北アルプスや日本百名山などを目指すなかで避けては通れないのが、岩場や鎖場。なんとなくの自己流でクリアできるところは多いですが、それぞれの難所に応じた歩き方を習得すれば、滑落や転倒のリスクを減らせます。そこで、難所のパターンごとに、安全な通過方法を登山ガイドが解説。槍・穂高連峰や剱岳など、中〜上級者向けのコースにチャレンジする経験者も、ここで再確認してみましょう。
2023.03.09
YAMAP MAGAZINE 編集部
上の地図は北アルプス最高峰・奥穂高岳(3,190m)の周辺を登山GPS地図アプリ「YAMAP」で表示したもの。
ランドマークというマーカーで⚠などの危険箇所が表示されています。一般的な登山地図などでも、同様の表示を目にしたことがあるのではないでしょうか。
しかし、こうした危険マークのある道だけが難所ではありません。歩く人が危険や困難を感じる場所は、慎重に行動する必要があり、すべて難所と考えて良いでしょう。
上記の写真は群馬県のとある低山にある鎖場。地図アプリでは危険を示すマークはありませんが、初心者にとっては、この鎖場を難所と感じる人が多いはずです。
登山道の崩落や沢の増水などによって、普段は労せずして通過できる場所が突如として難所になる場合も。今回は一般的に難所とされる代表的なケースごとに、安全な歩き方を紹介します。
難所の代表格が、斜度のきつい岩場。足で接地するだけでなく、岩を手で掴んで身体を安定させる必要があります。
この時の原則は三点確保(三点支持)という動き方。
両手・両足の4ヶ所の支点のうち、一度に動かして良いのはひとつだけ。残りの三点は、しっかりと足場や手がかりとなる岩をとらえている状態をキープしましょう。
具体的な動きを写真で紹介します。
あとはこの動きを繰り返していきます。ポイントは次の足場・手がかりへ、なるべく小刻みに進むこと。
思いきり腕を伸ばさないと届かないような遠い手がかりをとらえて、腕力に任せて身体を引っ張り上げると、バランスを崩す原因になります。
足場・手がかりとなる岩角・岩の割れ目・岩の突起などを見極めるのも最初は難しいでしょう。斜度や高低差の少ない岩場のある山で、練習を重ねることがおすすめです。
握力・腕力だけで体重を支えるのは不可能です。手がかりを掴んだ手は、あくまでもバランスを保つためのもの。荷重は基本的に足場にかけるようにします。
足は常に岩に対して垂直に置きます。靴全体を乗せられないような狭い岩角を足場にする場合は、つま先だけを岩に乗せましょう。
このため岩場の多い山では、靴底にクライミングゾーンがある登山靴が有効。つま先周辺の溝が小さくなっており岩に接地する面積が増えます。靴底の材質も、岩にしっかり摩擦が効くグリップ力の高いものがおすすめです。
こうした岩場に慣れないうちは、恐怖心から岩にしがみつくような姿勢になりがちです。けれども三点確保(三点支持)でバランスをしっかりとった上で、視野をなるべく広くすることで、次の足場・手がかりを探しやすくなります。
遠くに次の足場・手がかりを設定するのはバランスを崩す原因に。登りでもあまり上ばかりを見ずに視野を低く落として、近い場所の足場と手がかりを探します。特に足を移動させる際は、靴がしっかり足場をとらえたかも確認しながら進みましょう。
岩場でバランスを崩して転落した際、重傷になりがちなのが頭部です。転倒して岩角に頭をぶつけただけでも、脳挫傷や頭蓋骨の陥没骨折など重篤な事態になることも。
上にいる登山者が引き起こした落石を受ける可能性もあります。頭部の負傷を防止・軽減するためにも、岩場でヘルメットは着用しましょう。
転落した際にヘルメットが脱げてしまったという事例も発生しています。登山用ヘルメットの多くは頭囲に合わせて調整できるので、あごひももしっかりと締めてください。
グローブは「手がかりを掴んだ時の手の感触が鈍る」という理由で、装着しないよう指導するベテランもいます。
登山の初心者であれば、花崗岩などザラついた岩質が痛くてしっかり掴めないより、手にしっかりフィットしたサイズのグローブを装着した方が良いでしょう。
