低山トラベラー/山旅文筆家にして熱烈な大河マニアの大内征氏が、家康に訪れる人生の岐路に思いを馳せながら、妄想豊かにゆかりの低山をさまよう放浪妄想型新感覚歴史山旅エッセイ。第4回では、駿河国と甲斐国を結ぶ街道の一つであり、信玄、信長、そして家康も通ったと伝わる中道往還、そして富士の絶景を味わう三方分山を巡ります。虚実が交錯する妄想大河の世界をぜひ、ご堪能ください。
大内征の超個人的「どうする家康」の歩き方 /連載一覧
2023.10.03
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
つい最近までは、例年以上に暑く感じる日々が続いていたけれど、気がつけば最高気温が30度を割る日が増えてきた。いつまでも酷暑のままでは嫌気がさす反面、まだ終わらない夏山シーズンには嬉しさも感じる。しかしながら、9月中旬の立山・雷鳥沢はうっすら紅葉がはじまっていたし、関東周辺の低山にも秋の空気が漂いはじめている。
駿府フィールドワークをテーマにした前回の更新から、気がつけば3ヶ月。その間、ドラマはずいぶん話が先に進み、面白い展開になっている。戦国時代ファンにとっては極めて大切な「天正十年」の出来事が過ぎ、家康にとってはどうするか悩ましい状況が立て続けに起こっているようだ。
土日は山にいることが多いため、ぼくはもっぱら録画派。そんな中で、ハードディスクからいまも消せない一話がある。第26話の「ぶらり富士遊覧」だ。この回を境に、それまでの雰囲気とは打って変わって俄然面白くなったと感じている。まさか、25話までのもやもやした進み方は、視聴者のそういう心の動きをあらかじめ計算した脚本だったのかもしれない。そうだとすると、脚本の古沢良太、すごい……。
そんなわけで、今回はこの第26話のキーワード「富士山」をきっかけに、山梨県の中道往還と三方分山についてとりあげたい。ドラマでは中道往還という名称が直接登場することはなかったと思うけれど、信玄、信長、そして家康も通ったと伝わる歴史ある山道である。
この連載の第一回目で触れた、小栗旬と松本潤の対談動画のことを覚えているだろうか。昨年末に『鎌倉殿の13人』が終了し、次年の『どうする家康』を控える中で公開された、両主役による時空を超えた“武家の頂点”対談のことだ。ここで二人は「話(わ)」について語り合っている。ドラマとしてもっとも重要なターニングポイントとなる回のことだ。
個人的にいくつか想像した「話」のひとつが、まさに第26話で描かれていた。見てきた中で一番ソワソワする回であり、その終わり方は目をみはるものがあった。いつもは視聴したらすぐに消去するのだけれど、これだけはいまも消せずに残している。いずれ「もう一度、見る」と考えてのことで、まさにこの原稿を書く直前にも見直したばかり。
ネタバレしないよう簡潔にまとめると、甲斐武田氏との諸々の決着のために往来した富士山西麓の街道「中道往還」の途上において、家康が信長を接待したという史実がベースになっている。この道は富士山の西側を通っており、駿河と甲斐のアクセスがいい。軍勢の移動や物流スピードにおいて最適最速だったと伝わる。現在では、山梨で登山を楽しむうえで欠かせない峠でもある。
駿河国と甲斐国を結ぶ代表的な街道には、河口湖側を通る若彦路と、富士川に沿う河内路があった。その真ん中を通る街道が「中道」往還である。富士五湖のひとつである精進湖から北へとのびる区間に名残が色濃く残っており、阿難坂や右左口峠といった難所を通って御坂山地を越えるのだ。まさにこれらの峠を越えて甲州へ侵攻したのが織田と徳川の連合軍だったわけだ。とくに右左口峠の北は、家康が滞在したと伝わる敬泉寺の所在で有名。
ドラマでは、甲州からの帰路において、家康が信長をもてなしながらそれぞれの領国へと向かう「富士遊覧」の様子が描かれていた。軍事目的に限らず、駿河湾の海の幸を甲府へと運ぶ際の最短路としても利用されていた。冷凍技術のないむかしのことだから、できるだけいい状態で商いをするために重宝されたそうだ。いまも甲府には、魚町と呼ばれた魚市場や魚町通りに、その名称と面影を残している。
そんな歴史ある山道を標高900m地点の精進湖から登り、阿難坂(別名、女坂峠)から西へ分岐する道を進む。やや急な登り道を越えると、そこが三方分山だ。古関(甲府市)、八坂(身延町)、精進(富士河口湖町)の三方を分ける尾根が特徴で、標高は1,422m。
ここから眺める富士山は絶景中の絶景で、眼下にはスタート地点の精進湖がまるっと一望のもと。さらには富士山の手前に大室山もばっちり収まる。こどもを抱きかかえるような姿は「子抱き富士」と呼ばれ、ここならではの風景をつくり出している。
絶景といいながら、三方分山を上回る最上級の眺めがパノラマ台にある。こちらは富士山がより間近に迫り、さらには山麓を覆う広大な樹海が見事で、すそ野の広さもよくわかるので、迫力がものすごい。
三方分山から南へと向かう道中で注意したいのは、急坂を下ることや、たびたび訪れる起伏があるところだろうか。道そのものは難しくはないものの、少し距離が長くなるため、全体行程の把握とペース配分は必須。とはいえ、それを乗り越えられれば、この山行一番の感動が待っている。ちなみに、YAMAPによると、この地図の全体行程は約9km、ざっと7時間ほどだ。
秋が深まると、紅葉はもちろんのこと、太陽に照らされる黄金色のススキが素晴らしい。まさか家康がここまで登ってくることはなかったと思うけれど、もしこの絶景を前にして信長をもてなすことができたら、歴史になにか影響はあったのだろうか。その前に、信長がこんな山の上まで付き合ってくれるかは、わからないけれど。
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さて、この『どうする家康』を見ていたぼくの友人知人のなかには、前半早々に離脱してしまった人が多い。もう見なくていいかなあ、と思う理由は人それぞれあることだろう。気弱で、優柔不断で、でも優しくて、意外なところで気骨を感じさせるイケメン。
見る人が徳川家康という人物をどんな風にイメージしているのか、それ次第によっては、あまりに想像と異なるため見るのが耐えられないということなのかもしれない。時代考証や演出を言う人もいる。実をいうと、ぼくも危うく脱落するところではあった。この連載がなければ、途中で見ることをやめていたかもしれない。YAMAPユーザーのみなさんは、どうだろう。見続けている人、いるのかな。
そんなぼくはいま、あの第26話までの長き道のりが大きなターニングポイントとなり、毎週末の放送を心待ちにしている。後半の展開を見ながら、つぎに“超個人的”に歩く山を絞り込んでいきたい。
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文・写真
大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家