[父の日に贈る、アウトドアライター・ホーボージュンさんによるエッセイをお届けします。]
2024.06.11
ホーボージュン
全天候型アウトドアライター
ドンデン山に登ってきた。
前から登ってみたいと思ってはいたが、これまでなんとなく機会を逃していた。いつでも登れる、と思っていたのと「どうせたいしたことないだろう」という気持ちがあった。なんというか、なめられるタイプの名前だし。
「ドンデン山」と聞いて、あなたはどんな山を想像するだろうか? おそらく多くの人が牧歌的な里山を思い浮かべるだろう。いかにも昔話に出てきそうな名前だ。きっと主人公はちびっ子のタヌキで、おかあさんタヌキを探して冒険に出かけ、途中で仲間を作りながら、泣いたり笑ったりずっこけたりするのである。
でもね。ちがうんだ。ドンデン山は実在するけっこう立派な山だ。
それは新潟県の佐渡島にあり、金北山と連なって大佐渡山脈を形作っている。「新日本百名山」や「花の百名山」にも選ばれている人気の山なのだ。
そんなドンデン山に登ったのは、地元の観光PRの一貫としてだった。「インフルエンサー」として訪島し、佐渡の自然の魅力を発信するという案件で、有名な登山系ユーチューバーやインスタグラマーのおねえさんらとともに招かれたのである。
なんでおまえごときが?
別にインフルエンサーじゃねえじゃん。
はい、ごもっともです。その通りです。
でも僕には招かれた理由がある。
それは佐渡が「故郷」だったからだ。父親が佐渡の出身で、僕にはこの島の血が流れているのだ。
*
僕の父は昭和11年生まれで、今年で88歳になる。
佐渡の中央部にある『法教山・本光寺』という寺の三男として島で生まれ育った。
幼少時は太平洋戦争のまっただ中で、小学校1年生の時に終戦を迎えた。戦後復興の時期に少年時代を送り、60年安保闘争の頃には早稲田大学で学生運動に明け暮れ、やがて僕が生まれた。
その後の高度成長期には市民運動家として全国を飛び回り、家にはほどんどいなかった。それでも夏休みになると僕をよく佐渡に連れて行ってくれた。
実家の寺は「ビンボー寺」だったそうで、5人いる叔父さんがよくそれを面白おかしく聞かさせてくれた。
もともと佐渡にはお寺さんが多い。かつてはこの狭い島に400以上の寺社がひしめき(令和の現在でも275カ所もある)そのせいで人口あたりの寺密度がメチャクチャ高いのだ。
その結果、個々の寺の檀家数は少なく、寺の経営はしぜんと厳しいものになった。本光寺もしかりで、歴代の住職は地元中学校の教師をしながら寺を支える、というのがデフォルトだったそうだ。
「そんな寺、誰も継ぎたくねえから男兄弟は6人とも島を出て、東京の大学に進んだんだ。オレなんか絶対に坊主になりたくなかったから青学を受験してオヤジにぶん殴られたよ。がはははは」と叔父さんのひとりは笑った。
結局お寺は父の長兄が継ぎ、いまはその長男、つまり僕のイトコが継いでいる。
ふたりともやはり学校の先生で、そのおかげでいまも島中に教え子たちがいる。
そういうご縁で僕は呼ばれた。つまり僕の場合はインフルエンサーというよりも「地元枠」だったのである。
*
ドンデン山へは「アオネバ渓谷」と呼ばれる川沿いの登山道を登った。この山道はコナラやミズナラ、ヤマモミジの樹林帯を縫うように続いていて、緑のシャワーが心地良かった。
じつはこの渓谷は日本有数の花の名所として知られている。佐渡は北緯38度線上に位置するので、ちょうど北方系植物の南限と南方系植物の北限が重なっている。さらに標高も海抜0mからいきなり1,000mまで登るので、花の種類が多く変化に富むのだ。
また佐渡には熊はもちろん、鹿、猿、イノシシなどもいない。だから動物による植生被害がなく、野花がのびのびと咲き誇れる。
春のアオネバ渓谷はわずか600mほどの登りで90種類もの花と出会うことができるという。
「狭い登山道の両側に野花が溢れかえり、退屈することがありません。なかでも早春のカタクリやシラネアオイの群生は圧巻で、まるでテーマパークにでもいるみたいです」
そう教えてくれたガイドさんの目は少女漫画のようにキラキラしていた。
山頂に登った僕はそこからさらに稜線の縦走路まで足を伸ばしてみた。そこで一気に視界が広がった。その景色の素晴らしさといったら……!
