2020年5月11日。日本の山岳業界に激震が走りました。冒険家の植村直己さん、登山家の松浦輝夫さんが、日本人として初めてエベレストに登頂した1970年5月11日からちょうど50年目。記念すべきこの日に、プロ登山家の竹内洋岳さんが「妄想で」エベレスト登頂に成功したのです!…ん? 妄想でってどういうこと? 「#妄想エヴェレスト登山」の真相と、過酷を極めた冒険の様子を伺いました。
2020.06.12
YAMAP MAGAZINE 編集部
ー本日は取材を受けていただきありがとうございます。本来であれば直接お伺いしたかったのですが、コロナの状況もありますので、オンラインにてよろしくお願いします。そちらは竹内さんのご自宅でしょうか?
竹内:はい、ここは私の自宅ですね。すいません、ちょっとモノが多いんですけど。
ー本日は竹内さんの偉業達成についてお聞きしたいと思っています。よろしくお願いします!
竹内:なんでも聞いてください。
ーまずはじめに、”妄想での”エベレストに登頂、おめでとうございます!(笑)
竹内:ありがとうございます(笑)。なかなか誰もが、まともにやる気を出してやるようなことじゃないので大変でしたけど、無事現実に帰ってこれてよかったです。
ーエベレストをよく知る竹内さんだからこそできる偉業だと思いました。今のお気持ちを聞かせていただいてもよろしいですか?
※竹内さんは1996年5月17日にエベレストに登頂。世界で29人目、日本人唯一の8,000メートル峰全14座の登頂者。
竹内:何より50年前に植村さんと松浦さんがエベレストに日本人として初登頂した5月11日に登頂ができたことを嬉しく思います。妄想ですが(笑)。
実際のエベレスト登山は、いくつもの条件が歯車の様に噛み合わさらないと不可能なチャレンジです。今回の登山は妄想上のものなんですが、実はその歯車ひとつひとつに、かなりこだわっているんです。日にちを狙ってのエベレスト登頂は、いくつもの条件が整わないと難しいですから。
ー条件というのは、例えば天気などですか…?
竹内:そうですね。最近のエベレスト登山においては、5月11日というのはかなり早い時期の登頂になるんです。まだ頂上までのルートが出来上がっていない状況ですし、天候など、いくつもの条件が揃うチャンスを捉えるのがとても難しい。
ーあえて現実の条件にこだわったということでしょうか?
竹内:そういうことになります。先ほど話したように、エベレストには普通に登頂するだけでも、いくつもの条件を整える必要があります。今回はノーマルルートにオーソドックスなスタイルで臨みましたが、そこにさらに「50年前のお二人と同日の5月11日に登頂する」という課題を設定することで、私は今回の登山に意味を持たせました。
ただ登るだけはなくこうした意味付けにこだわったのは、長年のパートナーであるドイツ人のラルフが、あることを私に教えてくれたからです。それは「山の高さを人が高くすることはできないが、その登山の価値を高めることはできる」という言葉でした。
竹内:自分の考え方次第でその登山に意味を持たせることができるともいえますよね。妄想でありながら、天気やルートなど、現実の条件にこだわり、しかも5月11日登頂という課題を設定し、真剣に挑戦する。それはとても面白く、そして難しいチャレンジでした。
ーSNSで投稿をしているのをリアルタイムで日々見ていましたが、妄想とはいえかなり現実っぽくて、本当に妄想なのかなと疑ってしまう場面もありました…。
竹内:ありがとうございます(笑)。それは、思う壺です。狙ってました。
ー(※妄想です。)という表現も効いていたように思います。
竹内:ヒマラヤには何度も行っていますから、記憶を頼りに、ずれがないように日々を過ごしていくことを心がけました。ここに行ったらどんな音が聞こえてきて、どんな匂いを感じるのか。誰と会って、何を食べるのかなども現実に起こっていることとして考えていました。妄想ですけど、真剣でしたよ(笑)。
ー天気について、ヤマテンの猪熊隆之さんとのやり取りも見どころでしたね。
竹内:猪熊さんには普段の海外遠征でもサポートしていただいてます。今回の登頂も、猪熊さんの予報なしに達成は不可能でした。
竹内:猪熊さんの予報は、場所という2次元の予報だけではなく、標高や尾根のこちら側と向こう側を考慮した3次元の予報なんです。さらに彼のすごいところは、そこに私のスピードを読み、少し未来の私の位置をも予測した4次元の予報をしてきます。
