山にはいろいろな野鳥が暮らしています。その種類は標高によって、また植生などの環境によって異なり、季節によっても変化します。低山から高山まで、四季折々の山の鳥たちとの出会いのエピソードを、バードウォッチング歴50年、野鳥写真歴30余年の大橋弘一さんが様々なトリビアを交えて綴る「山の鳥エッセイ」。第4回は、おなかの黄色が目を引く「キセキレイ」について、愛らしい写真とともに紹介していただきます。
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2022.10.27
大橋 弘一
野鳥写真家
【第4回 キセキレイ】
英名:Grey Wagtail
漢字表記:黄鶺鴒
分類:スズメ目セキレイ科セキレイ属
キセキレイは森や山地の渓流沿いに棲むセキレイ類で、日本のセキレイの代表格の1種です。
代表的なセキレイ類には、他にセグロセキレイとハクセキレイがいて、これら3種はいずれも川の周辺に暮らす鳥たちです。そして、3種は、上流から下流、河口部までをうまく棲み分けることによってお互いが共存共栄できるように長い年月をかけて進化・適応しながら代々命をつないできました。分類的な位置づけも姿や習性も似た仲間は、ともすれば食物や繁殖場所が競合してしまいがちですが、そういう事態を回避するための棲み分けの好事例となっています。
具体的には、上流部にキセキレイが、中流部にセグロセキレイが、そして下流部や河口付近にはハクセキレイが暮らしています。しかし、どの種もその場所だけに暮らすというわけではなく、セグロキレイが下流付近に出没することもありますし、ハクセキレイは川の近くだけでなく田畑や都市公園でも姿を見ることがあります。川の上・中・下流の棲み分けは、おおまかに、ゆるやかに自分たちの領分を守っている環境の目安なのです。
キセキレイも、川の上流部だけでなく、意外な場所で見かけることがあります。例えば森の中の梢でさえずっていたりすることがあり、一見、「らしくない」ように感じるかもしれません。しかし、その場所の周囲をよく見てみると、遠くない場所に川のせせらぎがあったりして、「ああ、やはり川の鳥だ」と思い直すことになります。そこは川の源流部に近く、つまり山の中であることがほとんどでしょう。セキレイ3種のうち、キセキレイは川の鳥であると同時に山の鳥でもあると、私は思います。
札幌の郊外、藻岩山(531m)の山麓に暮らす私にとって、キセキレイは身近な鳥の一つです。藻岩山の中腹から湧き出すささやかな流れが山を下り、山鼻川と呼ばれる小川になって山麓を流れているのですが、この山鼻川がキセキレイの繁殖地になっているからです。山鼻川までは自宅から車で5分ほど。私は毎年4月頃に南方から渡って来るキセキレイの観察を春の楽しみにしています。
鳥に詳しい人は、「えっ? キセキレイが南から渡って来る?」と、疑問を感じたかもしれません。確かに、一般に、国内ではキセキレイは留鳥(1年中同じ地域に暮らす鳥)ですから、その疑問はもっともなことです。しかし、北海道ではキセキレイは留鳥ではなく夏鳥です。春に渡来し、夏の間に子育てをし、秋には南へ去る…。北の大地ではキセキレイは夏を告げる風物詩の一つなのです。
春に渡来するキセキレイは夏羽の姿になっており、特徴的な黄色が一層鮮やかに見えます。夏羽では雄は喉が黒く、スマートな体形はそのままに、なかなかダンディな装いに見えます。ちなみに、雄も冬羽では喉が白くなって、雌と同じ羽色なので雌雄の見分けができません。喉が黒い雄は繁殖シーズンの象徴なのです。
春から夏にかけて、山鼻川沿いを歩けば必ずキセキレイに出会えます。だいたい雌雄2羽がそろって姿を見せてくれ、水辺を歩いて水生昆虫などを採食したり、時には飛んでいる虫を空中で巧みに捕えることもあります。雄は木の枝などにとまって「ツィツイツィ」「チィョチィョ、チョチョチョチョ」などと高い声でさえずります。セキレイ類はあまり歌声が美しいとは言われませんが、キセキレイの声は渓流の水の音にも負けない声量があり、なかなかのものだと思います。
山鼻川には川沿いに遊歩道が整備されていて、下流部ではその遊歩道に隣接して民家があります。キセキレイの行動範囲は川そのものだけでなく藻岩山の山腹から遊歩道、そして時には民家の庭先にまで及びます。
ある時、民家のガラス窓の前でキセキレイがホバリングし、何度もガラスにぶつかる場面を見たことがあります。ガラスに写る自分の姿を侵入者だと思って攻撃していたのです。キセキレイは縄張り意識が強く、特に繁殖期には自分たちのテリトリーに入って来る個体を追い出しにかかります。車のサイドミラーを”攻撃”するという話は聞いたことがありますが、その現場を見たのは初めてでした。
何度も執拗にガラス窓にぶつかっていくキセキレイの姿には、生きる意味を問いかけてくるような迫力が感じられました。しかし、余談ですが、私はその時カメラを持たずに散歩していただけなのでその場面を撮ることができませんでした。撮影の失敗談はいろいろありますが、返す返すも悔やまれます。
