直接的な経験からしか得られない、無意識も含めた身体知、そして他者との共感こそが全ての「知」の源である──。こう提唱しているのが、世界的な経営学者で、企業にイノベーションをもたらす知識創造のあり方を体系化してきた野中郁次郎さん(一橋大学名誉教授)。その考えは、経営の世界にとどまらず、アウトドアを楽しむ人にとっても、共感できるところが多くあります。後編では、アヘン生産地だったタイ山岳地帯を人気観光地にしたプロジェクトなどを例に、人間の野性や創造性を目覚めさせ、行動の原動力となる「共感」のつくり方など、日本の風景を豊かにするヒントを教えてもらいました。
2022.10.28
YAMAP MAGAZINE 編集部
春山
先生はどのようなインスピレーションから、『知識創造理論』(*)を思いついたのでしょうか?
*野中先生が提唱する、知識を組織的に創造する理論。イノベーションをくり返し、連続的な成功をおさめた企業に共通する特徴を暗黙知と形式知の相互作用による集合知創造のモデルとして体系化した。
野中
1980年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われていたころ、日本企業のイノベーションの研究をやっていました。でも、その中身をみてみると、組織内のプロセスがめちゃくちゃなんですよ。
端的にいうと、顧客の無理難題を「できます」と言って帰ってくるんです。できもしないのに「できます」って。そう言わないと食っていけなかったのですね。
そうすると、社内の部署が別々に動く「リレー」方式では、時間ばかりかかってどうにもならない。だから、みんなでひとつのチームになって、ウワーって一気に商品開発をやっていく「スクラム」方式を使っていました。この言葉はラグビーからとってきたんですけどね。
みんなで現場や現物という「リアル」を身体で感じ、本質を感覚・感性でつかんで形にしていく。彼らがイノベーションを起こしていったときには、「身体性」が非常に重視されていたことが分かってきたのです。
春山
確かに、当時の日本を代表する経営者は、現場での経験知や身体感覚を大切にしていましたよね。
野中
そうなんです。私の理論っていうのは、ひとりの人間が知識を創造していく話ではなく、いかにみんなで新しい知をつくっていくか。どのように集合知をつくっていくかがテーマです。
だから知識の創造というのは、必ず「共感」から始まります。知識創造のプロセスは、
・共同化
・表出化
・連結化
・内面化
という、4つのステップからなります。そして、知識創造の中でも最も大切なのが、全ての知識の根本である「暗黙知」を共有していくことです。
この第1ステップを「共同化」(Socialization)と呼んでいるのですが、要は現場を直接身体で経験して、そこで得られた身体知や感覚知などの暗黙知をお互いが共感を通じてシェアしていくプロセスです。
ここでシェアされた暗黙知を、言葉や概念などの形式知にしていくのが、第2ステップの「表出化」(Externalization)です。
第3のステップが、そうして創られたコンセプトをもとに、それらを実践可能なモデルや組織の仕組みに組み上げていく「連結化」(Combination)です。
最後に、それを組織のなかで一人ひとりが実践していく4つ目のステップが、「内面化」(Internalization)です。この4つの段階の頭文字をとったのが、知識創造理論における「SECI(セキ)モデル」です。
組織がこの4つのステップを繰り返し、それぞれの段階で出てきた知識を螺旋状に積み上げていく中で、また新しい知識が生み出され、イノベーションが生まれるわけです。
春山
なるほど、よくわかります。YAMAPの経営会議でも、SECIモデルを鏡に、自分たちが今やっている事業がどのフェーズにあるのかを確認することがよくあります。ただ、経営の中でSECIモデルを実践していくのは、並大抵のことではないな、という実感もあります。
野中
確かにこれをきちんと実践していくのは、簡単なことではありません。
起点となるのは、メンバーそれぞれの経験の質、つまり主観ですよね。これを組織としていかに大切にしていけるか。「いま、ここ」で「私だけ」に見える景色や世界。これが「私」という個人にとって実在するリアルなんです。主観が先なんです。「まずは、考える前に感じるんだよ」と。
それぞれが自分の主観をどれだけお互いに共有していけるかが、共感関係を醸成できるかが重要になってくると思います。
春山
先生がおっしゃるように、僕も何より主観を重視しています。自分が、自分たちがどう感じるのか。そこが起点だと思います。
そして、主観でとらえる感覚、感性を鍛える意味でも、自然の中で遊ぶ、身体を動かす、共同作業をする、ということが何より大切だと感じています。自然経験を通して、感覚・感性は磨かれると実感しています。
春山
野中先生にとって思い出に残っている自然経験を教えてください。
野中
やっぱり山登りですかね。先輩に連れられて、しょっちゅう行ってました。剱岳(2,999m)とかああいうところに、よく登ってましたね。
春山
野中先生も登山をされていたのですね。登山など自然経験は、「身体知」を鍛える場として、どのようにお考えですか?
