山岳遭難は痛ましい出来事ですが、そのときの気象条件を検証することで、遭難を回避できる可能性が高まります。今回は雨によって引き起こされる落雷と沢の増水・鉄砲水、土砂崩れについて、国内唯一の山岳気象専門会社ヤマテンの代表取締役で気象予報士の猪熊隆之さんの監修で解説します。
2024.03.23
鷲尾 太輔
山岳ライター・登山ガイド
気象遭難は、大きく分けてふたつのリスクが原因となっています。ひとつは、気象が登山者自身にダメージをもたらす気象遭難です。雨で身体が濡れることによる低体温症や、熱中症、突風による転滑落、落雷による感電といった事例が挙げられます。
もうひとつは、気象が山に影響を与えて登山者にダメージをもたらす遭難です。沢の増水・鉄砲水による水難や、土砂崩れや落石に巻き込まれる事例が挙げられます。
今回は落雷と沢の増水・鉄砲水による水難の各事例について、実例や遭難防止のための対策を紹介していきます。
テレビなどで、お天気キャスターの「大気が不安定な状態」という言葉を聞いたことはありませんか。これは、上空に寒気が流れ込む状態を指します。地表の気温が高い夏では、この状態では上空との気温差が大きくなるのです。
上空に寒気があるときは、上昇気流が強くなるため、雲が”やる気”を出しやすくなります。そのような状態で雲が発生すると、入道雲に成長していき、やがて積乱雲と呼ばれる落雷や強雨(雪)をもたらす雲になっていきます。
積乱雲は目視するだけでも輪郭がはっきりとして天高く盛り上がっている、雲の中でもっとも”やる気のある”雲。そして、氷の粒が積乱雲の中でぶつかり合うことで静電気が発生し、これが蓄積されると、強い威力を持つ雷になるのです。
このような「大気が不安定な状態」を引き起こすのは以下の条件のときです。
①上空高いところ(夏は5,000m以上、冬は3,000m以上)に寒気が入るとき
②地面付近に暖かく湿った空気が入るとき
①の場合、寒気や寒冷低気圧(上空に寒気を伴った低気圧)の動きは比較的遅く、日本上空を通過するのに3日程度かかることが多い傾向です。このことから「雷三日(雷雲は3日程度連続して発生する)」ということわざがあります。
筆者がこのことわざを痛感したのが、2019年8月6日に南アルプス・甲斐駒ヶ岳(2,967m)へ登山した際のことです。朝方は快晴だったものの、山頂に着く頃には積乱雲が急激に発達。14時過ぎから雷雨となり、鳴り響く雷鳴の中を”ほうほうの体”で下山しました。
前夜に宿泊した山小屋スタッフの会話で「ここ数日は夕立(雷雨)がない」という言葉を聞いていたので、前日までは大気の状態が安定していたようです。
すなわち8月6日は「雷三日」の初日に当たります。このため筆者はその後3日間程度は雷雲が発生しやすいと判断し、翌日の南アルプス・鳳凰山(2,840m)への登山を中止しました。
そしてまさに翌日の2019年8月7日、同じ南アルプスの北岳(3,193m)付近で、後に紹介する落雷による死亡事故が発生したのです。
人が落雷の被害に遭うケースとしては、直撃雷(人自身に雷が落ちる)と側撃雷(近くのものに雷が落ちて人が感電する)があります。登山中の落雷事故は、ほとんどの事例が側撃雷によるケースです。
にわか雨が降ってきた際に、雷鳴が聞こえないからといって大木の下や山小屋の軒下などに避難するのは絶対にNGです。雨宿りのつもりが、大木や山小屋の避雷針に落ちた雷の側撃を受けてしまいます。
同様に雷鳴が聞こえなくても、大粒の雨や霰(あられ・大きさ5mm未満の氷の粒)・雹(ひょう・大きさ5mm以上の氷の粒)が降ってきた場合も要注意。これらは雷雨がいつ襲来してもおかしくない状態です。
ゴールデンウィーク真っ只中の2019年5月4日に、新緑が美しい丹沢山塊・鍋割山(1,272m)の山頂まで640mほどの稜線で、落雷による死亡事故が発生しました。雨が降り出したため木の下へ移動した登山者が、その木に落ちた雷の側撃を受けたのです。木から離れた場所にいた同行者にケガはありませんでした。