上の写真のようにロープを掴んで滑りやすい斜面を登降するような場所もあります。摩擦で破損しないよう、材質は革製(合成皮革を含む)がおすすめです。
いかにグリップ力に優れた登山靴であっても、雨や雪の降った後の岩が濡れている状況ではスリップする危険性が高まります。もともとリスクのある岩場では、こうした状況下では無理に行動せず、登山をあきらめる勇気も必要です。
鎖場には赤矢印で示したように鎖がボルトなどで岩に固定されている支点があり、この支点と支点との間をピッチと呼びます。
原則としてひとつにピッチに入って良いのはひとりまで。複数の登山者がひとつのピッチに入ると、誰かがバランスを崩して鎖を引っ張った際、他の登山者が振り落とされてしまう危険性があるからです。
そもそも通過に時間がかかる鎖場。夏山シーズンの週末には、登山者の渋滞が発生することもあります。焦らず、前を歩く登山者が次のピッチに入ったことを確認してから進むようにしましょう。
上の写真のようにほぼ垂直な岩場を鎖をしっかり握って登降する必要がある鎖場もありますが、こうした場所があるのは上級者向けコースがほとんど。初心者向けの鎖場では、ここまでの斜度がある場所は多くありません。
鎖や支点となるボルトが腐食している場合もあります。全体重を鎖にかけた途端、鎖が抜け落ちてしまうという可能性も否定できません。基本的には鎖に頼り過ぎず、三点確保(三点支持)の動き方で必要に応じて岩を手がかりにしながら、鎖場を通過しましょう。
写真のように登山道の下が断崖絶壁になっているような鎖場で、スリップしたり落石を受けたショックでバランスを崩して鎖から手を離してしまったら……。
こうした場所で安全確保のために行うのが、スリングという輪っか状のひもとカラビナという金属製のリングを使用してランヤードと呼ばれる器具を作り、自分と鎖を連結しておく、セルフビレイ(自己確保)という方法です。
ただし慣れない状態では鎖場の通過に必要以上の時間がかかることもあり、後述の通り絶対的な安全確保を保証する方法ではありません。
またランヤードでのセルフビレイの必要性を感じる鎖場は、初心者向けコースではあまり登場しないのも事実。ここでは、中〜上級者向けコースへステップアップした際の応用的な方法として紹介します。
用意するのはスリング(長さ120cm程度)1本とカラビナ(大きめのもの)2枚です。まずは以下の手順でスリングにカラビナを固定しましょう。
1.カラビナ下部にスリングの末端を奥から手前に通す
2.カラビナ上部にスリングの末端を手前から奥にかぶせる
3.これでスリングにカラビナが固定された状態
4.反対側のスリング末端も同じようにカラビナに固定
これでランヤードの完成です。
続いて、ハーネス(ロープや鎖と自分を連結するためのベルト)を装着して、これにランヤードを連結します。手順は以下の通り。
1.ハーネスのループに二つ折りにしたスリングの真ん中を通す
2.輪っか状になったスリングの真ん中にカラビナ2枚を通す
3.これでランヤードはハーネスに連結された状態になる
4.ハーネスがない場合はスリングをもう1本用意。「シートベンド」という方法で上半身に簡易的なハーネスを装着する
これで準備は完了、実際に鎖場で使用してみましょう。
鎖に2枚のカラビナをかけて、最初のピッチに入ります。次の支点まで来ると、カラビナが支点にぶつかって進めない状態になります。
カラビナをひとつずつ次のピッチの鎖へかけ替えていきます。常にどちらかひとつのカラビナが鎖にかかった状態にしておくことで、万が一の転落を防止します。この操作は必ず片手で、もう片方の手は鎖や岩をしっかり掴んでおきましょう。
カラビナを2枚ともかけ替えたら、次のピッチへ進みます。あとはこれを支点を通過する度に繰り返していきます。
ちなみにこの時、カラビナを手で前方へ押し進める必要はありません。鎖に干渉しない大きめのカラビナであれば、きちんと自分に追従してくれます。手は鎖や岩をしっかり持って、三点確保(三点支持)の原則を守りながら進んでください。