野中
やっぱり「いま、ここにある私だけの経験」っていうのは、自然と直接触れ合う中にあると思います。そうした体験が、新しい発想が生まれてくる源です。だから山登りをしていて、たまたまそこに岩があればね、「それは椅子だ」と。
春山
おぉ、おもしろい。
野中
経験したものを色んな意味に変換していけるようになる、っていうのかな。人間の生き方ってのは、本当の自然との関わりの中から見えてくると思いますね。自然との関わりは、想定外の連続ですから。人間は、生まれながらにしてそういう状況でも生き抜いていこうとする、身体性をもとにした創造性や野性をもっています。
春山
岩を見て椅子だと思うって、すごくおもしろいです。
自然の中に身をおくと、僕ら人間は弱い存在だという前提を思い出すことができます。だからこそ、自然の中では、お互いに助け合い、今ある道具を駆使し、生き抜こうという知恵が身につきます。「人間も自然の一部」という当たり前の前提に立つからこそ、お互いに助け合いながら建設的な議論ができる。さらに「『知的野蛮人』的な発想がないと自然の中では生き抜けないよね」というのが、頭ではなく身体でわかるんだと思います。
365日、ずっと自然の中に身を置くのは難しいかもしれないけれど、小学生や中学生の一時期、あるいは企業研修の数日間、人間の論理が通用しない圧倒的な自然の中に身をおくことで、「岩が椅子になる」みたいな、発想の「跳び」が身につく気がします。その意味でも、自然経験は、現代にこそ必要な営みだと思っています。
野中
そうですね。僕らが子供のころは戦争ごっこだな。一本一本の木が隠れ家になってね。自然の中で戦うってこともおもしろいんだよね。戦争ごっこを自然の中でやるって言うのは、ある意味、極限状態に近いんですよね。最近はそういう遊びが失われつつあるように感じますね。
春山
先生の近著『野性の経営』(KADOKAWA)を拝読し、いろいろ思うところがありました。YAMAPのビジネスは、アプリやWEBサービスが主な土俵です。ただ、ソフトウェアを軸としたIT企業を経営しながら、「現実の風景を美しくしているのだろうか」という自問自答がずっとあります。
そう考えていたところに読んだのが、『野性の経営』です。ものすごく希望を感じました。タイのドイトゥン(世界有数のアヘン密造地帯だった北部の山岳地帯)を、高級コーヒーやマカダミアナッツを生産する人気観光地に生まれ変わらせたプロセスは、地域の共同体だけでなく、風景そのものを豊かにしているなと。これからの時代の道しるべとなる、素晴らしい事業だと思いました。
野中
(タイの王室系財団による)ドイトゥン開発プロジェクトの中心人物だったクンチャイというリーダーとは、家族ぐるみで親しくしていました。
彼はとにかく「お互いに人間じゃないか」ってところから始まるんですよ。地域に棲み込んで、一緒に生活して、地域住民と一対一のペアの関係になって、共感するところから始まるんです。「相手の目を見ろ、そして彼らの目を輝かせろ!」ってね。
そこで地域についても一緒に考える。けれども、その代わり、堂々と正論を吐くわけです。水源から水を引こうというときに、住民は「では、やってくれ」って言うんですよね。クンチャイは「(生活で使うのは自分たちなのだから)お前たちがやるんだろ」ってふうに、相手の本気、覚悟を問うんです。そのうえで、本質的な議論をやって、最後はみんなで「わーっ」て、一緒にやっていくんですね。だから、決して「与える-もらう」関係ではなく、ともに汗をかいて共創する関係なんです。だから、その地域は自律的に持続的に再生する。
野中
『野性の経営』では、このクンチャイというひとり人の男が、ものすごく詳細に現実を見ている様子について、多くのページが割かれています。彼は、それらの細かい現実をしっかり認識した上で、一方で共通善の実現を目指しています。つまり、リアルな環境の中から普遍的な解決手段を導き出してるんですよね。理想と現実の両方を見ていることが、すごく重要だと思いました。
春山
YAMAPを含めどんな企業であろうと、自分たちが生きている現実の場をどのように美しくしていくのか、風土づくりにどうコミットしていくのか。地球全体が気候変動を迎えている今、風景づくりを事業として、企業が実践しないといけない時期に入っていると思います。
この点でも、このドイトゥンの事例は、日本の地域づくりにおいて、すごく参考になると思いました。その意味で、僕個人としても、YAMAPとしても、この本は大切にしています。ドイトゥンのような取り組みを、日本の地域でも実践していきたいです。
