山に追いやられた鳥、エゾライチョウ|大橋弘一の「山の鳥」エッセイ Vol.7

山にはいろいろな野鳥が暮らしています。低山から高山まで、四季折々の山の鳥たちとの出会いのエピソードを、バードウォッチング歴50年、野鳥写真歴30余年の大橋弘一さんが様々なトリビアを交えて綴る「山の鳥エッセイ」。第7回は、人々の営みから影響を受けながら北海道の地で暮らし続ける「エゾライチョウ」について、写真とともに紹介していただきます。

山の鳥エッセイ #07/連載一覧

2023.07.20

大橋 弘一

野鳥写真家

INDEX

【第7回 エゾライチョウ】
英名:Hazel Grouse
漢字表記:蝦夷雷鳥
分類:キジ目キジ科エゾライチョウ属

山に追いやられた鳥

雄は色彩にメリハリがあり、嘴の下から喉にかけては黒く、目の上の赤い部分が目立つ

今回は、元々平地にも多く生息していたのに今ではほとんど山地でしか見られなくなってしまった鳥のお話です。それはエゾライチョウ。日本では北海道にのみ分布するライチョウの仲間です。

ライチョウの仲間と言うと、高山帯に生息する鳥と考えがちですが、エゾライチョウは違います。高山というより森林の鳥なのです。一年中、森の中で暮らし、樹木の新芽や冬芽、実、タネや葉といった通年豊富にある草木の恵みによって生きています。そのため渡り(季節性の長距離移動)を行わず、年間を通してほぼ同じ地域で暮らしています。

誤解を恐れずアバウトな言い方をすれば、森の木々があれば生きていける鳥なので、森や林であれば標高は関係なく、平地でも山地でも暮らして行けることになります。

ところが、平地の森は開発などによって減少し、残された森や林もエゾライチョウにとっては暮らしにくくなってしまったのでしょう。充分な食物が得られないか繁殖場所に恵まれないのか、いずれにせよ、近年では道央などの平地ではほとんどその姿を見なくなってしまいました。

道東などではまだ平地の森でも見られる場所がありますが、その生息数は年々減っていると聞きます。エゾライチョウは、結果的に山の鳥となっているのが現状だと言ってよいでしょう。

雌は全体的に褐色系の印象で、雄のようなはっきりした色彩には乏しい

エゾライチョウが代々命をつないでいくためには、相当広い面積の森が必要です。北海道の平地の森は、開拓期から見れば農地や牧草地などへの転換によって小さく孤立した林地となってしまった例が多く、これが彼らを山地へ追いやってしまった理由なのかもしれません。

現在では、エゾライチョウの主要生息地は標高200mから800mの山地と考えられ、稀には1000m以上のハイマツ帯に現れることもあるそうです。

最大の天敵は?

エゾライチョウの天敵動物(上段左キタキツネ・右エゾタヌキ・下段左アライグマ・右テン)

生息地の減少の他にもエゾライチョウが激減した理由があります。一説に、キタキツネなど天敵による捕食がエゾライチョウ減少の大きな原因であると指摘されています。1980年代頃からキタキツネの個体数は増加しており、それはちょうどエゾライチョウが減っていった時期と重なるからです。

森の中に暮らしながらも地上にいることが多いエゾライチョウは、キツネだけでなくエゾタヌキやテン、さらには外来種アライグマなどにも狙われることが多いと言われています。

しかし、よく調べてみると、エゾライチョウが最も減ったのは、もっと以前、1920年代から1960年代のことだったようです。つまり、大正から昭和にかけての時代ですが、その頃にはエゾライチョウは年間4~5万羽(1967年には約6万羽)もが捕獲され、食用として欧米に輸出されていたそうです。

ある文献の「大正時代には樽詰めにされてシベリア鉄道でヨーロッパへ輸送された」という生々しい記述を読んだこともあります。その頃の個体数は調査されていませんが、これほど捕獲されていたことを考えれば、この時代にかなりの数が減ったとみて間違いないと思います。

厳寒期は、天敵に見つかりにくい枝の込み入った樹上でじっと寒さに耐える

捕獲された理由は、輸出用だけではありません。地元・北海道でも、かつてはエゾライチョウが「やまどり」という俗称で人々の食卓をにぎわせる食材だったのです(本物のヤマドリは北海道には分布していません)。一時は市場の店頭にも並んでいたそうです。

信じがたいことですが、今でも、年越し蕎麦の出汁にはエゾライチョウを使う人がいるという話も聞いたことがあります。思いのほか、エゾライチョウは北海道の食文化に強く根付いているのかもしれません。

