日本百名山の那須岳(1,915m)に源を発し、関東の奇跡の清流と言われる那珂川。山頂から太平洋までをめぐる「150km流浪旅」は、那須岳を源流とする那珂川の「サーモンウォッチング」へと舞台を移します。
風雪厳しい那須岳を這々の体(ほうほうのてい)で下った、YAMAP専属ガイドのひげ隊長。里山に囲まれた中流域をパックラフト(軽量かつコンパクトに折りたためるカヤック)で下れば、海外にいるかのような大自然と、そこに魅了された人々との出会いの連続が。山と川、海をつないで全身で自然を感じる1泊2日、約150kmの旅は成就したのでしょうか。
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2023.11.14
YAMAP MAGAZINE 編集部
那須岳を下りたひげ隊長ら撮影班一行は、那珂川の中流域、栃木県那須烏山市に車で移動。強風に苦戦しながら登った那須岳から約100km、河口から約50kmの地点で、いよいよパックラフトに乗艇します。
このパックラフトの魅力は、約2〜3kgという軽さ。空気を抜けばバックパックにくくりつけられる大きさになり、歩きと合わせた機動力ある旅ができるため、近年はハイカーの間でも人気が高まっています。
公共交通機関で持ち運べるパックラフトのメリットを活かし、フリークによって国内各地でもコースの開拓が進んでいます。那珂川もそのひとつのフィールド。
栃木県那須烏山市のJR烏山線・烏山駅は、川まで直線距離で約700m。そこでパックラフトに乗り込み、途中の河原のキャンプで1泊し(*1)、翌日も思う存分川を楽しんだ後、道の駅かつら(茨城県城里町)周辺で上陸し、バスでJR水戸駅まで行くルートなどが人気です。
…と書いてきましたが、今回の撮影では、多忙なひげ隊長のスケジュールの都合上、車2台を用意し、約10km先の上陸ポイントに車をデポしています。
*1 那珂川河川敷の利用ルールについて:常陸河川国道事務所
那珂川を拠点にしたリバーガイド会社「ストームフィールドガイド」(茨城県常陸大宮市)に聞いたところ、那珂川の中流域は里山に囲まれ、川沿いにキャンプ場も多く、キャンプしながらの川旅はもちろん、山に登ってからのキャンプなど、複合的なアウトドアアクティビティが楽しめる場所とのこと。
ストームフィールドガイド代表の山本滋さんは次のように語ってくれました。
山本滋さん:例年10月末〜11月末ごろは、紅葉とサーモンウォッチングの川下りが一緒に楽しめる「関東の奇跡」を体験できるとき。中流域は水しぶきを浴びるような瀬も少なく、真冬でも春のように比較的温暖に楽しめるので、川下りの初心者から上級者までを受け入れる関東屈指の川下りのフィールドです。
撮影時期も11月上旬。中流域はおだやかな流れが続き、ひげ隊長と撮影班一行は心地よい浮遊感に包まれ、木々が色づく紅葉を満喫しながらの川下りとなりました。
乗艇前、川漁師歴約50年という、投網で鮎を狙っていた古老の漁業者からは「昔は橋の上からでも、サケがわんさか見えたよ」との証言も。それを聞いて、よくテレビの動物ドキュメンタリーで見るような、川一面を埋める大群を期待していたひげ隊長。
しかし進めども、イメージしていたような、浅瀬で背びれを出して泳ぐサケの姿は確認できず……。
ひげ隊長:穏やかな川といいつつも、流れていくパックラフトの上から水中で泳ぐ魚を探るのは至難の業。でもね、さっきから感じるんだよ、気配を。
ひげ隊長が見つけられないのも無理はありません。実はこの那珂川、2019年から大不漁の渦中にあったのです。
ちょうど撮影前に出ていた東京新聞の記事によると、2018年以前は捕獲上限の3万匹近くに達する年もあるなど、2万匹台で長年推移していました。
