【京都大江山 酒呑童子】鬼の伝説を追う山旅

千年の都、京都の北西に広がる丹波・丹後地方。この地には鬼の伝承が数多く伝わっています。中でも最強の鬼「酒呑童子」が住んだと言われる「大江山連峰」には、今なお鬼の気配が色濃く残り、山中の遺跡や寺社仏閣に彼らの痕跡を求めることができるのです。深い森、果てしなく広がる神秘的な雲海、そして鬼の影。千年の都の北西には、今まで知らなかった京都の別の顔がありました。京都大江山連峰。鬼を訪ねる不思議な山旅をぜひご一読ください。

2020.03.23

武藤 郁子

文化系アウトドアライター

INDEX

海と山の境界に出現した最強の鬼

「京都は山と海の国である」
そう言うと意外に思う人もいるかもしれない。私たちが“京都”と聞いて想像するのは、平安時代から都であった平安京のあたり、やや拡大しても京都市内を中心とした京都盆地内で、雅な文化が花開く広々とした土地……といったイメージだろう。しかし盆地ということは、周囲を山に囲まれているということで、つまりは「山」国である。

南を宇治川と平野、その他の3方を山に囲まれた京都の街は、平安遷都以来、千年にわたって都であり続けた

すると「海」はどこかと言えば、日本海側、天橋立(あまのはしだて)のある場所と言ったらどうだろう。ピンと来るだろうか。――全国的には、残念ながらピンと来ないという人もいるのではないかと思う。

京都の北端が海と接していることはあまり知られていない。丹後半島は古くから大陸との交流点でもあった

それだけ同じ京都府ながら「天橋立」と「京都」のイメージが重ならないということかもしれない。しかし、そう感じるのは当然と言えば当然だ。というのも、海側の京都は、古くは「タニハ(丹波)の国」という独立した国だったのである(ヤマトに吸収され、奈良時代の713年に分国されるまでは、丹波と丹後はひとつの国・地方)。

一方、山側の京都(山城国)は、奈良盆地を出て京都盆地にやってきたヤマト朝廷が束ねる勢力だった。タニハとヤマトは、古くは対等の国力を持ち、異なる文化背景を持った別々の集団だったと考えられる。

京都府地図。山城国と丹波国・丹後国で構成されている

現在の京都府は、そのような異なる文化背景を持つふたつの国がひとつの府になっている。その背景が強く残っているからか、今でも海側の京都と山側の京都は、明らかに雰囲気が違う。このような異なる文化と文化の境界には、その衝突の痕跡を伝える伝説が誕生する。私はそれが、日本で最も有名な“最強の鬼”「大江山の酒呑童子」だったのではないかと考えているのである。

大江山連峰と「酒呑童子」

「酒呑童子」は、南北朝時代にまとめられ、江戸時代に庶民にも広がった『御伽草子』によって、日本全国で広く知られるようになった物語で、皆さんもよくご存じかと思う。

「平安時代の頃、大江山に酒呑童子という鬼がいた。都で悪いことをしたり、貴族の姫を誘拐したりしたため、源頼光らが征伐のために派遣された。頼光たちは山伏に化けて近づき、油断した酒呑童子と酒盛りをして毒酒を飲ませ、酔いつぶれた酒呑童子の首を落として退治した」

鬼の正体を占う陰陽師・安倍晴明や源頼光をはじめ、藤原(平井)保昌、四天王(渡辺綱・坂田公時・卜部季武・碓井貞光)が登場して、悪の化身である鬼・酒呑童子を退治するというあらすじ。正義のヒーローが悪者をやっつけるという、いわゆる“勧善懲悪もの”と言っていいストーリーなのだが、私はこの物語を初めて読んだ時、思わず言葉を失った。頼光たちの戦略があまりに卑怯で、子ども心に呆然となったのである。

頼光らに毒酒を飲まされ朦朧となった酒呑童子(『酒呑童子絵巻』(日本の鬼の交流博物館蔵)より)

体を鎖で縛られた酒呑童子は、頼光らに首をはねられてしまう(『酒呑童子絵巻』(日本の鬼の交流博物館蔵)より) 

それはさておき、この物語の舞台になった大江山は、「タニハ(丹波)」の中心地である丹後半島の付け根に位置している。実は「大江山」と呼ばれる山はなく、福知山市、舞鶴市、宮津市、与謝野町にまたがる連山で、この全体を「大江山連峰」と呼ぶ。

