山にはいろいろな野鳥が暮らしています。低山から高山まで、四季折々の山の鳥たちとの出会いのエピソードを、バードウォッチング歴50年、野鳥写真歴30余年の大橋弘一さんが様々なトリビアを交えて綴る「山の鳥エッセイ」。第9回は、「ウソ」の本当の生態について、写真とともに紹介します。
山の鳥エッセイ #09/連載一覧
2024.01.25
大橋 弘一
野鳥写真家
【第9回 ウソ】
英名:Eurasian Bullfinch
漢字表記:鷽
分類:スズメ目アトリ科ウソ属
ウソは、ピンクと灰色、そして黒の配色が美しく、おっとりした優しいイメージの小鳥です。動きがゆっくりしていて、小鳥にありがちな落ち着きのないちょこまかした感じはしません。「フィー、フィー」と聞こえるソフトな鳴き声も上品で控えめ。人に例えれば、どことなく育ちの良さを感じさせる物腰の柔らかな人物といったイメージでしょうか。
ただ、押し出しが強くないせいかあまり印象に残らないところがあって、じつは私はこの鳥を初めて見たときのことを思い出せないのです。いつ、どこでだったのか、気が付いたときには私にとって身近で好ましい鳥のひとつになっていました。
ただし、この鳥の幼鳥との初めての出会いには鮮烈な印象がありました。
それは30年ほど前の夏のこと。北海道・大雪山系黒岳(1,984m)の登山道でのことでした。標高およそ1,300mほどの、ちょうど五合目付近だったと思います。視線の高さの木の茂みに、ふと動くものを見つけました。
瞬間的に見知らぬ鳥だと思った私は、カメラを向けながら少しずつ近づきました。あまり警戒心がないようで、逃げません。何とか十分な大きさで何カットか撮ることができました。
これがウソの幼鳥だったわけですが、見慣れたはずのウソだとすぐにはわからなかった理由は、成鳥とあまりにもかけ離れた色をしていたためです。頭部から腹や背にかけては濃いベージュ色で、成鳥では雌雄に共通する頭の黒色部がありません。
顔の上半分から頭頂にかけての黒色がこの鳥の見かけ上の最大の特徴だと思っていた私にとっては識別の拠り所がない状態だったのです。
けれども、次の瞬間、「これはウソではないかな…」と、何となく、漠然とひらめいたのです。木の芽か何かをついばむ様子がおっとりした感じに見受けられ、全体の雰囲気がウソっぽいと直感したのです。ただ、それでも、これがウソだという確信は持てませんでした。
帰宅後、いろいろな図鑑類を調べてみましたが、当時の図鑑は幼鳥まで載っているものが少なく、載っていても図が不正確だったりして結論を出せずにいました。
そして、フィルムの現像が上がって来てよくよく確認してみると、まず、全体の体形はウソそのものだと感じました。くちばしも、まぎれもなくウソ独特の太さと短さです。そう思って冷静に見てみると、翼や尾羽の色や様子が成鳥のウソとほとんど同じです。これで、ウソの今年生まれの個体、つまり幼鳥であると確信するに至ったのでした。
この経験は、私にとって大きな意味がありました。それは「識別は、全体の印象から」という大切なことを自覚させてくれたことです。似た鳥を見分けるのに、各部の色の違いばかり見ていると、識別の本質を忘れてしまうことが多々あることを思い知らされました。
鳥は、全体の体形や動作のイメージをまず把握すると、格段に識別しやすくなります。鳥それぞれによって異なる形や動き方の特徴を把握しておくことが大切。ウソ幼鳥を前にしてのひらめきが、じつは重要だったわけです。
今、私の事務所には、鳥の識別に関する問い合わせが数多く寄せられます。その中には各部位の細かな色の違いばかり見て、迷路にはまってしまったケースがしばしばあります。
そういうときには、全体の印象を見ることの大切さをアドバイスするようにしていますが、これは、ウソ幼鳥との出会いから私が学んだノウハウです。
