山にはいろいろな野鳥が暮らしています。低山から高山まで、四季折々の山の鳥たちとの出会いのエピソードを、野鳥撮影歴30余年の大橋弘一さんがさまざまなトリビアを交えて綴る「山の鳥エッセイ」。第17回は、「ウグイス」です。
山の鳥エッセイ #17/連載一覧
2026.01.27
大橋 弘一
野鳥写真家
【第17回 ウグイス】
英名:Horornis diphone
漢字表記:鶯
分類:スズメ目ウグイス科ウグイス属

山地のウグイス。北海道藻琴山(999m)で撮影
ウグイスは、冬には、住宅街の公園など人の生活圏でもしばしば見かける鳥です。2月頃の梅の季節には「梅に鶯」の例えでも知られる(このことについては後述します)ように庭先にもやってくる鳥です。
ただ、年間の生活を考えると、じつはウグイスは平地から山地まで広い垂直分布を持つことがわかっています。
多くの鳥は標高の低い場所あるいは高い場所などとそれぞれの生息範囲がほぼ決まっているものですが、ウグイスの場合は、平地はもちろん、高山帯にまで数多く生息しています。
これは、最近行われた繁殖期の野鳥の分布調査によって明らかになったことで、身近なヒヨドリやメジロ、キジバトなども垂直分布の広い鳥ではありますが、それでも標高の高い場所にはあまりいません。

垂直分布が比較的広い鳥の例。右からヒヨドリ、メジロ、キジバト
一方、ウグイスは、大切な生息環境である笹藪が繁った場所でさえあればどこにでもいるといってもいいほどの広い分布を示し、日本の鳥としては圧倒的に垂直分布の幅が広い鳥だと考えられているのです。
私は、この「山の鳥エッセイ」のシリーズを執筆し始めた当初は、正直なところウグイスをテーマにすることは考えていませんでした。山にいる印象がそれほど強くなかったからです。しかし、科学的なデータが、ウグイスに対して私が漠然と抱いていたイメージを鮮やかに払拭してしまったのでした。かくして、今回はウグイスの登場と相成りました。

カッコウ(右)もスズメも鳴き声が和名の語源由来
私は、鳥の魅力を広く伝えるために鳥名の語源由来を解説する活動を長く続けています。わかりやすい例として、カッコウは「カッコウ」と鳴くからそう呼ばれるようになりました。
スズメも、鳴き声の「シュンシュン(現代ではチュンチュンが一般的ですが)」が「スズ」に変化し、そこに小さい鳥を意味する古い接尾語「メ」が加わった呼び名だと考えられています。スズメの例のように言葉の多少の変化を考慮すれば、鳴き声が語源と考えられる鳥名は数多くあります。ウグイスもじつはその典型例なのです。
…といっても、多くの皆さんは疑問を感じることでしょう。ウグイスの鳴き声は「ホー、ホケキョ」なのに、それがどうしてウグイスという名の語源になるのか、と。

大声でさえずるウグイス。さえずる時は藪の中から見通しのいい場所に出てくることもある
タネ明かしをしましょう。人々がウグイスの鳴き声を「ホー、ホケキョ」と聞くようになったのは戦国時代頃からのことで、それ以前には、なんと「ウー、グイス」と聞いていたのです。だから、この鳥はウグイスと呼ばれるようになったのです。ウグイスは、カッコウにも引けを取らないほど鳴き声そのままの名前だったのです。
ここで、さらなる疑問です。そんなことがなぜわかるの?と思う人もいるかと思います。それは、古い時代の和歌にそう詠まれた例があるからわかるのです。

