とにかく忙しく売上や結果に追われる毎日。消耗している気がするけれど、何が原因なのかはわからない。仕事は順調なはずで、仲間もいる。
働き盛りの20代。こんな悩みを抱えていたのは、ミュージシャン・藤巻亮太だ。レミオロメンのボーカルとして、またたく間にブレイクした彼は、30代になる少し前に「登山」と出会い、ある大きな決意をしていた。
2012年にレミオロメンが活動休止を発表してから8年、40歳になった彼は30代の多くの時間を山で過ごしてきたという。理由のひとつは「思春期のような悩みを思い出させてくれるから」だという。現在は、仕事でも山に関わることが増えた藤巻亮太に、登山の魅力を聞いた。
2020.11.27
嘉島 唯
ライター
──バンド活動と登山。かなりかけ離れた世界だと思うのですが、登山をはじめたのはいつ頃なのでしょうか。
29歳の時に富士山に登ったのが初めての本格的な経験でした。ちょうど10年前ぐらいです。
──富士山が初体験。
そうですね。今考えればかなり無謀でした。
山中湖でのフェスに呼んでいただいたときに、前乗りをして何日か余裕があったので、スタッフさんたちを誘って登ったんです。僕自身が山梨県出身ということもあって、漠然と「いつか富士山に登ってみたいな」と思っていたので、時間ができたのを良いチャンスだと捉えて。知り合いから「体力さえあれば初心者でも大丈夫」と聞いていたし、本当に軽い気持ちでしたね。
当時は知識もまったくなかったので、夜中に登ってご来光を見て帰るという無鉄砲なプランで臨みました。高地順応ができていないから高山病になったスタッフの方もいて、急遽山小屋に宿泊したりして。甘い考えだったので大変だったのですが、それ以上に感動が大きかった。
富士山は独立峰なので、景観だけ見ると山の中でも単調な方かもしれません。でも、標高を上げていくと富士吉田の街や富士五湖が見え始めて、甲府盆地まで望めるようになる。振り向くたびに景色が変化していく。山頂付近だと新潟まで見えるんですよ。天気がいいと和歌山県まで見えるらしいです。富士山っていろんな場所から見られると思うんですが、富士山が見える場所って、逆に言うと富士山からも見える場所なんですね。日本で一番高い場所って、こんなにも遠くまで見えるんだということを身体で感じられました。
それと、夜から朝にかけて太陽が登っていく山の気配も素晴らしかったですね。空の色が抜群に綺麗で、日常では味わえない時間を過ごせました。感動いっぱいで下山をして、次の日がライブだったんですけれど……流石にキツかったですね(笑)。若さゆえの愚行だったと思います。さすがに今はもうできませんね。
──その後、割とすぐにヒマラヤに向かったんですよね。
そうですね。ある雑誌の対談企画で、登山家の野口健さんに出会ったのが大きかったです。意気投合して、一緒に八ヶ岳に登ったところ「次はヒマラヤに行かない?」と誘っていただきました。
もっと経験値をつんでから挑むものだと思っていたので「段階踏まないんだ」と驚きましたけど、健さんが声をかけてくれたのだから大丈夫だろうと踏み切って、ライブが終わった次の日にヒマラヤへ向かいました。
僕たちが向かったのは、ベースキャンプまで行くエベレスト街道という道から、標高5,500mぐらいのカラパタールに登りました。世界中のトレッカーから定評のある場所で、技術よりもトレッキングの延長で高地順応さえしていれば登頂できるルートです。
スタート地点のルクラという街がすでに2,700mほどの高さで、1日7〜8時間歩いて、500mずつ標高をあげて進んでいったのですが、やっぱり5,000mぐらいで一回高山病になりました。
かなり過酷でしたね。ギアは健さんが見繕ってくれたものを言われるがままに揃えたんですが、マイナス15度に耐えられるかどうかが基本の考え方で。登り始めは緑もあったんですけれど、森林限界をこえていくと岩と雪と空だけ。作業としては、右足と左足を交互に出すだけなので単調ではあるんですが、無心というか、アクティブな瞑想のような2週間でした。もう10年も前の話ですが、この経験はミュージシャンとしてのターニングポイントになりました。
──ターニングポイント?
ヒマラヤ登山を通して、ソロに転向しようと決意できたんです。
──2012年にレミオロメンが活動休止を発表したときは驚きました。でも、なぜヒマラヤ登山でバンド活動を休止することに?
