山にはいろいろな野鳥が暮らしています。低山から高山まで、四季折々の山の鳥たちとの出会いのエピソードを、野鳥撮影歴30余年の大橋弘一さんがさまざまなトリビアを交えて綴る「山の鳥エッセイ」。第18回は「キジバト」をテーマに、ハトにまつわるあれこれをお届けします。
山の鳥エッセイ #18/連載一覧
2026.04.22
大橋 弘一
野鳥写真家
【第18回 キジバト】
英名:Oriental Turtle Dove
漢字表記:雉鳩
分類:ハト目ハト科キジバト属

冬のキジバト。季節を問わずペアで行動することが多い(撮影地:武蔵野市)
日本の野鳥の中で、最も代表的なハト類と言えばこの鳥、キジバトです。
「野鳥の中で」と記したことがポイントで、公園や神社などでよく見かけるいわゆる「鳩」はドバトといい、通信用や愛玩用などのために国外から持ち込まれたものが野生化した生き物であり、野鳥の範疇には入りません。外来種もしくは家禽として扱われます。
それに対してキジバトはれっきとした日本の野鳥、つまり自然に分布する在来の鳥です。大きさは全長33㎝と、ドバトと同じくらいで、のんびりした調子で「デーデーポーポー、デーデーポーポー」と繰り返し鳴きます。のどかなイメージのこの声に癒される人も多いそうです。

喉をふくらませた独特のポーズで「デーデーポーポー」と鳴く。亜種リュウキュウキジバト(撮影地:宮古島)
私も幼少の頃、自宅の開け放した窓からこの声が聞こえてくるのをよく耳にしました。家は東京の郊外で、当時は新興住宅地と言える場所でした。その頃は漠然とハトの声だと思い、ドバトなのだろうと思っていました。でも、よく考えるとドバトの声は「クー」とか「クルルー」で、「デーデーポーポー」ではありません。
キジバトはドバトと混同されるほど身近な場所に暮らす鳥といえるのかもしれません。ただし、いつも群れているドバトと異なり、キジバトはペアか単独で行動します。特に2羽でいることが多い印象があり、決して群れることがないためか、案外目立たない存在だと思います。

山岳地帯で見かけたキジバト。北海道・大雪山系黒岳で
キジバトの生息地は、住宅街などの都市部から農耕地、河川敷、雑木林など多様で、様々な場所に広く分布しています。人の生活圏でも見かけるため平地の鳥と思われがちですが、実際は山地にも多く、亜高山帯にまで生息しています。
数年前、鳥類研究の権威として知られるK氏を北海道の大雪山系にご案内した際、標高約960mの場所でキジバトを見て「こんな所にもキジバトがいるのか!」と驚いておられました。第一線の野鳥研究者でさえ高標高地に棲むキジバトは案外意識されていないようでした。
春から夏にかけて行われたキジバトの興味深い生息調査があります。
22シーズンに及ぶ長期間に実施されたこの調査によれば、標高100m未満ではキジバトは92%の出現率がありました。標高が上がるにつれて出現率は下がっていきますが、標高700m以上でも33%ありました。平地ほど多くないとはいえ、山地にも暮らす鳥だということが科学的に裏付けられた調査結果となりました。

春のキジバト。平地の梅林で(撮影地:相模原市)
また、キジバトは高山の象徴ともいえるハイマツ林にも飛来することがあり、ハイマツ林での出現率は20%でした。キジバトは、一般的なイメージ以上に山の鳥であり、標高の高い場所も含め、幅広い環境適応性を持つ鳥だといえそうです。
そういえば、キジバトの俗称は「山鳩」だったことを思い出しました。私が子供の頃には、標準和名の「キジバト」と呼ぶより「山鳩」と呼んでいた人の方が多かったように記憶しています。人々の認識は、やはり”山のハト”ということなのかもしれません。

