「おつかれ山(さん)!」でおなじみ、我らがひげ隊長。2024年3月に出版された初の書籍「おもしろすぎる山図鑑」が発売早々の重版出来。地元・九州ではテレビへのレギュラー出演も果たし、YouTubeでのタイアップや講演でも引っ張りだこ。
その類まれな存在感で着々とファンを増やしながらも、根本にあるのは「子どもたちに本物の自然と触れ合ってほしい」という普遍的な想い。現在の「ひげ隊長」ができあがるまでの野生味あふれる半生と、長年の「自然学校」構想、背景にある子どもたちへの想いについて聞きました。
2024.07.03
武石 綾子
ライター
ヤマップのスタッフが何気なく発した一言で、筆者の印象に強く残っているものがある。
「ひげ隊長がいるだけで場があたたまって、すごく安心するんです」
そう、ひげ隊長がいる「場」はなぜかとてつもない安心感があり、かつエキサイティング。おどけて周囲を沸かせたかと思えば、時に眼光鋭く厳しさも見せる。自然に対しては、とことん真摯。揺るぎない姿勢と存在感の背景には、どんな経験があるのだろう。
個人的にはふざけた記憶ばかりのひげ隊長。「真面目な話してくれるかなぁ」。そんなことを思っていたのに、インタビューではドラマチックな人生ストーリーに引き込まれ、時間を忘れて聞き入ってしまった。
「親父が開高健(※1)のファンで、とにかくアウトドアが大好きだったんよね。新聞社のサラリーマンだったんだけど、同僚の家族集めてキャンプとか釣り大会とか、いつも企画しているような人で。週末はほぼ外遊び。
*1 開高健(1930〜1989):作家。『裸の王様』で芥川賞。ベトナム戦争での従軍取材の経験をもとに、数々のノンフィクションの傑作を残した。南米アマゾンでの釣行記『オーパ!』など、自然と向き合ったエッセイなどでも知られる。
エアコンも効かないフォルクスワーゲンのビートルに家族4人で乗り込んで、山に行ったり、海に行ったり。兄貴ともよく遊んでて、裏山で火遊びしていたらボヤ騒ぎを起こして警察のお世話になったこともあったわ(笑)。
今でも忘れられないのは、はじめて屋久島に行ったときのこと。小学1年生くらいかな。教師だった伯父の赴任先で、家族で遊びに行ったんだけど。
もう見たことのない大自然が目の前に広がっていて、まさにウィルダネスそのもの。日本にもこんなに綺麗な場所があるんだ、って子供心にすごく感動した。
海も川も、とにかく水が透き通っていて、泳ぐ魚を見ながら夢中になって遊んだよね。いや、もちろん山も素晴らしいんだよ。でも山の良さがわかるのって、大人になってからでしょ(笑)。ぼくは今でも、水に入ると落ち着くな。もしかしたら、前世が鮭とかなのかもしれん」
父曰く義務教育的な位置付けであった「アウトドアの集大成」として、中学時代には1ヶ月の海外ホームステイを経験。山・海・川と、その日の天気や気分によって遊び方を変えるホストファミリーとともに、自然に敬意を払いながらめいっぱい遊ぶアメリカのアウトドアカルチャーにどっぷりつかった。
父をはじめ周囲の大人たちに導かれて辿り着いた、強烈かつ圧倒的な自然。刺激あふれるその原体験は成長とともに前田少年の心に一旦はしまわれ、将来的な時限装置としてセットされることとなる。
「あちこち遊びに連れてってもらったけど、ずっと夢中になってたのは野球。本当に「プロを目指す!」って意気込んでた。掛布選手(※1)がぼくのヒーローだったわけ。小さい体で連勝してた巨人に立ち向かう姿がめちゃくちゃかっこよかったんよね。
まぁ元々頭が良かったもんだから(笑)大学は野球部の名門でもあった立命館に入ったんだけど、入部試験で何人も落ちて、ぼくはなんとか2軍に滑りこめたものの周囲との実力差は歴然。『これはどうがんばっても無理だ』と。当時は、目標を見失って呆然としたよね」
部活は大学2年で退部。はじめて味わった「挫折」。半年もたてば周囲は就職に向けて動き出し、時代はバブル崩壊後の景気減退期。未来に妥協することもやむを得ない空気が漂う中、「何を成し遂げたいのか」 あらためて自分自身と対峙した。