やすさんの活動日記より/左(西側)から赤石ヶ岳、千丈ヶ嶽、鳩ヶ峰、鍋塚と呼ばれる峰が連なる。うち千丈ヶ嶽(標高832m)が最高峰

この大江山連峰を歩くルートが「大江山連峰トレイル」として整備されているのだが、改めて地図をみてみると、最東が赤岩山で最西が赤石ヶ岳となっているところがニクイ。“赤”は製鉄に関わる場所によく使われる言葉だから、鬼がいる山にふさわしいルート設定だ。

赤岩山(標高669m)から赤石ヶ岳(736m)を結ぶ約16キロのルートは大江山連峰トレイルのメインルートで「赤赤縦走路」と呼ばれる

古来、鬼と金属には深い関係があった。「鬼の正体」とは製鉄集団だったのではないかと考えるのは、今やポピュラーな説である。製鉄技術を持つということは、豊かな富を意味し、同時に強大な軍事力を意味する。敵対する勢力からしたら、それは脅威でしかない。ひと言で言えば「怖い」のだ。だからこそ「人間ではない、異形のモノ」だと貶める。「鬼=製鉄集団」説は、鬼がどんな存在だったかを、実にうまく説明していると言っていいだろう。

鬼伝説のある場所は、たいがい鉱物資源が豊かなのだが、大江山連峰もその例に漏れない。大江山連峰周辺には、北原地区の「魔谷」や天座地区の「火の谷」といった地名が残り、古いタタラ場(製鉄場)の跡が点在している。大江山鉱山や河守鉱山など、近年まで鉱山としても現役だった。

ゆらぎさんの活動日記より/赤赤縦走路の中央付近、普甲峠(ふこうとうげ)周辺に広がる旧大江山スキー場。普甲の語源は、天吹男命(アマノフクオノミコト)に関係しているとする説もある。「吹く男」はタタラを吹く男の意か

大江山周辺は“鬼”の過密地域

大江山連峰とその周辺は、鉱山資源が豊かなだけでなく、自然環境の豊かさにおいても特筆すべき地だ。冷温帯性植物と暖温帯性植物が共存する多様な環境は、生物にとって楽園。水資源も豊富で、海と川の水産資源にも恵まれている。これだけ豊かだということは、大きな経済基盤があり、人が多く住めるということで、強力な権力の発生を意味する。

そう考えると「タニハ」の国は、相当に強力な勢力だったろうと思う。その分、ヤマトとの衝突も一度や二度ではなかったはずだ。その証拠とも言えるのが、鬼退治伝説の多さである。実はこの地方には、酒呑童子以前にふたつもの鬼退治伝説が伝承されているのだ。こんなに鬼退治の伝説が集中している場所は、日本広しと言えどほかにはないだろう。

まず一番古いのは、第10代崇神天皇の頃のお話。崇神天皇の異母弟と伝わる日子坐王(ひこいますのみこ)による鬼退治だ。崇神天皇は実在した最初の大王と考えられている人だから、それに従えばだいたい3世紀後半ごろの話になる。

日子坐王は、青葉山(舞鶴市・福井県高浜町)山中に住む「陸耳御笠(くがみみのみかさ)という土蜘蛛と戦い、大江山に逃げ込んだ陸耳御笠を討伐したと伝わっている。土蜘蛛と言うのは先住民のことだから、陸耳御笠とは先住民の首長ではなかったか。そう考えると“鬼退治”とは、征服者と被征服者の戦いのエピソードに思える。

若狭湾から望む青葉山(標高693m)。白山の開祖泰澄が開山したとされる修験の山。若狭富士として親しまれる

ふたつ目は、第31代用明天皇の頃。用明天皇は聖徳太子の父で、6世紀に実在した人物である。この用明帝の第三皇子・麻呂子(まろこ)親王が、人々を苦しめていた三人の鬼(英胡・軽足・土熊)を、神仏の加護を得て討伐したという物語だ。

ここで登場する麻呂子親王の関連地が、丹波・丹後地方には非常に多い。なんと70ヵ所にも及ぶと言う。また史実に引き寄せれば、葛城氏の女性を母として生まれた当麻(たいま)皇子と同一人物と考えられる。ちなみにこの葛城氏は、5世紀頃まで大変な権力を持った一族で、ヤマト大王家の外戚だった。また麻呂子親王(当麻皇子)の後裔とされる当麻氏は、製鉄に関わる氏族としても有名だ。また少し時代が下った話になるが、修験道の祖とされる役小角が生まれ、修行したのも葛城氏の統べた地域。この一事をもってしても、葛城と修験道、大江山連峰との濃いつながりが容易に想像できる。