落雷というと夏特有の事例と思いがちですが、上空に寒気がある「大気が不安定な状態」では、夏以外の季節でも落雷のリスクがあるのです。
対馬暖流の影響で海面が温かい本州の日本海沿岸部は、冬の方が雷が発生しやすいという事実も。冬の積乱雲は高度が低いため、落雷の電流も大きくなるので注意が必要です。
先ほどの「雷三日」のことわざで触れたケースです。夏山シーズンたけなわの2019年8月7日。南アルプス・北岳(3,193m)付近で落雷による死亡事故が発生しました。
午前中は快晴だったものの、昼頃から雲が発達。周辺では雹(ひょう)も降り、14時過ぎには激しい雷雨となったのです。
多くの登山者は北岳肩ノ小屋や北岳山荘へと退避していましたが、急激に天候が悪化して雷雨になったため、稜線上の岩陰で身を伏せるしかなかった人もいました。そうした登山者のひとりが、直撃雷を受けてしまったのです。
前述の通り筆者は前日に雷雨に遭遇していたため、この日が「雷三日」の中日であることを認識していましたが、あくまでも偶然に過ぎません。登山する日が1日遅れていれば、「雷三日」の最中であることに気付かなかったでしょう。
もちろん前日に甲斐駒ヶ岳で落雷の被害を受けていた可能性もあり、決して他人事とは思えない事故でした。
落雷事故防止のためには、雷雨になりやすい気象条件の時での登山を避けることが一番。冒頭で紹介した雲が“やる気を出す”状態を、天気図から把握することが大切です。
一見すると高気圧に覆われていても、図のように上空に寒気が入り込んでいる時、または寒冷低気圧がある場合は、積乱雲が発達しやすいので注意しましょう。
前回の記事(季節ごとに注意すべき気圧配置と前線の動き|山岳気象予報士・猪熊さん監修解説)で紹介した通り、前線付近や前線の南側300km以内でも積乱雲が発達しやすく、落雷や強雨の可能性が高まります。
行動を開始する時には、空を観察したり肌で空気を感じるようにしましょう。朝早くから入道雲が周囲で発生している時や、晴れているのに朝から空気がじめっとした感じがする時は、日中の天候の急変に注意が必要です。
前項のように天候が急変する可能性がある場合は、落雷の危険が高まる前に山小屋やより低い場所へと避難することが重要です。携帯電話の電波が通じるエリア内であれば、リスクが高い岩場や開けた稜線などに進む前に、雨雲レーダーや落雷マップを見て危険が迫っていないかをチェックしましょう。
電波が通じない場合は、空を見渡して”やる気のある”雲が周囲にないかを確認しましょう。以下のような雲を見つけたら、注意が必要です。
①近くに”やる気を出している雲”(積乱雲)がある
②周囲で雲の底が暗く、ソフトクリームのようなモクモクした雲が天高くそびえ立っている
③雷鳴の発生元になっている雲が近づいている
④近くにある雲の下から尻尾のように垂れ下がった部分が見える
ガスや霧に覆われて空を見渡すことができない状況では、以下のような現象が落雷のリスクがあるサインとなります。
①空気が急に冷たく、あるいは生暖かくなった
②雷鳴が聞こえた
③大粒の雨、または霰(あられ)・雹(ひょう)が、数滴・数粒でも降り出した
なお、視界不良でも稲妻が光ったことを視認できれば、雷鳴との時間差で現在地と落雷した場所の距離を知ることができます。光の速さは秒速約30万kmと非常に早く、1秒間に地球を7周半できることから、稲妻は発生とほぼ同時に見えます。
対して音の速さは秒速約340mとかなり遅く、稲妻が見えるタイミングと雷鳴が聞こえるタイミングにはズレが生じます。
例えば稲妻(ピカッ)と雷鳴(ゴロゴロ・ドーン・ドカン)の時間差が約10秒であれば、現在地から約3.4kmの場所で雷が発生していることになります。