声が愛でられてきた鳥だが、尾が長めでスマートな姿もバランスの取れた美しさがある
いかなれば 春来るごと うぐひすの
己の名をば 人に告ぐらん(大江匡房)
これは、平安時代末期の『承暦(じょうりゃく)二年内裏歌合(だいりうたあわせ)』の記録に残された歌です。
「ウグイスは、春が来るたびになぜ自分の名を人に告げるのだろう」といった意味です。ウグイスという自分の名前を人に告げるというのですから、その鳴き声は「ウグイス」であることがこの歌にはっきりと示されています。
ちなみに、歌合というのは平安時代から始まった貴族の遊びで、和歌の優劣を競うために2組に分かれて歌を詠み合うものでした。その中でも宮中で行われる場合は特に内裏歌合せと呼び、記録に残されている例が多くあります。
ウグイスは、古くから鳴き声が人々に大変好まれた鳥で、最古の歌集『万葉集』にも数多く詠まれました。そうした古い時代の和歌が残されているため、ウグイスと言えば「ホー、ホケキョ」としか思わない我々現代人でも、この鳥の語源が鳴き声由来であることを明確に知ることができるのです。
ウグイスまたはウグイスの声を歌に詠むことは『万葉集』以後も一つの文化としてずっと続きました。「憂(う)く・干(ひ)す」という言葉にかけて詠むような技巧的な歌もありますが、それも含めて多数の和歌や、さらに俳諧などにもウグイスが数多く詠まれてきました。
内裏歌合せの記録は、和歌の歴史や宮廷文化を知るための非常に重要な史料となっていますが、鳥名の語源探求においてもこのようにとても役立つことがあり、見逃せません。

ウグイスの水浴びシーン
では、その「ウー、グイス」と聞こえていた鳴き声はいつ、なぜ「ホー、ホケキョ」に変化したのでしょうか。
それを知るためには、まず「ホー、ホケキョ」は漢字で書けば「法、法華経」であることを意識してください。鳥の声を人の言葉になぞらえることを「聞きなし」と言いますが、「法、法華経」は最も有名な、優れた聞きなしだと思います。
大乗仏教の経典「法華経(正式名称は妙法蓮華経[みょうほうれんげきょう])」は釈迦の教えの集大成とされ、日本の仏教では宗派を問わず重要視されます。このことを考えると、ウグイスの鳴き声を法華経と結びつけたのは仏教者ではないかと推察できると思いますが、まさにその通りで、戦国時代を生きた禅僧・惟高妙安(いこうみょうあん)という人物がその人であると考えられています。

正面から見たウグイスはかわいらしい
妙安はあの武田信玄も教えを乞うたといわれる高僧であり影響力が大きかったと考えられ、さらに「法、法華経」という聞きなしが素晴らしかった(本当にそう聞こえると思う人が多かった)ため、ウグイスの鳴き声を「ホー、ホケキョ」だと感じる人は増え続け、江戸時代頃には「ウー、グイス」説を駆逐したのだろうと私は考えています。
なお、この経過や顛末については拙著『鳥たちが彩る日本史』および『鳥たちの素敵な名前の物語』に詳しく書きましたので、関心のある方にはご一読をお勧めします。

庭木にとまったウグイス。樹種は違うが梅の木にとまる情景も想像できる
ウグイスが古来から親しまれてきた鳥であることを示す一例として、”絵になる取り合わせ”を意味する「梅に鶯」という言葉を考えてみたいと思います。
「梅に鶯」は、鳥の生態を考え合わせると間違った表現であると、一般にはいわれています。ウグイスは虫を食べるため花には用がなく、従って梅の花にはやってくることはないという解釈です。
むしろ梅の花を好むのは花の蜜を吸うメジロであり、メジロをウグイスと見誤ったのではないか、などといわれることが多いのです。
しかし、これは(誤りという説は)本当でしょうか。梅の花が咲く2月頃はウグイスにとってはまだ越冬期です。平地にいて庭先にもやってくる時期の終り頃です。ということは、梅の枝にウグイスが乗ることも全くないとは言い切れないでしょう。
また、ウグイスとメジロを見間違うことがあるだろうか、とも思います。色も大きさもだいぶ違いますし、メジロは何と言っても目の周囲の白いアイリングがとにかく目立ちます。

サクラの花蜜を吸うメジロ。ウメの花にもよくやってくる
このように考えてくると、「梅に鶯」は、美しく調和する組み合わせを並べた成句(決まり文句)であって、間違いかどうかを考えること自体があまりに無粋で不調法なのではないでしょうか。むしろ、春らしさを感じさせる理想的な2つの風物を例示した表現だと考えてもいいのではないでしょうか。
ちなみに、「梅に鶯」は万葉の時代から知られていた非常に古い成句であることが、やはり『万葉集』の歌からわかっています。

