを見渡す。
標識を少し左に行くと、平らな広場があった。そして、その奥に、なんともうひとつ道があるじゃないか。広場には、炭となった木片が2、3本残されていて、火を起こした形跡もある。
「いざとなったらここでビバークしよう」
「そうだね、平らだし、テントも張りやすそうだしね」
ようやく二人ともビバークの現実を受け入れ始めた。
そうと決めたら、もうひとつの道を調べに行こう。もしかしたら、標識が間違えた方向を指していたのかも知れないし。
今思えば、あの真新しい標識が間違いなはずはないのに、それも信じられなくなるくらい、道に対して自信がなくなっていた。
調べに行ったもうひとつの道にも、確かに人間の踏み跡はあった。いやそう信じたかっただけかも知れない。実はこちらが正式ルートで、ここを1時間半歩けば、待ち望んだ小屋が、私たちが蕎麦を食べる小屋があるのかもしれない。
でもそんな淡い期待もしばらくして打ち砕かれた。さっきまで膝までしかなかった草木は、いつの間にか胸の高さにまで生い茂っていた。と同時に踏み跡もほぼ見えなくなった。長らく人間が歩いていないことを示していた。
空は徐々に紫色に染まってきた。ここで日が完全に落ちて、また道迷いしてビバーク場所にさえも戻れなくなったら、もう最悪だ。見渡す限り草木が生い茂って、テントを張る場所もない。
私は緊張で呼吸が少しずつ浅くなっていた。そして膝小僧が冷えてきていた。大きなイベントの司会とか、緊張する仕事の前は必ず膝小僧が冷たくなって、足が少しずつ震えてきて、下半身に力が入らなくなるのだった。
とにかく、ビバーク場所までは戻らないと。さっきまでビバークだけは避けたいと思っていたのに、今はもうビバークさえできればと思っている。
あたりを支配し始めた闇の中で視界を手繰り寄せるように歩く。すると、急に目の前が開けた。
広場だった。
21時10分。ビバーク。
日は完全に落ちて、太陽と交代した月が微かに私たちを照らしていた。
ヘッドライトを着けて急いでテントを張る。
そして、水の量を確認をする。本来のテント場ではないから、水場は近くにはない。今持っている水が全てだ。祈るような気持ちでプラティパス(超軽量の水携行ボトル)を確認すると1ℓ、水筒には300mlの水が残されていた。
思ったよりはあったが、これで今夜と明日の道のりをやり繰りしなくてはならない。小屋を見つけられていない以上、明日もどれくらい歩くか分からないのだ。水なしではとても歩けないから、できるだけ明日の歩行にとっておきたかった。
「蕎麦を茹でるのは難しいね」
すると夫は
「少しだけ茹でよう」
そう言って、私の願いを叶えるべく、申し訳程度の水を沸かしてくれた。そこに蕎麦を折って浸した。もったいないからお湯を全部蕎麦に吸わせる作戦だ。ふやふやになってかさ増しした蕎麦を二人で啜った。
「不思議だけど美味しいね! にゅうめんみたいだね!」
二人で感想を言い合う。
すると夫がこれもイケるよと蕎麦を生のままボリボリと頬張り出した。あまりに美味しそうに食べるから、私もポッキーを食べるみたいに2本ほど麺先を噛んでみた。
細い蕎麦が歯茎に少し刺さったけど「ほんとだ、美味しい」と言った。
空を見上げると、月明かりがタラナキ山を照らし、山肌がぼんやりと白く発光していた。
「見て! 月もタラナキも綺麗だよ! これさあ、明日の朝、太陽がまたタラナキを照らすんじゃない?」
「ほんとだ。この場所、贅沢だよ」
夫も言う。
諦め続けた先に待っている、ささやかなことが嬉しい。
想像していた大晦日とはまるで違ったけれど、忘られない夜だった。
(続く)