「続く」関係人口のつくりかた – 熊野REBORN PROJECTの舞台裏 –

紀伊半島周辺から熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山へと続く熊野古道。その主要ルートの一つである中辺路(なかへち)は、和歌山県田辺市から熊野本宮大社に向かう道です。

この田辺市とYAMAPが2020年に始動した、「熊野REBORN PROJECT」(リボーンプロジェクト、以下熊野RP)が2025年で6年目を迎えました。

関係人口創出プロジェクトとして、全国の自治体からも注目されているこの取り組みがなぜ成功しているのか?その実態を伝えるべく、熊野RPに関わる田辺市、メンター、ホスト(地域プレイヤー)がどのような思いでこのプロジェクトに取り組んでいるのかを聞いてみました。

過去の取り組みはこちら

2026.02.13

久保田 真理

ライター

INDEX

「熊野古道」を存続させるために始まった

田辺市たなべ営業室 上舎裕貴さん
2024年、第5期からプロジェクトを担当。

ーはじめに、熊野RPが立ち上がったきっかけを教えて下さい。

きっかけは、2020年の新型コロナウイルス感染拡大です。訪日外国人観光客がゼロになり、地域経済への影響が出たことでした。

熊野古道は“人が歩いてこその道”。観光客の足が遠のき、人が歩かなくなることで保全・維持管理が難しくなるという危惧があり、また、世界文化遺産に認定されている文化的景観を存続させるためにも、歩いてもらい続けることが不可欠でした。

そんな状況を打破するために、熊野古道の誘客ターゲットを訪日外国人観光客だけでなく、国内観光にも目を向けていくことになったんです。国内からであれば、セクションハイクを目的に繰り返し通ってもらいやすい、というのも狙いでした。さらに、リピーターになってもらうためにも、単に観光客(交流人口)として来てもらうだけでなく、もっと深く関わってもらえる関係人口へと取り組みを進めていく方針が立ったのです。

そこで誕生したのが熊野RP。熊野古道は、歩くことで価値が感じられる道です。そのため、歩く旅が好きで、歴史・文化や景観にも関心が高い「山や旅が好きな低山トラベラー」をターゲットに、関係人口を創出する事業として立ち上がりました。

ーコロナ禍のピンチが、現在の関係人口創出の礎になったのですね。6年も継続できていることの成功要因はありますか?

最も大きな要因は、田辺・熊野エリア在住の地元人材を巻き込んで実施できている点だと考えています。

その結果、熊野RPが市外の方々と地元の人とつながる場になり、プログラム終了後も連絡を取り合えるようなコミュニティが生まれました。地元の人材側も新たな顧客や人脈を得られるので、双方にとって良い関係性が生まれていると感じています。

熊野RPのフィールドワークでは熊野古道エリア(中辺路町)出身の真砂充敏・田辺市長が語り部として参加

さらにもう一つ成功要因を上げるとすれば、「参加対象者を低山トラベラーに絞っていること」もあると感じています。「山や旅が好き」なYAMAPユーザーであることが共通しているのはもちろん、定員も各期12名と少数に絞り込んでいるため、参加者同士がコミュニケーションをとりやすく、同期内での「仲間意識」が強化されています。

運営としても「共に汗をかきながら、共に良い事業を作り上げる」という気持ちが大事だと考えています。運営側も楽しむことが大切だと意識しているので、参加者にもこの意識が伝播しているのかもしれません。

参加後も関わりを持ち続ける卒業生たち


ー6年継続し、70名を超える卒業生が誕生していますが、今でもみなさんとの関係性は継続しているのでしょうか?

