阿蘇の名湯【地獄温泉】火山の息吹を肌で感じる奇跡の泉

阿蘇・烏帽子岳の麓、南阿蘇村にある名湯「地獄温泉」。「冷泉」と「温泉」が同じ場所に湧き出し、その真上に湯船があるため、加水や調温をせずに、ちょうど良いお湯を堪能できる、全国でも珍しい温泉です。この地に甚大な被害をもたらした2016年の熊本地震から4年ー。震災の傷もようやく癒え始め、再び活気を取り戻した熊本の秘湯、青風荘の物語をお届けします。

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2020.03.10

米村 奈穂

フリーライター

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地元民も推薦 阿蘇を代表する名湯「地獄温泉」

山帰りに立ち寄る温泉は、とりあえず汗を流せればいいくらいに考えていた。そんなものだから、「阿蘇の温泉といえば?」と聞かれて、正直すぐには答えられなかった。

そこで、今回の取材を機に、地元の人に登山帰りに立ち寄るのにオススメの温泉はないか尋ねると、「阿蘇といえば、地獄温泉でしょ」と言われた。そういえば、ずっと前に訪れたことがあった。確か、泥湯で硫黄臭が強烈で、混浴の露天風呂に勇気を出して入った覚えがある。2016年の熊本地震で宿泊棟が大きな被害にあったが、昨年の4月に温泉のみ再開されたと聞き、訪ねてみることにした。

「地獄」の由来と「清風荘」の歴史

山道を車でぐんぐん登って登って、もうひと登りしたくらいの場所に、その温泉はある。「阿蘇神社の祭神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、身重の妻の姿を隠す屏風とするために一夜のうちにこしらえた」と伝わる、夜峰山(よみねやま)の爆裂火口内だ。火山ガスにより、草木が生えない場所であることが「地獄温泉」という名の由来といわれている。

震災前の夜峰山と南阿蘇鉄道。南阿蘇鉄道は現在「中松」〜「高森」間が運行されている。全線復旧までもう一息だ

訪ねたのは、地獄温泉唯一の旅館「清風荘」(震災を経て、現在は名前を改め「青風荘」としている)。清風荘は200年以上の歴史を誇る古い湯治場で、江戸時代には熊本藩士のみ入浴を許されたという格式のある温泉だ。代表の河津誠さんに挨拶をすると、とりあえずお湯に浸かってみてくださいと勧められた。

地獄温泉のシンボル、奇跡の温泉「すずめの湯」

震災から丸3年、2019年4月16日に再開した「すずめの湯」は地獄温泉を代表する名湯

さっそく”奇跡の湯”と呼ばれる露天風呂「すずめの湯」に浸かってみる。地獄温泉の源泉は裏山の地獄地帯から引湯しているが、ここ、露天風呂の「すずめの湯」だけは、湯船の底から源泉が湧出しているらしい。

冷泉と源泉が同じ場所で湧いており、水を足したり温度を調整したりせずとも、丁度いい湯加減の源泉に入れるという日本でも珍しい温泉だ。足元から泡がぷくぷくとひっきりなしに上がり、お湯が湧き出ているのを足裏に感じる。鮮度抜群、湧き立ての源泉に浸かれるということだ。

復興後、生まれ変わった「すずめの湯」を楽しむ

すずめの湯は、今も昔も変わらぬ名湯だが、震災後、いくつか変わった点がある。

水着着用での入浴が可能に

以前、訪れた際は完全な混浴だったのと、お年頃だったため入るのに若干勇気が必要だった。しかし再開されてからは、水着か湯あみを着用しての入浴となったため、誰でも気兼ねなく入れるようになった。

水風呂の露天風呂が登場

すずめの湯のすぐ隣には、冷泉(温泉成分が含まれている鉱泉)のみの湯槽が設置されており、温泉と冷泉の交代浴ができる。「冷泉と言えども20℃ほど。ぬる湯→熱い湯→冷泉の順番で入るのがおすすめ」と聞き入ってみたが、熱い湯のあとに入ると、沢登りの冷たさなんてもんじゃない。肩まで浸かると、なぜかハッカを食べたみたいに喉がスースーした。河津さんは「冷泉は瞑想にいい」と笑って言うけれど、地獄温泉ビギナーにそんな余裕はとてもない。しかし、この冷泉の後に入るぬる湯は、地獄ならぬ極楽温泉だった。

毎週通いたくなる極上の湯

気持ちよさそうにお湯に浸かる常連さん。この位置が特等席なのだそう

先客は、週末ごとに通う常連さん。東京から南阿蘇に移住して十数年という。ここに浸かるとよく眠れるそうだ。顔には泥パックが塗ってある(すずめの湯は泥湯なので顔や体に塗って泥パックを楽しむことができる)。昔は本を持ち込んでゆっくり楽しんでいたとも。最初は、見知らぬ男性と温泉に浸かることに少し勇気がいったが、いつの間にか楽しくおしゃべりしていた。