春山
国という単位だと大きすぎて、身動きがとりづらくなるので、流域を単位としたローカルで、風土を豊かにする事業が活発になれば、社会はもっとよくなると思っています。
この発想は、『野性の経営』の中にもありますよね。企業という狭い枠にとらわれず、自分たちの街を、どのように豊かにしていくのか。政治や法律も大切ですが、企業が主導する事業で、風景や風土を豊かにするチャレンジが、今、求められていると実感しています。
野中
そこに関しては「生き方」を問わなくてはいけないと思っています。最近流行っている組織の「パーパス」っていうコンセプトも同じ話なんですが、根本的には生き方の話なんですよね。極論すると「お前はなんのために生きてるんだ」と。
春山
企業がパーパスを突き詰めていくと、「自分たちが住んでるところをどう豊かにしていくか」「社会課題をどう解決していくか」に向き合わざるを得ない時代に入っています。
社会課題に対して、それぞれの企業ができることを持ち寄って、どうすれば一緒に解決できるのか。いち企業だけでなく、複数の企業が技術と事業を持ち寄って、風土をつくる、流域全体を豊かにする。この取り組みができてはじめて、タイのドイトゥンのように美しい風土に暮らしながら、所得も上がり、生きやすくなる環境がつくれると思っています。
野中
社会課題を解決していくには、お互いが生き方を問うていく必要があると思いますね。地域レベルで行動の原動力となる共感を作り、広げていくためには、クンチャイのような「お互いに人間じゃないか」という姿勢と、「これを一緒に目指そう」という共通善としてのパーパスが大切になると思います。
春山
そうですね。自分とあなたという関係を超えて、私たちや人類を主語にしたパーパスやビジョンがなければ、人は利己的になってしまいますよね。お互いに共有できる生き方、つまりパーパスが極めて重要になってきています。
先生がおっしゃるように、時代をとらえた的確なパーパスが掲げられた会社は、人間が本来持っている共感力が発揮され、自分を超えて何かを考える、実践していくことが、自ずとできる組織になっていくと思うんです。
野中
日本の戦後すぐの経営者だって、そういうことを言ってきたんですよね。「なんのために生きているのか」っていう、生き方を問うところですね。
春山
美しい風景や住みやすい場所を自分たちの手でつくろうという目的に関しては、多くの方が共感し、一緒に取り組んでもらいやすい。そこに、僕は希望を持っています。
具体的に言うと、YAMAPのユーザーさんと一緒に、荒れてしまった山に木を植える活動を始めました。やりながら発見だったのは、子どもたちからお年寄りまで、参加してくださったみなさんが、笑顔で植樹し、楽しんでくださったことです。
同時に、老若男女が一堂に集まり、楽しめる活動が、今の社会ではほとんどなくなってしまったことにも気づかされました。今を生きる人たちで森をつくる、山を再生するという活動は、社会観を育み、生き方を考える上でも、ひとつの示唆になると思っています。
野中
それはおもしろいですね。
春山
自然や山に教えてもらったことに、自分の命は授かりものだという感覚があります。ひとつの命で終わらないのが、生命の流れだと思うんです。一つで完結しない。神道でいう“中今”と言えばいいのか。連綿と続いてきた命の流れの、ひとつの命を僕は生きているだけに過ぎない。だからこそ、命をバトンとしてとらえ、次の世代によりよい社会や環境を残して死にたい。
この生命観で考えたとき、どういう社会をつくるのがいいのか。どういう事業をするとインパクトが出せるのか。みんなが同じ共通の目的、あるいは意見が違ったとしても一緒にやっていく場を、どうやったらつくれるのだろうか、ということを最近よく考えています。
まだ僕も言語化できていないんですけど、『野性の経営』で書かれてあること、タイでクンチャイさんがチャレンジしたことやそのプロセスは、ひとつのロールモデルになると思います。
野中
そうですね。多くの企業も協力してくれると思います。
春山
地域の自然がより豊かになるよう、事業を通じて、取り組んでいきたいと思います。
野中先生、本日はありがとうございました。
撮影:藤田慎一郎
執筆:宇野宏泰
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