大橋未歩のジョン・ミューア・トレイル(JMT)体験記 #02|入山編 「まるで絵画」絶景だらけのJMTを歩く

登山好きとしても知られるフリーアナウンサーの大橋未歩さんが、アメリカのロングトレイル「ジョン・ミューア・トレイル(JMT)」を歩いたときの”旅の記憶”を綴るフォトエッセイ。連載第2回目はいよいよスタートラインに立ち、ウィルダネスの雄大な森の中を歩き始めます。そこには目を奪われるほどの絶景が…!

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2020.08.31

大橋 未歩

フリーアナウンサー・"歩山"家

INDEX

痛恨のミス

歴史的な規模の山火事だったらしい。ヨセミテ国立公園が一時クローズになったのは28年ぶりだったと後から知った。公共交通機関は全面運休。一度は諦めかけたこの地に、アレクサのおかげで降り立つことができた。目をこすりながら眠眠打破風のドリンクを一息に飲み干し、ヨセミテまで5時間も運転してくれた彼女は紛れもなくサンフランシスコの女神だった。

前回記事:ヨセミテ封鎖で計画変更…入山までの長い道のり

そしてようやく目の前に現れた、このログハウスの神々しさといったら。
「Tuolumne Meadows Visitor Center(トゥオルミメドウビジターセンター)」の看板が誇らかに掲げられている。トゥオルミメドウは、ヨセミテ国立公園の玄関口として知られる。私は宝物よろしくサコッシュに忍ばせていた「入山許可通知書」を手に握りしめ、ログハウスの扉を開いた。

「これを入山許可証と引き換えてください」
そう私が言い終わるや否や、受付の男は首を横に振り始めていた。
それはなんと言うか、紫の殺虫灯に次々飛び込む羽虫を哀れむような、そんな表情だった。そして男は言った。
「ここで許可証は発行できません」
こちらが言葉を失っていると、彼は続けた。
「ここはビジターセンターで、許可証を発行するのはウィルダネスセンターです」

私たちが勢い勇んでアレクサのセダンから飛び降りたここは、ヨセミテの動物や植生を学べる「ビジターセンター」で、入山許可証を発行しているのはここからさらに3km先の「ウィルダネスセンター」だと言うのだ。痛恨のミス。
「車道を歩いて40分ほどですよ」
受付の彼は相変わらず気だるそうにそう言った。きっと、同様の間違いをする登山客が後を絶たないのだろう。

カロリー摂取

ウィルダネス(原生自然)センターを目指す私たちは、照りつける直射日光のもと燃えるアスファルトの上をひたすら無言で歩いている。食料を消化していない初日のバックパックはとにかく重い。ショルダーハーネスが肩に食い込み、硬いアスファルトが足裏を刺してくる。

この期に及んで、私はアスファルトの照り返しによる日焼けを気にしていた。右目脇のシミが年々濃くなっている気がする。これから標高3,000m以上を100km歩くのだから日焼けは避けられないはずなのに、なぜかアスファルトの照り返しで作るシミは許せない。悪あがきと知りつつも、右頬がちょうど影になるように、手のひらを頭上にかざした。

20分ほど歩いたところで、コンテナ調の建物に到着した。「Tuolumne Meadows Store」(トゥオルミメドウストア)日本で言うとサービスエリアみたいな場所だ。軽食をとれるカフェと食料やガス缶が手に入るショップがあり、ハイカーにとっては入山前の貴重な補給地である。カフェのメニューを覗くと、ハンバーガーやシェイクにそれぞれカロリーが書かれている。これからフリーズドライ生活が待っているハイカーにとっては命を繋ぐカロリー補給スタンドなのだ。


私もダブルハンバーガー(1210cal)にベーコン(280cal)をつけてさらにフライドポテト(280cal)も注文。ここでだけ許される、高カロリーなものをあえて選抜する背徳感に酔いしれた。