私は猪熊さんの予測に沿ったタイミングと場所にピンポイントで移動することに最善を尽くし、猪熊さんも、私の動きを読んだ予報をしてくる。お互いにせめぎ合い、天候や体調などを予測しながらチャンスを作り上げていく作業を、いつも行っているんです。
普通の人だったら止めますが、竹内さんなら行けるでしょう?とGOサインをもらうこともありましたね(笑)。私のことをとてもよく理解してくれていて。
竹内:本気でぶつかり合うこともよくありますよ。もちろん、今回もです(笑)。妄想にもかかわらず、二人ともそこに妥協はしなかった。猪熊さんは現実の気象条件をもとに、ガチで天気予報をしてくれたんです。
彼がこの企画の意図を汲み取り真剣に予報してくれたので、私も真剣に、覚悟を決めて臨もうと思いました。猪熊さんには本当に感謝しています。
ー登頂の日、8,400m地点のバルコニーで「うー・・寒いー・・」と投稿されていて、そのリアルな描写に緊張感が伝わってきてました。
竹内:実際にエベレストの気温は、日本でもわかりますから、猪熊さんのレポートをもとにそれを想像しますよね。そして酸素も薄いですから、苦しさはきっとこのくらいだと状況を思い浮かべるんです。そうすると、不思議なことに本当に息が苦しくなってくるんですよね。
ー平地の日本にいて妄想なのに、苦しくなる…?
竹内:そうです。荷物の重さもありますし、極限の環境ですから、ものすごくしんどかった。そこまで想像力を働かせるんです。呼吸の間隔、雪を踏みしめる音、一歩を踏み出す足の重さ。山の状況は常に変化しますし、死と隣り合わせです。「#妄想エヴェレスト登山」も本当に苦しかった!
ーそうした幾多の困難を乗り越えて無事山頂に立つわけですが、世界最高峰からはどんな景色が広がっていましたか?
竹内:何より高いなーと思いました。空の青さが特別に感じますし、雲の高さも違う。間近には、山頂に立ったことにあるローツェもマカルーもチョ・オユーも見えるんですが、以前、そこからエベレストを見ても、エベレストは、あまり高くは見えなかった。
しかしエベレストに立つとそれらがすごく低く見えるんですよね。これがエベレストか、ってその高さをやはり今回も実感しましたね。
ーやっぱり感動もありましたか?
竹内:はい。ちょうど50年前に、ここに植村さんと松浦さんが立っていたのかと思うと、お二人と一緒に頂上に立ったかのように感じましたね。ふっと振り返るとお二人が立っているような気がして。
エベレストは世界で一番高い場所ですから、空に一番近い場所でもありますよね。その色はやはり特別で、植村さん達もきっと50年前、私が見たのと同じ空の色を眺めたんじゃないかなぁ。
ーなんとも…素敵ですね。(すでに妄想とは思えなくなってる。)
竹内:今のこの便利な世の中に生きていると、下手したらたった1週間ですら、街の景色は変わってしまうと思うんです。同じ景色ってもう残ってないんじゃないか。そのくらい目まぐるしく環境って変化していきますよね。
でもエベレストの山頂からの眺めは、数百年前も、今から50年前も、そして今もきっと変わっていないと思うんです。空気が薄いからこそ、まるでその足りない空気の部分に時間が満たされて漂っているような、そんな不思議な感覚になりましたね。
ーこのようなコロナ禍という世界情勢の中でのチャレンジに不安などはありましたか?
竹内:やはり、新型コロナの影響は大きく、これまでのように、特定の国や地域、宗教、人種ではなく、すべからく地球全体、全人類が直面した災厄となりました。その中で当然、登山も不要不急の最たるものとして自粛すべきとされるのはしかたないことです。
でも私が思うに、長い登山の歴史において、自然災害、紛争、国際情勢によって登山が影響を受けるのは珍しいことではなかったはずです。
竹内:今回だって、ウイルスという自然災害だと思うんです。自然災害自体はいつの時代にも、発生していました。過去の登山家たちはそういった様々な困難に立ち向かい、未踏の山へと登っていったんです。
ーそうした歴史の中で登山という文化は成熟してきたんですね。
竹内:はい。登山は想像のスポーツです。山を思い描き、どのように登るかを想像することから全ての登山はスタートします。
今回のようにその想像をエベレストの頂上までつなげていくことも登山です。そして、その過程はいまの世界が置かれている状況の中で、未来を思い描くことと似ているかもしれません。
あと、ウイルスは目に見えませんから腹が立ちますよね。そんな実態のないものにどう対抗してやろうかと思って、それなら妄想じゃないかと閃いて、この企画をはじめました(笑)。
ーこの企画は、本当ならば実際に登る予定で企画されてたんでしょうか?
