消防士を辞める覚悟で挑むヒマラヤ未踏峰|フォトコン2023優秀賞・平塚 雄大さん
YAMAPフォトコンテスト2023優秀賞を受賞した、埼玉県在住の平塚雄大(ひらつかゆうだい)さん。受賞作は、八方山ケルンに朝日が差す瞬間を押さえた一枚。登山者を導くケルンが、まるで光の道標のように輝いています。
自転車で日本一周をした旅が山との出会いだったという平塚さん。今年目指すのは、なんとヒマラヤの未踏峰。山との出会いから、ヒマラヤへの挑戦まで、自分自身と向き合い努力を続ける平塚さんの山人生についてお聞きしました。
2024.04.05
米村 奈穂
フリーライター
──受賞作はケルンに日が差す、まるで登山者を光に導くような幻想的な写真です。友達のカメラを借りて撮影したそうですね。
平塚雄大さん(以下、平塚):八方池でモルゲンロート(山々や雲が赤く染まる朝焼け)を見て、登り始めて1時間くらいたった頃でした。一緒に行ったのが女の子だったんで、この日はどちらかといえば風景を撮るというよりも人を撮ろうと思っていたんです。
自分が前を歩いて、時々振り返りながらその子を撮っていたんですけど、振り返ったら景色がすごいことになっていました。
自分のカメラには、70〜200ミリの望遠か、35ミリの単焦点どちらかのレンズを付けていて、撮りたい画角に収まらなかったんです。友達のカメラが標準ズームだったんで、とっさに借りて撮らせてもらいました。
夏山では一応カメラは持っていても、冬と比べたら撮る枚数は少なくなります。
──送っていただいた写真もほぼ冬山でした。夏はどうして撮らないんですか?
平塚:自分はあまり写真が上手くないと思っていて、みんなと同じ場所を歩いても個性が出せないと感じていたんです。夏は登山道上しか歩けないけど、冬は一般道以外も歩けるし、それなりの山になれば、カメラを持って行かない人も増えます。
そうすると、自分の写真がそこそこ希少な感じになるので、冬の方が枚数を撮りますね。
──長く1か所に留まって撮ることはしないと聞きました。
平塚:冬に写真を撮ることが多いのもあって、山で止まるのがあまり好きじゃないんです。冬に一人で登るときは、夜の23時とか24時くらいに登り出します。日の出が折り返しになるように登ることが多いです。
ピーク付近で日の出時刻になるように登るんですけど、途中で薄明るくなってきて、「ここ、めっちゃかっこよく撮れそうだな」って思っても、日の出の時間じゃなければ、止まらずに進みます。
雪がゆるむのも好きじゃないので、なるべく昼前に下りてくるような行程にしています。
──受賞作は、日の出の時間に合わせる平塚さんの登山スタイルが現れた写真なのだと思いました。
平塚:日が昇る時が一番、山で好きな瞬間なんです。寂しかったり、気温以上に寒く感じたりする夜が明けて、太陽が上がった瞬間に、気温はたいして変わらないのに安心するというか、元気が出る感覚があります。
──写真を撮る時に気をつけていることや、こだわりはありますか?
平塚:特にこだわりはありません。水平に撮るとか、白飛びや黒潰れがないようにするとか、基本的なことだけ気をつけます。あるものを押さえられたらっていう気持ちで登っているので、ミクロな視点とかは撮れないですね。
──登山中に写真を撮る楽しみや、動画との違いはどこにあると思いますか?
平塚:いろんな人が撮ったいろんな視点の写真を見ると、「この山にこんな一面があったのか!」とか、「こんな場所あったっけ?」という山のいろんな側面を発見できます。
動画だと、「ここは自分が登った山だなー」と思いながら流して見るだけになると思うんですけど、写真は切り取るので、他の人の価値観を見る楽しみがあって面白いと思います。
──一眼レフで写真を撮り始めてどのくらいですか?
平塚:大学2年の時に、自転車で日本一周をした時からです。その時にカメラが欲しくなって、旅の途中で手に入れました。北海道の景色が素晴らしくて写真を撮りたくなったんです。山に登り始めたのも、その旅がきっかけです。
──写真歴と登山歴が同じなんですね。日本一周をしようと思ったきっかけを教えてください。
平塚:大学時代にトライアスロンをやっていて、ずっと自転車を練習してたんです。その勢いでチャリで回ってみようということになって、その時に北海道の旭岳(2,291m)ほか大雪山系の山々とか、利尻山(1,721m)、羊蹄山(1,898m)とか、登れる山には登ってました。
──日本一周をしていて、どうして山に目がいったのでしょうか。
平塚:山というか、きれいな景色が見られる場所とか、楽しそうな場所を全部回ろうと思ってネットで調べていると、山がたくさん出てきたので登ったという感じです。
──旅の中で印象に残っている山はありますか?