エゾライチョウにとっての最大の天敵は、キツネでもテンでもなく、あろうことか私たち人間だったのです。現在でも、エゾライチョウは”狩猟鳥”に指定されたままです。

ライチョウとの格差

周囲を警戒しながら雪原に姿を現した雄のエゾライチョウ。冬でも白くならず、こういう状況では保護色を持たない

エゾライチョウは、その名から想像される通り、本州中部の高山帯に生息するライチョウと近縁の鳥です。キジ目キジ科エゾライチョウ属。ライチョウはキジ科ライチョウ属ですので、ちょっとだけ異なる分類ということになります。

高山鳥の代表格と言えるライチョウは夏と冬とで羽色を変え、冬には真っ白になることがよく知られていますが、一方、エゾライチョウは夏冬とも羽色は同じで、冬でも白くなりません。冬は白一色の世界に閉ざされる北海道に暮らすのに白くならないのはちょっと不思議です。

初夏、エゾノコリンゴの蕾を食べに来たエゾライチョウ。新芽、花、果実、冬芽などを季節に応じて食べている

ともあれ、エゾライチョウは冬の保護色を持たないだけではなく、人間が勝手に決めたことではありますが、天然記念物などという名誉ある肩書きも持ち合わせません。ライチョウが特別天然記念物に指定され手厚い保護策が採られていることと比べると、今も狩猟鳥であるエゾライチョウはあまりにも理不尽な扱いを受けていると言わざるを得ません。

環境省のレッドリスト(絶滅のおそれのある野生動植物種リスト)には記載されていますが、それも「情報不足」という位置づけです。せめて、狩猟鳥指定だけでもはずしてもらいたいものだと思います。

狩猟鳥を考える

雑然とした枝先にいることが多く撮影には苦労する。翼は、広げると極端に小さいことがわかる。この翼では長距離飛行ができず、狩猟対象となりやすいこともうなずける

もともと数多く生息していたエゾライチョウを北海道では狩猟対象とし、それを食物として扱っていた…。

現代のバードウォッチャーの感覚からすれば少々ショッキングなことかもしれませんが、私はこれを負の側面とは考えていません。もとより、非難するようなことではないと思います。身近にある生き物を食糧として頂くことは人として自然な行為であり、そこに地域独自の食文化も生まれ、伝えられていくものです。

そう考えれば、エゾライチョウが北海道の大地にかつてどれほど多く生息していたか、どれほど人々の身近な存在であったかがわかるというものです。

かつて日本人のタンパク源だった野鳥の例(上段左からマナヅル・ヒバリ・マガン、下段左からバン・キジ・ダイゼン)

ちなみに、日本では、国鳥のキジでさえも狩猟鳥に指定されています。また、優美な姿のタンチョウなどツル類をはじめ、江戸時代まで狩猟対象だった鳥は数多く存在します。

歴史をたどれば、日本では古代より仏教思想が広まるにつれ、獣肉を食べてはいけないという価値観が広まりました。牛馬などの肉食が解禁されたのは明治維新でのことでした。しかし、穀物と野菜だけの食生活では当然タンパク質不足になりますので、それを補うために魚や鳥が重要なタンパク源であり続けたのです。

江戸時代には「三鳥二魚」という表現があったそうです。最も美味なものを指す言葉で、三鳥とは鶴・雉子(きじ)・雁とも、鶴・雲雀(ひばり)・鷭(ばん)とも言われます。二魚は鯛と鮟鱇(あんこう)です。こうした表現が生まれるほど、古来、日本では鳥が魚と並ぶ重要な食糧であったことを忘れてはなりません。

ただし、一方では、野生動物管理という現代の科学的見地から、現状の生息状況に見合った狩猟対象を厳しく選定する考え方が重要であることは言うまでもないでしょう。

大切にしていた撮影地は今

浮島峠の林道(旧道)にて。車内から撮影したひとコマ

数年前まで、私がエゾライチョウの名所として大切にしていた撮影地があります。上川郡上川町と紋別郡滝上町の境界に位置する浮島峠(916m)です。

秘境の雰囲気が漂う雲上の高層湿原「浮島湿原」への入り口として知られ、かつての国道跡が未舗装の約10kmの旧道として残された場所です。浮島湿原に行く目的以外ではほとんど車も通らず、林道と呼んだ方がふさわしいその旧道を6月頃に訪ねれば、かつては1往復で数回以上、必ずエゾライチョウの親子連れに出会いました。

私がそこへ通うようになったのは30年ほど前からのことです。既に札幌近郊では平地の森でエゾライチョウをほとんど見かけなくなっていましたが、標高900mの山地にはまだまだたくさんいることを実感したものです。10年ほど前まで、私はエゾライチョウ見たさにこの林道をシーズン中には何度も往復しました。