ただしこの方法を実践しても、万が一バランスを崩した際の衝撃では大きな荷重(2t以上になることも)が発生。設計上の耐荷重を超えてしまいスリングの破断・カラビナの破壊が起こったり、ハーネスを装着している身体がダメージを負う可能性もあります。
ランヤードには衝撃吸収力のあるアブソーバースリングを使用することが、現在では一般的です。
ハシゴを昇降する時は、登りでも下りでも支柱ではなく取手を持つようにしましょう。万が一足を滑らせてしまった時でも、取手を持っていれば鉄棒のようにぶら下がって落下を止められるからです。
岩場と同様、ハシゴにしがみつくような姿勢はNG、足が後側に滑りやすくなってしまいます。
上体を起こして、取手に乗せた足のつま先を地面に対して鉛直方向の重心がかかるような姿勢で昇降しましょう。
一般登山道では難関ルートである剱岳(2,999m)にある下りのハシゴ。途中に取手まで岩が飛び出している場所があり、不用意に足を置くとつま先が岩に触れてバランスを崩しそうになります。
ハシゴでも三点確保(三点支持)の原則はしっかり守って、両手はしっかりと取手を握りながら片足ずつ慎重に次の一歩を置きましょう。
斜面の中間を横断するように進むトラバース。アップダウンが少ないため体力的には楽ですが、登山道の幅が狭くなりがちな上、谷側(低い方)への転落の危険性があることを、常に認識しておく必要があります。
岩場をトラバースする場合は三点確保(三点支持)の原則を守った上で、不恰好に思えますがカニ歩きのように、一歩ずつ慎重に次の足場へ横移動していきましょう。急ぐあまり足を交差させてしまうと、これまたバランスを崩す原因になります。
写真は晩夏の北アルプス・白馬大雪渓。地表の温度によって両端が、沢の水によって中央が溶けて薄くなっているのがわかるでしょうか。こうした場所はもろく崩れやすいため、雪渓の中央と端の真ん中あたりを歩くのが原則です。
登山者が多い雪渓であれば紅殻という赤い粉をまいて、歩くべき場所を表示しているところもあります。
雪の上を歩くことになるため、雪がまだ固い初夏は特にスリップが多い場所です。雪渓を通過する際は、4本爪〜6本爪の軽アイゼンを装着して歩きましょう。
雪渓は地形的に谷間にできるため、両側の斜面からの落石の危険性が常にあります。雪の上をバウンドしながら転がってくる落石はほとんど音がしないため、気がついたら目の前に……ということも。ヘルメットを必ず装着してください。
橋がない沢を渡る場合、靴の濡れを気にして水面から出ている石を選んで飛び移りたくなりますが、これはとても危険。飛び移る動き自体がバランスを崩す原因になり、その石が動いて転倒してしまう場合もあります。
腰を落として重心を低くした上で、川底の安定している石を慎重に踏みながら進みましょう。
後側の足にしっかり重心を残したまま、前足は高く上げずに次の一歩を踏み出します。水の流れに無理に逆らうとバランスを崩しがちなので、上流から下流側に斜め気味に渡るようにします。
とはいえ、渡渉は水深がすね程度までの沢を渡る場合に実践するもの。膝上に増水した沢で水圧に負けて溺死する事例が、過去にも頻発しています。
ガイドやベテラン登山者であれば両岸の強固な岩や樹木にロープを固定して渡る方法もありますが、これはロープワークの知識と経験なしには不可能。登山初心者であれば面倒であっても引き返すなどして、無理な渡渉は避けてください。
さまざまな難所の歩き方を紹介してきましたが、こうした場所で事故が集中して発生している訳ではありません。むしろ神経を張り詰めて通過した後、なんでもないような場所で、気の緩みから滑落や転倒を起こすことが多くあります。
コース上に難所のある山では、難所だけでなく常に集中力を維持することが大切。集中力を保つための体力や、難所を通過する技術力を高めた上で、達成感のある登山を楽しんでください。
執筆・素材協力・トップ画像撮影=鷲尾 太輔(登山ガイド)