北極から南極へ人力で地球を縦断するという壮大な旅、世界七大陸の最高峰への登頂など、世界中の極地・山岳地帯を旅しながら、世界の風景や文化をフィルムカメラに収めてきた写真家・石川直樹さん。本記事は、2022年9月18日渋谷「Jazzy Sport」の山岳写真展「山ノ革命」内にて開催した、石川直樹さんのトークイベントレポートです。あらゆる場所で冒険と旅を続けてきた石川さんに、地球や自然に対する考え方、日本と世界の山の違い、そして直近のヒマラヤでのエピソードなど、さまざまなお話を伺いました。
スピーカー:石川直樹(写真右)、スズキゴウ / Jazzy Sport(写真中央)
ファシリテーター:﨑村昂立 / YAMAP(写真左)
2022.10.21
米村 奈穂
フリーライター
﨑村
まず始めにYAMAPの話をしてもいいですか? みなさんYAMAPといえば「登山地図アプリ」というイメージが強いと思うんですが、僕らはもう少し広い視点で日々働いています。YAMAPは2022年の8月に新たなパーパスして、「地球とつながるよろこび。」という言葉を掲げました。樹林帯を歩いていて、自分の足音と吐息と、鳥の声と風の音しか聞こえないようなとき、自分が山に溶け込んでいると感じたり、稜線に出てどこまでも続く登山道に小さな登山者の姿を見たとき、自分はなんてちっぽけなんだと感じたり、大きな自然の中に自分もいると感じることがあると思います。
今の時代は部屋にこもっているだけで必要なものが届きますが、こういう時代だからこそ、つながっている感覚が必要だと思っています。コロナや戦争、環境問題などに向き合うときも、一人ひとりの幸せを考えるときも、自然や地球みたいな大きなものとつながっている感覚は大事だと。そのつながりを意識できる入り口として、登山やハイキングは良いんじゃないかと思っています。石川さんは、物理的に世界の様々なところを旅していて、なおかつ点としてその土地を掘り下げて作品に落とし込んでいます。まさに地球と繋がっている方だなと勝手に思っていました。ぜひみなさん、今日は石川さんの話を聴きながら、地球とつながるよろこびを味わって帰っていただけたらと思います。
石川
よろしくお願いします。どうも。(拍手)
﨑村
今日初めて石川さんを知ったという方もいらっしゃるかもしれません。まずは、石川さんが、世界中を旅して写真を撮って作品にしていくという今のスタイルに行き着いた経緯や原体験をお聞きかせください。
石川
世界中を旅しながら写真を撮ったり、文章を書いたりするのが僕の生業です。元々、本を読むのがすごく好きで、小中高と、冒険や探検、旅の本を読んでいました。中学2年の冬休みに、四国の高知県へ初めての一人旅に出ました。坂本龍馬の本を読んで高知県に行きたくなっちゃったんです。そして高校2年生の夏休みに、今度はインドとネパールに一人で行きました。その時、ネパールで初めてヒマラヤ山脈を見たんです。それ以来ずっと旅を続けています。自分の目で世界を見てみたい、自分の身体で感じたい、という願いをずっと持ち続けています。
20歳の時にアラスカのデナリに登りました。高所登山を始めたのはその頃からで、つい最近もパキスタンに行って、K2やブロードピークに登って、最後はナンガパルバットという山に行ったんですけど、雪崩などがあって登頂できなかったんです。今僕は45歳だから、20歳から25年間を端折りましたけど、そんな人生です。
﨑村
高所登山を始める前は、奥多摩などの身近な山に登られていたということですが、その頃は登山自体が好きだなという感覚で登られていたんですか?
石川
登山というジャンルが好きというよりは、旅が好きだったんですね。日本でも世界でもあまり人が行っていないような場所に行きたいと思ったら、山や川や海といったフィールドに目が向いたんですね。当時はカヌーでアラスカのユーコン川を下ったり、そうこうしている中で、山登りも自然な流れで始めた感じです。
﨑村
石川さんの山の捉え方は、旅や冒険がベースとしてあって、それをする上で、でっぱりがあるような、そういう感じなんでしょうか?
