日本の山を豊かにする、修験の極意とは|「千日回峰行」満行者の塩沼亮潤さん②

奈良・吉野の往復48kmの険しい山道を、1000日間歩く修験道の荒行「大峯千日回峰行」。修験の歴史1300年で史上2人目の満行者(修行を成し遂げた者)が、仙台・慈眼寺住職の塩沼亮潤さん(大阿闍梨)です。修験で「歩きながら祈る」という意味を聞けば、「修験の極意」と環境問題との意外なつながりについて教えてくれました。

2022.12.19

YAMAP MAGAZINE 編集部

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人間は歩き、祈る生き物

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春山
僕は「人間とは何か」を考えたとき、大きく二つの特徴があると思っています。

一つは直立二足歩行で長距離歩けること。もう一つは祈り。長く歩き、祈ることができるのは、人類だけだと思うんです。特に、祈りは人間にとって大切な営みだと感じています。

歩くことと祈りを突きつめた行為の最たる例が修験道であり、千日回峰行だと思っています。普通に歩くのと、祈りながら歩くというのは、何か感覚的な違いはありますでしょうか?

塩沼
祈りっていうのは、プラスの作用のエネルギーを発すること。だから、「世の中が良くなりますように」と祈る人が一人増え、また一人と増え、そういう祈りの力がどんどん強くなっていけば、世の中がいい方向に動いていくと思います。

春山
現代社会に「祈り」という行為をどう位置づけるのかが、重要になっていると思っています。

知識や技術の前に、社会観というか「こうありたい」という祈りにも似た願いがあると思うんです。ただ、現代では、「祈り」や「信仰」といった精神性が暮らしから離れつつあるように感じます。祈りや信仰を、自分たちの生活につなげていくことは、日本社会にとって切実なテーマです。

祈りと暮らしは一つになる

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塩沼
暮らしっていうのは根本的に、いろんな人との心と心のキャッチボールが土台になりますよね。会話で言葉のキャッチボールをしながら、相手のことを想う。それがイコール祈りじゃないですか。

春山
相手のことを想う、イコール祈り…。

塩沼
いつの時代になっても、最後は相手を想うことが基本になってきます。

「愛」っていうものが基本で、その愛が自分の家庭や友人関係、会社、学校で関係性をつくっていきます。本当に相手を思いやった、心のあるコミュニケーションを実践していくことで、いわゆる「祈り」が日々の暮らしと一体となっていく。

深く考えるよりも、「まず目の前の人を愛しなさい」っていうところから始まるべきですよね。その愛を受け取った人が、「ああ、いいな」と思い、他の人に対しても愛を持って接していく。こうして相手を想う心が社会へと拡がっていくことで、日々の暮らしと祈りが一つになっていくのだと思います。

修験の極意


春山
祈りの対象を人だけでなく、環境や自然にも向けていくことも大切ですよね。自然環境と祈りに関して、塩沼さんはどのようにお考えですか。

塩沼
日本には修験道っていう世界があります。そこに在るのは、「自然と共存する、だからなるべく自然が怒るようなことはしない」という考え方。現代の文脈では、大気汚染とか海洋汚染とかを起こさずに、自然の循環を妨げないということですね。

そのために大切なのは「気遣い」です。私の師匠に、こう言われたことがあります。

「修験道の極意は、結局はホスピタリティだ」

春山
非常に意味深いですね。

塩沼
そのとき私は20代でしたが、70歳超の師匠に「修験はホスピタリティー」と言われたことが衝撃的でした。つまりは、相手を思いやることなんだって。だから、自然に対しても、全てが思いやりというところにつながってきます。

吉野から熊野の古道の方につながる大峯奥駈道には、50〜60人での修行もあるんです。そこにある山小屋で、みんなも薪とかを使うわけじゃないですか。

でも、山小屋に到着すると、常に薪が満タンになってるんですね。なんでかっていうと、使った分をみんな補充して帰っていくから。それは後の人を思ってのことだそうです。

春山
登山・アウトドアでも「来たときよりも美しく」という言葉や行為は大事にされているように思います。僕らの命は先祖から預かり、与えられた命。この命を次世代につなぐためにも、自分たちが暮らしてる場所を、美しいままに残して引き継いでいくことが大切ですよね。

そのための取り組みを日常から実践していけると、私たちの暮らしや営みそのものは「祈り」や「行」でもあると感じることができるようになりますよね。

環境意識は感覚から芽生える


春山
日本に暮らしながら思うのは、「この国は本当に自然が豊かな場所だ」ということです。いろとりどりの四季がめぐり、季節ごとの自然の恵みも多い。

木を植えたら成長し、いろんな植物が放っておいても繁茂する。これほど豊かな土地は、地球上でも非常にまれです。

けれど、風土が豊かだからこそ、日本には環境への危機意識が、根付きにくいんじゃないかと思うんです。つまり、日本の自然環境の回復力が凄くて、環境が豊かなことを当たり前と感じてしまってはいないか。そこを危惧しています。日本の人は本当の意味で、日本列島が育む自然の豊かさを実感できているのか、少し懐疑的なんです。