クマ缶をめぐる話

カロリー摂取で足取りも幾分軽くなり、再び20分ほど車道を歩いて、ウィルダネスセンターに到着。

遂に入山許可証を手に入れる時が来た。鼓動が高まる。なぜか19歳の冬を思い出していた。浪人を経て、涙ながらに電話口で聞いた大学受験の合格通知。でもやっぱりちゃんと自分の目で確かめたくて、わざわざ電車を乗り継いで大学まで合格発表の掲示板を見に行った。受験番号はあるはずなのに、この目で見るまでは不安で仕方がなかった。そんな遠い日を思い出していた。

「ハ、ハロ~。アイ リザーブド ジョンミュアートレイル」

緊張でガッチガチの英語やんけ! 心の中で呟く。カウンターにはボーイスカウト調のユニフォームを着た男女。レンジャーだ。彼らが、国立公園内の自然環境を維持管理している。一人は胸板が厚い男性。そして一人はブルーの瞳に金髪が美しい女性だった。どこか緊張感が漂うのは、挨拶のときに一度笑ったきり、白い歯を見なかったからかもしれない。

「ベアキャニスターは持ってきましたか?」の問いに、待ってましたと言わんばかりに私たちは2つの巨大な容器を同時に指差した。

ベアキャニスター

ベアキャニスター ──通称クマ缶。
アメリカ国立公園に多く生息するブラックベアから身を守るために、食料を始め化粧品など匂いのするものは全てこのクマ缶に入れて携行することがJMTでは義務付けられている。

クマ缶の素材は強化プラスチック(ポリカーボネート)で、直径22cm高さ32cmの円筒型。クマが食料の存在に気付いて中身を奪おうとしても、円筒型なので滑って容器を壊せない。さらに、蓋には小さなツメがついていて、そのツメとツメをずらして開ける仕組みなので、クマは完全にお手上げ。

以前は「カウンターバランス」という方法で食料を守っていた。紐の片方に食料、反対側に石を結んで、クマの届かない高さの木の枝を目掛けて、紐を投げて吊るすという方法。しかし、木登りも得意なクマには太刀打ち出来なかった。そもそも重い石をつけた紐を的確に放り投げるなんて至難の技だっただろう。

なお、どうしてこれほどまでにクマに食料を奪われることを恐れるかといえば、それはこの山々があまりに深いからである。もちろんクマと人間が接触する事故を避けるためでもあるが、ほとんどの地点が街まで数日かかるようなこの深山幽谷の中にあって、食料を失うことは死を意味する。クマ缶の携行を義務付けるようになってから、食料がクマに奪われる事故は格段に減ったという。

クマにとっても不幸なこと

しかしこのクマ缶、値が張る。Amazonジャパンだと1缶2万円近くする。貧乏性の私たちはにわかに一致団結し、メルカリやヤフオクを片っ端からあたるも全滅。試しに英語で本国のAmazonにアクセスしてみた。すると1缶8000円ほどで売っている。ビンゴ! 国際郵便の送料を考えてもAmazonジャパンよりは格段に安いということで、アメリカのAmazonから直接取り寄せることにした。

無事にアメリカから届いて安堵したものの、問題が発覚。この円筒型容器がバックパックにどうもしっくり収まらないのだ。どんな角度で突っ込もうとも、バックパックに無駄な隙間ができてしまう。そこで食料担当の夫はバックパックを背負うこと自体を諦めた。なんとアルミ製の背負子にクマ缶2つを直接紐でくくりつける、江戸時代の飛脚もびっくりのオリジナルスタイルで歩くことに決めたらしい。その後、ハイカーとすれ違う度に「Oh! Crazy!」と感嘆され、「No Pack Man (カバンなし男)」の異名をほしいままにすることになるのだが。


