YAMAP10周年にちなみ、2033年の登山シーンを大胆予測する「山とテクノロジーの10年後」。前編では、登山口へのアクセスと、登山につきものの「疲労」について、テクノロジーがどう解決するかをお届けしました。続く後編では、遭難や事故、そして救助といった命に関わるハードな問題をピックアップ。引き続き、人間拡張工学とバーチャルリアリティが専門の東京大学・檜山敦教授に伺います。
前編「自動運転やロボット工学は登山シーンをどう変えるのか?」はこちらから
2023.03.15
Jun Kumayama
WRITER
前編では、モビリティジャーナリストの楠田悦子さんに車の自動運転技術による登山口へのアクセス向上の可能性を伺ったほか、東京大学の檜山敦先生には登山につきものの「疲労」についてお聞きしました。
檜山先生に提示していただいたのは、パワードスーツによる筋力アシストやドローンによる荷物の運搬、マッチングサービスによる登山者同士の知識や体力のシェアリングといったさまざまな解決方法。本編では、残る登山にまつわるお悩みで代表的なものに迫ってみましょう。具体例を挙げてみますと────
「スマホの電波が届かない」
「グループのペースについていけない」
「濃霧、降雨、夜間で視界が悪く歩きにくい」
「持病の悪化や高山病といった急病」
「遭難や滑落といった事故」
────このへんでしょうか。特に重要なのはスマホの電波。内蔵GPSとYAMAPのような登山地図GPSアプリによって正確な現在地確認ができるとあって、いまやスマホは登山に欠かせないアイテムとなりました。とはいえ、メジャーな山域でもひとたび谷間や山陰に入れば即圏外。電話やメールといった通信手段として使えないケースが多いのが現状です。
そんな山での通信環境について、10年後はどうなっているでしょうか、檜山先生。
「通信衛星によるネットワークの普及で、日本全国どこでも圏外というエリアはなくなっていると思います。なかでも、2022年に日本でも運用を開始した『STARLINK(スターリンク)』という安価な通信衛星サービスがあるので、山小屋での高速・低遅延のネット環境は今後どんどん普及すると思います」
STARLINKといえば、テスラの共同創業者であり、ツイッターの現オーナーとして有名なイーロン・マスク氏が手がけた、アメリカのスペースX社が運用している事業。地球の低軌道上にあげた数千機の通信衛星で、通常スマホの電波が届かないエリアにも衛星を通じて高速・低遅延のネット環境を提供するとあります。
それでいてアンテナ代が3万6,500円、月額6,600円と破格(※2023年3月現在。期間限定価格)。これはいち早く山小屋に導入していただきたい!
「STARLINKは今のところ大きなアンテナを要する家庭用ではありますが、すでにiPhone 14シリーズには、衛星通信(米Globalstar社)を利用した緊急時のメッセンジャー機能が搭載されています(※日本ではサービス未導入)。10年後はより小型化して、スマホでも衛星通信による高速かつ常時接続のネット環境が整うと思います」
つまり、空さえ開けていればスマホの圏外がなくなるわけで、今よりずっと道迷いが減るでしょうし、遭難や滑落、急病といった緊急時でもSOSが発信できたり、場所の特定が容易になったりするってわけですね。
「はい。ですので、先に挙げていた『グループのペースについていけない』という悩み自体なくなりますよね。グループ登山でペースがズレて互いの姿が見えなくなっても、スマホで常につながって現在地もわかるわけですから、ある意味ずっとマイペースで歩くことができます」
それはすごい。集団のペースに遅れまいと、焦ったり疲れたりすることで起きてしまうトラブルも減りそうです。
「さらに言うと、無理をしてグループで同じ山に登らなくてもよくなります。同じ日であれば、違う山に登っていてもスマホでつながっているので、互いに実況中継しながらワイワイ歩くことができますし、何かあってもいち早く異変に気づくことができます」
ソロなのにグループ登山という新しい登山スタイルが爆誕すると…。当然家族とも常時接続できるでしょうから、しょっちゅう安否を心配されているソロハイカーにとっても福音やもしれません。
「ただこれは、前編で触れた“パワーアシストスーツとドローンで楽するのを登山と言えるのか”という問題と一緒で、常時接続が登山の醍醐味を台無しにする可能性はありますよね」
確かに。山は圏外だからこそ、何物からも開放されてリラックスできるという側面もあるわけで、常時接続となると、どこまでも人間関係や仕事といった世俗がつきまとうことにもなりかねません。となると、ほどよい落とし所は「YAMAPのみまもり機能が衛星通信でより正確になる」あたりなのかも…。