アオバト(雌)。深い森で暮らす
歴史的に見ると、「やまばと」という呼び名は古く、平安時代の書物にもその名が見られます(『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』など)。以降、鎌倉時代にもこの鳥は「やまばと」と呼ばれていたようですが、時代が下って江戸時代になると様相が変わってきます。
江戸時代の文献を調べてみると、興味深いことがわかります。当時の絵入り百科事典や鳥類図譜(『訓蒙図彙(きんもうずい)』など)には「やまばと」の項に緑色の鳩の図が載っている文献がいくつかあるのです。この図は、どう見てもキジバトではなく、アオバトです。
どうやら、江戸時代には、現代につながる「きじばと」の呼び名が現れて一般化し、それに伴ってアオバトを「やまばと」と呼ぶようになったと推測できるのです。「きじばと」という呼び名は江戸時代からのもので、少なくとも平安時代からある「やまばと」の名と比べれば数百年も新しい言葉だと考えられます。

海水を飲むアオバト(雄)。水面に口を付けたままゴクゴクと飲む。
ちなみに、アオバトについても少し触れておきましょう。アオバトはキジバトと並ぶ日本の代表的なハトで、深い森に棲みます。キジバトと異なり、住宅地や農耕地といった人為的環境にはほとんど姿を見せません。大きさはキジバトと同程度ですが、羽色は全く異なり、緑色基調の美しい姿をしています。鳴き声も独特で、「ワーオー、オワーオー」という寂しげな声は鳥の声とは思えません。
さらに面白いのは、アオバトは森の奥で子育てしながらも、夏から秋にかけて毎日海岸に現れて海水を飲む独特な習性があることです。
果実を主食とするこの時期に不足するミネラル分を補給するための行動と考えられており、神奈川県の照ヶ崎(てるがさき)海岸(大磯町)や静岡県の村櫛(むらくし)海岸(浜松市)、北海道の張碓(はりうす)海岸(小樽市)などの名所ではアオバトの飛来が季節の風物詩になっています。

右は雌のキジ。背面から見ると確かに似ているようにも見える
話をキジバトに戻し、「きじばと」という鳥名の語源由来や異古名もご紹介しましょう。
一般に、「きじばと」の名は羽色がキジに似ているから名付けられたと言われています。キジと聞いて色鮮やかな雄のキジを思い浮かべると”意味がわからない”ということになってしまいますが、キジはキジでも雌のキジのことだと考えれば納得できる話でしょう。地面をのそのそ歩く雰囲気も雌のキジとの共通点なのかもしれません。
ただ、この説に異論を唱える見方もあり、同じキジでも「生地」または「木地」ではないかと推測する人もいます。全体的に地味で落ち着きのある羽色を「生地」「木地」に通じると考えるわけです。

地面で食物を探す。こうしてみると土の塊のように見えるかもしれない(撮影地:さいたま市)
キジバト(古名やまばと)は古くから身近な存在だったと思われ、異名や古い地方名が数多く知られています。意味が推測できるものだけでも「つちくればと」「あずきばと」「のばと」「まばと」「ふたこえどり」などがあります。
「つちくればと」は、土の塊を意味する「つちくれ」になぞらえた名前です。土のように地味な羽色で丸い体形が土塊のようだと見たのでしょう。「あずきばと」は地味な色合いながら小豆の色に似た鳩の意味です。
「のばと」は野の鳩ですから人の生活圏にいる「いえばと」つまりドバトとの対比であり、「まばと」もドバトに対してこちらが本当のハトだと訴えかけるような命名です。
一方、「デーデーポーポー」という鳴き声を表すのが「ふたこえどり」で、これも現代人にも納得できる呼び名だと思います。

