寒い時期だけでなく、標高2,000〜3,000m級の高山では夏でもリスクがあるのが「低体温症」です。気象遭難においても症例が多く死亡率が高い「低体温症」について、兵庫県立加古川医療センターの救急救命医で、 北アルプス・三俣山荘の夏山診療所でも活動する伊藤岳先生に、予防と対処法をお聞きしました。
2024.07.03
鷲尾 太輔
山岳ライター・登山ガイド
人間の体温は通常、わき下などで計測した体温(末梢体温)が、食道・膀胱・直腸などの温度(深部体温)を下回っており、深部体温は約37℃であることは、前回の記事(登山での熱中症の予防と対処法|三俣山荘・診療所の伊藤医師が解説)で解説した通り。低体温症とは、この深部体温が何らかの理由で35℃以下に下がってしまう状態です。
通常は人体が備えている恒常性(ホメオスタシスと呼ぶ)によって、体温を常に正常域に保つよう、身体の各種のはたらきを調整しています。深部体温が正常域より下がるということは、人体の調整機能から逸脱してしまった緊急事態なのです。
こうした事態に陥ってしまっている時点で、放置しておくだけでは病態が改善されることは期待できず、むしろ以後の病態が加速度的に悪化していくことが予測される、危険な状況です。
低体温症は冬場や雪山など、そもそも気温が低い寒冷環境で発症しやすいと思いがちです。しかし実際には、冬以外の季節や無積雪期の山でも、多くの発症例が発生しています。そこには、寒冷環境に加えて以下に挙げる3つの要因が関与しているのです。
①熱喪失状態
文字通り、身体が熱を失う状態です。例えば水の熱伝導率は空気の20倍以上であり、雨などで濡れた衣服を着用したままだと、身体の熱が奪われてしまいます。
また体感気温は、風速が1m/s強まるごとに1℃低下します。強風下で無理な行動を続けることも、熱喪失状態につながります。
②熱産生低下
体内での熱を生み出す機能(熱産生)が低下している状態です。人間は食べ物を摂取することでこれらを必要な栄養素に分解したり、細胞の活動に必要なエネルギーに変換しており、これを代謝と呼びます。代謝の過程で熱が発生(熱産生)しますが、栄養不足や疲労状態だと、代謝が十分に行われません。このため、熱産生が低下してしまうのです。
③体温調節機能低下
人体の持つ体温調節機構が上手く機能しない状態です。体温調節は脳内の「視床下部」が機能をつかさどっており、これが薬剤・アルコールの作用による影響や、脳卒中や頭部外傷などのダメージを受けることで機能低下状態に陥ってしまうのです。
人体が熱を失うメカニズムも確認しておきましょう。ここでは「失う」という言葉を使いますが、暑い時期には体温が上がりすぎないようにする機能も含まれています。
①熱伝導
直接の接触を介して熱が伝わることです。低体温症では、冷たい地面や雪面と接している部分からの熱伝導がもっとも熱を失う要因となります。行動不能で仰臥している時は、上からシートなどをかけるのが簡単ですが、手間がかかっても下にもマットなどを敷き込んで、地面や雪面への熱伝導を遮断することが重要です。
②熱伝達
冷たい空気などの「気体」や、身体に付着した雨・雪・汗などの「液体」を介して熱が伝わることです。強風や雨・汗などで濡れた衣服も、低体温症のリスクになる原因のひとつです。
③輻射・放射
熱を持つ物質(太陽・こたつなど)はすべて赤外線などの電磁波を放出しており、これを輻射・放射と呼びます。人体では熱を帯びた血液が体表に近い毛細血管へ広がり、運搬した熱を体外へ放出することで輻射・放射を行っています。暑い環境では毛細血管が弛緩して輻射・放射を増やし、体温の過度な上昇を抑制しているのです。
④蒸発(気化熱)
発汗などで身体に付着した水分(=液体)は、気体になるために周囲から熱を吸収します。これが気化熱で、暑い環境で発汗が増えるのも、体温が上がりすぎないようにする機能。逆に寒い環境下での登山では厚着になりがちですが、こまめに衣服を調整することで汗をかかないレイヤリングの実践が重要になるのです。
⑤呼吸
呼吸で吐き出した息(呼気)と吸い込んだ空気(吸気)の温度差によるものです。低体温症のリスクがある寒冷環境では、この温度差が大きくなり失われる熱も比例して増加します。
ここまでの要因を踏まえて、まずは予防のために低体温症に悪影響を及ぼす状態を紹介します。これらのリスクを防止することで、低体温症の発症・悪化を防止することが重要です。
①濡れ