あーたろー!さんの活動日記より/鍋塚から普甲峠に向かう途中にある鬼の岩屋。今は酒呑童子の住処とされているが、元は麻呂子親王が土熊を閉じ込めた場所だという

そして三つめが「酒呑童子」である。酒呑童子の物語は、この麻呂子親王の伝承とかなり重なっており、麻呂子親王の物語が、酒呑童子の物語に影響を与えているのは間違いないだろう。実際に大江山連峰を歩いてみると、麻呂子親王の気配を強く感じる。麻呂子親王の物語の上に、酒呑童子の物語が乗ってきていると考えるのは、かなり自然ではないかと思う。

「鬼に横道なきものを」

考えてみると、「酒呑童子」という物語が大江山連峰で展開されたのは、偶然ではないのかもしれない。ヤマト側では、古代から大江山連峰周辺に出現したとされる二つの鬼の物語が、すでによく知られていた。そのため、『御伽草子』にまとめられる段階で、「大江山には鬼がいる」という共通認識が十分に醸造されており、だからこそ、この地が“最強の鬼”酒呑童子の物語の舞台となったのではないだろうか。この“鬼”は、ヤマトをルーツとする権力側から見た“鬼”だ。しかし、タニハ側から見たその“鬼”は、言ってみれば自分たち自身であり、祖先や仲間たちの残像だった。

大江山連峰の南側に位置する日室ヶ嶽は、古くから神が降臨する神体山ともいわれ、ヤマト系太陽神(アマテラス)以前から存在した太陽信仰を想像させる。写真は皇大神社本殿から約200mの距離にある日室ヶ嶽遥拝所

鬼は古くは「モノ」であり、神も同じく「モノ」であった。モノとは、人間の力ではコントロールできない力を意味し、善悪を超越した存在を意味する。それが時を経るにつれ、鬼は異界の住人であり、反秩序・反社会的存在、「悪」を担う存在として位置づけられたのである。

大江山連峰には、鬼と神が未分化だった頃の残像が、そこかしこに残っているような気がしてならない。物語の中に「鬼に横道なきものを(鬼は騙すようなことはしない)」という酒呑童子の言葉がある。頼光らに騙されたことに気づき、斬り殺される前に叫んだ言葉だ。“悪”の象徴である酒呑童子は、真っ赤な顔にツノのある異形の姿だが、人としての善なるものをちゃんと持っている。一方、美しい甲冑に身を包んだ頼光たちは“善”の象徴だが、その内面には人を騙しても痛みを感じない“悪”を抱え込んでいる。彼らの中にこそ「鬼」が住んでいるような気がしてならないのである。このように、視座や立場が変わば、“善”と“悪”は、容易に反転する。

畏敬される“反逆者”明智光秀

少々エモーショナルになってしまった。私はどうも酒呑童子側に立ってしまう体質のようだ。ヤマトよりタニハ。マジョリティよりマイノリティ。勝者よりは敗者に心惹かれてしまうのである。

実は、大江山連峰取材の帰り道に、福知山駅前に宿をとった。福知山といえば、大河で大人気の明智光秀ゆかりの地だ。私は、せっかくだからと福知山城を訪ね、明智光秀を祀るという神社に拝観した。

福知山城天守閣。天正7年(1579)頃、もともと横山城と呼ばれていた山城を、明智光秀が丹波国平定後に改築。現在の天守閣は昭和61年に再建された

私はその神社の名前を見て驚いた。「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」というのである。一般的に「御霊」とは怨霊のことを指す。中世以降は戦乱で死んだ武士や農民も「御霊」と呼ぶが、基本的には、御霊神社とは、無念を抱えて死んだ人を神として慰め、祟り神とならずに平らかにあるようにと祈る場所である。光秀は、福知山城下で善政を布いた領主と慕われていたと言う。光秀の死後に、城下が火災や洪水などに見舞われた折、その原因を光秀の祟りとする気持ちが城下町民に芽生え、それをもって霊を祀ったのだそうだ。

御霊神社。宝永2年(1705)、町衆により創建。「御霊さん」と呼ばれ、市民に親しまれている

光秀と言えば、どうしても「反逆者」「主殺し」といったイメージがついて回る。確かに光秀は、主である織田信長を殺した。後世に人気者となった信長を殺した張本人として、悪人と呼ばれることもある。しかし下克上の戦国時代において、主殺しは必ずしも悪人ではない。つまり、彼が悪人とされたのは、主殺しだからではない。彼が敗者だったからではないだろうか。歴史は勝者が紡ぐもの。敗者は語る言葉を持ちえないのである。