どことなく登山に似ている。山では、相手がどこで何をしている人かなんてそんなに気にならない。裸の付き合いとはよく言ったもので、温泉に浸かっていると、身も心もゆるまって開かれる。

気持ちよさそうに浸かっていたけれど、その常連さんがボソッと「河津さんが落ち込んでいるところも見て来ましたから…」とつぶやかれた。

【震災と復興】火山と共に生きるということ

常連さんの言葉が気になって河津さんに尋ねたところ、復興までの苦悩や地獄温泉への想いを聞くことができた。

清風荘代表の河津誠さん。弟さん二人と共に、兄弟三人で切り盛りしている

清風荘は2016年の熊本地震と、その2ヶ月後の大雨による土石流で敷地の9割を失い休業を余儀なくされた。昨年4月、温泉に続く道路が開通し、震災から丸3年を経てやっと営業を再開したという。

被災した宿泊棟を解体する際、地盤から江戸時代の治水跡が出て来たそうだ。現在も工事中の建物の裏手で、その治水跡を見せてもらった。

工事で発掘された江戸時代の治水跡。この下に水路が通る

あちこちで温泉が湧き出る土壌の上に建っていた江戸時代の宿泊棟。先祖は、水路で土地を囲み、その上に山から切り出した大きな石を被せ、宿を建てた。水路で仕切ることにより乾いた土地を創り出したのだ。

河津さんはその治水跡を目の前にして、先祖がこんな大変な思いをしてまでも傷ついた人を癒す場所を作ろうとしていたことを知る。人々に、この大地のエネルギーを分けようとしていたことをー。

「震災前は、なんとなく代々続く稼業だから継がなければいけないという感覚でいました。しかし今は違います。震災ですべてを失って初めて、創始者と同じスタート地点に立ち、その気持ちを共有できたように思います」

震災で傷ついたからこそ、温泉へ傷を癒しに来る人の気持ちがわかる。震災前と後では、温泉にかける想いが違うというのだ。

河津さんはこう続けた。

「一般的な温泉施設は、ゼロをプラスにする場所だと思うんです。でも、ここはマイナスをゼロに近づける場所ではないかと思います」

火山の息吹を肌で感じる奇跡の泉

2019年秋には、男女別入れ替え制の半露天風呂「たまごの湯」も完成した。湯船からは、震災で傷ついた夜峰山が見られるようになっている。

「あえて、あの山の傷を見てもらおうと思っています」

傷ついているけれど優しく見える、と河津さんは言う。

すずめの湯に次いで生まれ変わったたまごの湯は、コンクリートの打ちっ放しで現代風だ。このコンクリートの頑丈な壁は、土砂崩れから身を守るシェルターの役割も果たす。震災から得た経験を活かした構造である。

河津さんに、天災というどこに怒りをぶつけていいかわからない気持ちを、どうやって受け入れることができたのかと聞いてみると、「自然は厳しいけれど、いただく恵みの方が圧倒的に多い。だから何があっても住み続けられる」という答えが返ってきた。

なるほど、阿蘇の最大の魅力は、火山がつくり出した大地と人とが密接に関わっていることだ。それは世界中の火山を見回しても類い稀である。そしてその魅力を、温泉や湧水、野焼き、農業、登山で体感することができるのも、阿蘇の大きな特徴なのであろう。

常に足元から温泉が湧き出ている湯船

「山の上でエネルギーを放出した後は、温泉に浸かって、大地のエネルギーを吸収して帰ってください」

河津さんのその言葉に、はっと気づく。

温泉は、山でかいた汗を流すだけのものじゃなかった。登山と温泉のセットは、大地を上から下から体感するゴールデンコンビなのだ。

湯船に浸かり湯の底を両足でしっかり踏んでみると、小石の間から不規則にプカプカと湧き出る泡に足の裏をくすぐられた。私も大地も、生きている。

地獄温泉「青風荘」の営業時間、アクセスなどをチェック

・入浴料(すずめの湯):一般¥1200(貸バスタオル付き)/中学生~大学・専門学校生 ※学生証提示 ¥1000(貸バスタオル付き)/小学生¥600/幼児無料
・入浴料(元湯・たまごの湯):一般¥800/中学生~大学・専門学校生 ※学生証提示 ¥600/小学生¥400/幼児無料
・湯浴み着の販売あり。
・営業時間:10:00~17:00(最終受付16:00)
・定休日:火曜日(祝祭日の場合は営業)
・住所:熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2327
・TEL:0967-67-0005

公式Webサイトはこちらから

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米村 奈穂

フリーライター

米村 奈穂

フリーライター

幼い頃より山岳部の顧問をしていた父親に連れられ山に入る。アウドドアーメーカー勤務や、九州・山口の山雑誌「季刊のぼろ」編集部を経て現職に。