激しい風・雨・雪の中で行動したり、レインウェアの着用など適切なウェアリングを行わず、身体が濡れてしまう状態は、熱伝達・気化熱によって身体が熱を奪われてしまいます。適切な服装・装備の着用はもちろんですが、悪天候下では停滞・撤退をして無理な行動を避けるという判断も重要です。
②栄養不足
食べ物を摂取すると身体が暖かくなるのは、体内で「食事誘発性熱産生」が発生することによります。体調不良などで食欲不振に陥って十分な栄養を摂取しないと、十分な代謝が行われず体内での熱産生が低下してしまいます。きちんとした栄養補給は、シャリバテだけでなく低体温症の防止にも有効なのです。
③疲労
身体の疲労も、熱産生の低下につながります。自身の体力に合った無理のない登山計画やコース選択は、低体温症の防止にも重要です。
また同じコースでも、強風にあおられたり雨や雪に打たれながらの行動は疲労を増大させます。悪天候下での行動を避けるのが賢明な理由は、ここにもあります。
④出血
体温調節機能の低下で触れた頭部外傷だけでなく、他の部位からの多量の出血も低体温症を悪化させます。出血が起こると熱喪失状態が通常時よりも大きくなるため、登山以外でも外傷を負った人が偶発性低体温症を発症する事例は多く見られます。
ここまで紹介したリスクの高い環境・状況では、まず寒さを感じたり、体内に熱を発生させるための震えが起こります。同行者や近くにいる登山者に表のような症状が見られるようなら、低体温症が疑われます。特に言動に異常がある場合は意識障害を起こしており、早急な対処が必要です。
適切に対処しないと体温は加速度的に低下し、瞳孔拡大や半昏睡状態に陥り心拍数や脈拍が弱くなり呼吸も減少、生存の可能性が極めて低くなります。
低体温症が疑われた場合にまず必要な対処は、体温のさらなる低下を防ぐ試みです。避難小屋などの建物が近くにあれば移動、なければテント・ツエルトを設営したり、雪洞を掘るなどして、風・雨・雪や寒気を遮蔽できる場所へ退避してください。
前述の通り「濡れ」は症状悪化の大きなリスクとなるので、濡れた衣服を脱がせて乾いた衣服へと着替えさせましょう。その上で防寒着・サバイバルシート・ホットパックなどで身体を保温します。
携行しているアイテムでの「低体温ラッピング」も有効です。
・お湯を入れたポリタンクやペットボトル(身体に当たる面積が大きい角形が好ましい)による「加温」
・シュラフ・ダウンジャケットなどで傷病者を覆うことによる「保温」
・ツェルト・エマージェンシーシートなどで外側から傷病者を覆うことによる「隔離」
・これらの処置による寒さからの「密閉」
によって、低体温症の悪化を軽減することができます。
外傷がある場合の「出血」も症状悪化につながるため応急手当(ファーストエイド)、とりわけ止血の処置を徹底して行いましょう。
ここまでの通り、低体温症は一刻も早い加療が必要な、深刻な事態です。
・傷病者に意識障害があったり、行動継続が不可能である場合
・同行している仲間が、傷病者対応に伴う行動中断に耐えられない場合
・建物への退避やツェルト、雪洞などのシェルター設置が不可能である場合
などでは、早めの救助要請が必要です。
とはいえ、こうした状況が携帯電話の通話可能エリアで発生するとは限りません。また、暴風雪などの状況下ではヘリコプターによる迅速な救助は難しいのも現実です。「低体温ラッピング」を意識した体温低下対策や、ツェルトやテントへの避難、雪山登山であればシェルターとなる雪洞を作るアイテムを携行・実践できることが望ましいといえるでしょう。
ここまで紹介してきた通り、低体温症は外部の環境要因が大きく影響する病態です。対処法では同行者など他人への処置を前提としていましたが、実際には自分を含めたその環境・状況にいる全員が発症するリスクがあります。
山中で行える対応が限られており、時として多数の命が失われることもある低体温症。その要因やメカニズムを正しく理解して、リスクを回避することが何よりも大切です。
監修:伊藤 岳 先生
救急救命医
兵庫県立加古川医療センター 救急科部長
公益社団法人日本山岳ガイド協会 ファーストエイド委員
在学中に文部省登山研修所(現国立登山研修所)大学山岳部リーダー研修会三研修を修了。2001年アイランドピーク登頂、2009年神奈川大学山岳部チョモランマ遠征登山隊に医師として参加。2010年より北アルプス三俣山荘診療所で夏山診療に従事している。
執筆・素材協力=鷲尾 太輔(登山ガイド)