日本各地の低山に歴史物語を訪ね歩く低山トラベラー/山旅文筆家の大内征さんが、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を思い起こしながら綴る低山の回想録。ドラマに登場した場所をはじめ、登場人物と所縁のある山、これを機にぜひ訪れたい名所などなど、ご自身のエピソードや山のトリビアとともに選出した13座の山旅をふり返ります。全5回シリーズの第4回は源氏に隠れがちな「平家」ゆかりの低山2座を紹介していただきましょう。
大内 征(低山トラベラー/山旅文筆家)
鎌倉殿の13座|大河ゆかりの低山めぐり #04/連載一覧はこちら
2022.09.06
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
タイトルにある「13座」まで、残すところ4座。ここまでの9座は、源氏から頼朝と義経、坂東武士からは三浦一族と畠山重忠に所縁のある低山を取り上げてきた。どの山もこの連載のために新規で取材してきたわけではなく、むかし歩いたことのある山ばかり。しかしふり返ってみれば「鎌倉殿の13人」と、なにかしら関係するエピソードがある。
いまあらためて、テーマに沿いながらそうした山のことを思い出し、残りの4座をどの山にしようかと頭を悩ませている。一方で、そのプロセスで思い出す山のエピソードのひとつひとつがドラマの予習復習にもなっており、ぼくにとっては楽しい作業になっている。
あんな山もあったなあ、こんな山もあるなあ、と酒を飲みながら記憶を辿る旅の中でふと着想を得たのが「平家」「平氏」のことだった。
奥深き山間部を訪ねると、平家の落人の伝承を耳にすることがあるだろう。戦に敗れて遠く落ちのびた人物が、じつは密かに生きながらえていた――というような話だ。一度は歴史の表舞台から去ったはずなのに、なんらかの運命で再び活躍するといったケースも聞いたことがある。
そんなわけで、第4回はこれまでとちょっと異なる切り口で2つの山を取り上げたい。キーワードは「平家」「平氏」である。
岐阜県大垣市の上石津町に時(とき)という地区がある。なにやらノスタルジックな印象を受ける響きだけれど、関ヶ原や伊勢街道が近く、古くから人々の往来がさかんなため土地の雰囲気はとても明るい。この地のシンボルは烏帽子岳とか美濃富士とか呼ばれる美しい低山だ。標高865mの山頂からは伊勢湾や鈴鹿山脈方面が、山腹の展望ポイントからは伊吹山や霊仙山の見晴らしが抜群で、それを目当てにハイカーも多く訪れる。
ご縁があって、ぼくは一時期この山にたびたび登る機会があった。地元の方々と何度も登っては山の伝承や見どころを確かめるフィールドワークを重ね、その魅力を可視化しようと手書き地図を作成した。完成した地図は地元でずいぶん評判になったので、もしかしたら読者の中で手にしたことのある人がいるかもしれない。ありがとう。
地元では熊坂山とも呼ばれており、その由来となる人物の伝承が興味深い。能に詳しい方にはお馴染みであろう、熊坂長範のことだ。長範は各地で盗みを働いたという伝説の盗賊で、ここ時地区では烏帽子岳を根城にしてたびたび金品を奪った話が伝えられている。決まった時間になると山から下りてくることから、この地区は「時」と呼ばれるようになったのだとか。
余談だけれど、その熊坂長範、奥州へ向かう京の豪商・吉次の一行を襲ったときに返り討ちにあい、命を落としてしまった。その一行に同行していたのが源義経だったというのだから、なんとも運が悪い。
熊坂長範は石川五右衛門と並ぶ盗賊とされるものの、その存在は伝説の域を出ない。出身地とされる場所が日本中にある(熊坂と付く地名や山名が多い)とか、じつは盗んだ金品を貧しい人へ配った義賊だったのだとか、とにかくエピソードに事欠かない人物である。
時地区よりさらに奥へと進むと、時山という場所になる。そこは壇ノ浦に敗れた平家の落人が地元の人たちと和合をはかりながら暮らした地。後世、関ヶ原合戦に敗れて薩摩に戻ろうとした島津軍が、ここを通って大坂の堺へ向かったという説に心が躍る。その際に大いに協力したのが、まさに平家の落人の血をひく時山の人たちだった。
かつての源平合戦を関ヶ原の勝敗に、さらには落ちのびようと必死だった自分たちを敗走する島津軍にそれぞれ重ね合わせ、手を貸かずにはいられなかったのかもしれない。
この退却路を「島津の退き口」という。ルートには諸説があるけれど、ぼくはこの平家の落人の話を聞いて俄然このルートに興味をもった。そして実際に周辺を歩きながら、かつての関ヶ原合戦、ひいては源平合戦に思いを馳せたのだった。
平家つながりで、もうひとつ。平氏の流れをくむとする北条氏からも1座を選びたい。それはズバリ、江の島だ。
歴史や信仰といった視点で江の島に関心をもつようになったのは、旅するように低い山を巡る“低山トラベル”をはじめてからのことだろうか。それまでは学生時代のデートコースだったり、遊び仲間と訪れるドライブコースだったりで、島よりもビーチに目が向いていた気がする。とはいえ、数えるほどしか行ったことがなかったけれど。
ところが、相模大山とあわせて“両詣り”をしたときに、はじめて島をくまなく散策し、もっと早く来るべきだったと後悔した。
江の島は、とにかく“最奥”がいい。とくに岩屋は宗像三女神を起源とする江の島信仰の発祥地であり、弘法大師や日蓮上人も修行したと伝わる島の核心部。波による岩壁の浸食でできた洞窟は海食洞と呼ばれ、いまは観光客への配慮もあって整備が行き届いている。ゆえにワイルドな本来の海食洞とは言い難いけれど、入ってみるとなかなか奥深くてワクワクする。
この岩屋に、子孫繁栄の祈願に訪れた北条時政が35日間も籠ったそうだ。そのおりに弁財天が現れ、願いを叶える約束をしたのち大蛇(龍とも)に姿を変えて海へと消えてしまった。そこに残されていた三枚の鱗を、時政は北条家の家紋にしたと伝わる。これが有名な三つ鱗(ミツウロコ)だ。ちなみに、宗像三女神は平清盛によって厚く崇敬された厳島神社の女神でもある。
岩屋を出ると、青い海と青い空の輝きにすぐには目が慣れないだろう。やがて陽の光に目が馴染んでくると、伊豆半島、箱根の山々、富士山、そして丹沢山地の大山までがきれいに並んで見えてくる。この湘南の海から臨む美しい山岳風景の中に、鎌倉殿の13人が躍動した時代がたしかにあったのだ。
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文・写真
大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家