ウグイスの後ろ姿。翼のあたりにわずかに緑色みが感じられるかもしれないが、うぐいす餅の色とは明らかに違う
ただし、ウグイスとメジロを取り違えた(と考えられる)表現はまだ他にもあります。「うぐいす餅」や「うぐいす色」がそれです。
うぐいす餅は、小豆餡を餅で包み色鮮やかな黄緑色のきな粉(青大豆きな粉)をまぶした餅菓子です。春の和菓子として今も定番ですが、この「うぐいす餅」の黄緑色を「うぐいす色」と表現する例が後を絶ちません。
鮮やかな黄緑色はメジロの色であり、ウグイスは写真からもお分かりのように褐色系の灰色と表現するのが的確でしょう。部分的にはわずかに緑色みを帯びているように見えることもありますが、うぐいす餅のような鮮やかな色ではありません。
メジロの色をした餅菓子をウグイスに例えた命名は明らかに誤りだと思いますが、うぐいす餅の起源を調べてみると意外なことがわかります。
時代は天正13(1585)年、豊臣秀吉が天下人へと駆け上がった時代に遡ります。秀吉が慣例を強引にねじ曲げて関白の座を手中にしたのがこの年のことでした。関白に任じられた御礼にと、秀吉は正親町(おおぎまち)天皇を招いて大規模な茶会を催しました。
この時、秀吉の弟・秀長から会にふさわしい珍菓を作るよう命じられた奈良の菊屋治兵衛という菓子職人が作ったのが、きな粉をまぶした餅菓子。これを、秀吉はたいそう気に入り「うぐいす餅と名付けよ」と言ったと伝えられています(史実かどうかはわかりませんが)。
これがうぐいす餅の起源で、菊屋は奈良最古の歴史を誇る和菓子店「本家菊屋」としてその菓子を作り続けています。

うぐいす餅の起源とされる本家菊屋の「御城之口餅(おしろのくちもち)」(写真提供:本家菊屋)
その後、ご存知のように時代は徳川の世となります。すると、さすがに秀吉が命名した菓子をそのままの名で作ることがはばかられたのか、菊屋は「うぐいす餅」を改名し、地元・大和郡山の城にちなんだ「御城之口餅」としました。今も、本家菊屋のうぐいす餅はこの名で販売されています。
豊臣秀吉とうぐいす餅の逸話からは、秀吉は黄緑色をウグイスの色だと思っていたのか?と邪推したくなりますが、どうもそうではなさそうです。菊屋が茶会の際に作ったこの餅菓子には普通の(黄土色の)きな粉が用いられていました。実際のウグイスの色に近い色です。昔ながらの製法を守り続ける現代の本家菊屋の御城之口餅は、やはり普通のきな粉で作られています。
それなのに、うぐいす餅と言えばなぜメジロの色になったのか、その理由や経過を伝える確かな史料や情報は見つかっていません。いつの頃からか青大豆を使った緑色のきな粉がこの菓子にも徐々に使われるようになり、おそらく、その鮮やかで瑞々しい色が春のイメージに合うものとして世間に受け入れられ定番化していったのでしょう。

薮からなかなか姿を現さないウグイスは身近な割に見る機会の少ない鳥だ
ちなみに、日本の伝統色としての「鶯色」は暗くくすんだ黄緑色を指します。実物の鳥の色ではウグイスよりメジロに近い色です。
これらのことを通して行きつく先は、ウグイスが昔から長く親しまれてきた鳥であるにもかかわらず、なぜ正確な色が伝わらなかったのかという不思議です。藪の中にいることが多いウグイスは姿をしっかりと見る機会が少ない鳥です。声は親しまれてきたけれど、姿は案外知られて来なかった鳥。それがウグイスなのではないでしょうか。
おもな参考文献
松田道生著『鳥はなぜ鳴く?ホーホケキョの科学』(理論社)
本家菊屋HP
大橋弘一著『鳥たちが彩る日本史』(山と溪谷社)
大橋弘一著『鳥たちの素敵な名前の物語』(文一総合出版)
*写真の無断転用を固くお断りします。
大橋 弘一
野鳥写真家
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