ところで、この鳥の「ウソ」という一風変わった呼び名はどういう意味なのか疑問に思う人が多いと思います。真実でないことを意味する「嘘(うそ)」つまり「うそをつく」のウソとの関係が気になるかもしれません。極端に言えば、ウソは嘘つきの鳥なのかと思う人もいるのではないでしょうか。
しかし、言うまでもなく、実際はこの鳥と嘘とは全く無関係です。
鳥のウソは漢字では一般に「鷽」と書きますが、もうひとつ「嘯鳥」とも書きます。この嘯(うそ)という語は『日本書記』や『古事記』にも登場する古い言葉で、元来「嘯(うそぶ)く」「嘯吹く」といった動詞として使われ、「口笛を吹く」を意味していました。
ここから、嘯は単純に口笛の意味の名詞にもなりました。「フィーフィー」という優しい鳴き声が口笛の音に例えられ、嘯(うそ)と呼ばれるようになったのです。
実際、山道でこの鳥に出会ったときに「フィッ、フィッ」と口笛を吹くと、鳴き返してくれることもあるそうです。
余談ですが、古くから伝わるお面で知られる「ひょっとこ」は、狂言で用いられる口笛を吹く表情の面が原型とされ、この面は「嘯(うそふき)」と呼ばれていました。
しかし、「うそぶく」という言葉は、現代では「とぼけて知らないふりをする」とか「豪語する」といった意味で使われます。「口笛を吹く」という本来の意味からかけ離れた言葉になってしまっています。
「うそぶく」の漢字表記は現代の日本語でも「嘯く」ですが、これを「嘘吹く」だと思い込んでいる人もいると思います。だから、虚言を意味する嘘がこの鳥の呼び名の語源だと思う、とんちんかんな解釈が生じてしまうのです。
さらに、「とぼけて知らないふり」が、嘘をつくことと表裏一体の概念であることも、誤解に拍車をかけています。嘘と嘯は、たまたま音が同じ「うそ」であることが災いし、長い歳月を経て意味まで似てきてしまい、真意が伝わりにくくなっているのです。
もうひとつおまけに、現代語では口笛を吹くことを「うそぶく」とは言わないので、現代人には「ウソ」という呼び名の本来の意味が一層伝わりにくくなっていると考えられます。
鳥の和名には、古くからの日本語が現代に生き続けている美しい表現が時折見られます。ウソもその一例ですが、たまたま同じ音をもつ他の言葉(嘘)が存在することによって、誰のせいでもありませんが、誤解を生じ、残念な事例になってしまいました。
もっとも、ウソの古くからの呼び名には美しい表現がいくつかありました。
たとえば、琴を弾く鳥を意味する「ことひくとり」。これは、琴を弾く手の動きを連想させるように、足を左右交互に上げ下げすることを示しています。
江戸時代の文献には、「琴を弾く」ことに加えて「容姿が美しく声が艶やかなのでうそ姫と呼ぶ」(現代語訳)と書かれたものも存在します。姫という美称(雄のことだと思いますが)で呼ぶほど、この鳥の姿や声が江戸の人々に好まれていたことがわかります。
また、ウソの雄と雌を区別して呼ぶ「てりうそ(照り鷽)」と「あまうそ(雨鷽)」という表現も知られています。前者が雄で、後者は雌のウソを指します。
雄は頬から喉にかけてのピンク色を陽光に見立てて「照り」とし、雌は雨雲を連想させる地味な色調のため「雨」を冠して呼びました。こうした抒情的な表現にも日本語文化の一端が感じられ、好感が持てます。
ところが、英名ではウソは、あろうことかBullfinch(ブルフィンチ)と呼ばれます。ブルはブルドッグやブルドーザーのブルで、元来は雄牛を指し、転じて「雄牛のようにがっしりした」という意味になります。
日本語では優しく艶やかで、たおやかな鳥と見られていたのと対照的な見方に驚かされます。体形のバランスとして頭部が大きめに見えることから考えられた呼び名のようですが、それにしても、これが文化の違いなのか、古来の日本語表現との大きな落差に愕然としてしまいます。