御霊神社の本殿に手を合わせながら、私はふと思った。そうか、明智光秀も「鬼」になったのかもしれないな、と。そう考えると、この地には、4つの鬼の物語が存在すると言ってもいいかもしれない。光が強いと闇も濃くなると言うが、京都をとりまく闇は、今も実に濃い。

反転する「光」と「闇」

しかし、その闇は、光に反転する。

取材の日、私は天橋立駅から上って、京都丹後鉄道の大江山口内宮駅に降り立った。あいにくの天気で、積雪もあったため、千丈ヶ嶽の8合目にある鬼嶽稲荷神社に辿りつくので精一杯。せっかく来たのに山頂まで行けないというのは実に悔しい。しかし不思議なことに、その悔しさを上回って、明るい気持ちに満たされていた。小雪がちらつく中、稲荷神社の周囲に広がるブナ林、眼下に広がる雲海を眺めていたら、タニハとはなんと朗らかで、豊かな場所なのかと感動してしまったのである。

千丈ヶ嶽八合目に位置する鬼嶽稲荷神社。取材した2月某日、奇跡のような雲海が眼前に広がった。本来は秋がベストシーズン

れんころさんの活動日記より/12月の早朝、鬼嶽稲荷神社からの雲海の眺め

京都市内からタニハを思う時、鬼に代表されるような得体のしれない闇があるように感じる。しかし、タニハ側に身を置いてみると、闇が蠢く場所のように思うのは、むしろ京都の方なのだ。私はヤマトでもタニハの人間でもないが、そう実感して、改めて京都府という場所の濃さ、深さを思った。

私が旅をしたくなるのは、移動することで視座が変わり、新しいものが見えてくるからなのだが、今回はその感覚をいつもに増して強烈に実感できた。次回こそは山頂まで登りたい。そしてできれば赤赤縦走路を歩いて、タニハの地を感じながら海を遠望したい。そうしたらまた違う京都を感じることができるだろうと確信している。

「京都縦貫トレイル」とは、この記事で取り上げた「大江山連峰トレイル」と「綾部トレイル(君尾山・光野峠/弥仙山/シデ山・大栗山/頭巾山(京都府・福井県)/天狗畑・洞峠・古屋)」等からなる京都府北部地域に広がるトレイルコースの総称。

「大江山連峰トレイル」では、記事中でも紹介した酒呑童子伝説を辿りながら、ブナの原生林や美しい里山の風景、雄大な雲海などの豊かな自然を楽しむことができる。また「綾部トレイル」では、聖徳太子が創建したと言われ国宝の二王門を擁する「光明寺」や、弥仙山山頂にあり修験道の行場としても栄えた「金峰神社」を巡ることができる。

YAMAP内「京都縦貫トレイル」公式アカウントでは、これらトレイルの最新情報やイベント情報を随時発信中。ぜひフォローして、イベント情報や登山情報などを確認の上「鬼の伝説を追う山旅」に出かけてほしい。

京都縦貫トレイルの公式アカウントはこちらから

京都縦貫トレイルのルート案内記事はこちらから

企画協賛:京都府中丹広域振興局企画総務部企画振興室

取材協力:赤松武司、日本の鬼の交流博物館、皇大神社(敬称略、順不同)
写真協力:酒呑童子絵巻:福知山市教育委員会 提供
トップ画像:やまちゃんさんの活動日記より

武藤 郁子

文化系アウトドアライター

武藤 郁子

文化系アウトドアライター

フリーライター兼編集者。出版社を経て独立。文化系アウトドアサイト「ありをりある.com」(http://www.ariworiaru.com)を開設、ありをる企画制作所を設立する。現在は『本所おけら長屋』シリーズ(PHP文芸文庫)など、時代小説や歴史小説などの編集者として、またライターとして活動しつつ、歴史や神仏、自然を通して、本質的な美、古い記憶に少しでも触れたいと旅を続けている。著書に、『縄文 ...(続きを読む

フリーライター兼編集者。出版社を経て独立。文化系アウトドアサイト「ありをりある.com」(http://www.ariworiaru.com)を開設、ありをる企画制作所を設立する。現在は『本所おけら長屋』シリーズ(PHP文芸文庫)など、時代小説や歴史小説などの編集者として、またライターとして活動しつつ、歴史や神仏、自然を通して、本質的な美、古い記憶に少しでも触れたいと旅を続けている。著書に、『縄文神社 首都圏篇』(飛鳥新社)、共著で『今を生きるための密教』(天夢人刊)がある。