塩沼
確かに、私もコロナ禍で初めて、日本は世界で一番豊かな国だなって感じたんです。こんなに安心して、安全で美味しいものが食べれる国は、他にないなと。コロナ前はいろんな国に行っていたので、海外にいけなくなり、日本に長くいるようになったときに、そういう実感が生まれたんです。

一番豊かなのは、水だと思います。

私は9日間水も飲まないという修行(*1)をしたことがあるので、水というものは、食べ物よりも何よりも大事という実感があるんです。普通は3日も水を飲まないと危ないですからね。それを体験した身としても、こんなに水が豊かな場所はないと思います。

*1 千日回峰行満行翌年の2000年、9日間、断食、断水、不眠、不臥の四無行を守りつつ、堂内で20万回真言を唱え続ける「四無行」を満行。

春山さんがおっしゃるように、この国の豊かさに本当に感動し、感謝をし、それを実践していくっていうのは、多くの人にとっては非常に難しいですよね。


春山
日本の人が環境問題と向き合うためには、自分たちの暮らしと地続きに自然があって、その自然と自分たちの暮らしを一体として捉え、暮らしとともに環境・風土を良くしていこうっていう、そういう自然観というか、社会観が必要だと思います。

その形が「祈り」でもいいですし、祈りを体現した「暮らし」を通して、豊かな自然を次世代につないでいく。そうした文化を日本で再興したいです。その方が、SDGs(持続可能な開発目標)といった言葉や、学校の教室で一方的に教えられる環境教育よりも、日本の風土にはマッチするんじゃないかなと。

塩沼
それはそうかもしれないですね。

春山
だからこそ、山を歩く行為を通して、自然とのつながりを実感することは、日本に暮らす人にとって重要なことだと思っています。

塩沼さんもおっしゃっていましたが、「目の前にあるおにぎりが、自分の命をつくっている」という感覚。そのおにぎり、お米は、田んぼが育んでくれている。自分の命と、田んぼの風景がつながっているという実感が、命のときめきのの始まりになると思っています。

自分の命と風景のつながりが実感できる経験があれば、身の回りの風景や環境に関しても、自ずと関心が湧いてくると思うんです。

塩沼
やはり、感覚的な経験が先にこないと、環境に対しても考えが広がっていきませんよね。

祈りとともに、山を豊かに


春山
特に今、山との関わり方が重要になってきていると思っています。どうしても登山っていうと、明治以降の西欧から入ってきたアルピニズムで語られがちです。

明治以前は「山は先祖が帰り、恵みをもたらす場所」として、山と暮らしはつながっていました。気候変動を迎えた今の時代、もう一度、暮らしと地続きに山や登山をとらえなおすことができないかなと。

塩沼
まさに修験道の世界ですね。自らが自然を体験して、その中から自然と自分自身の道理を見つけていくっていう。

元々日本にあった「神道」とか、あとは海外から伝わってきた「神仙教」とか、山には神が住んでいるとか、人が死んだら山に帰っていくという世界観は、かなり前からあるものです。
そういう意味では、日本人にはもともと山を愛する思想的な土壌があったのだと思います。

春山
その背景に、やはり暮らしと山の直接的なつながりがあったのではないかと思っています。
人間の暮らしの原点は、水と土と空気。生命にとって大切な水、土、空気を育んでるのは森であり、山なんです。

残念なのは、鹿の食害などもあり、日本各地の山や森が荒れてしまっていることです。杉・ヒノキを伐採した後、植樹せずハゲ山のままで放置されているケースも見受けられます。地域の山が荒れ、美しい景観が損なわれていくのは、単に山が荒れるだけでなく、街を含めた流域全体が荒れることにもつながっていきます。

豊かな暮らしを維持するためにも、健全な山が必要で、流域に住む人たちで山を豊かにする行為や事業が、今以上に展開できるといいなと思ってます。

塩沼さんの「地球とつながるよろこび。」



春山

最後に、YAMAPは「地球とつながるよろこび。」を、会社のパーパスとして掲げています。塩沼さんにとって、地球とつながるよろこびを感じた経験はありますか。

塩沼

山を歩いてるときにお天道さんをぱっと見て、それでふと足元を見たら花が咲いてる。これはすごい感動だったんですよね。それまでは、自分が生きてるっていう感覚でしたが、花をみるだけで「あ、ここに自分が生かされてるんだ」って思う。

いろんなことを思いながら修行して、もっと上、もっと上って考えて、手探りの状態のときに、「あ、なんだ。すっごい遠く彼方にあるものが、こんな身近に、なんか、地球と太陽と自分が一体となって、なんか包み込まれているような。ああ、これは本当に素晴らしいな」って。体験者しかわからない喜びなんですが、そういう感覚です。

感謝の気持ちが、自分の心の中にいっぱい充満した時に、そういう感覚に包まれた記憶がありますね。
春山

本日は貴重なお話をお聞かせいただきました。ありがとうございました。

執筆:宇野宏泰

撮影:川野恭子

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登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。