アーティストが山小屋に来ると起きる化学変化とは?雲ノ平山荘のプログラム「アーティスト・イン・レジデンス」にかけた想い

過去記事でも触れたように、コロナ禍にありながら、それぞれ創意工夫を凝らし、さまざまなチャレンジを続けてきた山小屋のオーナーたち。なかでも注目したいのが、昨年から始まった雲ノ平山荘のプログラム「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム(以下AIR)」です。同プログラムを機に、アーティストと山小屋の新たなコラボレーションブランド「nubis umbra」の展開につながり、今年も第2弾が決定。ということで、雲ノ平山荘オーナーの伊藤二朗氏を直撃しました。

2021.08.12

YAMAP MAGAZINE 編集部

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前代未聞の山小屋アート企画! アーティスト・イン・レジデンスとは?

「アーティスト・イン・レジデンス」に耳慣れない読者も多いでしょう。これを実践した有名な例に、フェイスブック社が挙げられます。

このプロジェクトの目的は、数カ月間アーティストを雇い、社員が働くオフィスで壁画などさまざまな絵を描かせることで、アーティストの支援をすることがひとつ。さらに、異業種のクリエイティビティを身近に感じることで、社内美化をはじめ、現場の社員にも刺激を促す試みです。

山小屋にアーティストを誘致し、製作活動を支援することで、同様の化学変化を起こそうとしたのが、今回紹介する雲ノ平山荘です。

−AIRプログラムを山小屋に取り入れたきっかけを教えてください。

伊藤:個人的にもアートは身近で生活に密接した存在で、ある意味で様々な芸術表現に支えられて生きてきました。10年前に山小屋を建て替えた際も、アート(人間の創造物)と自然の調和がテーマにあり、どんな空間にすれば訪れた人がより自然を身近に感じられ、なおかつ快適に過ごせるかを考えた経緯があります。

AIRの具体的な発想につながった経験として、数年前に創作のために山小屋を訪れた画家の夫婦と交流を持ったということがあります。当初は何をしているのかわからなかったのですが、徐々に対話が生まれ、食卓を囲みながらこれまでの旅の話に花を咲かせたり、 その日に描いた絵を見せてもらったりするうちにとても親しくなったんですね。それがとても豊かな時間に感じられたこともきっかけになりましたね。

お話を伺った、雲ノ平山荘オーナー・伊藤二朗さん

−昨年、常にアーティストがいる状態を作り、最終的に7人の多様なアーティストが訪れましたが、具体的にどんな活動がなされましたか?

伊藤:実に7人7様の活動で興味深かったですね。たとえば、友禅作家の四ツ井健さんは山を歩き周りながらインスピレーションを膨らませて、下山してから本製作に取り掛かっていましたし、画家のShibiさんは、トレイルランニングをしながらスケッチし、小屋で絵を仕上げていました。

四ツ井 健さんの制作風景

Shibiさんの制作風景

また、画家のsoarさんは、山地図をステンドグラスのようなモザイク模様で概念化した地図の下絵をあらかじめ描いてきました。それを山小屋に持ち込み、山での体験で湧き出る色彩感覚をどんどん表現に盛り込んでいましたね。

soarさんの制作風景

加々見太地さんに至っては、45kgくらいある巨大な倒木をチェーンソーで切り出して45kgくらいある丸太を山小屋に持ち込んで、それを素材にして旅人の肖像を仕上げました。更にそれを山の様々な背景に調和させながら配置して撮影することで、景色の見え方が変わっていく、というインスタレーション的な要素もある作品を製作していました。

加々見太地さんの制作風景

従来の山小屋を豊かで付加価値のある空間へ

−山荘のスタッフや利用者の反応はいかがでしたか?

伊藤:山小屋という閉ざされた空間で、アーティストとスタッフが目的を共有し、交流するなかで、とても充実した豊かな経験になりました。

かならずしも山にアートに造詣の深いお客さんが来るわけではないので、「不思議な人がいるぞ」ということで、少し遠巻きに見ている人が多かったですね(笑)。でも、アーティストがいるだけで、明らかに空間の雰囲気が変わったのが印象的でした。単にお客さんに食事や寝場所を提供するだけの場としてではなく、そこには確かに創造的な刺激があったと思います。

若木くるみさんの制作風景

mymyさんの制作風景

−すでにこの夏、山小屋入りするアーティストは決定していますが、今年のプロジェクトの方向性に変化はありますか?