はい!いろいろな形で関係性が継続しています。

特に目立った関わり方として、大斎原(おおゆのはら・かつて熊野本宮大社があった神域)周辺の水田作業があります。田植えや稲刈りと季節ごとに異なる作業があるため、再訪のきっかけになりやすいようです。

他にも、月に1度のペースで東京から訪れている方や、熊野を大学院での研究テーマとしている方、足を運べなくてもSNS等での田辺市や熊野に関する情報発信をしている方…、と様々な形で関わっていただいています。

田辺には、熊野古道の他にも独自の地域資源があります。世界農業遺産「みなべ・田辺の梅システム」、JR紀伊田辺駅前に200軒ほどの飲食店が広がる「味光路(あじこうじ)」など、地元の人と外部の人をつなぐ接続装置が豊富にあることも、何度も足を運んでもらい、関係性が維持される要因の一つだと考えています。

関わる全ての人が自分事として考える

ー熊野RPでは参加者の最終プログラムに「自分が田辺市とどう関わっていくか」の発表がありますが、どんな効果を期待されているのですか?

あえて、地域課題解決のためのアイデアを出すことを必須にはしていません。「参加者自身の日頃の暮らしや関心事がなぜ熊野や田辺市と結びついたのか、今後、どのように結びつけていきたいのか?」という、それぞれの関係性を発表してもらうことに焦点を当てています。

発表会はフィールドワークの約1ヶ月後に行われ、今年も「熊野と自分の絆の形」をテーマに開催した

例えば、自分の暮らす場所とは別に”新しい自分”を見つけるための場所として田辺を選んでくれた方や、亡くなった親しい方のルーツが熊野古道にあったことを機に熊野RPに参加し、自身が歩くことで亡くなった方々とつながった気持ちになれたという方も。その人でなければアウトプットできない、十人十色の色濃い関わり方が回を追うごとに増えています。

ちなみにこの発表会、聞く側にも非常に大きな影響を与えています。参加者の人生にまで影響を与える「熊野の力」を、取材に来た地元記者や市役所職員にも改めて認識させられる時間になっているんです。

ーエモーショナルな場作りができているのですね…。今後参加を検討される方向けにも、熊野RPの展望を教えて下さい!

まず、卒業生のみなさんに対して思うことは、自分事として考えて発表した内容を少しずつでもいいので実行に移してほしいということ。

それが積み重なり、熊野や田辺市に様々な形で良い影響を与えるものになっていくと期待しています。将来的にふるさと住民登録制度が整えば、その時には田辺市を選んでもらい、移住や二地域居住などにつながっていけばという期待も。深く、長期的な関係性を多くの人と育んでいければと思っています。

上舎さんが担当する田辺市街地歩きから「潮垢離(海でのお清め)」のワンシーン

私自身も田辺市役所の職員として、このプロジェクトに携わることで、熊野古道の持つ不思議な力を再認識しています。

「参加者の人生に影響を与えられる可能性がある事業」だと思うと、ワクワクが尽きません。仕事ではありますが、私たち自身も楽しませてもらっています。

そして、これから参加を検討いただく方へ。

このプロジェクトには、熊野古道を歩くことで人と山とのつながりを感じたい方、田辺・熊野への関わりを自分事で考えて一緒に楽しんでいただける方にご参加いただきたいです。熊野RPを「よりよい人生を送るためのきっかけ」にしてほしいと思っています。


自然と文化が絶妙に調和されている場所「熊野」

メンター 低山トラベラー・山旅文筆家 大内征さん
熊野RP立ち上げ当初から、メンターとして伴走。

ー長く熊野・田辺市に関わりを持っている大内さんからみて、この地域の魅力はどんなところですか?