※1 掛布雅之:阪神タイガースに所属していた元プロ野球選手。現役時代には通算349本のホームランを打ち「ミスタータイガース」と呼ばれる。1985年にはチーム初の日本一に貢献。
「野球の指導者とか、学校の先生とかならありかなぁとか、考えてみるもののピンとこない。悩んでいた時に、親父が 『猶予をやる』って言ってくれたんだよね。『これまで運動も勉強も頑張ってきたから良いよ。1年休学して、将来についてじっくり考えてみろ』って」
色々な可能性について探っていく中で転機になったのは、地元の新聞に掲載されていた「ウミガメ産卵に向けた砂浜保護ボランティア」の記事。募集ではなく、紙面の端に記載された、小さな紹介記事だったという。
「その場所が屋久島で、砂浜、という文字を見た時にぶわっと蘇ったんだよね、少年時代の圧倒的な自然体験の記憶とイメージが。それで、親父のツテで『お役に立てることありませんか?』って問いあわせてみたら、快く受け入れてくれて。もう一度、屋久島に行ってみようと思えた」
「原点の場所」で再び圧倒されるほどの大自然に還り、生粋のアウトドアマン達と出会いを重ねることで、少しずつ見えてくる将来像の輪郭。幼少期からの点と点をつなぐように記憶を手繰り寄せ、屋久島ではカヌーというアクティビティとも出会った。
「高校の頃、受験勉強の休憩がてら野田知佑さん(※2)の『日本の川を旅する カヌー単独行』を読んだことがあって。こんな生き方めっちゃ楽しそうやん、と電流が走ったのよ。いつか自分も川を旅してみたいと。
あとは、環境への問題意識もあったかな。工業化が進んで、子どもの頃に行った川が形を変えていたり汚れていたり。カヌーに乗り続けたのは、野田さんの影響と、川の現状をもっと知りたいという気持ちがあったから」
※2 野田 知佑:日本を代表するカヌーイスト、作家。日本のリバーカヤックツーリングの先駆者で、日本以外にもヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地の川をカヌーで旅した。環境問題に関する著書も多数発表。2022年3月没。
大学卒業後、再び父と話し合い、猶予は最終的に「25歳まで」に延長。好きにやって良い、ただし金銭的な支援は無し。
期限が切られたことで気持ちがかたまり、カヌーとテントを担ぎながら日本中をヒッチハイクで巡る旅に出る。各地の川を巡り、資金が尽きるとアルバイト。そんな旅人生活の中で、再び人生に大きな影響を及ぼす出会いがあった。
「今考えれば運命的なんだけど、アルバイト先の上役の人と野田さんが偶然キャンプ仲間で、紹介してもらえることになったの。『野田さんがアウトドア好きの若者を探しているらしい、付き人やるか?』って。
こっちは野田さんの真似をして旅をしているわけで、憧れの人っていうかもう掛布に継ぐヒーローよ(笑)。本当にびっくりした。
『そんなん俺しかおらんやろ!!』って思ったよね。もちろんやります!って即答したよ」
「結局1年半くらい付き人をやらせてもらったけど、野田さんは何かを積極的に教えてくれるタイプではなかった。車中に長時間ふたりきりでも、そんなに話さない。どちらかというと聞くタイプ。だからいつも緊張してたよ。
でも、たまに『お前のこと褒めてたぞ』とか他の誰かが言っていたり、本の中でぼくの話題を出してくれたり—『M青年』みたいな呼び名でね。それは嬉しかったな。
『世間に合わせて丸くなる必要はない』。当時自分は就職浪人みたいな感じだったけど、そんなメッセージをくれる人だった。肯定してくれるというかね。
その時に出会った野田さんの仲間たちも、みんなでたらめなおっさんだけど(笑)。少年のまま大人になったような人たちばっかりだったよね。あの時間は今でも財産」
25歳までのカウントダウンが迫る中、前田青年はアラスカ・ユーコン川へ向かう。
