羅臼岳の歴史と文化|自然の中に神話が息づく土地

日本各地に点在する里山に着目し、その文化と歴史をひもといていく【祈りの山プロジェクト】。現代の山伏・坂本大三郎さんが、北海道の「羅臼岳」を舞台に、この地に息づく"神話"に迫ります。

2021.04.19

坂本 大三郎

山伏

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自然の中に神話が息づく土地

寒いところが苦手な僕ですが、北海道の知床半島は大好きなところです。知床は世界遺産に登録されており、その自然の豊かさは実際に訪れたことがなくてもテレビ、雑誌など様々な媒体によって、多くの人が目にしたことがあることと思います。僕もこれまで何度か知床を訪れて、斜里町や羅臼町の整備されている登山道から羅臼岳に入り、その度にヒグマやエゾシカやシマフクロウ、海ではシャチなどに出会い、他の地域とは一味違う自然のワイルドさを感じてきました。ちなみに羅臼岳は標高1,661メートルですが、寒さで雪渓が残っていたり、風の強さで体温が奪われることも考えられるので、アイゼンなど十分な装備が必要です。なによりヒグマがとても多い場所なので、本州の標高1,600メートル級の山の感覚で登ると危ないです。

北海道は本州と異なり、僕たちが一般にイメージする山岳信仰があまり根付いていない土地です。縄文人はいわゆる山岳信仰を持たなかったし、アイヌ文化の中にもありませんでした。中世には本州から渡って来た人たちによって道南に神社が建てられていたようですが、江戸時代ごろになると、円空や木喰といった作仏聖として今日でも知られる修験山伏たちが盛んに北海道で活動し、せたな町の太田山権現のように、それまでの自然崇拝信仰の聖地を修験的な聖地に変質させていきました。

また北海道といえばアイヌ文化を思い浮かべる人が多いのではないかと思いますが、地域によっては一様ではなく、知床など道東は本州でいう古墳時代から平安時代にかけてオホーツク文化、その後はトビニタイ文化、アイヌ文化が根付いていった土地でもありました。

知床の北にある網走市の網走川河口の砂丘につくられた、7世紀ごろの集落遺跡であるモヨロ貝塚は、オホーツク文化を代表する遺跡として知られます。ここには300人以上のオホーツク人が埋葬されており、北西に頭を向け、甕を被り、手足を折り曲げた屈葬の状態で葬られていました。

現在でも人が亡くなると北枕にする風習がありますが、埋葬される際の頭の向きには特別な意味があると考えられます。例えば島根県の弥生時代、土井ヶ浜遺跡の頭を西に向け埋葬し、渡来してきた土井ヶ浜遺跡の人たちの故郷の方を向いているのではないかと考えられ、その集団のアイデンティティに関わる問題を孕んでいます。

モヨロ貝塚のオホーツク人が北西に埋葬されるのは「日が沈む方向」だとか、「大陸の方向」など、様々な説があります。礼文島や根室にあるオホーツク人の遺跡でも頭を北西に向けて埋葬されており、オホーツク人にとって北西は重要な意味があったと思われるのですが、枝幸町の目梨泊遺跡のオホーツク人だけは南西を向いて埋葬されていることも興味を惹かれます。

モヨロ貝塚にはオホーツク人同士で争った跡がある人骨も出土しており、確かなことはわかりませんが、集落の争いなど何らかの理由で目梨泊遺跡のオホーツク人は、異なる文化を持つようになっていったのかもしれません。

また、遺跡には竪穴式の住居跡があり、そこにはヒグマの頭蓋骨が並べられ、クマに対する信仰があったのではないかと推測されています。クマに対する信仰は、東北山間部の狩猟民の熊送りケボカイや、アイヌ文化のイヨマンテなどが知られていますが、北海道の擦文文化ではクマに対する信仰がなかったという説があり、オホーツク文化からトビニタイ文化を経て、アイヌ文化に受容されていったのではないかと推測されています。

クマといえば以前、秋のシーズンに羅臼の海岸を歩いていたとき、遡上してくる鮭を狙って山から降りてくるヒグマを目撃したことがありました。本州のツキノワグマが体重100キロ超であるのに比べ、ヒグマは600キロにもなる巨大なクマです。ツキノワグマよりも性格がおっとりしているといわれるヒグマですが、時折、耳にする熊害や小説『羆嵐』のことを考えると、背筋が冷たくなる思いでした。

鮭をお腹いっぱい食べたのか、すぐにノソノソと森の中に姿を消してしまいましたが、足元にはヒグマに食べられた魚の骨が消化されずにウンコとして、こんもりと盛られていました。

星野道夫の著作『イニュニック』には、北米先住民の諺として「鮭が森をつくる」というものがあると書かれています。森から流れる水が川となり、川で育った鮭が海に出て、数年後に再び故郷の川へ戻り、そこで卵を産み、クマをはじめとした動物たちに食べられ、糞が森で分解され、土へと還っていく。そんな光景を知床でも見られたことが大きな感動でした。

クマに出会った場所の近くに流れ出ていた小川の名前はカムイモンペといい、アイヌ語で「神の方にいる人たち」となるそうです。少し意味が通じないところもあり、名前からいくつかの単語が失われているのかもしれないと地元の人から聞きました。

僕はその小川の伸びていく先にある羅臼岳を見上げて、本州の山岳信仰とは違うけれど、聖なる存在が棲んでいる山が目の前にあるという、強い実感で心がいっぱいになりました。

近年では野生動物へのエサやり、自然環境の悪化などの問題もよく耳にしますが、知床の自然が健全に残されていってほしいと願ってやみません。

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一の山に、百の喜びと祈りあり。その山の歴史を知れば、登山はさらに楽しくなります。次の山行は、北海道・北海道地方の里山「羅臼岳」を歩いてみませんか?

坂本 大三郎

山伏

坂本 大三郎

山伏

東北、出羽三山を拠点に活動する山伏。春には山菜を採り、夏には山に籠り、秋には各地の祭りをたずね、冬は雪に埋もれて暮らす。美術作家として「山形ビエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」等に参加。著書に『山伏と僕(リトルモア)』、『山伏ノート』。