田辺、熊野の魅力は、自然と文化が絶妙に調和されている場所であり、それが今に至るまで持続し続けてている点にあります。古道と信仰があり、それが変わらずに生き続けている。実際に歩いてみると、そこには神社やお寺、そして信仰と関係のない人たちの暮らしも混じり合っており、“柔らかいカオス”が感じられるんです。

関西地方は「個性を隠さない」印象から主張が強いイメージを持ちがちですが、熊野はほどよく控えめ。文化や歴史に裏打ちされた確かなものが秘められており、ゆとりが表れているように見えます。

実は熊野の「熊」は「隅っこ」や「奥」を意味していて、中央の忙しないことに影響されずブレないという側面も。豊かな自然の恩恵と同時に、土砂災害や台風などの怖さもよく知っているため、たくましく共存してきた歴史が、現在のゆとりにつながっているのだろうと思います。

熊野古道、熊野地域を知り尽くすメンター大内さんはみんなの頼もしい兄貴的存在

田辺は「隅っこだからこそ独自性が残る」土地であり、この不便さもまた魅力のひとつ。熊野古道を辿る旅人が多く通る場所であり、海が近くて様々なものが流れ着く場所でもあるため、外から来るものを受け入れる度量が広いと感じています。

暮らしの環境として見る田辺市は、人々が適度に遊んでいることも魅力的。古道歩きはもちろん、釣りを楽しんだり、約200軒の飲食店が連なる「味光路」があったり、川遊びをしたり、豊かな自然とともに気を抜ける場所がたくさんあります。

熊野古道は内と外をつなぐ接続装置

ーこのプロジェクトには田辺に暮らす現地の方も多く関わっていますが、大内さんにとってはどんな存在ですか?

田辺の方々は、他の地域と比べても非常にオープンマインドです。自身がやっていることを押し付けるようなことはなく、外から来る人に対する良き理解者であると感じています。

田辺には、日頃の暮らしに真摯に向き合い、人間関係に丁寧な人が多い気がしますね。真面目に働き、真剣に遊ぶ人々が多い印象があって、私にとっては「良き理解者であり、良き友人」という位置づけ。気候が温暖であることも関係して、明るい土地だからこそ人々の気持ちも明るくなっているのだろうと感じています。

フィールドワークでは、地元食材を使ったおいしい手料理でおもてなししてもらう場面も

地元の方がこのプロジェクトを通じて熊野古道に関わることは、良い意味で公私が混同しているとも思います。例えば異動などにより熊野RPの担当から外れた市役所の職員が、その後も自発的に関わっていたりする(笑)。

故郷への愛を、外からやってきた人々と分かち合うことができる。熊野古道という強いコンテンツに関わることは、土地にとっても市にとっても、関わる全ての人にとってもプラスでしかないと皆が理解をしているんです。熊野古道は、紀伊山地の霊場を「結ぶ道」ですが、地域の人と外部の人をつなぐ強力な「接続装置」にもなっていると感じています。

自身ととことん向き合う熊野RP

ー6年メンターを務めていただきましたが、参加者と向き合う際に意識していることはありますか?

参加者が「自分不在」のことに目を向けるのではなく、「自分はどうなのか?」ということを考えるプロジェクトであってほしいと思っています。そのために、メンターである私自身が「自分事として考えてほしい」という説明を何度も行い、私が私であり続ける姿勢を見せることを一番大事にしています。

「自分事」を引き出すために自身の引き出しから種を撒く征さん

私は低山トラベラーとして、歴史や文化などをたどりながら日本各地の低山を歩き続けています。熊野RPも、私と同じような探究気質の人、実際に山を歩く準備をしている人を対象に始まりました。ただ、だからと言って参加者が私の真似をする必要はなく、「この人は自分とは違うが、自分なり楽しみ方を見つけて熊野に通っているんだな」と、自分ごとの視点を見つけてほしい。あくまで私自身は「関係人口の一事例」であると理解してもらえたらと思っています。

私にとってメンターの仕事は、プログラムの管理ではなく、気持ちや考え方、感化を生み出すこと。知識や技術は自分で勉強すれば手に入るため、それよりも「考え方」や「知らない世界への入り方」など、心を動かすきっかけを提供することに努めています。

関わることで広い世界が見える

ー参加者たちの気持ちや行動の変化を起こしてきた大内さんですが、ご自身の中には何か変化はありましたか?