しかし、ひげ隊長が撮影に行った前年の2021年は捕獲量はわずかに701匹で、過去10年で最低を記録。
サケの生態に詳しい市民団体「水戸まちづくりの会」の副会長で、那珂川第一漁協(水戸市)組合員でもある鈴木祐志さん(68)に編集部が後日2022年の捕獲量について聞いたところでは、「(1シーズンで)100匹いったか、いかないかぐらい」。
鈴木さんによると、これまでの1回の網漁で30匹〜100匹をとっているようなベテランであっても、2022年はシーズンを通して0匹の人もいたとのことで、4年連続の歴史的な不漁に見舞われていました。
鈴木祐志さん:2018年までは好調で、関係者の間では「人工ふ化をしないでももう自然産卵だけで戻ってくるようになるね」と言われていました。しかし、今ではその採卵すら危ぶまれる状況。他県から卵を買ってふ化放流するほどになってしまいました。
水戸まちづくりの会が撮影を依頼した『2022年/那珂川の鮭漁~流し網~』の空撮。不漁のなかでも、サケがかかっている貴重なシーンが撮影されている(提供:水戸まちづくりの会)
鈴木さんによると、原因としては諸説あるようですが、海水温の上昇によって、サケの稚魚が海に行くときの海水温が適温の13度を超えてしまっていることが有力とのこと。
ただ、海水がまだ冷たいうちに早く稚魚を放流しようとすると、今度は育ちきらない大きさで外敵に食べられやすくなったり、弱ったりして生き残れないとみられ、有力な打開策は見えていません。
鈴木祐志さん:那珂川は水戸市の取水源。水質はモニターされ、年々きれいになっているのがわかっており、川自体の変化は少ないとみられています。それでも、那珂川のサケは幻の魚になってしまうのでしょうか……。
那珂川でのサケ漁を担う漁協の組合員も2021年ぐらいから、やめる人が目立つように。都内の人はおろか、水戸市内の人でも最近はサケが遡上することを知らない人も増えていることに、鈴木さんは危機感を募らせます。
茨城県水戸市の市史によると、サケは、江戸時代には水戸藩が幕府や京の朝廷に献上していた歴史ある名産品。ひげ隊長が下った那珂川の中下流域で、地域の伝統文化が岐路に立たされている現状が浮き彫りになっていました。
ひげ隊長ら撮影班が那珂川の河原で出発の準備をしていたとき、偶然出会ったのが、愛犬クマ太郎の散歩中だった神林拓也さん。
以前は茨城県水戸市に暮らしていましたが、那珂川中流域の自然の豊かさに魅力を感じ、この地に移住してきたのだそう。
しかも、国内外を旅してきたバックパッカーだったとのことで、海外を放浪してきたひげ隊長とも意気投合。那珂川の今昔やサケの遡上について、お話を聞きました。
神林さん:若いときから、写真家の星野道夫さん(*1)や、カヌーイストの野田知佑さん(*2)の本を読んでいました。自分自身はカヌーはしないのですが、魚釣りとテント泊が好きだから、よく那珂川の河原でもキャンプをしていました。ほかにもいろいろな土地を旅して、もっと自然豊かな暮らしができる場所を探していたんです。山仕事の手伝いでここに来たときに、『ここだ!』とすっかりほれ込んでしまって移住しました。
(*1)星野道夫(ほしの みちお)写真家。アラスカの野生動物や自然を撮影し、国内外で評価されている。文章でも多くの記録を残しており、『旅をする木』など多数。1996年、ロシアのカムチャッカ半島でヒグマに襲われ急逝。
(*2)野田知佑(のだ ともすけ)カヌーイストで作家。国内外をカヌーで旅しながら、『日本の川を旅する』『ユーコン漂流』など、多くのノンフィクション作品を残し、その生き方と価値観は、多くのアウトドア好きの若者に影響を与えた。2022年3月に逝去。
ひげ隊長:ほれ込んだものっていうのは何だったんでしょう?