『狭いところでちまちま練習するくらいならユーコンに行け』
そんな野田さんの教えに沿って、すぐにチケットを手配した。40日かけて700kmの川下りをしている道のりにあった集落は1つだけ。人にはめったに会わない。自然の美しさも、脅威も、すぐそばにある。
確信したことは「このタイミングでこの場所に来られて、自分は本当に幸運だった」ということ。そして、「大人になる前にひたすらに自然の中に身を置くことは、人生に必ず良い影響をおよぼす」ということ。「自分自身も辿ってきたその感覚を、子どもたちに伝えていきたい」。そんな想いが浮かんだ。
人生の指針は少しずつ固まっていき、帰国。原点であり、度々赴いていた屋久島で、カヌーのガイドとして最初のキャリアをスタートさせる。父との約束期限であった25歳を迎えた頃には、子どもを対象とした「自然学校」の構想ができあがりつつあった。
屋久島での起業から3年、家庭の事情もあり28歳で地元に戻ることに。当時、鹿児島ではほぼ取り扱いがなかったブランド、パタゴニアの製品をメインとしたアウトドアショップ「ドリフトウッド」をオープンする。
「オープンして間もなく、ふらっと立ち寄ってくれたのが当時自転車で旅をしていた春山くん(ヤマップ代表・春山慶彦)。もう20年以上前だよ。
『屋久島に行く』って聞いて、知り合いを紹介したり、情報提供したりしたんだよね。1か月後くらいに戻ってきて、良い表情で「楽しかったです!!」って。今もあまり変わらないけど、本当に純粋な青年、って感じだった。
飲みながら話を聞いていたら色々と悩んでいて、『星野道夫さんに憧れてる』って言うから『アラスカに行け!』って焚きつけたことを憶えてる。ぼくが野田さんに背中を押されたみたいにね。
今考えれば、そのやりとりがYAMAPの原点やな(笑)」
しばし時は流れ、成長を見守ってきた愛娘が中学生になるタイミングで、再び単身での屋久島行きを決める。個人でできることの限界を感じつつ、25歳からの夢である「自然学校」の構想を具体化するなら屋久島で。そんな想いもあった。
「自然の中で思いっきり仕事をしたいと考えたら、40代がラストかなと、もう一度行きたいと思ったんよね。ちょうど日本にSUPが普及してきたタイミングで、競合のガイドもいないから『これはチャンスやな』とも思って」
40代半ばを迎えるタイミング。ヤマップを成長軌道に乗せはじめていた春山が、一時の余暇を過ごしに屋久島を訪ねてきた。ずっと連絡は取り合っていたものの、14、5年ぶりの再開。思い出と未来の話に花を咲かせる中、「ヤマップなら前田さんの構想を実現できるじゃないかと思うんです。一緒にやりませんか?」と誘いを受ける。少しの逡巡の後、アウトドア人生の総仕上げでもある「自然学校」の実現に向け、ヤマップへのジョインを決めた。
40代ではじめての正社員=「オールドルーキー」としてヤマップに入社して6年が経つ。各地での講演やインタープリター育成、言わずと知れたYouTube、テレビ出演など、「人と自然の翻訳者」として着実に歩んできたひげ隊長。あらためて、実現が目前に迫る「自然学校」、その背景にある想いについて聞いた。
「自然学校そのものをやりたい、というよりは、ひとりでも多くの子どもに自然のあり方を伝えたい。そういう想いが根っこにある。『学校』はあくまでひとつの手段。
ぼく自身は親父のおかげで、自然の中で思いっきり遊んでいろんなことを学んだ。でも、そんな体験をくれる大人がすべての子どものそばにいるわけではないでしょ?だから、おこがましいかもしれんけど、ぼくがその一端を担いたい。
どんな環境にいる子どもにも、できる限り公平に機会を提供したい。「山図鑑」の出版も、自治体と連携して始めた学校での授業も、目指すところは全部同じ」
「娘が小さいころには、北海道、四国、もちろん屋久島も、とにかく色々な場所に連れていった。四万十川をカヌーで下ったり、シュノーケルをつけて一緒に潜ったり、本物の自然の中で遊ぶことをやってきた。