参加者との交流を通じて、視野が広がっている実感がありますね。プライベートなことから個性的な関心事まで、色々なことを話してもらうので、一般論ではない、知らない情報に触れることができています。

例えば、過去の卒業生からは、舞台女優の生き方や教育業界の問題点など、自分とは違う世界や生き方、その苦しみと喜びを知りました。集う人たちが実に多様であるため、小さな空間にいながらにして、広い世界が見えているのです。

過去の参加者も集い、ともに熊野古道を歩いた2025年8月のフィールドワーク

そうしたこともあり、求められるのであれば、一生メンターでいたいと思っています。田辺市とYAMAPが存在する限り、プロジェクトが終わるまで一緒に伴走したい。今後は、卒業生の関わり方も模索していきたいし、もしかしたら熊野RPをハブに、参加メンバーの中から大きなプロジェクトを始める人が現れるかもしれません…。

ー今後も続いていくであろう熊野RP。これからはどんな方に参加してほしいですか?

熊野RP参加者は、百名山のような分かりやすい対象ではなく、日本の信仰や神話に興味があり、それを教養として現地で見たいという「フィールドワークをするような気質」の人が多いです。熊野古道に憧れや関心、疑問があり、現地の人と触れ合うことを求めて歩きたい人に最適です。これまでに知っている熊野古道の何倍もの情報が入ってくる、ちょっと毛色が違うプロジェクトだと思います。

このプロジェクトは、ただ熊野を訪れて楽しむだけで終わるものではありません。

熊野古道に触れて、自分の中のなにかが再生しはじめる場になれば素晴らしいですし、自治体と民間企業の取り組みに「一般の山旅好き」として関わり続けられる稀有な場に仲間入りする絶好の機会です。プロジェクトの根っこにある「自分と向き合う」気持ちで参加し、REBORNしていく空気を直接感じてもらいたい。それぞれの卒業後の熊野デイズ、ひいては参加者自身の登山ライフをより良いものにしていくきっかけになれば良いと思います。


移住者として感じる田辺市・熊野の魅力

山里舎 金哲弘(キム・チョルホン)さん(たなべ未来創造塾7期生)
出身地である大阪を離れ、田辺市に移住した金さん。「てっちゃん」の愛称で親しまれ、熊野RPをサポートしている。

ー移住者視点での田辺・熊野の魅力を教えて下さい!

2016年に大阪から田辺市本宮町に移住しました。地元の人々は決して深入りはしてこず、絶妙な距離感を保ってくれていて、常に見守られているような安心感があります。大阪での生活とは全く異なりますね。

都会育ちの僕にとって、「種を蒔けば芽が出る」という当たり前のことが実感できるのは単純にうれしいです。畑仕事や森林での活動を通じて自然と自分と地面の距離が近づき、においや見えるものが変わり、世界をよりダイレクトに感じられるようになって、生き方が変わったと感じています。

四季の色も濃いので、次の季節も待ち遠しく感じるほど。冬は耐える時期ですが、だからこそ夏の川遊びの喜びはひとしお! 夏はリバーガイドの仕事もしていますが、仕事が終わってから寝る前にも自宅近くの川で涼めるので、エアコンいらず。川に入ることで疲労も一気に回復します。川なしでは生きていけないかもしれません(笑)

川遊びは熊野RPでも大人気。童心に帰って熊野の日常を楽しみます。

ー家族の様子に変化はありましたか?

子どもたちがどんどん野生になっています(笑)。

地域の方々は、「子どもの声がするだけで幸せだ」と言って見守ってくれています。都会に比べて遊べるスペースが広く、休耕田や山の中も子どもの遊び場になっています。

一方で、同級生は少なく、保育所から中学校までずっと一緒なので、逃げ場は少ない環境です。友達や先生との関係性はより濃いものになります。ただ、濃い人間関係があるおかげで、何かあった時には一緒に生きていけそうという安心感も同時にありますね。

ー子どもたちの遊び場でもある「熊野の自然」。中でも熊野古道はどんな場所だと思いますか?