伊藤:昨年は、プロジェクト後もアーティストとの交流が続くような理想的な展開だったので、今年もそうなるといいなと思っています。

昨年もそうでしたが、アーティストそれぞれに生活スタイルや製作環境についての要望などを事前に聞いた上で、蜜にコミュニケーションをとりながら製作を進めてもらえたらと考えています。山小屋周辺の自然環境を案内するのも重要なことですね。

今年からAIRと連動させたブランド「nubis umbra」も始動しているので、その展開にもつなげられれば理想的です。

従来の山小屋グッズが劇的に進化!アーティストとのコラボグッズを展開

黒部源流域の地図をステンドグラスのような絵画が美しい「Journeyストール」(Original art by Soar/9,460円)

−「nubis umbra」は、自然なかたちでコラボレーションにつながったのですか?

伊藤:当初から、従来の枠組みの“山小屋グッズ”として展開するのは面白みに欠けるし、クオリティの高い刺激的なものを作れないかなと思っていました。

社会の変化やコロナ禍などによって、山小屋も宿泊業だけでは経営のリスクマネジメントとしても時代に合わなくなっていると感じています。だからこそ、従来の「山小屋」という世界観にとらわれず、発想をふくらませてブランディングできればと考えました。

具体的には、自然の製作現場から生まれたブランドストーリーとして、グラフィックを全面に出したストールや手ぬぐい、財布、スタッフバッグといったアウトド小物を展開しています。

−「nubis umbra」のブランディングに関しては、環境保全も含めた社会課題への熱い思いも込められています。その点について詳しく教えてください。

AIRと連動した半袖Tシャツ。左から「ホシガラス」(Original art by Kaoru Shibuta/8,470円)、「ヌビスアンブラ」(7,590円)、「雲ノ平山荘」(Original art by Shibi/8,470円)

伊藤:アーティストに売上げの10%を還元し、環境保全活動にもつなげたいと考えています。というのも、アーティストに体験を提供するだけでなく、それが仕事としても機能できれば、自然の中で制作することが、彼らにとって日常にも落とし込みやすくなるし、その営みを社会に見せ続けることで広い意味で自然環境への視点を深めるような機能も進化させていきたいからです。

日本は世界的に見てもトップクラスの登山人口がありながら、環境保全への意識をはじめ、国立自然公園の法的な管理システムが非常に弱いのが現状です。

言論での合理的なアプローチも必要ですが、それだと同じコミュニティにいる人やリテラシーが高い人しか反応せず、広がりに限界があります。

だからこそ新しい力や魅力を大きくすることで、社会課題の打開策も広げていきたいと考えています。もっと文化的な懐を深めて、SOSではなく憧れを持って参加したくなる仕組みを山小屋として作って行きたいですね。

−今年の夏も新たなアーティストが山小屋入りすることが決定していますが、選抜基準はどんな点にありますか?

伊藤:それはもう、グッと来るかどうかに尽きます(笑)。今年も日本画家や木版画家、メディアアートや立体造形のインスタレーションのアーティストなどさまざまです。斎藤帆奈さんのバイオサイエンスとメディアアートを掛け合わせた作品は、粘菌の増殖作用を利用した色彩表現だそうです。

それから、植物をテーマにインスタレーションを製作する若い男性アーティストの渡邊慎二郎さんに至っては、もはやどんなアートかわからないまま採用したのですが(笑)、今から楽しみにしています。

都会だと植物とのコントラストがクリアになりますが、植物だらけの山ではどんなアートが生まれるのか、想像もつきません(笑)。

その他にも独特な心象風景としての木炭画を描く大東忍さんや、非常に繊細な色彩表現で 風景画を描く只野彩佳さん、ポップで自由な画風の渡邉知樹さんなど、とても多彩な顔ぶ れが揃いました。

審査基準は無難な人というよりは、表現性が強く、予定調和にならなそうな人。とくに面接はせず、ポートフォリオで大体選んでいます。苦労して来なければならない環境なので、みなさん個性派ぞろいで思い入れを持って応募してくれる人が多いですね。

昨年も今年も、コロナ禍もあって海外での展示会やその他の予定が中止になった人も多く、その影響で、海外でも活躍するような実力あるアーティストが活路を見出し、来てくれた経緯もあります。

−昨年のプロジェクトの成功からも感じましたが、意外と山小屋とアートは相性がいいですよね。多様なアーティストが関わることで、ブランドも拡充していけそうです。

伊藤:アーティストたちにも知恵を借りながらブランドのアイデアもふくらませて行けたらと思います。ただし、新しいことを始めたものの、なにしろ製品を量産する知見が乏しく、この春は品質、コスト、量産体制などのバランスをとりながら生産ラインを確立する作業に追われてノイローゼになりそうでした(笑)。

幸い、スタッフの一人に元パタンナーがいるので、プロジェクトにあたってはかなり奮闘してくれましたね。

−今年のアーティストに期待する部分はありますか?

