福岡・油山 遭難事故の記録|迅速な救助を後押しした、家族の見守り

子どもたちの学校行事でも登られているような、市民が慣れ親しんだ憩いの山。毎週2、3回、合計登頂回数は1000回にも達するほど登り慣れていたという上田勝彦さん(70代・仮名)が、里山で起こったまさかの遭難事故から救われたのは、毎日見守ってくれていた家族のおかげでした。今回、事故から生還した上田さんと、救助に関わった妻の美幸さん・息子の達也さん(ともに仮名)、そして福岡市消防局の方に当日の詳しい状況を伺いました。

山の事故、山岳遭難のリアルに迫る、特集・遭難ZERO。遭難救助事例や遭難者体験談をもとに、事故の舞台裏をお伝えします。今回の舞台は福岡県、油山(標高597m)。

遭難ZERO 〜登山遭難事故 救助事例・体験談〜 /シリーズ一覧

2023.06.23

YAMAP MAGAZINE 編集部

INDEX

登頂1000回以上、毎週登り慣れていた山でのできごと

―これまでの登山歴について教えてください。

勝彦:昔は東京にいて山の会に入っていたので、毎週のように山に登っていました。北海道の日高山脈や厳冬期の北アルプスなど、いろんなところに行きましたよ。結婚する直前、最後に登った冬山はお正月の鹿島槍ヶ岳でしたね。

昔登っていた山の様子。厳冬期の雪山にも登るなど、精力的に活動していた

美幸:「予定より1日早く下山したよ〜」なんて電話があって。早く帰ってきたものだから、そのあと明治神宮に初詣に行ったのを覚えています。

勝彦:春の北海道で、雪の流れている川を腰まで浸かりながら渡ったり、危ない目に遭ったときは3日ビバークしたり、いろいろなことを経験しました。

結婚して福岡に戻ってきてからは飲食店をやっていたもので、ほとんど山には登っていなかったんです。店をやっていると、1日厨房の中にいて身体を動かすことも少なかったので。64歳のときに経営していたお店を辞めて、体調維持のために週2,3回くらい油山に登り始めました。

達也:昨年の12月には、父は登頂1000回を達成したんです。そのときだけは家族みんなで登ったよね。

勝彦:はい。いつもほとんど同じコース、慣れた道ですね。

美幸:お父さんは道を覚えているから、YAMAPのようなアプリは要らないって言うんです。でも、私はどのあたりを歩いているか知りたいから、入れておいてほしいと言い続けていて。いつも朝から登り始めてお昼ごろに帰ってくるから、お昼ごはんの準備にも役立つので(笑)

勝彦:だからYAMAPをダウンロードしてからは、基本的にはきちんと毎回使って(活動を記録して)いました。ただ、滑落してしまった当日は、たまたま記録を開始し忘れていたんです。

遭難事故の様子を、時系列で追う

実際のみまもり機能・位置情報画面。登山道の途中からスタート、最後はヘリで運ばれた直線の軌跡が残る

09:00…登山口より入山。
09:19…美幸さんがYAMAPのみまもり機能(登山中の位置情報を家族や友人などに共有する機能)の通知が飛んでこないことに気付き、勝彦さんにYAMAPの活動記録を開始するようLINEで連絡。
09:34…美幸さんが勝彦さんに電話するも出ず。
09:36…勝彦さんが電話とLINEに気付き、登山の途中からYAMAPの活動を開始。
10:23…登頂、下山開始。
10:33…滑落(この時点からGPSの位置情報が動いていないため、おそらくこの時間と思われる)。

―勝彦さんが遭難された当日のことを教えてください。

美幸:いつもはYAMAPをスタートするとみまもり機能の通知が私の携帯電話に飛んでくるのですが、この日は飛んでこなかったんです。だから、夫にLINEと電話で知らせました。その後はちゃんとスタートのボタンを押してくれたようで、位置情報の通知が届いたので安心していました。

―滑落してしまったのはどういうタイミングでしたか?

勝彦:いつものルートを歩いて登頂したあと、下山する途中で滑落しました。あとから時間を見返して気付いたのですが、滑落してからはおそらく1時間ほど気絶していたのだと思います。私の中では一瞬の出来事だったのですが…。

気付いたときにはうつ伏せの状態で斜面に寝転がっており、手は胸と斜面の間にあって、痺れて動かない状態でした。20mも滑落したのですが、不思議とどこも痛くなかったんです。でも、どう動かそうにも動かない。身体がいうことを聞かない。仰向けになるために動こうとして、1,2mほど滑落しながらもなんとか身体をひねり、ウエストバッグに入っていたスマートフォンを取り出して、ようやく電話に出ることができたのです。

達也:このとき、ウエストバッグがあったことで、滑落の衝撃でスマートフォンを紛失しなくて本当によかった…と今になって思います。ウエストバッグのバックルが壊れていたので、父がちょうどチェーンを付けて修理した直後だったのも幸いしました。