平塚:やっぱり北海道は印象的でしたね。礼文島とかは、標高300〜400mくらいの場所で高山植物が見られたし、標高2,000m級の場所でも、本州での3,000m級の山にいる感じがしました。
山との出会いもですが、人との出会いも印象的でした。旅の途中で食事をご馳走してくれた方から、「この恩は返さなくていいから、ほかの人に何かをしてあげて。自分もそうされたから」と言われて、その言葉がずっと心に残っていました。
「自分に何かできることはないか」と考えていたときに思いついたのが、今の消防士の仕事です。
──消防士だったんですね。平塚さんにぴったりですね。学生時代にパタゴニアにも行かれたんですよね。
平塚:日本一周したくらいから、「どこに行ってもどうにかなる」という感覚が芽生えて、それからフラフラとヒッチハイクをしたり、バックパッカーをしたりみたいなことをやっていました。
パタゴニアは大学を卒業する前に、1ヶ月かけて行きました。パイネ国立公園を3泊4日で歩いたんです。
それまで山でのテント泊は1回くらいしかしたことがなくて、食べ物が足りなくて餓死しそうになりました。食パン一斤だけ持って行って、味気ない食事をしながら絶景を見ていましたね。
──景色をご飯にされてたんですね。しかし、初の山中でのテント泊が南米とは驚きです。
平塚:その前に一度だけ、テント泊で常念岳(2,857m)に行ったんですけど、風が強すぎて1時間くらいでテントをたたみ、山小屋に避難しました。
1,000円くらいしか持っていなくて、「あとで振り込みます」とお願いをして、泊めてもらいました。行くまでに使う現金しか持ってなかったんです。
──南米から帰って来て、さらに日本の山にもはまったんですね。印象に残っている山行はありますか?
平塚:楽しかったのは、去年行った3泊4日の大雪山系の縦走で、過酷だったのは残雪期の槍穂高縦走です。
大雪山は登山の楽しさと、日本一周の旅を思い出すような山行でした。単独だったんですけど、だいたいみんな同じルートを歩いているので、一緒になった人と話したりして旅っぽいなと思いました。
ほかの山は、基本的には15時間とかぶっ通しで歩いているので、自分の中では全部きつかった感じなんですけど、大雪山は人と楽しく歩いたという印象がすごく残っています。
それでも、大雪山では給水に関してはきつかったですね。9月になると水場が涸れてくるし山小屋もないんで、水たまりみたいなところの水をソーヤーの携帯浄水器に汲んで、「ソーヤー使えば無敵だー!」って言いながら飲んだりしていました。
──過酷だったという残雪期の槍穂高縦走は何月頃だったんですか?
平塚:4月下旬頃でした。テント泊すればよかったんですけど、小梨平の風呂に入りたくて、上高地にベースキャンプをつくって1日で槍ヶ岳(3,180m)まで登って、そのまま涸沢岳(3,110m)に行って涸沢に戻ってきました。
風呂に入るためだけに19時間くらい歩きました。20時くらいに歩き出して、15時くらいに下りてきました。
──どのあたりで朝が来たんですか?
平塚:槍ヶ岳ではまだ朝4時頃で、夜が明けたのは大喰岳(おおばみだけ、3,101m)くらいでした。涸沢岳くらいから人に会うようになりました。
それから、印象的だったのはその後の北穂高岳(3,106m)です。北穂高岳って、雪のある時期は小屋から山頂までステップをつくるじゃないですか。段をつくる際に、切った雪を下に落としていくんですけど、ゴールデンウィークまでに完成するようにつくってるみたいで。
朝、大キレットを登ってたら、その雪が真横にヒュンヒュン落ちてきて、それが恐怖でした。
──今回のフォトコンテストのテーマは、「100年後に残したい景色」です。平塚さんが100年後に残したい景色はありますか?
