低山トラベラー/山旅文筆家にして熱烈な大河マニアの大内征氏が、家康に訪れる人生の岐路に思いを馳せながら、妄想豊かにゆかりの低山をさまよう放浪妄想型新感覚歴史山旅エッセイ。第5回では、家康と「薬王」の関わりを紐解くべく、北関東の地を巡ります。いよいよ最終回となる本連載。虚実が交錯する妄想大河の世界をぜひ、ご堪能ください。
大内征の超個人的「どうする家康」の歩き方 /連載一覧
2023.12.18
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
大坂の陣というと、司馬遼太郎の小説『城塞』(新潮文庫)がとても面白い。司馬遼太郎は大阪の人で、秀吉好きだと公言していただけあって、やはり豊臣方に明るい。そのことを前提にすると、対峙する徳川家康をどう描くのかがとても興味深く、小説『関ヶ原』(新潮文庫)とともに何度も何度も読み返した。
ぼくは徳川にも豊臣にも特別な肩入れはないけれど、その作品をたくさん読み漁ったこともあってか、司馬史観には少なくない影響を受けている。とはいえ、もちろんそれを好むか否かは人それぞれ。大河ドラマだって、賛否はあるものだ。今回の『どうする家康』を見続けたYAMAP MAGAZINE読者のみなさんは、どのような感想を持っただろうか。
この原稿は、残すところ一話というタイミングで書いている。公開されるのは、最終回の放送が終わった直後になるだろう。つまり、まだ最後の話を知らずに書き進めていることになる。2023年1月8日の初回放送から見続けた全48話も、いよいよ完結。最後に家康がどうしたのか、その行方は気になるけれど、じつをいうとぼくの心はすでにドラマのその後に向けられている。
そこで、今回はちょっと趣を変えて、長寿だった家康と薬師如来を意味する「薬王」という言葉をかけて、薬王にまつわる地を巡る山旅を“家康山歩”として試みたい。
舞台は神の君が鎮座する地、北関東。江戸にとっては、四神相応(しじんそうおう、東西南北を四神が護るという理想的な地形)の北を護る神・玄武が守護する山として日光が見立てられ、鬼門(丑寅)の方角には筑波山(877m)が位置している。歴史上、とても興味深い地域である。
数えで75歳という、平均寿命が50歳前後だった当時としてはかなりの長寿を全うした徳川家康。日ごろから健康に対する気の配り方は尋常ではなかったそうで、とくに運動習慣や栄養面から身体のケアをすることに抜かりがなかったという。
さらには医学と薬学にまで長じており、中国の医薬書『医林集要(いりんしゅうよう)』などを参考として自ら薬を調合し服用していたことだったり、大病を患った幼少期の家光を自家製の薬で救ったりと、意外にも“薬”に関するエピソードに事欠かない。最近では、家康の常備薬といわれる秘伝の漢方を再現したという、静岡市葵区の薬剤師の方のニュースが記憶に新しい。
家康と薬、なかなか面白い視点である。たとえば家康の足跡を調べていくと、どうも「薬王」を号する寺院に所縁がありそうな気配だ。家康と薬王。単なる偶然かもしれないし、なんらかの意味があるのかもしれない。東京の高尾山薬王院は、家康というよりも紀州徳川家との所縁が深かったようだけれど、いずれにしても家康と薬王には浅からぬ言葉の縁がある気がするのだ。
そもそも「薬王」とは、寺院の名称としてぼくらの目耳に触れることが多い。薬師如来(正式名は薬師瑠璃光如来)が本尊として祀られている寺院が多く、これが寺の名称に「薬王」を頂く由来のひとつだったりする。
加えて、家康の神としての名である神号は「東照大権現」であり、秀吉の神号となった“大明神”とは異なる。これは家康に仕えた僧のひとり、南光坊天海の主導によるもの。天海は本尊を薬師如来とする延暦寺の天台宗に学び、その麓に鎮座して比叡山を護る日吉大社の「山王権現」にも思想的影響を受けている。そこから、家康の神の名に“権現”を用いる流れになった。神仏の世界においても、家康と薬師はつながっているわけだ。
ちなみに、もともと「日吉」は日枝や比叡と書いてヒエと読んだ。後の世になり縁起のよい「吉」の字が使われて、ヒエを日吉と書くようになった。要するに、ヒエ、ヒエイ、ヒヨシは、すべて比叡山の延暦寺と日吉大社に起源がある。山王という地名の土地に決まって日枝神社や日吉神社があるのは、そのためである。
おっと、いささか主題から脱線してしまった。重いウンチクはこのくらいにして、軽やかに“家康山歩”へ出かけるとしよう。
かつて愛知県に生まれて静岡県に育った海道一の弓取りが、いまは北関東の栃木県に眠っている。そもそも家康は栃木と生前からゆかりが深い。会津を治める上杉景勝に向けた軍を関ヶ原に転じた運命の評定は小山(栃木県小山市)だったし、亡くなった一年後に東照大権現として改めて祀られたのは日光(栃木県日光市)だった。
栃木の地図をつぶさに見ていると、その日光東照宮と小山評定跡とを結んだ直線のほぼ中間のあたりに、薬王寺という寺院がある。ここは鹿沼市にある真言宗智山派の寺で、伝教大師こと最澄が手掛けた薬師如来を本尊として創建されたそうだから、当初は天台宗の寺だったのかもしれない。正式名称を医王山阿弥陀院薬王寺という。薬師ではなく阿弥陀という言葉が入るあたり、いささか複雑に感じるものの、その名に医王と薬王を冠するのだから、医学と薬学に長じた家康に相応しく感じる。
この薬王寺に、神となった家康が滞在した。というのは、久能山から日光へと改葬されるときに、家康の神柩(しんきゅう)が19日間の大移動をする。その最後の4日間をここで過ごしたというわけだ。かつて大規模な法要が行われたこの地も、いまや静かな住宅地。東武日光線の新鹿沼駅からほど近いので、日帰り週末トリップにぴったりだ。