補強したばかりのバックル。簡素ながらも、これのおかげでスマートフォンを紛失せずに済んだ

11:54…位置情報が動いていないことに気付いた美幸さん、勝彦さんに電話するも出ず
12:04…美幸さんから勝彦さんへ、2回目の電話。勝彦さんから消防を呼ぶよう依頼。
12:06…美幸さんから息子の達也さんへ、勝彦さんの位置情報が動いていないという異変を連絡。YAMAPみまもり機能の位置情報画面を伝える。
12:10…達也さんから勝彦さんへ、状況確認の連絡。滑落したこと、手足に痺れがあることを聞く。
12:16…達也さんから消防へ通報。

―美幸さんがおかしいと思ったタイミングは。

美幸:毎日のことなので、いつごろ降りてくるかな、お昼ごはんはどうしようかな、ということで、みまもり機能の位置情報はいつも見ていたんです。ただ、この日は位置情報がしばらく動いていないことに気付きました。最初はYAMAPの不具合かな?と思って見過ごしたのですが、いくらなんでも遅いなと思い位置情報を確認したら、まだ動いていません。足を軽く怪我でもして降りてこれなかったのかな、と思って電話したんですよ。

息子・達也さんと妻・美幸さん。常に連絡を取りながら各所への対応に当たった

達也:在宅勤務中でちょうど昼食をとろうとしているときに、母から「お父さんが消防を呼んでと言っている」と連絡があり驚きました。すぐさま父に状況確認の電話をしたところ「西側の谷に滑落した」と言うのです。これは自分がどうこうできる問題ではないので、消防に助けを求めなければならないぞ、と。

母から送ってもらったみまもり機能のリンクから位置情報を見て、確かに現在地が動いていないことを確認しました。位置情報(画面に表示されている緯度・経度)とともに消防へと通報したところ、すぐに向こう側がざわざわしていたので、救助の準備をしてくれていたようです。その後はしばらく、母とビデオ通話をつないだ状態で状況をすぐに伝えられるようにしていました。

美幸:男の子2人も育てているとね、ちょっとした怪我なんて日常茶飯事で。だから今回も、怪我をした本人と連絡もついているし、少し安心していたんです。でも、ビデオ通話で見る息子は尋常ではない顔をしていました。そこで初めて、これはおおごとだと。

12:28…消防から達也さんへ、状況確認の連絡。
12:34…達也さんから消防へ、救助に必要な本人の情報を連絡。
12:38…達也さんから勝彦さんへ、消防に救助を求めた旨を連絡。
12:56…達也さんから勝彦さんへ連絡した際に、勝彦さんが頭上でヘリがホバリングしているのを発見。
13:01…達也さんから消防へ、勝彦さんがヘリを確認した旨を連絡。

達也:私はいろんな遭難事故の記録を読んだことがあったので、ここから救助隊の方に見つけていただけるまでの時間がとにかく不安でした。救助隊が現地に向かってくれている、ヘリも飛んでくれている。それでも見つからないことがある、ということを知っていたので。消防には、父がオレンジのジャケットを着ていることなど、目印となるものを連絡していました。

どのルートを通ったか、目印となるようなものはないかなど、手がかりとなる情報を確認するために父へ電話したんです。すると、すでに父が自分の真上をホバリングしているヘリを見つけていました。

―みまもり機能の位置情報を目がけて向かってくれたヘリですね。

達也:通報から40分後くらいだったかな。そのスピード感で現地まで駆けつけてくれたというのは、素直にすごいことだと驚きました。

とはいえ、山には木々もあるので、上から見つけられているとは限りませんよね。あと一歩のところで見つけられなかった、という事例もありますし。だからこそ、「見つかった」という連絡を受けるまでは本当に怖かったです…。

13:56…消防から達也さんへ、勝彦さんを救助した旨を連絡。
14:23…勝彦さんの位置情報が、滑落地から登山道と思われる山中に移動していることを達也さんが確認。
14:28…勝彦さんの位置情報が、病院に移動していることを確認。

勝彦:救助を待っている間に雨が降ってきましてね。寒いなと思ってはいたのですが、手を動かせず上着を着ることもできない状態でした。

しばらくその場で動かずに待っていると、登山道の方から私の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。駆けつけてくれた救助隊の方です。そのまま近くの開けた登山道まで引き上げられて、ヘリに乗りました。

ヘリで病院に到着したあとストレッチャーで運ばれたのですが、身体を動かされたタイミングで初めて身体に強い痛みを感じました。その後は集中治療室に運ばれ、服を切って治療されたそうですが、そのときの記憶はほとんどありません。

今回救助された勝彦さん。現在はすでに回復し、元気に日常生活を送っている

達也:救助されたとき、父の体温は34℃台でした。今回は早く救助されたからよかったものの、これが見つけられずにひと晩過ごすことになっていたとしたら、低体温症で危なかったかもしれません。

