この連載は「体育会系」ではない「文化系」の山登りの楽しさを広めるため企画されました。「文化系の山登り」とは、山に登る時、事前にその山の歴史や文化を知ってから登る事。そうする事で、普段なら見過ごしてしまうような何気ない山の風景にも深い意味があることに気がつくでしょう。もっと山を深く楽しむために、レッツ文化系山登り!
連載第5回目のテーマは「大江山」。京都北部のこの山は、酒呑童子=鬼の物語だけでなく実は太陽信仰の謎に包まれているようです。
フカボリ山の文化論|登山が100倍楽しくなる、山の歴史と文化の話 #05/連載一覧はこちら
2020.03.30
武藤 郁子
文化系アウトドアライター
山小屋に泊まる場合、できれば日が登る前に登頂して、山頂から日の出を見たいと考える人は多いのではないかと思います。
山頂から見る日の出は「御来光(ごらいこう)」とも言いますね。この御来光、元は「御来迎(ごらいごう)」で、いわゆるブロッケン現象を指す仏教用語だったようですが、転じて高山から望む日の出と日没のことも御来迎と呼ぶようになったようです。現在は日の出を「御来光」と呼ぶのが一般的かと思います。
「御来光を拝む」、こう表現したら「山で日の出を見るということだな」とほとんどの人がピンとくると思います。そして、仏教由来の言葉だとかそんなことを思うまでもなく、その荘厳さに胸を打たれて、思わず頭を下げたり、手を合わせて拝んでしまう人も多いでしょう。しかし日の出を「拝む」という行為は、世界的に見ると一般的ではないようなので、いかにも日本人らしい所作なのかもしれません。
天皇家の祖先とされる天照大神(アマテラスオオミカミ)が太陽神だということもありますし、日本は太陽信仰の国だとも言われますが、そのような理屈的ないろいろは少し置いておいても、日本人にとって、プリミティブな太陽への信仰は今も生きていると言ってもいいでしょう。
先日、特別記事の取材で、京都府西部にある大江山連峰に行ってきました。大江山といえば、酒呑童子の物語の舞台になった山。酒呑童子は悪いことをした“鬼”で、朝廷が派遣した正義のヒーローたちによって退治されてしまうというあらすじです。
詳しくは、記事『【京都大江山 酒呑童子】鬼の伝説を追う山旅』に書きましたが、私はこの酒呑童子に対して、同情と言いますか、シンパシーをもってこの物語を受け止めてきました。
酒呑童子は物語に登場するキャラクターで、実在した人物(鬼)ではありません。しかし、酒呑童子というキャラクターを構成する要素には、正史には語り得ない真実の断片が散りばめられていて、そこになんとも言えない奥行きがあり、物語のパワーがある。それが、長い間日本人に愛され続けてきた、酒呑童子の魅力の秘密ではないかと思います。その真実の断片とは何かというと、端的に言ってしまえば「征服者と被征服者」の歴史です。「鬼」とされたのは被征服者サイドだったと考えると、いろいろつじつまが合うのです。酒呑童子は、敗者の物語、マジョリティになれなかった人々の物語と言ってもいいでしょう。
歴史は勝者(征服者)によって紡がれますから、敗者(被征服者)の情報は語らないことで、なかったことになってみたり、加工されたりする。すると辻褄が合わなかったり、不思議な物語になり、わかりづらくなっていく…。そんなお話を記事では書かせていただいたのですが、実は取材していて「鬼」の物語のほかにもう一つ重要なファクターがあると感じたことがありました。それが「太陽信仰」なのです。
実は、大江山という山はなく「大江山連峰」という連峰の総称を大江山と呼んでいます。現在京都府では「大江山連峰トレイル」として、様々なルートを整えていますが、まずは最高峰の千丈ヶ嶽(832m)に登るのが一般的だろうと考え準備していました。しかし、取材した日はあいにくのお天気で、千丈ヶ嶽の8合目にある鬼嶽稲荷神社まで行って、登頂は断念しました。
ただここでラッキーだったのは、冬の間はあまり見られないという雲海を見られたことです。その荘厳な光景を眺めていると、綺麗な三角の山頂がぽこりと見えます。この三角山が、かの有名な「日室ヶ嶽(ひむろがたけ)」です。
日室ヶ嶽は、日本古来の太陽信仰を語るとなると、必ず登場する山の一つ。夏至の日に山頂に陽が沈むことで有名で、最近では北近畿最強のパワースポットとしても大人気です。
それにしても想像した以上に、実に綺麗な三角です。昔からこのような形の山は、神奈備(カンナビ)山と呼ばれて、神霊が宿るにふさわしい場所として、尊ばれてきました。ピラミッド型と言ったりもしますね。
この光景は、鬼嶽稲荷神社のある千丈ヶ嶽から東南方向に見える風景に当たります。改めて地図を見てみると、小さな盆地の中央に、日室ヶ嶽がニョキっとあり、その周りを山々が取り囲んでいるような位置関係のようです。そして、日室ヶ嶽のこちらから見える側面のちょうど逆側に、元伊勢内宮(皇大神社)と天岩戸神社があります。
伊勢神宮(三重県)は現在の場所に着座するまでに、いろいろな場所を転々としているのですが、伊勢神宮が一時的に在ったと伝わる場所のことを「元伊勢」と呼びます。特に丹波・丹後地方では、丹後国一宮としても有名な籠(この)神社、そして大江町にある元伊勢三社(元伊勢内宮・皇大神社と天岩戸神社、元伊勢外宮・豊受大神社)と、二つのポイントに「元伊勢」があるんです。