平塚:100年後というか、最近すごく思うのは「冬」が残ってほしいということです。もはや10年後ですら残ってないんじゃないかと思います。雪が年々減って、氷も凍らなくなってきて。冬の活動の場がどんどん減っています。
──平塚さんが今、登っているだけでも気になる雪山の変化はありますか?
平塚:自分が登り始めた4、5年前から、「今年は雪少ないよ」って言われてたんです。それから毎年減っていってる気がするんですよね。去年の北アルプスは水不足が深刻でした。これからずっと夏は水不足の時代がくるんでしょうか。心配です。
──今後の山の予定や目標はありますか?
平塚:今年、仕事を辞めてヒマラヤの山に登る予定です。登山ガイドの花谷泰広さんが募集していた、ヒマラヤの未踏峰を目指す「ヒマラヤキャンプ」(※)という登山チームに入っていて、今、トレーニングをしています。
※ヒマラヤキャンプ=山岳ガイドの花谷泰広氏が主催する若手登山家養成プロジェクト。公募により集まったメンバーで、1年かけて準備し、ヒマラヤの未踏峰を目指す。 instagram@himalaya.camp
──チームに入るきっかけは何だったんですか?
平塚:山をやってる人には誰でもあると思うんですけど、海外のいろんな山に登りたいっていう漠然とした思いがずっとあったんです。
ただ一緒に登る人もいないし、どういう手順を踏めばいいかも分からず悶々としていて、ガイドを頼んで登るしかないのかなと思っていました。そんな時に、たまたま花谷さんのヒマラヤキャンプの募集を見つけて応募しました。
──応募する時に迷いや葛藤はありませんでしたか?
平塚:葛藤は、し過ぎていたくらいです。まず応募するときに、自分は外岩クライミングもアルパインもほぼやっていなかったし、応募条件にある雪山累計入山日数も満たしていなかったんです。
ギリギリまで悩んで、応募期限の最終日に応募しました。ただ普段から、「やるかやらないか悩んだら絶対やる!」っていうポリシーを持っていたので、ポリシーに従って応募しました(笑)。
秋に登山予定で、春には仕事を辞めます。一度、海外の6,000mくらいの山に練習がてら登る予定です。
──自分の限界を超えてチャレンジする経験を得た先でどうなりたいとか、伝えたいことなどはありますか?
平塚:高校まで野球をやって、大学時代はトライアスロンをやって、どちらでもあまり結果を残せなかったんです。でも常に全力でアプローチはしてきて、そんな時に山に出会ったんです。
山は、自分の力を全力で向ける対象でありつつ、何か違う楽しさというか、スポーツとは違う部分もあるんです。
若い時って、少なからず誰もが、何者かになりたいみたいな思考を持ってるじゃないですか。自分にもそういう部分があったんです。学生時代に、「お前、頑張っててすごいよ」って言われ続けたんですけど、結局、結果は何も出せなかったんです。
学生時代は、3年だったり、4年だったり、時間的制限がある。でも、山だったらもっと時間をかけられるから、全力で力を注げば絶対何かをできるんだっていうのを、自分で自分に証明したい部分もあります。
逆にいえば、自分ができれば、みんなも頑張ればできるよっていうのを伝えたいとも思っています。
──どういう部分に登山とスポーツとの違いを感じられますか?
平塚:日帰り登山は、限りなくスポーツに近いと思うんです。まず、天気が選べるので、絶対当たりの日に行ける。コンディションが読みやすい。荷物も減らせる。自分は登る前に牛丼の大盛りとか食べて行くんですけど、そうすれば体にエネルギーがある状態で登れる。
それが数日間の縦走になると、体内のエネルギーも枯渇したり、上手く寝られなかったりしてきます。テント内での生活面とか、食料をどう回していくかとか、動く以前に生きる方法を考えないといけなくて、人間的強さが問われるのかなと。それが自分の弱点でもあるんですけど(笑)。
──「ヒマラヤキャンプ」のメンバーになってみてどうでしたか?
平塚:チームに入ってほぼ一年経って、応募して心からよかったと思っています。あのとき応募した自分を褒めてあげたいです。一緒に行くメンバーに色んなことを教わり助けられ、日々成長を感じています。
このようなチームを作ってくれた花谷さんには感謝しかありません。これからこのメンバーと、ヒマラヤや、世界の山に一緒に登れるのが楽しみです。
平塚さんのアカウント
YAMAP:ゆーだい
Instagram:Yudai Hiratsuka@tyu___dddai