結局、首・腰・肋骨の合計7箇所の骨折という怪我を負ってしまいました。とはいえそれ以外に目立った外傷はなく、20m滑落したにしては良い状態だったとのことで、それは不幸中の幸いです。

いち早く救助してもらえるためのあらゆる備えを

―最後に、登山者のみなさんにお伝えしたいことはありますか。

勝彦:今回の事故は、自分の油断に他なりません。ただ、この日はなぜか気が緩んで、なんともない場所で滑落してしまいました。まさか自分が滑落するなんて考えもしなかったので。どんなに慣れた道でも決して油断してはいけない、と痛感しました。

美幸:(YAMAPの)活動を開始するのだけは本当に忘れないでほしいなと。本人がどれだけ大丈夫と言っていても、ひとりで登る以上は何があるか分かりませんからね。そして、必ずYAMAPとみまもり機能を使ってほしいです。どこにいるか分かる、というのが家で待っている家族の安心につながります。

達也:もし父がまた山に登るというなら、転倒通知のあるApple Watchも持ってもらう予定です。今回は滑落してから気絶していた時間があったので、それが転倒通知で通報できていたならもっと早く事態を知ることができたかもしれません。

私もソロで登ることが多いので、みまもり機能を使ったり登山の計画を家族に共有したりはしていますが、たとえば万が一滑落してしまった場合にスマートフォンを紛失しないために、どこに入れておくか…といったことなど、自分の登山を見直すきっかけになりました。

あと、もしもの事態が起こったときに、自分だけではなく「家族にどう動いてもらうのか」もシミュレーションしておく必要があるな、と感じました。今回は登山の知識がある自分が消防の対応をすることができたので良かったですが、これが母だと正確かつ必要な情報提供ができていなかったかもしれません。

―どうもありがとうございました。

救助に当たった消防隊員の視点

今回の事故で救助に当たった、福岡市消防局の中でも山岳遭難発生時に出動する南消防署の隊員おふたりに、事故当日のようすについてお話を伺いました。

左から城間(しろま)さん、酒井(さかい)さん

ー通報があってからは、どのような動きをされたのですか。

城間:時系列的には以下のような動きでした。

12:16…達也さんから消防へ通報。
12:23…出張所に出動の指令が発出。
12:26…出動。
12:41…登山口に到着、登山道を歩いて勝彦さんの元へ向かう。
13:10…勝彦さんの元へ到着、救助活動を開始。
14:25…ヘリに収容、撤収。

城間:登山口に到着後、事前にいただいていたGPSの位置情報を元に、現場に向かいました。

酒井:自分たちが現地に到着したときには、ヘリで向かってきた救急救命士が先に到着しており、勝彦さんに接触していた状況でした。そして自分も斜面を降りて勝彦さんのところへ向かい、ストレッチャーに固定するなどの救助活動を行いました。

城間:現場にいた隊員は14〜15名ほどでしょうか。勝彦さんのもとや登山道との間に数名が降りて救助活動を行い、約40分ほどかけて登山道上まで引き上げました。その後はヘリで吊り上げられる場所まで搬送して収容した、といった流れです。

消防車の脇には、救助に使う道具が詰まっている

ー今回の救助活動を受けた所感をお聞かせください。

城間:通常私たちが街で行う救助活動は、最初から場所が分かっているのでそこに向かえば要救助者がいるため、すぐに活動を始められます。でも、山岳救助現場は要救助者のいる場所にたどり着くことができるかどうかも分からない、つまり「要救助者の場所を探す」というところからスタートするんです。

そういう意味では、今回はある程度正確な位置情報が最初から分かっていてその問題をクリアできていたため、スムーズに現場にたどり着くことができました。

酒井:重複しますが、場所が分かっているというのはとても重要なことです。仮に万が一の事態が起こってしまったときに重要なのは「自分がどこにいるのかを知らせる」ということです。遭難しないための備えではなく、遭難してしまったときの備えという意味で、位置情報を知らせるアプリなどは有効です。

ー最後に、登山者の方にひとことお願いします。

城間:遭難は命に関わることです。私たちは過去の統計も取ってデータも見ながら、日々救助技術を向上させるための訓練を積んでいますし、指令を受ければ必ず救助に向かいます。通報することを躊躇せず、遠慮なく私たちを呼んでください。

酒井:ひとり(ソロ)で登られる方は、自分の位置情報を知らせる手段を用意しておいていただければと思います。アプリで位置情報を知らせるのもそうですし、家族や友人などに登る山とルートの情報も共有しておいてください。救助に向かうときの情報は、多ければ多いほどよいので。

登山は良い景色が見られて、達成感もあって、趣味としてとてもいいものだと思います。だからこそ万が一のことを考えてできる備えをして、登山を楽しんでくださいね。


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[取材・文] 大村雄太(YAMAP) 千田英史(YAMAP)
[取材協力] 福岡市消防局 南消防署 花畑出張所

YAMAP MAGAZINE 編集部

YAMAP MAGAZINE 編集部

登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。