こうして圏外がなくなり、スマホの常時接続が当たり前になると、そもそも重篤な遭難件数は大幅に減るはず。なんせ、救助すべき人の居場所はわかるわけですから。あとは救助のスピードアップに期待です。
「すでに災害時の状況把握などで導入されていますが、ドローンによる捜索が今よりもっと一般化すると思います。人が操縦するヘリコプターだと、莫大な費用がかかりますし、そもそも荒天時や夜間には出動できません。その点ドローンであれば、安価ですし、人が乗らないので二次災害も減らせます。
また、視界が悪くてもレーザー光で対象物までの距離や形状を計測するLiDAR(ライダー)やサーモグラフィーといったセンサー類と、AIを組み合わせた捜索もできるので24時間稼働が可能です」
視界が悪くても行動できるテクノロジーは、夜明け前や降雨時にも行動せざるをえないハイカーにも恩恵をもたらしそうです。
「いざ救助となった場合も、大仰な救助ヘリではなく、レスキュー隊員1人を吊り下げたドローンによる作業が期待できます。救護者はパワーアシストスーツで持ち上げる。一緒に飛ぶだけのパワーとバッテリー容量さえあれば、十分実現可能でしょう」
いまや林業でも資材運搬にも使われているみたいですし、ドローンってすごい。登山道の整備にも役立ちそうです。
「ドローンとカメラを組み合わせたフォトグラメトリ(撮影した写真をもとに立体モデルを作成する技術)を用いれば、登山道が崩落してもすぐ特定できるようになる。ハイカーは迂回すべきかどうかいち早く知ることができますし、今よりずっと修復もスピーディーになると思いますよ」
もはや遭難リスクが激減しそうな2033年の登山ですが、もうひとつ、救助が必要なシーンでいえば、怪我や病気といった急患が考えられますよね。高山病はもとより、登山によって持病が悪化することも考えられます。事実、登山における3大死因は「外傷」「心臓突然死」「寒冷障害」(出典:大城和恵『登山外来へようこそ』角川新書、2016年)だそうですし。
「そこをカバーしそうなのが、スマートバンドやスマートウォッチによる身体機能のモニタリングと予防医学の知見でしょうね。すでにApple Watchには心拍数や体温、心電図、血中酸素濃度といったさまざまなセンサーが備わっていて、世界中のユーザーからのフィードバックをもとに、数々の病気のリスクを予測し、多くの命を救っています。
噂によると今後は血圧や血糖値までわかるようになるといわれていますから、たとえ持病があっても、ウェアラブルデバイスで体調を確認しながら登山が楽しめる未来がやってきそうです」
2022年にYAMAPはApple Watchに対応しましたけど、筆者が個人的に手放せないのはApple Watchの健康モニタリングだと痛感しています。
「さらに近い将来、心拍数や発汗といったデータをもとに、健康状態だけでなく、感情までモニタリングできるようになるかもしれません。それらの情報がかかりつけ医だけでなく、家族や友だちと共有できると面白いかもしれませんね」
なるほど。「あの人、今は機嫌が悪そうだから話しかけるのはやめとこう」「なんか良いことあったみたいだから奢ってくれそう」といった情報までわかれば、より人間関係が円滑になるやも。
ここまで2033年の登山シーンを檜山先生に予測していただいたわけですが、常につきまとったのは「登山にどこまでテクノロジーを持ち込めばいいのか」という哲学的な命題でした。
「事故や病気といったリスクマネジメントに、山ならではの高コスト体質に対してはテクノロジーを積極的に活用するのはアリですけど、山登りというアクティビティそのものに対しての導入は人それぞれ取捨選択すればいいと思います。
従来のハイカーにとっては世俗との関係を断って、自分の頭で考えて汗を流すのが登山の醍醐味かもしれません。一方で、体力や経験が足りず登山が叶わなかった人たちにとってテクノロジーを借りて山に登るのは悪いことではない。近年経営が苦しい山小屋にとっても、テクノロジーも活用したそれらの人のサポートは新たなマーケットとして期待できると思います」
逆にいえば、テクノロジーで登山が容易になった未来こそ、自分が山に何を求めているのかがハッキリしそうでもありますね。それが「眺望」であればドローンを使えばいいかもしれませんし、「冒険」であればまだまだ開発されていない地底や宇宙への旅へと関心が広がるかもしれませんし、「挑戦」であればテクノロジーは使わずに過酷なレースに出場するのかもしれませんし。
「それでいうと私は山の『共有』かも。やはりテクノロジーを介して、初心者とベテラン、若者と高齢者が一緒に山を楽しめる未来が理想だなと思いますね」
なるほど。先生の今後の研究開発に期待しております! ありがとうございました。
イラスト:牧野 良幸
写真:鈴木 千花
原稿:熊山 准