伊藤:今年も引き続き、まずはアーティストたちと交流を深めていけたらと思います。アーティストが自然環境に触れることも、我々がアーティストと触れることも化学反応。それによってお互いの可能性を広がることで、社会の可能性にもつながげていければすばらしいですよね。

−アーティストは入れ替わり立ち代わりやって来るイメージですか?

伊藤:去年はそうだったのですが、今年はたまたま8月25日以降に固まっています。なので、その頃がかなり濃い製作現場が見られると思います。

−感性がダイレクトに響く若い世代にこそ来てほしい場所になりそうですね。

伊藤:山小屋の経営は近年不安定化していて、昭和の高度成長期に確立したビジネスモデルはもはや機能不全に陥っていました。昭和の時代は建設費などの各種物価も安定してい たし、ヘリコプターの作業供給も盤石で、登山ブームもあった。人口がどんどん増えるなか、特段経営努力や情報発信をしなくても山小屋は人で溢れていました。

そういった状況が今はなくなりつつあり、さらにこのコロナ禍です。単に宿泊事業者としてやって行ける時代ではなくなっています。最近ではキャンプ用品も進化しているし、日本は経済的にも落ち目にあって、若い人から見たら、山小屋の料金は高く感じられると思います。

軽量で快適なテント装備がある中で混雑する殺風景な山小屋にわざわざ高いお金を出して泊まりたい人がどれだけいるかと思うと、山小屋でしか体験できないことがなければ、今後は人々に支持されないと考えています。

それだけに、山小屋はもっと人々に夢を与えられる場所だということを実現したいですね。必要とされなければ、若い人たちを惹きつけることもできないし、自然環境も含め、結果的に守られることもありません。

−最後に、山小屋での新しい企画「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」に興味を持つYAMAP MAGAZINE読者に向けてメッセージをお願いします。

伊藤:世界の歴史を見渡すと、実は芸術家たちが自然保護に強く影響を与えていることがわかります。産業革命によって急速に失われる自然や文化を守ろうと、まずは市民が声を上げましたが、その主要な原動力となったのは、芸術家や思想家たちでした。彼らが守るべき世界のビジョンとして自然環境を明確に位置付けたところから、自然保護運動が広がり、環境保全のシステムや国立公園などが実装されてきた 歴史があります。

ヨーロッパではそうした歴史の原風景があったけれど、日本ではその活動が弱かったのです。むしろアートが自然のなかにあることが目新しいとされているのが現状です。

そうした意味でも、自然環境のなかでアーティストが行き交う空間を日常化させたいと思っていて、それ自体が大きな目標です。山小屋での「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」を通じ、発想力を豊かにし、喜びや新たな発見がある山小屋空間を創出てきたらと思いますので、ぜひみなさん訪れて体験してみてください。

昨年の成功から、2回目となる山小屋での「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」。

コロナ禍により、海外での展覧会によって発表の場を断たれたアーティストも多いなか、今年も実力あるアーティストが集うとのことで、北アルプス・雲ノ平が熱いことになりそうです。

自然とアートを身近に感じられる場として、一度体感してみては?

お話を伺った人

伊藤二朗(いとう・じろう)
雲ノ平山荘経営者
1981 年、東京生まれ。幼少より黒部の源流で夏をすごす。
2002 年に父・伊藤正一が経営する雲ノ平山荘の支配人になる。
2010年、日本の在来工法を用いた現在の雲ノ平山荘の建設を主導し完成させた。
2019年にブログ「登山文化の危機!山小屋ヘリコプター問題」で国立公園運営の持続可能性についての問題提起を行い、社会的な議論を巻き起こした。
現在山小屋の新しい可能性を模索する活動として、雲ノ平アーティストインレジデンスプログラム、ボランティアプログラム、アウトドアブランド運営などを開始している。

写真提供/雲ノ平山荘
取材/庄司真美(EDIT for FUTURE)
編集/YAMAP MAGAZINE編集部

YAMAP MAGAZINE 編集部

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登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。