雷の好物は「高く」「尖った」ものです。落雷の危険を感じたら、山頂や稜線上などの高い場所から、なるべく急いで退避しましょう。大きな岩などからはなるべく遠ざかり、尖ったトレッキングポールなどは自分から遠ざけて置いてください。
雨を避けるために樹林帯へ避難したくなりがちですが、高い木の真下で雨宿りをしていると、側撃雷を受ける危険性があります。先ほどの鍋割山の事例だけでなく、登山では数多く発生している落雷事故のケースです。
イラストのように、幹や枝先から4m以上離れ、なおかつ木の高さと同じ距離の範囲内が、比較的安全な場所(保護範囲)です。ただし高さ5m以下の木の場合は保護範囲がありません。
また実際には同じような樹高の木が林立していて、どの木に落雷するかわからない場合も多いものです。同じ樹林帯でも、高く盛り上がっている稜線は避けて、斜面や沢など低い場所や、木がまばらな場所へ避難してください。
稲妻と雷鳴の時間差が5秒以内だったり、電気で髪の毛が逆立つような状況は、落雷事故の危険が切迫しています。④までのプロセスで避難が完了しているのが理想ですが、止むを得ない場合にはイラストのような退避姿勢をとります。
まずは直撃を避けるために、なるべく頭を低くした姿勢でしゃがみます。雷鳴で鼓膜が破れないよう、耳もふさいでおきましょう。両足はしっかり閉じて、地面に接している部分は靴底だけの状態にします。
地面に寝転んだり、ひざやお尻を地面につけたり、足を開いている姿勢はNGです。近くに落雷した際に身体が電気の通り道になって、心臓に致命的なダメージを負ってしまいます。
急激な沢の増水や土砂崩れの原因となる局地的豪雨は、落雷と同様に”やる気のある”雲によって発生します。前線が日本付近に接近するときや、落雷の項目で解説した「大気が不安定な状態」のときは、雨雲が活発化するため注意が必要です。
地球温暖化の影響もあり、昨今の天気予報やニュースでよく耳にする言葉が線状降水帯。次々と発達した複数の積乱雲が線状に連なる場所や、風と風がぶつかり合うところが線状になるときに発生します。
これが同じ場所に停滞すると局地的に猛烈な雨が長時間降り続けるため、甚大な被害をもたらす水害や土砂災害を引き起こすのです。
線状降水帯以外でも、長時間の大雨に見舞われることがあります。このような大雨になるのは次の2つのパターンのときです。
①台風が大型であるとき
②台風が南海上にあるときに前線が日本列島に停滞するとき
①は台風本体の雨雲が広範囲に及ぶことと、台風が離れているときから、主に山の南東や東
斜面で雨が強まることから、長期間にわたって大雨になります。2019年の台風19号による大雨がこのパターン。
②台風から暖かく湿った空気が供給されるため、前線の活動が活発化し、前線に伴って大雨が降るパターンです。
台風が日本列島に接近・上陸する前であっても油断は禁物です。台風自体は日本列島の遥か南海上にある場合でも、台風に押し上げられて活発化した前線が日本列島にかかると大雨になり、台風本体の通過までを含めて長期間にわたって降り続くのです。
増水した沢を渡る途中に流されて溺死するという水難事故は、登山において多発しています。
2014年8月16日に北アルプス・槍ヶ岳(3,180m)から岐阜県側の新穂高温泉に下山中、増水した滝谷を渡ろうとした登山者3名が流されて死亡する事故が発生しました。
この滝谷は長雨や大雨の後に増水することが多く、近くにある山小屋・槍平小屋が事故の翌年にリアルタイムで観測するライブカメラを設置しました。
沢の増水が急激かつ大規模に発生するのが鉄砲水です。2000年8月6日には谷川岳(1,977m)の山麓を歩いていたスポーツチームの児童と引率者31名のグループがマチガ沢に差し掛かった際に、山頂付近で発生した雷雨による鉄砲水に遭遇し、約5名が流されて1名が死亡する事故が発生しました。