伊勢神宮といえば、天皇家のご先祖、天照大神を祀る聖地です。天照大神は太陽の神ですから、日本の太陽信仰の中心地と言っていいと思います。そうすると当然元伊勢も太陽信仰に関わると考えていいわけですね。日室ヶ嶽はそんな元伊勢のある場所にありますから、納得の位置関係です。ちなみに、夏至の日に日室ヶ嶽の山頂に陽が沈むと言いましたが実はこの夏至の日、伊勢神宮の東にある二見浦の夫婦岩の真ん中から陽が昇るんだそうです。
夏至の日は最も陽が長い日ですから、最も太陽の力が強まる日と考えられました。そのため、太陽を信仰する人たちにとって、夏至の日というのはとても大切な日です。太陽の力をより強めて、より多くのパワーを分けてもらおう、そんな祝祭の日だったと考えられます。そのように最もパワフルな日の太陽の運行のラインと、夫婦岩と日室ヶ嶽山頂を結ぶラインが一致するんだそうです。昔の人はどうやってそれを知ったんでしょうね。本当にすごいなあと思います。
実は恥ずかしながら、酒呑童子伝説で有名な大江山と、丹後の元伊勢エリアがこんなにも接近しているというのは、今回初めて気づきました。それぞれは頭の中にあったんですけど、結びついていなかったんです。大江山の鬼の物語と、太陽信仰のとっておきの聖地がどう結びつくのか。私の手には余る難問ですが、しかし偶然とは言い切れないことだけは確かだと思います。強い光のある場所には、強い翳が生まれる。そんな言葉が脳裏をよぎります。
ちなみに太陽信仰とは、豊作を祈る信仰と言っていいと思います。太陽の運行がわかれば、種まきや収穫の時期をとらえることができますね。多くの人を養うために食べものを確保することは、為政者の最も重要な使命です。太陽信仰と言うと、呪術的なもののように感じるかもしれませんが、切実に必要なテクノロジーの一つでもありました。太陽信仰はいずれの時代にもあり、最も古い信仰形態の一つですから、この場所も太古からの聖地だったかもしれません。例えば、こんな妄想はいかがでしょう。
「この地域(タニハ。丹波・丹後全域の古名)には独自の太陽神への信仰があり、地域の王権と結びついていた。しかし、これまた違う形の太陽信仰を持った人たち(ヤマト。大和を中心とした政権)と勢力争いになり、タニハはヤマトに屈してしまう。その際に、表立っては新勢力の信仰を踏襲するようになったものの、独自の信仰や神々、人々の残像も断片的に残された。それが“鬼”の物語の原型なのではないか…」
さて、私の妄想はさておき、大江山へ戻りましょう。
元伊勢内宮境内から、天岩戸神社までの参道に、日室ヶ嶽を遥拝する場所があります。この場所は、まさにその夏至の日の入りの瞬間を遥拝できる場所だそうなのですが、この場所がパワースポットとして大人気だというのは、なるほどと思います。太陽の最も強い時の日没の瞬間を拝める場所なんですからね。まさにとっておきの聖地です。
ここで拝する御来光は、あえて「御来迎」と呼びたい気持ちに駆られます。西側に沈む太陽は、それこそ語源の通りに、西方(極楽)浄土の教主である阿弥陀如来の化身のようにも思えますからね。
それでは、日の出を見るとしたら、どこから見るのがベストポジションなんでしょうか。大江山連峰にはいくつも峰がありますから、そのいずれの峰からも日の出は見られると思います。しかし、やはりここは、太陽信仰の聖地である日室ヶ嶽に絡めて、日の出を拝したいところです。
そう考えてみると、日の出のベストポジションは、この遥拝所の逆サイドにあると考えていいですよね。そう思いつつ地図を改めてみると、わかりました。千丈ヶ嶽ですよ! そこからみる東方をみれば少し南よりではありますが日室ヶ嶽があります。日室ヶ嶽の向こうに上る日の出をバッチリ見られそうです。なんの根拠もありませんが、ひょっとしたらこの辺りから、日の出(朝陽)を遥拝するような文化もあったんじゃないでしょうか。日の出は「太陽の誕生」、日の入りは「太陽の死」を意味します。片方だけではなく、両方への信仰があったと考えた方が自然な気がします。
いろいろ考えながら地図を眺めていると、日室ヶ嶽を中心にして、地図をぐるぐる回していることに気付きました。大江山連峰とその周辺について考えていると、いつの間にかこの日室ヶ嶽を真ん中にして考えてしまうんです。
古来、日室ヶ嶽は禁足地です。山そのものがご神体で聖域ですから、この山には登拝しません。その代わりに、周囲から遥拝したのではないでしょうか。大江山連峰を始め、この辺りの山々は修験道が盛んだったのですが、日室ヶ嶽を遥拝するという目的があったからではないか…。
日室ヶ嶽を遥拝できるポイントを探して、周囲をぐるりと巡ると、また何か見えてくるかもしれないな…。私はそう思いながらも、ため息をつきました。大江山連峰は関東からは遠すぎます。大江山を少し歩くと、様々な要素が入り乱れてあまりにも複雑です。一度や二度では表層の表層をなぞるくらいしかできないでしょう。あの多層な宇宙観にもう一度触れたいと、強く願いつつ、今回はひとまず筆をおきたいと思います。
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取材協力:赤松武司さん、元伊勢内宮皇大神社、日本の鬼の交流博物館(敬称略、順不同)
トップ写真:The New York Public Library DIGITAL COLLECTIONSから