竹内:今回の50周年記念登山は、かなり以前から想い描いていて、かならず実現させるつもりでいました。しかしこのような状況もありましたから、断念することになってしまい非常に残念でした。
その中で「#妄想エヴェレスト登山」をやるということだけは決めたのですが、実はその後の流れは決めてなかったんですよね。本当の登山と同じように、状況次第で、いつどこにいるんだ、みたいなことは全く決めてなくて…。終始どう進めていくかは私のTwitter次第なんてこともあって(笑)。事務局や周囲のみんなは、どうする?どうする?と戦々恐々としていたようです。
ーえー!それは驚きです(笑)。綿密な計画かと…。
竹内:そうして私がどんどん勝手に進めるもんだから、事務局はその情報を必死に追いかけながらも、気が付くとだんだん先の動きを妄想し、突貫工事でサイトを作成したり、私も知らぬ間に動画まで作っていたりと、身内同士でも真剣勝負をしていましたね。非常に支えてもらったというか、おかげでライブ感も出てきて、良い取り組みになったなと感謝をしています(笑)
ーすごい、そんな裏側があったんですね…。
竹内:そんな突貫工事にも関わらず、この妄想登山に多くの人が賛同し、注目してくれて。メッセージもいただいたりして、これは驚きましたね。
ー在ネパール日本国大使館の西郷大使からいただいてましたね。
竹内:非常にありがたかったです。あまりにも威風堂々としたコメントだったものですから、妄想なのかリアルなのか私もわからなくなりました(笑)。今回の取り組みがまるで登山史にも残るような、そんな奥深さを出していただけたなと思っていて、非常に感謝しています。
ー今後また、妄想で行きたい山の旅はあったりしますか?
竹内:もし行けるんだったら、アフガニスタンあたりに行ってみたいですね。
ー中東ですか。それはなぜ?
竹内:まだまだあの辺りには未踏峰がいっぱいあるんですよ。だからぜひ登ってみたい。でもご存知の通り紛争が多い地域でもあるので、日本人の私がいったら無事では済まないかもしれない。
でも、争っている人たちに対して「私は政治的なことだったり国際的なことで来たのではなく、ただ山を登りに来たんだ」なんて説得をして、仲良くなったり協力してもらえたらいいですよね。私が来たことで、いっときでも紛争が収まったなんて、そんなことが起きたらいいななんて、想像も膨らみますよね。
ー妄想が止まりませんね!
妄想の中ですが、真剣に登り登頂を果たした竹内さん。その挑戦の過程や想いについて語る竹内さんの目には、世界最高峰からの景色と、植村さん、松浦さんの姿がたしかに映っていたのだろうと思います。登山家としてどんな困難にも果敢に立ち向かい、頂きを目指す。その強靭な精神力と想像力に加え、竹内さんのユーモアと優しい人柄が伝わってくる、濃厚なインタビューとなりました。
妄想エヴェレスト登山の詳細は特設サイトよりご覧いただけます。さらに下記の動画では、よりリアルな妄想エベレスト登山を垣間見ることができますので、ぜひご覧ください。
竹内 洋岳(たけうち・ひろたか)
1971年、東京都生まれ。立正大学客員教授。株式会社ハニーコミュニケーションズ所属。1995年のマカルー登頂以来、8000m峰に挑み続け、2012年に14座目となるダウラギリに登頂に成功。日本人初、世界で29人目の8000m峰14座完全登頂を果たす。2013年、植村直己冒険賞、文部科学大臣顕彰スポーツ功労者顕彰を受賞。登山経験を生かし、野外教室や防災啓発などの社会貢献活動にも取り組んでいる。180センチ、65キロ。