滝谷・マチガ沢は、いずれも上流の小さな沢(支流)が合流して川へと流れ出す「集水地形」です。こうした場所では短時間・少量の降雨であっても、それぞれの支流からの水が一気に流れ込んで、あっという間に水かさが増す場合があります。
こうした水難事故に遭わないためには、雨が山に及ぼす影響に配慮したコース変更が重要です。
山の地形では、沢沿い・沢の渡渉がある・急斜面の直下・ガレた場所などが特にリスクが高い場所に該当します。複数のコース選択が可能であれば、こうしたリスクが高い場所を通過しないコースへ変更することが賢明です。
例えば高尾山(599m)であれば、沢沿いを進む6号路・沢沿いから急斜面をジグザグに登る1号路・沢筋のトラバースがある3号路と4号路に高いリスクがあります。この場合は比較的なだらかな稜線を登る稲荷山コースへの変更がおすすめです。
沢の渡渉は、一般的には水深がすね程度までの穏やかな流れが限界です。膝上まで増水して水の流れも強くなっている場合は、水圧に負けて流される危険性が高まります。
ロープなどを所持していても、使い方を誤るとむしろ危険性が高まる場合があります。両岸の仲間がロープの末端を持っている状態で渡渉中の人がバランスを崩し、3人全員が流されて溺死するという事例も発生しています。慣れていないものに頼るのではなく、引き返す勇気を持つことが大切です。
特に下山まであと少しという場合には、登山計画通りの行動を続けたくなるものですが、生命には代えられません。無理な渡渉は絶対に行わず、撤退・引返しや停滞の冷静な判断を行なってください。
大雨が予想されているときや、強い雨が降っているときは、ガレ場や崩落地がある登山道を避けるようにしましょう。こうした場所では雨による地盤のゆるみで、大規模な土砂崩れや落石が発生する危険があります。
同様に、両側の斜面からの落石の危険がある沢沿いのルートや雪渓の通過も、大雨のときは避けることが賢明です。
特に雪渓では落石の音がしないために気付くのが遅れ、目の前に迫った落石を避けきれないという可能性が高まります。
こうした被害に遭わないためにも、登山計画を立てる段階から、自分の登山ルートがどのような場所や地形を通過するのかを確認することが大切です。
今回紹介した事例の被害者・犠牲者の方々を、「知識不足」や「事前の情報収集・分析不足」などと批判するつもりはまったくありません。筆者自身も、この記事を読んでいる皆様も、同様の事例に直面する可能性は十分にあるのです。
だからこそ、死亡率が高い落雷や水難による気象遭難は極力減らしたいもの。今回の記事を参考に、安全登山に役立てて頂ければ幸いです。
天気のことわざは本当にあたるのか考えてみた(ベレ出版刊)
猪熊隆之著
全国に伝わる天気のことわざを紹介、検証しながら天気を自然に学べる一冊
監修:猪熊隆之さん
気象予報士
株式会社ヤマテン代表取締役
中央大学山岳部前監督
国立登山研修所専門調査員および講師
カシオ「プロトレック」アンバサダー
「山の日」アンバサダー
茅野市縄文ふるさと大師
日本山岳会会員
2011年秋に世界的にも珍しい山岳気象専門会社・株式会社ヤマテンを設立。一般登山者向けに全国330山の「山の天気予報」を配信している。国内外の山岳地域で行われるテレビ・映画の撮影を気象面からサポートしているほか、山岳交通機関・スキー場・山小屋・旅行会社などに気象情報を提供している。空の百名山を朝日新聞で連載中。また、空の百名山プロジェクトを通じて全国の山をまわりながら、雲の解説をおこなっているほか、気象講習会への講師としての登壇や著書も多数。
登山歴はチョムカンリ(チベット)、エベレスト西稜(7650ⅿまで)、剣岳北方稜線冬季全山縦走など。2019年以降は、マナスル(8,163m)、チンボラッソ、コトパクシ(エクアドル)、マッターホルン、キリマンジャロ、など予報依頼の多い山に登頂し、山岳気象の理解を深める。
執筆・素材協力=鷲尾 太輔(登山ガイド)