秋のキジバト。ナンキンハゼの実を食べる(撮影地:大阪市)
さて、ここからは英語の話題です。英語でハトを意味する単語にはピジョン(Pigeon)とダーヴ(Dove)がありますが、どう使い分けているのでしょうか。
一般に、大型種がピジョンで、小型のものはダーヴだと言われています。ただし、その区別は明確ではなく、日本のハトではキジバトはダーヴ(Oriental Turtle Dove)ですが、これとほぼ同じ大きさのアオバトはピジョン(White-bellied Green Pigeon)です。
また、大型・小型の区別の他に、ピジョンがハト類の総称であるのに対し、その中で白いハトをダーヴと呼ぶと説明される場合もありますが、これだと益々つじつまが合いません。
英語のネイティブの人がこの区別について語っている動画では、ドバトはピジョンであり、手品などで使われる白い鳩がダーヴだと説明していました。これは英語圏の人たちの日常の率直な使い分けなのだろうと思いますが、科学的にはドバトの英名はダーヴ(Rock Dove)ですし、キジバトやアオバトの区別の説明にはなっていません。

林道で草のタネを食べる(撮影地:苫小牧市)
このように、ピジョンとダーヴは明確には区別できないものと私は結論付けましたが、様々な資料に共通して書かれていることは、ダーヴが元来は平和の象徴たる”白い鳩”を意味する言葉だということでした。
“白い鳩”とは、アフリカ原産のジュズカケバトの白変種「ギンバト」のことで、小型で穏やかな性質でよく人慣れすることから世界中で太古の昔からペット用に飼育されてきました。日本にも江戸時代に持ち込まれたようで、手品や結婚式などのイベントでおなじみの家禽です。白色の姿が好印象のため、平和と結び付けて語られるようになった歴史があります。

抱卵中のキジバト。巣は小さくて粗末なため、なかなか見つけられない
ハトは、現代では世界中で”平和の象徴”とされています。この考え方は本来、キリスト教世界の価値観であり、旧約聖書にその起源を見ることができます。
有名な「ノアの方舟」の伝説がそれで、簡単にいえば、邪悪な人間を滅ぼす大洪水の終わりを告げたのがオリーブの小枝をくわえた白鳩だったというストーリーです。洪水が引いた後に出現したのが美しく平和な世界だったことからハト(特に白鳩=ダーヴ)が平和の象徴とされるようになりました。
しかし、日本の伝統的な価値観では、これと相容れないハトの意味付けがありました。それは、ハトは軍神である「八幡神(はちまんしん)」の使いとされてきたことです。八幡神は源氏一族の守護神で、源氏と八幡神とハトとは切っても切れない関係があります。
鎌倉幕府を開いた源頼朝が篤く信仰した鎌倉の鶴岡八幡宮をはじめ、全国の八幡宮・八幡神社の看板(扁額(へんがく)といいます)で八の字が2羽のハトが向かい合う意匠になっていることからも、八幡神とハトとの強いつながりが感じられます。

鎌倉の鶴岡八幡宮の扁額。八の字は2羽のハトが向き合った形
源氏とハトとの関わりの起源は古く、平安時代後期の武将・源頼義(みなもとのよりよし)から始まりました。1051年から12年間に及んだ戦乱「前九年の役」で、苦境に立たされた頼義が八幡神に勝利を祈願するとハトが現れて羽ばたきで強風を起こし、敵方の砦を焼き払うきっかけを作ったという伝説です。
それ以降、源頼朝にも、木曽義仲にも、源義経にも、さらに足利尊氏や武田信玄まで、源氏の武将の多くに戦勝を導いたハトに関連するエピソードが伝えられています。後には源氏以外の武家も八幡神とその象徴としてハトを大切にする文化が根付きました。
私見ですが、その価値観は、敗戦後の復興期を経て、1964年の東京オリンピックまで続いていたと私は考えています。オリンピックの開会式で飛ばされたハトが「平和の象徴」と紹介されたことが、ハトを戦勝の象徴から平和の象徴へと、価値観を180度転換させるきっかけになったと思うのです。
おもな参考文献
磯野直秀著「明治前動物渡来年表」(慶応義塾大学学術情報リポジトリ)
藤巻裕蔵著「北海道中部・南東部におけるキジバトとアオバトの生息状況」(STRIX vol.17)
安部直哉・叶内拓哉著『野鳥の名前』(山と溪谷社)
大橋弘一著『鳥たちが彩る日本史』(山と溪谷社)
*写真の無断転用を固くお断りします。
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家
大橋 弘一
野鳥写真家