ウソは、亜高山帯の鳥と言われます。しかし、一年中高い山に暮らしているわけではなく、夏に亜高山のおもに針葉樹林で繁殖した後、秋以降、徐々に低山や平地にまで下りて来ます。子育ての時期には昆虫も食べますが、食性は基本的に植物食で、草木の種子や実、芽などをよく食べます。
冬には平地で見かけることが多くなり、道端で草のタネをついばんだり、公園に植栽されたナナカマドやツルウメモドキなどの実を食べる場面を見かけるようになります。特にナナカマドは、北海道では街路樹にも使われる木で、ウソだけでなくレンジャク類やツグミ、シメ、アトリなどもその赤い実を好んで食べます。
ナナカマドの実が鳥たちに食い尽くされてなくなってしまうと、ウソはバラ科の樹木、つまり桜や梅、桃、林檎などにやってきてその花芽を食べることが多くなります。枝にとまってどっしりと構え、もぐもぐとくちばしを動かし、その破片がくちばしについてもお構いなし。
一つの花芽を細かくして飲み込んだら、すぐにまたもうひとつをむしり取ってもぐもぐ…。こうして桜や梅の花芽を食べ続けますので撮影しやすい半面、汚れたくちばしの写真ばかりになってしまう点では、カメラマン泣かせといえるかもしれません。
ただ、それより困るのは、花見の名所になっている公園の管理者や果樹園。一度ウソに狙われると、毎日ウソが群れでやって来て花芽を食べ続けます。花芽が食われれば当然花は咲かず、皆が待ち望む春のお花見の楽しみが半減してしまいます。
ウソは、特にソメイヨシノの芽が好みのようですから花見の大敵となり、果樹園なら作物被害をもたらす害鳥とされてしまいます。
この、ウソによる花芽の食害を防ぐため、ウソを駆除対象とするケースもあるようです。ネット検索すれば、ウソの花芽食害を防止する方法が紹介されていますし、公園管理者たちの間でウソを駆除すべきか否かが議論された記録を見ることもできます。
ウソはユーラシア大陸に広く分布することもあって、この食害の問題は現代の日本だけでなく、古今東西、人々を悩ませてきた歴史もあるようです。例えば、昔、イギリスでは果樹園の被害を防ぐためにウソに懸賞金をかけてまで捕獲したとの記録も見られます。
一方ではウソの被害はそれほど大きいのだろうかという懐疑的な見方もあります。花芽や果樹の被害が問題になる年もあれば、ほとんどその報告がない年もあるのです。
ウソは前述の通り、夏に亜高山帯で繁殖した個体が冬には人里へ降りてきますが、それ以外にシベリアなどから南下してきた個体が加わり、数が多くなるものと考えられます。その南下の個体数は年によって大きく変動し、多く渡来した年に花芽の食害が問題になるものと推定されます。
逆に、ほとんど食害が報告されない年は、北からの渡来数が少なかったと考えられますが、残念ながらそれを示す調査資料はありません。
ウソによる花芽食害の規模とその対策について、南下ウソの渡来数などとの因果関係を精密に調査しなければ、実態は把握できないでしょう。駆除の可否は、科学的なデータに基づいてこそ正しく判断されるものと思います。
<おもな参考文献>
・菅原浩・柿澤亮三著『図説日本鳥名由来事典』(柏書房)
・中村登流著『野鳥ガイド 村里へ高原へ山頂へ水辺へ』(光文社)
・御厨正治著『野鳥文芸辞典 一 あ行』(近代文芸社)
・森林総合研究所東北支所『Forest Wins』№31「花見か?鳥見か?」
・石城謙吉・嶋田忠著『ウトナイの鳥』(平凡社)
*写真の無断転用を固くお断りします。
大橋 弘一
野鳥写真家
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