もうひとつ、私のとっておきのキセキレイ撮影地は熊本市の水前寺江津湖公園です。ここは山ではなく自然を生かした都市公園ですが、清冽な地下水が日に何十万トンも湧き出す湖を中心に、多様な自然環境が残された気持ちのいい場所です。通年、野鳥の多い場所ですが、秋から春まで、冬季のキセキレイ観察地としても優れたスポットだと感じます。
キセキレイは基本的に留鳥だと前述しましたが、地域によっては夏には標高の高い場所(つまり山や丘陵地)の渓流へ移動して繁殖し、冬には低標高地(つまり平地)に降りてくる個体もいます。同じエリアの中でこのように垂直方向へ移動する鳥を漂鳥(ひょうちょう)と呼び、留鳥の中の一つのカテゴリーとされています。江津湖では夏にはキセキレイを見かけないので、ここではまさに漂鳥なのだと実感します。
ちなみに、江津湖から最も近い山地まではわずか数kmですし、さらにその少し東には阿蘇山(1,592m)があり、南東には国見岳(1,739m)など九州山地があります。キセキレイの繁殖にふさわしい渓流は周囲に豊富にあるはずですから、夏はきっとそういった山地の渓流で繁殖し、子育てを終えると江津湖など平地に移動してくるのでしょう。
私の江津湖でのキセキレイ撮影は晩秋から冬の楽しみだというわけです。
ところで、キセキレイをはじめセキレイ類は古くから人々に親しまれていた鳥のようで、日本最古の歴史書『古事記』や『日本書記』などにも登場しています。ただし、古い時代にはキセキレイ、セグロセキレイ、ハクセキレイという区別はなく、ひとまとめにして「つつ」や「庭たたき」「石たたき」などと呼ばれていたようです。
これらの古名の語源について、「つつ」は、チチンなどと聞こえる地鳴きの声からの命名と想像されます。一方、「庭たたき」「石たたき」はセキレイ類の行動の特徴を呼び名にしたものです。セキレイ類は尾羽をしばしば上下に振りますが、その様子を庭の地面あるいは石をたたくものと考えたのでしょう。
3種のセキレイ類が区別されるようになったのは時代が下って江戸時代のことですが、その中で特にキセキレイを意味する「いなおほせどり」という変わった古名もありました。これは漢字では稲負鳥または稲課鳥と書き、現代語に直訳すれば稲を背負わせる鳥という意味になります。つまり農民に稲刈りの時期を教える鳥という解釈が成り立つのですが、しかし、これは具体的にはいったい何の鳥のことなのでしょうか。
私は、鳥名の語源由来を解き明かすために古典文学などで鳥たちがどのように扱われてきたかを調べ、そこから鳥に関する日本の文化を広く伝えることをライフワークにしています。そうした活動の中で、じつはこの「いなおほせどり」が非常に難解な鳥名として長く学者たちを悩ませていることを知りました。
平安時代の勅撰和歌集『古今和歌集』には「いなおほせどり」を詠んだ歌が2首収録され、鎌倉時代の『新撰和歌六帖』などの歌集にも「いなおほせどり」がいくつか出てきます。
しかし、古い時代のことでこの鳥の説明となるような文献はなく、これが何の鳥なのかを解明するには和歌に詠まれた内容で判断するしかありません。ところがどの歌も鳥種を特定できるような情景ではなく、長い間「いなおほせどり」は実態がわからない”正体不明”の鳥とされてきました。
江戸時代になって、判信友という国学者がこれをキセキレイのことだと主張しました。信友は高名な本居宣長の没後の門弟であり、古典文学の考証などで多くの実績を残していたため信頼を得て「いなおほせどりイコールきせきれい」説が定説となりました。
しかし、近代以降、この説は鳥類学者たちの間で疑問視され、「いなおほせどり」はキセキレイではないという見方が広まりました。結論から言うと、この問題には未だに決着がついていません。つまり、「いなおほせどり」はキセキレイのことなのかどうか今も解明されていないのです。
私は、「いなおほせどり」の一件をある月刊誌に簡単に紹介したことがあります。すると、この話に興味を持った知人から「いなおほせどり」がキセキレイのことと考えられた理由は、キセキレイの黄色が稲刈り前のたわわに実った稲穂の黄金色を連想させたためだった可能性はないでしょうか、という趣旨の質問が寄せられました。
確かに、信友がキセキレイだと考えた理由は、秋、稲穂が実った頃に田んぼにやってきて澄んだ声で鳴き、稲刈りを催促しているようだと考えた、と伝えられています。また、歌語としての「いなおほせどり」は秋の風物であり、現代でも俳句の世界ではその流れでセキレイを秋の季語としています。「いなおほせどり」が実った稲穂と関連あることは間違いなく、それを、その季節の象徴的な色である黄色と結び付けて考えた可能性もあるかもしれません。だとすれば、やはり信友が主張したように「いなおほせどり」はキセキレイのことであったようにも思えてきます。
真相は不明ですが、あれこれ考えてこうした推測をすること自体が楽しく、これだから古い鳥名の探求はやめられないと思ってしまうのです。
*写真の無断転用を固くお断りします。
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