クマ缶を確認した後も、レンジャーによる厳格なルール説明は続く。ヒヤリングの集中力がいよいよ尽きそうになった時、あるセンテンスが脳を射抜いた。「クマと人が出遭うことは、クマにとっても不幸なのです」ハッとした。一度人間の美味い飯を覚えたクマは、その後人を積極的に襲う可能性がある。そうなれば、そのクマを殺す必要が出てくる。それも人間の安全のために──。
そのリスクを出来る限り排除する責任が私たちにはある。原生自然に入るとはそういうことなのだ。ルール説明を聴き終え、1人7ドルを支払い手に入れた入山許可証は、折り目正しく畳んでサコッシュの内ポケットに大事にしまった。

冒険の始まり

JMTを歩く資格を得た私たちは、もう登山口を目指すだけ。このウィルダネスセンターからトレイルヘッド(登山口)までは8.4km。高低差はプラス300m。歩けば2時間以上はかかってしまう。もうアスファルトを歩いて余計なシミをつくるのは勘弁願いたい。

そこで、人生初のヒッチハイクに挑戦してみることにした。いざ路上に立ってみると、誰が見ているわけでもないのに恥ずかしくて腕が上がらない。頻繁に車が通るわけでもないのに、何もしないまま3台も見送ってしまった。夫がニヤニヤしながら「日本人だねー」と揶揄してくる。嫌なやつだ。やや腹が立ち、ようやく決心がついた。勇気を振り絞って親指を高々と掲げてみる。が、車は一切スピードを緩めることなく音を立てて通り過ぎていく。少し傷つく。

ヒッチハイク JMT

でもフラれてみたら吹っ切れた。「Please!」声を上げながらなりふり構わず親指を立て続けると、グレーのセダンが停まってくれた。サングラスが似合う溌剌とした若い女性だった。彼女は明日から一人でジョンミュアートレイルに挑戦するらしい。同じ道を歩む者として、旅の成功を互いに願い、礼を言って別れた。

アスファルトが途切れ、林へと入って行く道の入り口に看板が見える。少し錆びたスチール板に文字がくり抜かれている。舐めるようにアルファベットを1文字ずつ確認する。確かにMonopass Trail Head(モノパストレイルヘッド)と書いてある。このスタート地点がなんと遠かったことか。ついに夢にまで見た冒険が始まるのだ。

JMT モノパス

私たちが夏休みの日取りを決めたのは出発3ヶ月前。この時すでに人気が高いヨセミテバレー周辺から始まる登山口は埋まっていた。まだ空きのあったモノパストレイルヘッドを選択したが、マイナーな登山口と言われる割には景観は素晴らしかった。トレイルから脇に目をやると、乳白色の花崗岩の上を透明な水が勢いよく流れている。轟音とともに上がる真っ白な水しぶきはきめ細かく、背景を染める広大な深緑の針葉樹林とのコントラストが美しかった。

JMT

ぐるり360°に見惚れる私を置いて、夫はずんずん先に進む。登山をするといつもこうだ。目の前の景色につい夢中になってしまう私とは対照的に計画的に行動してくれるのはありがたいが、それをアメリカでもやられると思わなかった。マイナーな登山口だからか山火事の影響でか、歩き始めてからというもの自分たち以外の人間を一度も目にしていない。迷子になったらどうしてくれるんだ。小走りで追いつく。10kgを背負っていても走れる自分に驚いた。細胞の一つひとつが高揚しているみたいだ。見上げると、重たかった雲の隙間に青空も覗いている。山火事の影響で煙臭かった大気は、山の奥へ奥へと入るごとに濾過されていくようだった。

ダウン

やがて樹木の背丈はみるみる高くなり、頭上を覆った。肌に感じる風が涼しくなってきたなあと思った途端、急に足が前に出なくなった。こめかみあたりがなんだかズキズキする。歩を進めるほどに、痛みが激しさを増してゆき、頭全体を中から外からガンガン打たれているような感覚に陥ってしまった。高山病だった。