石川
そうですね、そんな感じです。植村直己さんの、『青春を山に賭けて』という若い頃の話がギュッと詰まった本があるんですけど、それも旅をしながら世界の5大陸の山に行くんですよ。旅をしながら山に登って行く過程がすごく楽しそうだった。僕も、登山そのものというよりも旅が好きだったんです。
﨑村
それから、今はカメラというもう1つの要素があると思うのですが、それらはどういう風に合流していったのでしょうか?
石川
旅を続けていきたいと思ったら、就職すべきではない、と思っちゃって。どうやって生きていけばずっと旅ができるか考えたときに、写真家や物書き、ライターやジャーナリストのように、会社に入らないでフリーランスとして書いたり撮ったりすることを生業にすればいいんじゃないかと思って、そのなかのひとつ、写真家になりました。写真家になるのは簡単です。資格も何もいらないし、「写真家です」って言った瞬間からなれます。誰でもなれますからね。
﨑村
石川さんはどんな山に登るときも、デジタルカメラではなく中判カメラを持って行かれるそうですが、そこへのこだわりをお聞かせいただけますか?
石川
今回の写真展をリードしているスズキさんはPhotoshop(画像編集ソフト)の講座とかをやってるんですよね?僕、学びたいです。僕ね、Photoshopとか使えないんです。そういうの、できないんですよ。
スズキゴウ
いつでもお引き受けします。(笑)
石川
デジタルカメラはもちろん持ってはいますけど、データを現像したり色調整したり、というのは単純にあまりやったことがなくてできないんです。フィルムで撮るほうが慣れています。
フィルムで撮ったほうが、自分が思い描いているようなプリントが出来上がるんですよね。デジタルでそれができるようになったら、ぜんぜん乗り換えてもいいんだけど、なんか違うものになってしまう。自分はフィルムが生産中止にならない限りはずっとフィルムで撮ろうと思っています。
﨑村
今のくだりは意外でした。てっきり石川さんは、乱暴な言い方をすると「デジタルの現像は邪道だ!」みたいなスタンスなのかなと勝手に思っていました。
石川
全然ないですね。邪道とか、まったくないです。ただ、デジタルはすぐに消せちゃうじゃないですか。フィルムだと消せないんで、フィルムの方が一期一会な感じは残りますね。光がちゃんとフィルムの乳剤の上に定着する感じが好きというのもあります。
スズキゴウ
例えば、ヒマラヤに行くときは、何種類くらいカメラを持って行くんですか? 多分みんな知りたいと思うのでぜひお話いただけると。
石川
通常は6×7比率の中判カメラで、プラウベルマキナっていう蛇腹のついたカメラとか、マミヤ7っていうカメラを持っていきます。直近のパキスタンの遠征では、35ミリのコンパクトカメラとか、昔使ってたイージーな感じの一眼レフカメラとかも持って行きました。ちょっと試したいことがあって35ミリのカメラを使ってみました。中判ももちろん持っていって、いつものスタイルでも撮ってましたけどね。
スズキゴウ
8000m級の山に1回登って降りるときも、1個のカメラじゃなくて複数のカメラを持って行くんですね。
石川
持っていきますね。壊れちゃうこともあるので。今スズキさんが使っているようなデジカメはそんなに壊れないと思うんですけど、古いフィルムカメラは動かなくなりやすい。直近のパキスタンの遠征では、メルカリとかで安いカメラをいっぱい買いました。キヤノンのオートボーイっていうコンパクトカメラを買って、持っていったんですけど、最後には案の定壊れちゃいました。
スズキゴウ
石川さんがメルカリでカメラを買っているのはみんな意外だったと思います。
﨑村
石川さんは世界の数々の山に登られていると思うんですが、先日インスタで八ヶ岳に登られている投稿をお見かけしました。世界の山と日本の山で石川さんが感じる違いをぜひお聞かせください。
石川
標高が高いですよね、ネパールとかパキスタンの山は。8000mの山っていうのは単純に日本にはないですし、富士山が3800m弱だとして、その2倍以上の高い山が、ヒマラヤ山脈からカラコルム山脈の辺りまで連なっています。一番の違いはスケールが違うところじゃないですか。標高が高いと、体にたくさんの変化が起こります。登る技術も必要ですが、酸素が薄いので体がどんどん蝕まれていくような妙な感覚があります。
﨑村
山の麓まで含めて、日本と世界では文化が違うと感じる点はありますか?