神林さん:那珂川の魅力は、落葉広葉樹の森が広がっていることですね。関東で、人が暮らす標高が低いところは、植林されたスギとヒノキがほとんど。那珂川の周辺は昔から炭焼きが盛んで、雑木林が残されていたんです。だからこの時期になると紅葉がすごい。周辺には大きなクルミの木や竹林も残っています。「四季折々の自然を存分に感じられ、しかも清流があって人が住める場所」は、日本にはあまり残されていないんです。
ひげ隊長:関東とは思えない大自然は、ここに住む人たちが守ってきた環境だったんですね。
神林さん:自然豊かな暮らしできる場所をあちこち探して、帰ってきたのは結局自分が生まれ育った那珂川。鮭のように、那珂川の暮らしに戻ってきたのかなって思っています。
ひげ隊長:そうそう、僕たちは遡上するサケを探してここに来たんだけど、ちょっと川を見た感じでは姿が見えないんですよね。
神林さん:やはりここ4〜5年で激減しましたね。理由は明確にはわからないのですが、海水温の上昇や下流の工事の影響など、いろいろといわれています。近所には川漁師さんもいるのですが、生計を立てていくのはなかなか難しいと思います。
ひげ隊長:透明度の高い清流ではありますが、環境は変わってきているんですね……。しかし、移住したくなるほどの、この那珂川の自然の素晴らしさに感動しています。
神林さんのお話にあったように、川沿いに広がる樹木は、植林ではなく、落葉広葉樹や竹林。山に降った雨は森を潤し、有機物などの栄養素とともに川に流れこみます。それが、この流域周辺の自然環境を生み出している。パックラフトから見る風景は、そんな循環をひげ隊長に想起させます。
サケは幻の魚になってしまったのか──。ひげ隊長と撮影班一同が諦めかけていたそのとき。ゴール目前で、ひげ隊長がついに魚影を捉えます。
ひげ隊長:一瞬見えた! 間違いない、鯉のフォルムじゃなかった。すーっと真下を泳いでいったよ。深場にはいそうだなって、探していたんだ。川底まで見える透明度だし。本当に関東にいるんだ……。写真に収めるのは難しいと思うけれど、こうしてサケが上がってくるというロマンを抱きながら川下りができるのは、本当に素晴らしいことだよね。
サケを見たことに満足し、茨城県ひたちなか市の那珂湊まで来たひげ隊長。ここは那須岳から150km、那珂川が太平洋に注ぎ込む終着地点です。
ひげ隊長:大海原が広がっているね。雪のちらつく那須岳から人力で来れたのは一部だけだったけど、パックラフトでサーモンを探して、河原で焚き火キャンプをして、そして海まで来た。サーモンの姿はかろうじて見ることができたけれど、写真には収められなかったのが残念だったなあ。
今回の旅はひげ隊長のガイド業で忙しい合間を縫った1泊2日。那珂川の流域150kmのうち、人力で巡れたのはごく一部。
ひげ隊長:ここにサーモンがいる、豊かな自然が残されているということが感じられたのは大きな収穫だった。川で出会った神林さんのように、自分がサーモンに生まれ変わったらまた那珂川に帰ってきたい。それだけは今回の旅ではっきりわかった。いや、現世のうちに、また完全人力の旅で来たい。神林さんも言っていたけど、那珂川が戻りたくなる場所っていうのはよくわかったよ。
もっと那珂川を旅して、すべてを見てみたいと、再訪を誓ったひげ隊長でした。
川をテーマに自然や人とのつながりに触れた旅は、ひげ隊長にどのような気づきをもたらしたのでしょうか。
ひげ隊長:若い時はアラスカにも行ったし、北海道から鹿児島までいろんな川を旅してきた。自分は日本の川を知った気になっていたけれど、まだまだだと思ったよ。サーモンが遡上する川が東京から近い関東圏にあったなんて、もうそれだけでロマンを感じるじゃない。
言葉では「持続可能な世界にしよう」という声をよく聞きますが、今回のように、山と川で全身の感覚で自然を感じることで、実体験を伴った「自然を守ろう」という意識が、あらためて強まったのが今回の旅。
ひげ隊長:水が綺麗で里山も素晴らしい。鮮やかな紅葉を見ながら、きっと100年、いや1000年前と同じ景色を見ているんだなと思うと感慨深かった。この自然を守っていかないといけないと強く思ったね。そして、川が山からはじまっているということも、あらためて感じることができた。もっと多くの人に川旅に挑戦してほしいと思うよ。それだけ日本の自然は、本当に豊かなのだから。
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那須岳の山頂から始まった前編:https://yamap.com/magazine/50993
ひげ隊長が川旅の魅力を語る番外編:https://yamap.com/magazine/50993
撮影協力:ストームフィールドガイド
写真・文=小林昂祐