右手に外海府、左手に両津湾を見下ろしながら、高度感たっぷりの稜線が続いていた。
僕の視界を遮るものはなにもなく、目に入るのは青い空と雄大な山塊の連なりだけ。
空はどこまでも高く、海はひたすらに青い。
日本海の孤島にこんなにも大きく、こんなにも朗々とした山脈があることを、いったい誰が想像できるだろう……?
僕はほんとうにおどろいた。
ドンデン、恐るべし。
その日の夜はドンデン山荘に泊まった。ゆっくりと風呂に浸かった後、風に吹かれようとひとりで展望台に出てみる。石垣に腰掛け、山荘で買った缶ビールを開けた。
グビリ。
ぷっっはあああ。
ホップの苦みが五臓六腑に染み渡る。冷えたビールは僕のいちばんの山仲間だ。
眼下に国仲平野の明かりが見えた。
都会のきらびやかな夜景とは比ぶべくもないが、黄色く灯るあかりのひとつひとつに人々の暮らしがあると思うと、なんだか心にしんみり染みた。
「そういえば……」と思いたち、僕は海の遙か向こうに目をやった。すると真っ黒な海の彼方に微かに新潟市の明かりが見えた。
「ほんとうに見えるんだ……!」
むかし父親は僕にドンデン山の話をしてくれたことがある。夜になると山頂からは本州の光が見えるのだと教えてくれた。
「だからお父さんは長岡の花火大会の日になると、おばあちゃんにおにぎりを作ってもらってドンデン山に登ったんだ。まだ子どもだったから上の兄さんたちに手を引かれてね。兄弟はまだ誰も島から外に出たことはなかったから、海の向こうの花火はまるで夢でもみているようだったよ」
その話を聞いたとき、僕はまだ小さな子どもだった。だから父親が「まだ子どもだったから」というのを聞いてとても不思議な気持ちになった。背が高く、精悍で、ものすごく力が強かった父親が、自分と同じように小さな子どもだったのだということが、うまく理解できないのだ。
でもそんな子どもだった僕だってこうして大人になった。
そしてドンデン山のてっぺんで、こうして父が見たのと同じ暗い海と遙かな灯を眺めている。考えてみれば不思議な話だ。
僕にはひとり息子がいる。その息子はこの春、小学校に入学した。運動神経はイマイチだが、幼児の頃から近所の里山に登っているからトレッキングは大好きだ。今度ドンデン山に登る時には息子も連れてきてあげよう。そんなことを考えた。
グビリ。
僕はもう一口ビールを飲んだ。
オヤジはもう無理かな。なにしろ今年で米寿を迎える。最近はあれほど好きだった旅行にも出かけていないようだし、家庭菜園からも足が遠のいているらしい。
でもクルマでここまで連れてきて、一緒に夜景を見ることならできる。
オトコ3代で石垣に座り、風に吹かれるだけでもいい。
小学生の息子を真ん中にして、三人で並んだ後ろ姿を僕は思った。
そしてすっかり小さくなってしまった、父親の背中を思った。
よし、山を下りたら実家に電話をしてみよう。
でも、いまさらオヤジと話すのも面映ゆいな。
なにしろもう何年もまともに話したことがない。
だからひとことだけ、伝えよう。
「ドンデン山に登ってみたよ。山頂から本土が見えるって本当なんだね」と。
思いをつなぐ労いの一杯。
「おつかれ山ビール」でありがとうを贈ってみませんか?