風光明媚な浮島湿原。ここへ向かう林道がエゾライチョウの名所だった

ただ、その時期のエゾライチョウは警戒心が強く、姿を見つけてもすぐに薮へ逃げ込んでしまい、撮影はなかなか難しいものでした。さらに、数年前からはエゾライチョウの目撃頻度が明らかに落ちてきました。また、エゾライチョウが多い滝上町側は林道整備がだんだん行き届かなくなり、倒木や落石が放置されたままになっていることもしばしばありました。

こうして、私が見つけたとっておきのエゾライチョウ撮影地は、徐々に条件が悪化する中、2021年にはついに決定的なダメージが発生してしまいます。一人登山の女性がヒグマに襲われて亡くなるという痛ましい事故が起きてしまったのです。

それ以来、人も車も立ち入り禁止となり、事実上行くことができない場所になってしまいました。あのままエゾライチョウは減り続けているのか、それとも人が行かなくなったために逆に増えてきたのか、気になりますが、今となっては確認する術もありません。

エゾライチョウ人気の理由

しゃがみ込んでカメラを構えていたら、雌のエゾライチョウが突然こちらへ向かって来た。でもシャッターを切った次の瞬間にはUターン。あの行動はいったい何だったのだろう

エゾライチョウは、前述の通り、国内では北海道にしか生息していません。津軽海峡を境界として動物分布が大きく変わる「ブラキストン線」を物語る鳥のひとつであり、言い方を変えれば”北海道らしい鳥”の代表格なのです。

そのため、最近では野鳥撮影の目的で北海道を訪れる人たちの間でじわじわと人気が高まってきています。「エゾライチョウを見たい、撮りたい」という人が増えていると感じられるのです。

森の中でふと視線を感じて見上げると、すぐそこでエゾライチョウが私を見下ろしていた。この上なく親しみを感じた瞬間

北海道の野鳥をもっと楽しんでもらうことなどを趣旨として私が主宰している会員組織「ウェルカム北海道野鳥倶楽部」では、毎年多くの会員さんを北海道の探鳥フィールドへご案内しています。そこでの「見たい撮りたい」人気の鳥のベスト3はクマゲラ、シマエナガ、ギンザンマシコですが、エゾライチョウはそれらに次ぐ位置を占めているようです。

統計的な裏付けがあるわけではありませんが、個人的には、特に最近「いつ、どこへ行けばエゾライチョウが撮れますか?」という質問を受けることが多くなってきました。

こうしたエゾライチョウ人気の理由は、北海道でしか見られないことはもちろんですが、それと同じくらいに、あるいはそれ以上に、この鳥が減り、簡単には出会えなくなったことにあると私は考えています。

<参考文献>
・藤巻裕蔵著『エゾライチョウ』(帯広畜産大学野生動物研究室)
・『野生動物分布等実態調査報告書 エゾライチョウ生態等調査報告書』(北海道保健環境部自然保護課)
・御厨正治著『野鳥文芸辞典一 あ行』(近代文芸社)

*写真撮影地はすべて北海道です。 
*写真の無断転用を固くお断りします。

大橋 弘一

野鳥写真家

大橋 弘一

野鳥写真家

日本の野鳥全種全亜種の撮影を永遠のテーマとし、図鑑・書籍・雑誌等への作品提供をメインに活動。写真だけでなく、執筆・講演活動等を通して鳥を広く紹介することをライフワークとしており、特に鳥の呼び名(和名・英名・学名等)の語源由来、民話伝承・文学作品等での扱われ方など鳥と人との関わりについての人文科学的な独自の解説が好評。NHKラジオの人気番組「ラジオ深夜便」で月に一度(毎月第4月曜日)放送の「鳥の雑学 ...(続きを読む

日本の野鳥全種全亜種の撮影を永遠のテーマとし、図鑑・書籍・雑誌等への作品提供をメインに活動。写真だけでなく、執筆・講演活動等を通して鳥を広く紹介することをライフワークとしており、特に鳥の呼び名(和名・英名・学名等)の語源由来、民話伝承・文学作品等での扱われ方など鳥と人との関わりについての人文科学的な独自の解説が好評。NHKラジオの人気番組「ラジオ深夜便」で月に一度(毎月第4月曜日)放送の「鳥の雑学ノート」では企画・構成から出演までこなす。『野鳥の呼び名事典』(世界文化社)、『日本野鳥歳時記』(ナツメ社)、『庭で楽しむ野鳥の本』(山と溪谷社)、写真集『よちよちもふもふオシドリの赤ちゃん』(講談社)など著書多数。最新刊は『北海道野鳥観察地ガイド増補新版』(北海道新聞社)。日本鳥学会会員。日本野鳥の会会員。SSP日本自然科学写真協会会員。「ウェルカム北海道野鳥倶楽部」主宰。https://ohashi.naturally.jpn.com/