石川
日本は四季があるので微細な変化がありますよね。麓の暮らしも四季によって変わっていく。ネパールやパキスタンにも麓に小さな村があって、それぞれの文化を持って暮らしています。どこが違うかと言われても、あらゆることで違うとも言えるし、根底では同じ、という言い方もできます。文化ではないですが、日本だと小川が流れていたり森があったり、自然がもう少しきめ細やかですね。パキスタンやネパールの奥地へ行くと、氷河から茶色い雪解け水がブワーと流れて来たりして川も山肌も荒々しい。パキスタンの山間部は森もないですし。日本の川は透明できれいだし、魚がいたりして清流ですよね。日本の自然は海外に比べると穏やかで優しい感じがして、好きです。
﨑村
パキスタンで起きている深刻な洪水被害は、ヒマラヤの氷河が解け出していることも要因の一つだと言われています。ヒマラヤは環境に関する問題の先行指標のようになるのかなと思っているんですが、ベースキャンプにテントやゴミが残置されていることなど含めて、石川さんが最近ヒマラヤで感じた変化はありますか?
石川
エベレストは昔はたくさんゴミがあったんですけど、今はみんな捨てないですね。ネパール政府の方針もあって、そこら中にゴミを捨てて帰るような人は減っています。でも、エベレストのネパール側のキャンプ2のはずれに行くと排せつ物がそこら中に散乱しています。岩場で土がないので、分解せずに乾いた排せつ物があちこちにある。
この間行ったK2では、最初のほうのキャンプ地には、残置されて風でボロボロになったテントや食料の残骸やゴミがたくさんありました。ひどい有様でした。8000メートル峰では、生きるか死ぬかと言ったら大袈裟なんですけど、自分のことに精一杯で、環境のことを考えるとか、他人のことを思いやるとか、そういう気持ちが薄れてきちゃう人が多いんですよ。それで、ゴミとかも捨てていっちゃう人は確かにたくさんいます。自分も反省すべきところはいっぱいあるんですけど、ゴミは捨てちゃダメですね。
﨑村
石川さんはたくさん写真集を出されていますが、エベレストの写真集もあれば、『まれびと』という日本の奇祭を撮っている写真集もあります。それ以外にも日本の各地を訪れて、ローカルなものを掘り下げて作品にされていますが、そもそもローカルとか地域のもの、そこにしかないものに興味があるんですか?
石川
山はもちろん好きなんですけど、山を取り巻く文化や人の暮らしとか、そういうもののほうに惹かれます。ヒマラヤの写真集では、山の麓の暮らしから始まって、人がいない頂上までを流れを辿って見せています。ローカルなことには、ものすごく関心がありますね。
﨑村
残り時間も少ないですし会場のみなさんからの質問を受け付けようかと思います。
質問者
「普段はどういうトレーニングをされていますか?」
石川
こういう質問をされたら、数年前まではトレーニングはあんまりしてないですって言ってたんです。旅の延長で登ってたんで。でもここ最近はちゃんとトレーニングするようになって、低酸素室のあるジムで、毎日8〜10キロくらい走っています。昨日も走ってました。低酸素室の中でただ走るだけじゃなくて、インターバルトレーニングみたいなのがあるんですよ。全速力で走って息切れさせるようなのが。僕の場合、息切れさせないと順応が進まない感じがあって、そればっかりやってます。筋トレとかはほとんどやってないです。
スズキゴウ
今トレーニングされてるということは、次はいつ行かれるんですか?