薬王寺から西へ1kmほど歩くと、標高230mの「富士山公園」がある。富士山の名の通り麓には浅間神社(せんげんじんじゃ)があり、YAMAPによるとその場所の標高は150mほど。つまり高低差80mと、まさに“山歩”にはうってつけの超低山。午前中に薬王寺参拝を済ませて、お昼までの腹ごなしに少し運動をしてみるというのは、とてもいいアイデアだと思う。
浅間神社から舗装路沿いに山に入っていくと、ハイキングコースの道標がこまやかにガイドをしてくれる。それに従えば、あっという間に最高地点に到着。山頂からは日光の男体山(2,486m)や宇都宮の古賀志山(こがしやま、582m)がばっちり眺められる好立地で、南東には筑波連山の山並みがたおやかで。そして日本一広い関東平野が、ずっとずっと南へと続いていく。標高230mながらも、眺めの良さはなかなかのもの。ただ、ぼくが山歩したときは南に雲が多く、肝心の富士山が見えるか否かは確認できなかったけれど。
それはそうと、ぼくにとって鹿沼市といえば、じつはハイレベルな「町中華」のイメージがある。なにせここは、餃子で有名な宇都宮市とラーメンで知られる佐野市に挟まれた地域なのだ。近隣の強豪たちに負けない味覚が磨かれ、本当に美味しい名店ばかり。このあたりに来たときのお目当ては、鹿沼の中華が最有力候補となる。地元の町中華、リスペクト。
というわけで、ここでの山歩の締めくくりは町中華を楽しもう。取材日は新鹿沼駅と薬王寺の中間にある「正楽園」で、もやしそば、エビチャーハン、焼き餃子の組み合わせを堪能した。それにしても、どれも魅力的なメニューばかりで迷いに迷う。あなたなら、どうする?
鹿沼の富士山公園から眺めた筑波山地は南北にのびやかで、その盟主たる筑波山は低山ながらも堂々とした山容をしている。独立峰だと思われがちな山だけれど、南北に山々が隣り合う“連山”だ。
そんな筑波山の西麓にある薬王院は、男体山へと続く道のりの登山口にあたる。ここは筑波山に数ある登山道の中でも長めのコースで、静かな山歩きに地元の支持者が多い。もちろんぼくもその一人。幸運なことに、2023年2月に放送されたNHK BS「にっぽん百名山」で案内する機会にも恵まれた。この記事を執筆する前にも歩いてきたけれど、相変わらずしっとりした樹林が続く、渋めのいい道だった。
薬王院の山号は椎尾山(しいおさん)という。境内には茨城県や桜川市の指定文化財がそこかしこに点在する古刹で、地元の参拝者がとても多く、雰囲気が本当に素晴らしい。中でも圧巻なのは、県指定天然記念物のスダジイだ。山号の“椎尾”の由来となった巨木群である。地球の大先輩たちを前に、ただただ見上げることしかできない圧倒的な存在感。巨木、リスペクト。
そもそも筑波山は江戸の鬼門であり、寅の方角にあたる霊山だ。諸説あるものの寅年・寅の日に生まれたとされる家康にとってみれば、江戸と自分を護ってくれる重要な山こそが、筑波山だったのかもしれない。そんなこともあってか、徳川家からの支援に寺が助けられた歴史もあったのだと、竹林俊充副住職がにこやかに話してくれた。
ところで、薬王院コースを楽しみたい人への参考に、このコースの魅力をふたつの自然景観から伝えておきたい。
ひとつは、スタート地点のつくし湖から眺める「逆さ筑波」の景観。寒い季節の早朝なら、湖面を漂う気嵐のような濃い霧が神秘的。遭遇できたらラッキーだ。太陽と気温の上昇とともに文字通り霧散するやいなや、美しい山の姿を水面に拝むことができる。登山前の儀式として早めに出向いてみるのも、悪くないと思う。
もうひとつは、平地よりも山腹の気温が高くなる「斜面温暖帯」なる現象により、平地よりも遅れてやってくる紅葉の景観。これが実に見事で、例年12月中旬くらいまで薬王院の錦秋を楽しむことができる。ちなみに12月16日(土)時点のYAMAPの活動日記によれば、薬王院の周辺はまだギリギリ見頃だったようだ。今年の紅葉を見逃してしまった読者のみなさん、まだチャンスがあるかも。この週末、どうする?
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さて、この『超個人的「どうする家康」の歩き方』は、まずぼく自身がこの連載を「どうする!?」と問うところからはじまった。歴史を辿る山の旅とはいっても、その現場となった場所を素直に訪れる聖地巡礼の旅もあれば、ある出来事をきっかけに自分なりの筋立てを転じていく派生の旅もある。今回はその後者をとり、ドラマの舞台とは直接的に関わらない山や土地を中心に訪ねるよい機会ととらえた。
ぼくが紹介したコースを参考にして、自分なりの“歩き方”を楽しんでいる読者の方をYAMAPの活動日記で見かけることができたのは、本当に嬉しいことだった。読んでくれて、しかも原稿で取り上げた場所まで足を運んでくれて、本当にありがとう。そんな気持ちをこめて、気づいた日記にはこっそりDOMOを贈らせていただいた。読者のみなさんも、リスペクト。
そんなわけで、この連載もこれにて最終回。不定期な更新ながら、長らくお付き合いをいただき、心から感謝!
で、つぎの連載。どうする?!
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文・写真
大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家