20代は、ほぼすべての時間を使って音楽に没頭した10年でした。このままずっと、初期衝動だけで走り続けられる。そう思っていたのですが、活動規模がどんどん大きくなるにつれ、自分で走っているというより、何か大きなものに走らされているかのような感覚が芽生えたんです。
──納期とか、売上とか。
そうそう。大きな約束の中で音楽をやっている感覚になっていたんですね。何かがつらい。消耗しているような……でも、何がつらいのか、理由がよくわからなかった。
──同じような悩みを抱えている人は多そうです。
そうですね。何に悩んでいるのかわからない、悩みの対象がわからない状態のことを仏教用語では「無明」と呼ぶらしいです。僕は30代になったとき、まさに「無明」でした。
そんな状態のときに、ヒマラヤ登山を経験したんです。2週間ぐらいひたすらトレッキングの毎日を過ごしたんですが、真っ暗闇の中でヘッドライトだけを頼りに歩くとか、雪と岩の世界でひたすら足を動かすとか、周りの景色が変わっていくとか……10年間音楽をやってきた自分にとっては180度違う「非日常の世界」でしたね。全く別の世界に身を置くことで、歩きながら初めて自分を客観的に見ることができました。
目の前に手のひらがあると、視界が真っ暗になって何があるのかよくわからない。でも、ぐっと離していくと、それが「手」だとわかっていきますよね。その感覚に近いと思います。日本での音楽活動と離れてみて、自分の悩みがわかってくる感じがしました。
──何に悩んでいたんでしょう?
初期衝動的に音楽を始めた頃と違って、活動の規模が大きくなってくると「責任」が生まれますよね。責任や期待に対し、当時は過剰に応えようとしすぎていて苦しんでいる部分がありました。
ふと、自分は音楽を楽しんでいるのかな、なんて思うことがあったりして。
「大切なもの」と「大切そうなもの」がごちゃごちゃになっていたんです。2週間歩いている間に、「本当に大切にすべきこと」が整理できた気がしました。
思春期の頃って「どうして自分は生まれてきたんだろう」みたいな、人間として根源的な問について悩んでいませんでしたか? でも、社会人になると、時間も余裕もなくて、ノルマとか成績とか、すぐに答えが出ることを悩み始めると思うんです。時間も余裕もないから、すぐに役立たないことを後回しにしてしまう。
いつの間にか「問」が浅くなっていたんだと思います。「悩んでいるなら手を動かせ」という世界で生きていると、人の思考って自然と浅い方にシフトしていくものですよね。
でも、登山をしていると、「すぐに役立たないことでも悩んでいいんじゃないか」とか「問いの中にいることってすごく大切なんじゃないか」って、気が付くことができて。忙しい日々の中ですり減っていたものが癒されていくようでした。
山って壮大すぎて、歌にならない。言葉にならないんですよね。山にいるときは、仕事のことを忘れています。登山後の自分ってちょっと変わっているんです。変わった部分は説明できないけど、悩みの種がわかったり、何かあると思うんですよ。登山は、僕にとって自分の人生に違う視点を与えてくれる時間です。
取材・文:嘉島唯/インタビュー撮影:山田薫
写真提供:藤巻亮太(インタビュー写真以外のすべての写真)
藤巻亮太(ふじまき・りょうた)
独自の視点で日本の四季や風景から言葉を紡ぎ出す稀有なミュージシャン。
1980年生まれ。山梨県笛吹市出身。
2003年にレミオロメンの一員としてメジャーデビューし、「3月9日」「粉雪」など数々のヒット曲を世に送り出す。2012年、ソロ活動を開始。1stアルバム「オオカミ青年」を発表以降も、2ndアルバム「日日是好日」、3rdアルバム「北極星」、レミオロメン時代の曲をセルフカバーしたアルバム「RYOTA FUJIMAKI Acoustic Recordings 2000-2010」をリリース。
2018年からは自身が主催する野外音楽フェス「Mt.FUJIMAKI」を地元・山梨で開催するなど精力的に活動を続けている。
【公演情報】
Ryota Fujimaki『The Premium Concert 2020』
日時:2020年12月1日(火)、開場18:00/開演19:00
会場:サントリーホール・大ホール(東京都港区)
出演:藤巻亮太(Gt.Vo.)、桑原あい(Pf.)、吉田篤貴(Vn.)、志村葉月(Vn.)、河村泉(Va.)、関口将史(Vc.)、鳥越啓介(B.)
チケット料金:SS席8,800円、S席6,800円、A席5,800円 (税込み)
主催:FRM/サンライズマネージメント
企画制作:ワイズコネクション
後援:J-WAVE/SPEEDSTAR RECORDS
問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(平日12:00-15:00)