一人で歩いていても一人ではないような、大勢で歩いていても一人でいるような不思議な感覚を味わうことができる場所ですね。

一度で歩き通さずとも、セクションハイクで道がつながっていく感覚の面白さもあります。集落と集落をつなぐ道が多いですが、その道沿いや集落跡に残る生活の残骸を見る・感じるのも古道ならでは。

自然環境としては、針葉樹の植林地が多いことが特徴のひとつ。以前は自然林の方が魅力的だと感じていましたが、かつて子どもや孫のために財産として換金性の高い木を残そうとして植林を行ったと聞き、背景を知ってからは植林地を見る目も変わってきました。熊野では、山から川、そして海へのつながりをコンパクトに感じられるのも魅力です。山の恵みや先人からの愛を感じられるフィールドが豊富にあります。

熊野RPに地域プレイヤーとして関わる

ー熊野RPに関わるようになったきっかけは何だったのでしょう?

僕も「たなべ未来創造塾」(地域課題をビジネスで解決する人材育成事業)に参加したのですが、自分が暮らす本宮町の課題として、大斎原周辺の田んぼの耕作者不足が頭に浮かびました。この10年で耕作者が半数になってしまったという危機感から、「大斎原の景観を守るプロジェクト」を立ち上げたんです。ボランティアでは取組は継続しないと感じたため、自分が抜けた後も続いていく仕組みを作ろうと考え、法人化もしました。

熊野RPでは2024年から恒例化している大斎原前での田んぼ作業

そんな中、田辺市から「現地プレイヤーとして熊野RPに参加しないか?」と声をかけてもらいました。熊野古道を歩く参加者が、フィールドワークの目的地である大斎原の景観を守るプロジェクトに参加することは、自身の未来像と相性が良いと感じ、二つ返事で引き受けることにしたんです。

ー県外から参加する方も多いですが、そんな方々にとってはどんなことが価値があると思いますか?

日頃から山歩きをしている人にとって熊野古道は一度は歩いてみたい場所だと思いますが、選択肢が多くてどの道を歩くのか迷うこともしばしば…。熊野RPは、入門編として中辺路のゴールデンルートをセクション(区切り)で歩くため、初めての方でも非常に挑戦しやすいと感じます。

なにより、真砂市長の語り部で歩くセクションは特に魅力的!メンターの大内さんからも、歴史や神話、風俗、宗教など、その土地の深い話を聞きながら歩くことで、ひとりで歩くのとは違った景色が見えます。

スタッフ視点では、熊野古道という共通項を通じて県外の参加者同士が出会い、精神的に近づいていく様子も目の当たりにしてきました。初対面の人と知らない土地で過ごす非日常の中で、参加者は「自分はこんなことで感動するんだ」といった自身の内面的な変化に気づく機会を得ているようにも思います。

参加者と心地よい関係性を紡ぐ

ー「田辺や熊野に暮らす人との出会い」も熊野RPの魅力のひとつですが、地域の人たちは一体どんな人たちなのでしょう?

熊野の人たちは良い意味でのおせっかいだと感じます。僕自身も、頼まれていないのに熊野RPの活動に同行したり、他に手伝ってくれているメンバーも、余計に料理を振る舞ったり、一緒に歩いたり…。人懐っこく、積極的な関わりを見せてくれるのが田辺人の魅力です。自分のフィールドに来てくれた人をもてなしたいという意識や、地域のために、という使命感に駆られている人が多いのでしょうね。

田んぼ作業の合間には、地元食材のおやつでひと休み

参加者を迎え入れる立場として、僕自身は温度感を合わせることを意識しています。参加者がフィールドワーク中に、何を見て、どう感じて、最終地点である本宮まで来てくれるのかを知るために、できれば初日から一緒に歩きたい。そうすることで、活動の質を上げることができるからです。「自分と同じくらいワクワクしている人と一緒に行動する方がより楽しく、面白い結果を生む」、という私自身の経験もあり、温度感を合わせるのは大事だと思っています。