石川
実は今日の夜からネパールに行くんですよ。昨日も一昨日もずっとトレーニングしてました。10年前に登ったマナスルにもう一回登るんだけど、10日間程度で登ろうとしていて、そのためのトレーニングです。
スズキゴウ
前回も確か出発して10日間で登頂してましたよね。
石川
ダウラギリですね。今回のマナスルはもっと短くて、今日行ってカトマンズで一泊せずにそのままヘリコプターに乗り換えて、マナスルのベースキャンプに入って、翌日から登るみたいなことになりそうなので、昨日まで低酸素室に入っていました。K2とブロードピークの順応が体にまだ残っていることを切に願っています。7月22日にK2、7月29日にブロードピークに登頂して、今は9月末なんで、2カ月間順応が残っていればマナスルに短期間で登れると思うんですけど。
質問者
「自分は冒険が好きなんですけど、今日は余計冒険に行きたくなって、いいお話を聞けたなと思いました。石川さんの感じる高所登山の魅力というか、何がいいから高い山に登るのかが気になります」
石川
遠征は2カ月半くらいの期間があって、苦しいこともいっぱいあるけど、それをはるかに上回る出会いや喜びがあります。
普段、例えば渋谷を歩いていても自分の体のこととか気にかけないですけど、2カ月半くらい8000mの山の麓にいると、どうやって呼吸をしようとか、どのくらいのペースでどうやって歩いて行こうとか、何を食べようとか、どのくらい睡眠を取ろうとか、自分の着る服の機能性などについてものすごく意識的になったりとか、一挙一動のあらゆることに意識的になります。それはぼくにとっては面白い、というか興味深いことでもあります。
風邪を引かないようにしようとか、親指をナイフでザクっと切っただけでも治りにくくて登山に影響するんで、そういうことにも気を使うし、あらゆることに意識的になりながら毎日を過ごします。僕がいつも思うのは、割れやすい薄いガラス玉をずっと手に持って、落とさないように歩いてるみたいな感じです。それを2カ月半落とさないでいられたら頂上に立って無事に帰って来れるけど、途中で落とすと頂上には行けない。
そういう2カ月半を過ごすと、たくさんの発見や気づきがあって面白いです。海外のいろんな個性的な登山者に出会ったりとか、自分よりはるかに肉体的に強い人に出会ったりとか、自分より体力的に弱いと思っていた人が意外に登れたりとか、人間に対する気づきも色々あって楽しいですね。
﨑村
最後に、冒頭で地球とつながるよろこびという話をさせてもらいましたが、石川さんが「地球とつながる」と聞いたときに思い浮かべるのはどういったものでしょうか?
石川
んー、自分も自然の一部なんだと感じるときだと思っていて、それはどういうときかというと、「生物としての自分」を感じるときです。高所登山でヘトヘトになって、カメラを取り出したくても取り出せないくらい疲れているときに、自分の呼吸の音を聞きながら、やっぱり自分も生きてるんだというか、生き物なんだなと感じるときでしょうかね。シカと目が合ったり、北海道の山に登っていてクマが近くにいてずっと逃げなかったりする様子を見ながら、あっ、動物と動物なんだとか、俺、生き物として地球の上にいるんだみないなことを少しでも感じるときじゃないですかね。
﨑村
自分も一匹の動物だと、自然の一部だと感じる時だということですね。
みなさん、今日聞いた話をぜひご自身の写真や山登りや生き方、そういったものに何かしら生かしていただければと思います。石川さん、スズキゴウさん、ありがとうございました。
1977年東京生まれ。写真家。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。ヒマラヤの8000m峰から日本の南北の島々まで、地球上を縦横垂直に旅しながら作品を発表し続けている。2010年『CORONA』(青土社)により土門拳賞、2020年『まれびと』(小学館)、『 EVEREST』(CCCメディアハウス)により日本写真協会賞作家賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』ほか多数。最新刊に最新写真『MOMENTUM』(青土社)などがある。
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撮影:武澤廣征