思えば、昨日は10時間のフライトを終えてすぐ、サンフランシスコの登山用品店で最後の調達をしたりなどしているうち、あっという間に日付は変わり、結局3時間ほどしか睡眠をとれていなかった。そして今日、いきなり標高3,000mの山に来て10kgを背負って歩いている。無理もなかった。時刻は午後2時前。まだ2時間くらいしか歩いていないのに、とうとう頭痛と吐き気に耐え切れず道端に座り込んでしまった。

予定していた行程を歩くことは諦め、夫はすぐさま近くでテントを張れる場所を探しに行ってくれた。JMTでは、川や湖などの水場から30m以上離れていて、かつトレイルから30m以上離れた場所であれば、広大な自然のどこにテントを張ってもいい。日本では、決められた数少ないテント場でしか夜を越せないから、ハイシーズンになると芋を洗うように混み合って、なんでわざわざ山で人混みに…と思うことしばしば。その点だけをとったって、見渡す限り自分のテント以外人工物が何もない世界で眠れるアメリカの山は最高らしい。

ちなみに、これは日本とアメリカの自然保護の考え方の違いによるものだそうだ。日本では登山客の行動を狭い範囲に限定することで自然へのインパクトを一箇所にとどめようとするのに対し、アメリカでは登山客の行動を分散させることで、自然へのインパクトをなだらかにしようとする。これは、日本の山が急峻に連なるのに比べ、アメリカの山が広大で緩やかであることも関わっているはずだ。道に倒れ込んでいると、夫が迎えに来た。「結構いい場所見つかったよ」。言われるがまま、よろよろと夫について樹林帯の外側に出ると、思わず溜め息が漏れた。

見渡す限りの青々とした高原に永遠と続く1本の小川。せせらぎが耳に心地いい。その小川を目で追った先に、山と山が折り重なっている。一幅の絵画のようだった。ここで朝を迎えたい!! 朦朧とする頭で、それだけは明確に思った。「ここにする」と夫に伝えた途端、気持ち悪さと眠気で足元の草むらに倒れ込んだ。そのまま草花を敷布団にして少しうつらうつらしてしまった。夫がテントを張り終えるやいなや、這うようにしてその寝床に入り、義母が持たせてくれたロキソニンを飲んで眠った──。

これを見るためにここに来たんだ

寒さで目が覚めた。何時間経っただろう。あたりは静かだ。なぜだかテントの中がオレンジに染まっている。腕につけたGショックを確認すると夕方の5時を過ぎていた。3時間も寝てたんだ。起きあがると、薬が効いたのか、いくらか頭が軽くなっている。のそのそとテントから顔を出す。視界に飛び込んできた光景に言葉を失った。

山の稜線に今まさに夕陽が沈みゆこうとしている。燃えるような赤が草原を照らす。頬を照らす。太陽が動いているのが肉眼ではっきりわかる。けれどあたりは時が止まったかのように静かだ。太陽の息づかいだけを、草木も、私たちも、じっと見守っていた。

来て良かった。これを見るためにここに来たんだ。

夕陽を体中に浴びながら疲れを溶かしていると「今夜のディナーは天狗カレーです!」夫の威勢のいい声で我に返った。天狗が描かれた赤いパッケージが洒落ているビーフジャーキー入りのカレー。殆どがフリーズドライの中、重くても無理して持ってきたごちそうは、記念すべき初日の晩餐を飾るのにぴったりだった。

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大橋 未歩

フリーアナウンサー・"歩山"家

大橋 未歩

フリーアナウンサー・"歩山"家

兵庫県神戸市生まれ。2002年テレビ東京に入社し、スポ−ツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組にて活躍。2013年に脳梗塞を発症して休職するも、療養期間を経て同年9月に復帰。2018年よりフリーで活動を開始。幼少期は山が遊び場。2018年には米国ジョン・ミューア・トレイルをセクションハイクしマイペースに山を楽しむ。