参加者にとって頼れる地元人であるてっちゃんの存在

地域と参加者をつなぐ役割を果たす上では、他に特別なことは意識していません。逆に、いつも通りでいることは意識していて、参加者の方に対しても「~しなければならない」ではなく「~したい」を大事にしながら、互いにとって楽な関係でありたいと思っています。無理をすると続かない。濃い人間関係の中で良い距離感を保ちながら関わっていくことが重要だと考えています。

ー大阪や福岡、東京と都市からの参加者も多い中で、田んぼ作業はとくに満足度の高いプログラムですよね。指導するにあたってはどんな思いをお持ちですか?

田んぼでの作業は、気持ち良く終わるということを心がけています。少人数で長時間作業すると義務的になっていく可能性がありますが、大人数で行う熊野RPではちょうどよい作業量になるのが利点です。

初めて田んぼに入る方が多いため、「もうちょっと作業したいなあ」と、あえて余韻を残して作業が終わると良いとも考えています。そうすることで、「また来よう」と再来訪につながると思うんです。

参加される暁には、できれば田んぼには裸足で入ってほしいです。裸足で田んぼに入れば、言葉では説明できない大切なことを感じられるはず。

「種を蒔くと芽が出る」ということを、知識としてではなく実感を持てるようになってほしいですね。命をいただくことや、未来に続いていく感覚を強く持てるようになります。直に触れることで、自己の成長や精神的な成長につながる気づきを得られると考えています。

卒業生たちとのつながりとこれから

ープロジェクト終了後も卒業生を現地で受け入れ続けている中で、どのような変化や広がりを感じていますか?

プロジェクトに関わって3年が経ち、参加期をまたいでのつながりが多くなってきました。卒業生が企画する古道歩きや山歩きの企画も立ち上がっていて、私自身も、地域の人と卒業生がプロジェクトを飛び出して一緒に活動する「セルフリボーンプロジェクト」のような企画ができたらと考えているところです。

卒業生が戻ってきてくれることは、熊野で暮らす人にとって非常にありがたいことです。

例えば、特に熱心に通ってくれている方は、重要な作業である田植え前の線引きや、田植え、草取り、稲刈りにも個人的に来てくれています。ゆくゆくは、リボーン卒業生や参加者、現地プレイヤーで、耕運から稲刈りまで全てできる体制を思い描いています。

この景観を守るために尽力するてっちゃん

今後も、お互いに心地よい関係性で助け合うことができる機会が増えるのが理想です。卒業生が多く訪れることで、地域の人が「都会の人が田んぼに興味を持っているなんて!」と鼻が高くなり、外の視点も取り入れて、逆輸入のように耕作者が増えるなど良い変化をもたらすことも期待しています。

田辺市は関わるほどに、面白いものや場所、人が溢れ出てくる魅力的なまちです。参加者が熊野RPをきっかけにこの地に足を踏み入れ、自然と地域と絡んでいくのが理想です。私自身も移住して約10年経ちますが、長期間熊野に関わり続けている自分自身が関係人口であるということに気づきました。いまだに新しい出会いがあり、巻き込まれたり巻き込んだりしています。

迷っているなら乗るべし! 世界の最先端でお待ちしています!

久保田 真理

ライター

久保田 真理

ライター

秋田県生まれ、茨城・千葉県育ち。多様性をこよなく愛して旅を重ね、これまでに47都道府県、世界35か国を訪れる。各地で触れた人々の営みや文化に魅せられて、地域創生、社会貢献、SDGs、ライフスタイル、食文化などの取材に深く関わるように。プライベートでは"天然のジム"として高尾山周辺の山々を歩く。制作・インバウンド事業を手がける「ついたち」代表。