だからか娘は、特に川に関しては相当「グルメ」だよね。素材そのままで一番美しい。汚れていない、高い基準の自然を知っている」
確かに、自然本来の姿を知っていたら『なぜここの水はこんなに汚れているのか』『なぜ魚がいないのか』などと疑問を持ち、気付くことができるかもしれない。目利きになれる、とも言えるだろうか。
「自然に対する 『当たり前の基準』を上げること。それが自然学校で実現したいことのひとつ。屋久島で、ぼくと同じように一生忘れられない体験を提供したい。実際に見て感じることが1番だから。
子どもの頃から本物の自然に触れ続けていくと、「本質」について考え、理解できる大人になると思ってる。勉強にしても仕事にしても『本当に大事なことって何だろう』と。そういう思考力が、人としての土台をつくる」
「自然学校では、『楽しい』とか『綺麗』だけじゃなく、自然の厳しさも感じられるプログラムを検討してるよ。小学校4年生くらいからは、少し厳しい、コースタイムの長い山に登って見たり、流れが激しい川に入ってみたり、ハードな面も教えていきたい。
どこまでいっても人間は自然に生かされている、その事実に対して謙虚に感じる心を養ってもらえるように。その大前提を早い時期から本能で感じていれば、リスペクトをしながら自然と良い付き合い方ができるはずだから。
あとは、アクティビティを通じて自然の循環を感じてほしい。子どもの頃、兄貴と手作りのイカダで川を渡って、潮のにおいを辿りながら海に出たことがあって。その時の『大冒険感』はいまだに覚えてるんだよね。そんな循環、山・川・海がすべてつながっているという当たり前で尊いことを知ってほしい。
子どもの時の原体験って、良い意味での『時限爆弾』だと思うんよね。僕の場合は、小学生の時に屋久島でセットされて、就職を考えた時に爆発したかのように思い出した。点と点がバーッと繋がって今がある。
大自然での原体験は必ずどこかのタイミングで起爆剤になって、良い方向に向かうはずなんだよ。悪い方には絶対いかない。今は気付かなくても、然るべきタイミングで火が付くときが必ず来る。
その時を信じて、親御さんにはぜひお子さんを自然に連れ出してほしい。その為の場として『自然学校』に来てもらえれば、こんなに嬉しいことはないなと思っています」
話を聞きながら、なんとなく自分の幼少期にも原体験に近いものがあったことを思い出した。ひげ隊長はひたすらに「子どもたち」の未来を見ているけれど、大人たちも気付くことがあるだろう。そういえば「あれ」が私にとっての時限装置で、「今」が動き出す時なのかもと、と。長尺のインタビューを終えた帰り道、そんなことを思った。
2024年8月20日(火)〜8月22日(木)、ひげ隊長の想いが詰まった、YAMAPの自然学校・第一弾が開催決定!場所は、長崎県・雲仙温泉。対象は小学4年〜中学3年。
YAMAP KIDS CAMPの特徴は、開催地のフィールドを活かした「その土地ならでは」の自然体験。20年以上のガイド経験を持つひげ隊長と現地のプロアウトフィッターが、画一的ではない本格的な「アウトドア体験」をお届けします。
開催地である雲仙温泉は、長崎県・雲仙岳の中腹にある温泉街。大地から湧き出る温泉はもちろん、世界一新しい山である「平成新山」や地熱や火山ガスの噴気を間近で感じることができる「雲仙地獄」などがあり、火山活動をダイレクトに感じることができるスポットが集まった貴重なエリアです。
そんな雲仙ならではの自然や文化を多く取り入れたプログラムをご用意しています。もちろんメインプログラムは、標高1,483mの普賢岳トレッキング!
アクティビティや仲間との共同生活を通して、自然・人とのつながりを知り、よろこびを育む3日間。本物の大自然と、こどもたちにとって忘れられない記憶を、YAMAPが心を込めて贈ります。
詳細はこちら:募集ページを見る